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9.アドリブ・セッション②

 一体、何が起きているのだ?


 バルトリ商会頭取、ロドリーゴ・バルトリの失敗は明らかだった。異国から来た外交官だという、バンプフィルド・カリューなる男を信用したことだ。


 その要因はいくつかある。息子の子飼いの商人から紹介があったこと、彼らが、およそこの地域では想像もつかないような上質な衣服を身につけていたこと、彼らが自分の商売について見抜いており、またその商品について深い知識を有していたこと、彼らの差し出したヘロインなる薬が、確かな薬効を示したこと……。


 ロドリーゴは愚かにも、この時始めてカリューの企てを悟った。


 カリューがこの屋敷に置いていった3つの木箱の中身は、本人の言う通り何の変哲も無い小麦粉だった。とすれば、ロドリーゴにサンプルとして渡された、20グラムほどの粉末だけが、本物のヘロインだ。


 ロドリーゴはすぐに、ヘロインの価値を理解した。3つの木箱の中身をそれぞれ試しに使ってみるようなことは、欲深い商人ならまずしない。カリューはそれを見越して、3つの木箱に小麦粉を詰めて寄越したのだ。そもそも、その小麦粉はどこから手に入れた? この界隈であの量の小麦粉が手に入る所など決まっている。他ならぬロドリーゴ自身の抱える倉庫だ。窃盗の追及をするにも、彼が小麦粉の流通に制限を加えているのが露見してはかえって自分の首を締める。


「詐欺……」と呟いたロドリーゴに、カリューは涼しい顔で笑いかけた。


「詐欺? 我々がお譲りした木箱の中身は、紛れも無い小麦粉だと、憲兵の皆さんもお認めになったはず。それ以外の何かをお求めだったのですか?」


 この男は、官憲の前では詐欺も窃盗も告発出来ないことを分かって、完全に開き直っている。ロドリーゴは岩漿のように腹の底を焦がす怒りを押さえ込みながら、目を固くつむり、考えた。


 この男は最初から、自分を告発するために屋敷に入り込んだのか? だとすればなぜ、このような回りくどいことをしなければならなかったのか。


 阿片の隠し場所を暴くためか? ならば、ヘロインなる薬物の売買は完全な蛇足だ。木箱の中身が小麦粉だったにせよ、カリューが自分に渡したサンプルは、紛れも無い本物だった。凄まじい薬効である。あんなものは、所持だけで取り締まりの対象になるだろう。


 では……。


 ロドリーゴは目を大きく見開いて、「金だ……」と呟いた。


 彼らの衣服にせよ、持ち物にせよ、商人に興味を持たせるような商材は他にいくらでもあったはずだ。彼らの目的が阿片の取り締まりにあるのなら、取引の内容はもっと安全なものでよかった。むしろ、自分の興味を引くだけなら、取引の必要性すら疑わしい。まして、あんな危険薬物の取引は、後で話をややこしくするだけだ。


 しかし、金が目的なら話は違う。幾ら質がいいとはいえ、織物や服飾品などに、自分は即金を叩いたりしない。ある程度のインパクトと、今取引せねばならんという理由が必要だ。事実、自分は彼らの商材が、おいそれと世間の往来を売り歩けるような種類のものではないと信じ、またこの機を逃せば次は無いと信じたからこそ、即金を叩いたのである。『欲につけ込まれた』それ以外に、この出来事を表現する言葉がない。


 しかし、あの薬物が偽物だったとなれば、当然自分は追手を差し向けるだろう。その差額と利息を、苦痛をもって支払わせることになる。彼らは、その追手を退けるために憲兵を利用したのだ。


「一足遅かったな、ロドリーゴ」カリューは冷然とした微笑を口元にたたえたまま静かに言った。いや、『バンプフィルド・ムーア・カリュー』とか言う大層な名前も、偽名に違いない。


「こいつらは詐欺師だ! 捕まえろ!」ロドリーゴは喚いた。こいつらもどうせ、叩けば埃の出る身に違いない。接受の認証を示す書面も偽造と見て間違いない。昼日中の太陽に照らせばボロが出るのではないか。理屈は後で考える。今はまず時間を稼ぐべきだ。「説明は後でいくらでもしてやる。詐欺師に踊らされて、領主様に申し開きが出来るのか?」


「ロドリーゴさん。話を逸らすのは良くない」とカリューは鼻で笑った。「あなたの悪事の証拠はここに揃っている。仮に我々が詐欺師だったとしても、阿片密売の元締めを叩き、あなたが領主に貸した金がチャラになって、かつ貯め込んだ小麦粉が市井に行き渡るとあれば、大事の前の小事でしょう」


 脂汗で脇や背中がベタつく。「黙れ! ペテン師!」


「黙るのは貴様だ。ロドリーゴ」憲兵は高圧的な態度で言い放った。「彼らの持つ書面が本物か否か、彼らが誠に帝国の認証を受けた外交官であるかどうかは日を改めて調べれば良い。今は目の前にこれだけの証拠が集まっているお前を捕えるのが先決だろう。そうは思わんか?」


 ロドリーゴは皮膚のたるんだ醜い顔を一層(いびつ)にしかめたが、腹を決めたとでも言うように一つ低い唸り声を上げると、床に唾を吐いてせせら嗤った。


 連中は、このロドリーゴ・バルトリという男を、見誤っている。欲深く、ずる賢いだけの、凡百の商人だと。愚かにも、このロドリーゴがいかにして、意に添わぬ者をこの漁村から放逐したかということすら忘れて。




 ◇


 ◇


 ◇




 後堂 貴虎は、この屋敷に来て以来ずっと、本人がそれと自覚出来るほど不機嫌だった。


 古賀の手下として脇に控え、まどろっこしいやり取りを一言も言葉を発せず眺めていなければならなかったせいだ。


 彼はその大きな体躯と腕っ節の強さで誤解されることがしばしばあったが、決して寡黙で口下手なタイプではない。


 にも関わらず、彼が魔除けの石像みたいに物も言わず睨みを利かすだけの役柄に据えられたのは、ひとえに「身体がデカくて力が強い奴は、頭が悪くて弁が立たない」という不合理な偏見に基づくものに他ならない。


 しかし、ここに来て、彼の機嫌を少しばかり回復すべき方向へ、事態は動き始めていた。


「諸兄らは、この屋敷に入った時に、こうは思わなかったかね?『表から見たよりも、中は幾分狭いようだ』と」


 彼を捕らえようとする憲兵の手を振り払って、ロドリーゴは体重を預けていた杖を振り上げ、床を強く2度打った。


 すると慌ただしい物音が十と言わず二十と言わず、ばたばたと迫って来る。


「隠し部屋か」と古賀が呟いた。


「隠し扉と言った方が近いかもしれない。この屋敷は左右に兵舎を構えておる。『部屋』というには少々規模が大きすぎるだろう。壁で仕切って、中からはそう見えないように工夫しておるのだ。

 諸兄らは、儂がどうやってここまでのし上がったと思う。力だよ。結局のところ、最後は力だ。金でも知恵でもない。実権を握る者が必ず持っているものは何か。それはな、『私兵』だよ」


「それは同感だな」と後堂は頷いた。「最後は力だ」


「何だ貴様! さっきまで置物みたいに黙っとった奴が、急にしゃしゃり出るな」とロドリーゴは口汚く罵った。


「それには私も同感だ」と古賀が皮肉っぽく同意する。


「お前らマジで、後から詫び入れても知らねえからな」と後堂が言うが早いか、エントランスの左右から、けたたましく扉を破って、一目でそれと分かる屈強なならず者たちが押し寄せた。


「さあ、儂が捕まれば、お前らも一緒に牢獄行きだ! ただ飯喰らいのツケを払え!」ロドリーゴがまくし立てると、男たちはめいめいに獣のような唸りを上げるが、すぐさま飛びかかろうという者はいない。じりじりと間合いを詰めつつ憲兵たちと睨み合う。


 憲兵達は互いを背に、今にも飛びかかりそうな男たちを槍の穂先で牽制する。鎖帷子に鉄兜を被った憲兵たちを、初太刀で斬り伏せるのは難しい。槍が自分の(ひばら)に突き立つことを想像すれば、映画のように、そうやすやすと飛びかかる者はいない。


「それでは私はこの辺で」古賀が(きびす)を返して玄関に向けて歩き出すと、扉の前を、3人の男が立ち塞がった。手には鉈やら斧やら、いまいち美意識に欠ける打物を握って得意そうに睥睨(へいげい)している。


「いやいや、我々のもてなしはこれからですよ。カリュー卿」そう言うと、ロドリーゴは手振りで私兵に指示を出した。「一人も生かして帰すな」


 いい展開だ。


 後堂はそのまま玄関の扉へ向かった。自分たちの武装や人数に怯まなかったことが気に食わないものと見え、立ち塞がる男たちは後堂を罵ろうと口を開きかけたが、その内の1人を前蹴りに蹴り飛ばすと、左右の2人も瞬く間に叩き伏せた。


「ロドリーゴさん。俺はあんたを見直したよ。てっきり、ただの小狡い商人だと思っていた。やっぱり、悪党ってのは、こうじゃなくちゃいけねえ」ならず者の1人が取り落とした段平(だんびら)を床から拾うと、後堂は古賀と久遠に目配せし、「走れ」と呟いた。


 玄関の扉は、後堂が蹴飛ばした男の背中で破られている。




 ◇


 ◇


 ◇


 3人は走り出した。


 ロドリーゴの手下たちが追い縋るのを、後堂が殿(しんがり)に立って蹴散らす。


 外で待機していた憲兵たちに、古賀は叫んだ。「ロドリーゴが私兵を出した! 中では戦闘になっている!」


 それを聞いた憲兵たちは、慌てて屋敷の玄関に殺到する。


 古賀と久遠が馬車に辿り着いたとき、馭者は哀れにも何が起きたのか分からないという様子でおろおろと立ち尽くしていた。


「ああ、悪いんだけど、歩いて帰ってもらった方がいいかも……」と、久遠が申し訳なさそうに言った。


 馭者は泣き出しそうな顔で、「そんな……」と呟いた。


「しかし久遠、君、馬に乗れるか? 私は無理だ」


「いや、僕も無理だけど、彼、巻き添えになると可哀想だし」


 丁度その時、前線を憲兵たちに譲り、古賀と久遠に追いついた後堂が、馭者から馬の手綱を奪い取った。


「俺たちはこれから追われるかもしれない。済まんが、これで勘弁しろ」後堂は荷馬車の木箱に手を伸ばすと、そこから金貨を一枚握って馭者に放り投げた。「乗れ!」


 古賀と久遠は慌てて馬車の荷台に飛び乗る。後堂も馬の背に跨ると、一言「すまんな、少し頑張ってくれ」と馬の首を撫でるや、いつの間にか馭者から奪っていた鞭で馬の尻を叩き、腹を踵の内側で蹴った。


「すげえ! 後堂さん、馬乗れるの?」久遠が興奮気味に叫ぶ。


「役に立つだろ? 『流鏑馬(やぶさめ)』」後堂は振り返って笑った。


 満天の星が照らしつける夜の街道に戛々(かつかつ)たる馬蹄の音を響かせて、馬車はプロメテウスの村を真一文字に駆け抜けた。



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