8.アドリブ・セッション①
「久遠」古賀は非難の響きが相手に伝わるように、小声で言った。「どういうことだ? 手順が違う」
武装した兵の一団は、馬車の鼻先に立ち塞がる。憲兵に違いない。
「夜の内の方がいい」と久遠はこともなげに答えた。「僕たちはまだ、悪党の醍醐味を味わってない」
「何のことを言っているのか知らんが、だとしたら、せめて打ち合わせの時に言うべきだ」と抗議した。
古賀は金を得て用済みになったロドリーゴを、罪人として憲兵に捕らえさせる算段を立てていた。
つまり、ロドリーゴが阿片を扱っていることを告発し、憲兵に押し入らせるのである。
古賀が今回の商材にヘロインを選んだ理由の一つはそれだ。阿片からその何百倍もの価格で売れるヘロインが精製出来ると知ったロドリーゴは、当然自分の抱える阿片をヘロインに変えようと考えるだろう。
古賀と取引するために屋敷に阿片を集めるはずだ。そこに憲兵を踏み入らせる。
そのために、久遠は領主屋敷に告発文書を密かに置いてくることになっていた。密かに物を持ち出すことが出来るなら、その逆も可能だろうということだ。果たして告発を受けた領主は憲兵をロドリーゴの館に派遣したが、順序が違う。当初の段取りでは、告発文書が領主の手に渡るのは、古賀が商談を終えた後、この馬車で領主館を通る時のはずだ。そして派兵は翌日を想定していた。
「このタイミングでは、あの屋敷に阿片があるか分からない」
「あったよ」と久遠は口笛を吹くように言った。「僕とあんたじゃ目の付けどころが違うのさ。僕は目に入るものは何でも金になるか考える。そこに何があるか観察する真剣さが違うんだ」
「泥棒の目利きという奴か?」後堂が鼻で笑った。
庭に出ていたロドリーゴの部下たちは、夜目にも分かるほど顔を蒼くして立ち竦んでいる。
「この屋敷の主人、ロドリーゴ・バルトリに阿片密売の嫌疑がかかっている」憲兵の長と見える男が、腹に響くような声で言った。公権力を振りかざす者特有の、意地の悪さと使命感を混同したような態度だ。
「悪いが、同行してもらう」
お前たちの物語もここで幕を降ろすのだ、とでも言いたげに、憲兵たちは古賀たちを取り囲んだ。
「ほら、こうなる」と古賀は久遠に文句を言ったが、後堂がそこに口を挟んだ。
「俺は久遠に賛成だ。というより、この状況を支持する」
「は?」古賀は思わず素っ頓狂な声をあげた。商談を上手くまとめて金を持ち帰る。それ以上あの屋敷に何の用があると言うのだ。
「お前の作戦は、まあ、悪くはなかった。だが、重大な欠点がある」後堂の言葉に久遠も頷いているのが、顔を見なくとも空気の流れで分かった。「俺たちはまだ、悪党の吠え面を見てねえ」
「私もヤキが回ったらしい」組む相手を見誤った、と苦笑いをして、古賀は諦観めいたため息をついた。しかし不思議なことに、それほど悪い気分ではなかった。
◇
◇
◇
使用人の若い女が蒼ざめた顔で扉を開けると、憲兵達の半分は、有無を言わさずその中へ踏み込んだ。
残りの半分が屋敷の出口と古賀たちの馬車を押さえている。
古賀はもう一度、バンプフィルド・ムーア・カリューになりきらなければならない。しかしまずいことに、身分を信用させる材料が無かった。
ロドリーゴが古賀を異国の外交官だと信じ込んだのは、他ならぬロドリーゴ自身に、目利きの能力があったためである。古賀たちの着る衣服や持ち物の一つ一つを値踏みする目を持っていたからこそ、古賀はそれを逆手にとって、自分たちが、この周辺では遠く及ばない技術と経済力を持つ異国から来た、身分の高い人物だと思い込ませることが出来たのだ。
この憲兵たちにはそのような目はないだろう。「質のいい、珍しい服を着ている金持ち」くらいには思ったにせよ、それを根拠に超法規的な措置をとろうとはしない。
公僕を信じ込ませるのに必要なものは、書面と印鑑だ。古賀にはそれが無い。
「古賀さん」久遠が小声で彼を呼んだ。後ろに組んだ古賀の手に何かが手渡された。「僕の特技は鍵開けだ。鍵ってのは、いつも溝を掘った金属板であるとは限らない」
古賀は目を瞑って、自分の顎先を親指と人差し指で挟むようになぞった。
「よし。我々も行こう」と言うと、古賀は屋敷の玄関に向けて歩き出した。憲兵のすぐそばで、打ち合わせをするわけにはいかない。その場の判断に任せるしかない。
「何を勝手に動いている」馬車を見張っていた憲兵が怒鳴った。
「我々が中に入らないことには、自分の立場をご説明することは出来んでしょう」
「こちらから指示する。それまで勝手な行動をするな」と若い憲兵は自分の判断に対する不安を、尊大さで押し込めるような態度でいった。
その時、屋敷の中から「ロドリーゴ確保!」と口々に喚く憲兵達の声が、更けきった夜の空を裂いて響き渡った。
「よし。ついて来い」と憲兵に命じられるまま、古賀たちは再び屋敷の中へと入った。
ロドリーゴは抵抗をしなかったものと見える。憲兵たちに踏み込まれた屋敷のエントランスは、柱の脇の壺や彫像なども含めて壊されたり汚されたりはしていなかったが、最初に古賀たちが入った時よりも幾分色褪せて見えた。
やがて2人の憲兵に挟まれて、ロドリーゴは重々しい身体を杖に支えながら、階段を降りてきた。
その様子を見るに、まだ逮捕とまでは至っていないものと思われる。
「ロドリーゴ・バルトリ、貴様に阿片の密輸及び売買の嫌疑がかかっている。ついては、令状に従い、この屋敷を捜索する」
阿片の隠し場所によほどの自信があるのか、憲兵の長がそう告げるのを涼しい顔で見据えながら、ロドリーゴは笑った。
流石の胆力だ。古賀は目を細める。
憲兵が古賀たちを同行させたのは、ロドリーゴに対する揺さぶりの意図もあるだろう。今取引したばかりの男が、憲兵に情報をリークしたのではないかという猜疑心を煽るためだ。
「念のため、この男と取引した品も検める。ここへ持って参れ」憲兵がそう命じた時、ロドリーゴの眉がわずかに動いた。彼はそれがヘロインだと信じ込んでいる。
「我々商人には、取引内容を秘匿する権利があるはずですが……」とロドリーゴは主張した。ここの法律を知らなくとも、この主張がやや苦しいことは想像出来る。
「令状がある以上はその限りではない」と憲兵は言い放ち、催促した。
「構いません。ロドリーゴさん。私共がお譲りした品は、『小麦粉』です。何の違法性もない」
ロドリーゴは目を見開いた。
「左様。この領地では、小麦粉の取引に規制でも敷かれたのですかな?」皮肉めかしてそう言うロドリーゴの口元は、明らかに引きつっていた。
ロドリーゴの指示で、小間使いたちが例の木箱をエントランスに並べると、憲兵はその中身を検めた。
「間違いない。小麦粉だ」憲兵は詰まらなそうに呟いた。小麦粉の真贋を見極めることは、彼らの職務に含まれているのかもしれない。指先で少量を摘んだり、匂いを嗅ぐことでそれが紛れもない小麦粉だということを認めたようだった。「協力に感謝する」
「いえ、我々の協力はこれからです」と古賀は言い放った。久遠が彼に手渡したものは、一枚の書面だった。古賀はそれを広げて文面を確認し、ほくそ笑んだ。自分が思った通りのものだ。これだけで、久遠の働きは、予定を勝手に変更したことを差し引いても釣りがくる。
古賀がその書面を広げて見せると、憲兵たちも、ロドリーゴやその部下たちも、一斉にそれに見入った。
「私は、在神聖ユピテル帝国、モスキートコースト国駐箚特命全権大使、バンプフィルド・ムーア・カリューである。この書面は、あなた方の領邦盟主である、神聖ユピテル帝国より、『接受の認証』を賜り、我々が外交特権を有するという証書だ」
そこまでを一息に言い切ると、憲兵の顔色が瞬く間に、困惑の色に曇っていった。
「書面を、詳しく拝見しても?」と憲兵の長と見える男が恐る恐る切り出す。
「もちろん」古賀はそれを憲兵に差し出した。
久遠はとんでもないものを盗み出して来た。これはおそらく、ここの領主が所領を認められた際に発行された書面だろう。しかもそれを、古賀の扮するバンプフィルド・ムーア・カリューなる人物に外交特権を認める書状に書き換えたのだ。
鍵というのは必ずしも溝を掘った金属板であるとは限らない。なるほど、久遠の言う通り、この状況で憲兵たちの疑いを解くための鍵は、こういう形であるべきだ。
古賀はこの一件だけで、久遠の腕前を認めざるを得なかった。ただのコソ泥に必要な技術ではない。
重要なのは印章である。そのため、久遠は印章のついた書面を盗み出し、それ以外の部分を書き換えた。紙を傷めず、元の文字を残さぬように。値千金の仕事である。
そして、彼にはもう一仕事してもらわねばならない。
「これは、帝国の印章に相違ない」と憲兵の長は顔を青くしながら言った。「カリュー卿、貴兄がこのような御身分とは知らず、失礼を……」と言いかけたのを、古賀は遮った。
「いえ、我々は職務の都合上、身分を隠しておりました。謝罪には及びません」と言いながら、古賀は憲兵の顔色を伺った。まだ、信じ切ってはいない。しかし、これを完全に信用させる必要はなかった。「そう俄かに信じられることでもないでしょう。ただ、我々の目的は、蔓延する阿片の取り締まりにある。邪魔にはならんでしょう。仮に、我々がペテン師だったとしても」
古賀がそう冗談めかして見せると、憲兵は目を細めてから頷いた。「では、卿には阿片の隠し場所が?」
古賀は頷いて、久遠に視線を投げた。
久遠はおもちゃを与えられた子供のように笑った。「では、この屋敷に溜め込まれた阿片の現物をご覧に入れましょう」
久遠は憲兵に金槌を要求したが、当然憲兵たちには持ち合わせがなかったので、代わりに槍を一本借り受けた。
たどたどしい手付きでその柄を握ると、久遠はエントランスの中央にある彫像を見据えた。
「やめろ! 何をする!」ロドリーゴが喚く。
久遠はそれに構わず大上段に振りかぶって、槍の石突きを彫像にしたたか叩きつけた。
像の腕が折れ、大理石の床に落ちて砕けた。白い石膏像の割れた口から、黒褐色の樹脂がのぞいている。
「ご覧の通り、この像は阿片樹脂の上に石膏の粉末を塗りつけ、水で固めたものです。この他にも、屋敷を探せば樹脂の上から釉薬を塗って陶器を装ったもの、金属箔を被せて武器・甲冑を装ったもの、色々出てくるはずですよ」
久遠が胸を張って言い放つと、ロドリーゴの顔はみるみる蒼褪めていった。
「ロドリーゴ・バルトリ、貴様を連行する。神妙に縄につけ」憲兵の長は低い声でものものしく告げた。
ここまでお読み頂き有難う御座います。
宜しければ、ブックマーク、ご評価、またご感想など頂けると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。




