第2夢 橘 真菜の6章 昼飯への道
キーンコーンカーンコーン。
昼休みの開始のチャイムが鳴ったのを確認したと同時に、俺はある人のところへと一目散に駆け寄った。
「なあ、真菜」
窓辺で日向ぼっこしていた真菜が、俺の声に気づいてゆっくりとこちらを振り向いた。
「ん?なんだ?先生」
俺はわざとらしくにっこりと笑って言った。
「一緒にお昼でも食べないか?」
「別にそれは構わんが……」
あれ?意外とあっさりとOKがでたな。
真菜はきょとんとした顔で不思議そうにそう言ったが、やがていつもの顔に戻った。
「それじゃあ、いつもあたしが昼食を食べているはずの場所で食べよう。ついてこい、先生」
そう言って真菜はカバンの中から弁当のようなものを取り出し、すたすたと歩き始めた。
俺もカバンから財布を取り出し、指示されたとおり、真菜についていくことにした。
真菜は教室のドアを開けてそこを通り、俺も通ったのを確認すると閉めてくれた。
なんとお優しい。
少し広めの廊下を、二人並んで歩き始める。
俺は財布を片手に、真菜に問うた。
「その手にあるのは……弁当か?」
「そりゃそーだぞ。それ以外の何に見えるんだ。先生の目は節穴か?飾り物か?」
「……いや、そうじゃなくて……」
そんなに貶さなくてもいいじゃないか、真菜。
「この学校って全寮制だろ?各部屋にキッチンとかがあるわけじゃないのに、なんでそういう弁当が用意できたりするんだ?」
ああ、そのことか……とでも言うように真菜は答えた。
「楓先輩と真子が作ってくれるぞ」
「ぜっ、全員分もかっ?」
す、すげー。
俺絶対できねぇ。
「さすがにそこまでじゃないぞ。でも女子の分は全員分作ってくれるぞ」
そ、それでもすげー。
「ホント、毎朝あたしら起きるよりも早く起きて作ってて、尊敬するぞ。ていうか、あの二人はもう、毎日あたしら女子の食事を毎食用意してくれてて、ありがたき幸せだぞ」
「いーなー」
真菜が目の前にある階段を下り始めたので、俺もそれに続いた。
「俺、もう昨日からなんにも食べれてないから、腹が減ってしょうがないんだ。早くなんか食いてー。この学校、寮母とかもいないのかよ」
真菜は少し考えてから、はっとしたように言う。
「……そういえば、いないな」
「……!だろ?」
やっぱりそうなのか。
「じゃあ、このノリだと……アレか?食堂のおばちゃん的な人もいなかったりするのか?」
真菜はもう一度少し考え込み、はっとしたように言う。
「……いないなあ」
「……!だろ?」
やっぱりそうくるのか。
「それなら学食で昼飯買うのは無理なのか」
「残念だったな」
少し嬉しそうに言うのがムカつく。
「先生……弁当持ってないのか?」
そう言って真菜は俺の右手を見る。
……財布を握り締めている手だった。
その視線に気づき、俺は握り締めすぎてシワのよってしまった財布を真菜の目の前に掲げて言い放つ。
「お前にはこの財布が目に入らぬのかっ」
真菜が目を丸くして驚いている様子に、逆に俺が驚く。
「……それ、財布だったのか?てっきり弁当かなにかだと……」
「んなわけあるかっ」
黒い革製の、二つ折りの長財布。
これがどうすれば弁当に見えてしまうのだろうか……。
「スキありぃっ♪」
「うわっ」
俺の財布が、真菜の手によって奪われてしまった。
真菜は遠慮なく俺の財布を開け、中をじろじろと楽しげに見る。
「ふんっふふ~んっ♪さぁ~ていくら入ってるのかなぁ~っと、うわぉっ!一万円札じゃあないですかあ!どこで手に入るんだこんなのぉっ。……ん~、でも面白いのが全然入ってないじゃないですかあコレっ。もっとエロい写真とか好きな子の写真とか絶対入ってると思ったのにぃ」
「どこの変態だっ」
「も~、本当に先生つまんなぁ~い。なのでコレ返します~。憎たらしくなるから見なきゃよかった~」
「じゃあ見るなよ」
真菜は俺の財布をポイッと投げ返してきた。
俺の財布の扱い、雑すぎる。
かわいそう。
高かったのにぃ。
……ぐすん。
ていうか勝手に人の財布の中身を見るなよ。
大したものが入ってなくても恥ずかしいんだ。
やめてくれ。
俺は一応、スられていないか確認する。
特に一万円札。
……よかった。
スられてない。
「そうやって大人を茶化すなよ」
「えへへっ。ごめんなさいだぞ」
そう言って真菜はちろっと舌を出した。
かわいい。
許す。
「ていうかさっきのは誰の真似だ」
「桃の真似だぞ」
「……似てない」
「えっ。マジでっ?」
「マジで。まず桃は、途中途中に敬語を挟んできたりしない」
「……それもそうだな。そういえばそうだな」
「あと、人のものを勝手に盗るな」
「うぅ……それは反省している」
「……まあいいけど」
俺は相手にするのがめんどくさくなった。
「いいんだ!やった!」
こいつ……全然反省してねぇ……。
「やっぱだめだ」
「……だよな」
この会話、するだけ無駄だ。
「そんなことよりさ、この学校で他に昼飯になりそうなものが売ってるところはあるか?」
真菜は少し考える素振りを見せてから、急に思い出したように言った。
「トイレ」
「さようなら」
真面目に答えようとしないので、俺は階段状で回れ右をした。
それに気づいた真菜は、慌てて止めようと俺の肩を掴んできた。
「待て待て待て待てちょーっと待ってくれよ先生」
俺は肩を掴む真菜の手を払い除けて言った。
「トイレって用を足すところだろ。そんなところに人が食えるものがあるわけないだろ。お前は俺をなんだと思っているんだ。人の排泄物を餌にして生かされている家畜か?それとも、人の排せつ物を食べてでも生きようとしているかわいそうなストリートチルドレンの最下層の奴らか?もしお前が俺のことをそんな風に見ていたとしたら、もう一緒に生活したくない。顔を合わせたくない。……だから、さようなら」
真菜は、目を見開いて、ただ静止していた。
「ご……ごめ……なさっ……」
かろうじて出た言葉がそれだったのだろう。
喉の奥から搾り出すように、真菜はそう言った。
「お前は少しふざけすぎだ。ほかの奴らも一部そうだが、教師をバカにしすぎ。反省したと思ってたけど本当はしてなかったみたいだし。少しは学習しろよお前」
「…………はい……」
気づけば、真菜の目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
少し、言いすぎたみたいだ。
……悪かった。
ぽすっ。
俺は、左手で真菜の顔を俺の胸の中にうずめさせた。
俺の服の胸のあたりの部分が、真菜の涙によって滲み、シミになった。
生温かさを感じる。
真菜の体温が伝わってくる。
ポニーテールにされた赤くきれいな髪からはシャンプーのいい匂いがして、俺の鼻孔をくすぐってくる。
一方真菜は、今も呼吸を荒くしゃくり声を上げながら、俺の服のシミを着々と広げていた。
手で俺の服を掴んでいて、俺の服にシワを寄せている。
この行為は、さっき言いすぎてしまったののお詫びとしてやっていたつもりだったのだが……なぜだろうか。
俺は今、このぬくもりを欲している気がする。
この時間が、いつまでも続けばいいと思ってしまっている。
この気持ちは、この感情は、なんなのだろうか。
なぜ俺は今、こんなことをしているのだろうか。
俺は、感情の赴くままに、右手を真菜の腰へと回し、彼女を抱き寄せる。
この手を、離したくはなかった。
彼女を、放したくはなかった。
もっと強く、抱きしめてしまいたい。
この子が離れてしまうことが絶対にないように。
真菜を抱く手に、力が入る。
怖い。
怖いんだ。
抱きしめすぎて、この手の中にあるものを壊してしまうことが。
真菜は普段男勝りな一面があるが、こういうところで女の子になる。
恐怖心で震わせているその肩はとても華奢で、少し力を入れると折れてしまうんじゃないか、心配になる。
もうこれ以上、この手の中にあるものを、壊したくはないんだ。
ふいに真菜が顔を上げた。
さっきよりはだいぶ落ち着いたようではあったが、まだ瞳が涙で濡れている。
顔が近い。
「先生、本当に、ごめんなさい。それと……ありがとう」
真菜が……笑った。
真菜の笑顔を見たのは、これが初めてかも知れない。
真菜の涙に窓から差し込む光が反射して、キラリと光った。
ただ、やってよかった、という気持ちと、この手の中にある温かさだけが、俺には残っていた。
ああもう。
これ以上俺を孤独にしないでおくれ。
そうすがるような思いで、真菜をもう一度抱きしめた。
すると今度は、真菜の方も俺にならって、俺の腰へと手を回してくれた。
ああ。
なんて優しいのだろう。
なんて温かいのだろう。
なんかもう、溺れてしまいそうだ。
でも、今はそんなわけにはいかない。
俺には今、やらなきゃいけないことがある。
俺は、そっと真菜から手を離した。
……そして、その離した手をグーにして天に向かって上げ、高らかに言い放った!
「よっしゃーっ、そんじゃー昼飯食うぞーっ!」
「……」
つかの間の静寂。
……か~ら~の~……?
「……お、おー」
よく分かってなさそうな、間を空けてのやる気のない返事。
「あ……あの……先生?」
「ん?なんだ、どうした?真菜」
「雰囲気……ぶち壊しだぞ」
「んぉ?そうか。それはすまん」
雰囲気なんて……全然気にしてなかった。
ただ俺は俺の欲望によって手を動かされているような感じだった。
「女の子は雰囲気をすっごく気にするんだぞ。だから、そういうところも気を使うべきだぞ。せっかくいい雰囲気だったのに、これじゃあ、残念なんだぞ」
「そうなのか。それは……すまなかった」
俺は正直、女に慣れていない。
だから、どうすればいいのか、分からない。
女の気持ちは、よく、分からない。
「んまあ、許してやろう。あたしは先生とは違って優しいからな」
鼻息荒く、真菜はそう言った。
なんだか嬉しそうだ。
……でも、知っているか?真菜。
本当に優しいやつは自分のことを優しいとは言わないんだぞ。
「それで、この学校で昼飯になりそうなものが売ってるところはあるか?」
「またそれか」
「ああ。俺は何度でも聞くぞ。どこだ」
「トイレ」
「……おい」
俺は低い声でそう言いながら、真菜を睨んだ。
「すまんすまん。冗談だって先生。悪かった」
「じゃあ本当はどこなんだよ」
「学食」
「あぁ……へー。なるほど。そこになら……」
「だろ?それじゃあ学食にレッツゴ……」
「ふざけんな」
「あ、バレた」
「バレた、じゃねぇよ。マジふざけんなテメエ。学食で昼飯買うのは無理って話したばかりじゃんか。そんな簡単に忘れられるほど便利じゃねぇんだよ、俺の頭は」
「そうか。すまん」
「そうか、じゃねぇよ。今度はもうふざけられる場所がないから大丈夫だよな。次またふざけたりでもしたら殺すぞ」
「はいはい。もうふざけません。真面目に答えます」
「じゃあどこだよ。今度こそふざけるなよ」
「はい。えっと……購買とカフェスペースの自動販売機だ」
「……本当に?」
「本当だぞ」
うむ。
どうやらこれは本当らしい。
……よし。信じよう。
「じゃあ、購買とカフェスペースの自動販売機。それぞれにはどんな昼飯が売ってるんだ?」
「購買には、パンやおにぎりとちょっとしたおやつが置いてあるんだぞ。確か種類は……パンが、あんパン、クリームパン、ジャムパン、季節のパン、ハムチーズサンド、タマゴサンド、レタストマトサンド、カツサンド、焼きそばパン。おにぎりが、梅干、昆布、おかか、ツナマヨ、鮭、塩むすび、炊き込みご飯。ちょっとしたおやつが、プリン、フルーツゼリー、杏仁豆腐、ミニロールケーキ、ミニクレープがあるぞ。ちなみに一番人気は、カツサンドだぞ」
「なんでほとんどの人が弁当なのに、買う人がいるんだ?」
「優先輩がほとんどを買い占めているぞ。あと、あたしたちも、弁当が足りない時に食べたりはする」
「お前はなんでそんなに購買のメニューを知ってるんだ?」
「昔はそこで昼飯を買っていたからだぞ」
ふーん。なるほど。
「じゃあカフェスペースの自動販売機の方には何が売っているんだ?」
「comoパンの自動販売機と、うどん・そば・ラーメンの自動販売機と、唐揚げ・フライドポテトの自動販売機があるぞ」
「随分と珍しい自動販売機があるんだな」
こんなに種類があるとは思ってなかった。
「それで、先生はどっちで買うんだ?」
うーん……。
購買のメニューはおいしそうですごい魅力的なんだけど、カフェスペースの変わり種自動販売機の方も手放しがたい……。
俺はどちらで買うべきなのだろうか……。
そんな中、俺はある一つの考えに行き着いた。
「よし。両方行こう」
「それだっ」
真菜がパチンと指を鳴らして同意してくれたのが嬉しかった。
「ここから近いのはどっちだ?」
「ここから近いのはカフェスペースだ」
「カフェスペースはどこだ?」
「カフェスペースはあそこだ」
そうして真菜が指さした先に、カフェスペースはあった。
いつの間に一階についたんだ。
確かカフェスペースは、俺が真菜と初めて出会った場所だ。
昨日のことだが、改めて思い出すと懐かしみを感じる。
四方のうちの三方が全面ガラス張りだから、開放感が抜群だった。
もう、ここで昼飯でもいいんじゃね?
そう思えるほどだ。
特に今の時間帯は、南から入る日の光が眩しい。
そんな中、入ってすぐ左側に、自動販売機密集地帯があった。
確か昨日、真菜が大量のペットボトルやら缶ジュースやらを持ってここに立っていたな。
「そういえば昨日、なんでお前は大量のペットボトルやら缶ジュースやらを抱えてたんだ?」
真菜は一瞬、え?そんなことあったっけ?とでも言うような顔で立ち尽くしていたが、やがて、ああ、そのことか、と言って答えてくれた。
「それはあたしがジャンケンで負けちゃったからだぞ……」
「負けた人が全員の分を買って来い的な?」
「ああ。そんな感じだ」
真菜は、たはは……と薄く笑いながら頭をかく。
やがて、目的の自動販売機の目の前へとたどり着いた。
「お前のおすすめはなんだ?」
「実はあたしは、この自動販売機のものは品質が怖いのを理由にあまり食べないように意識していたというか……ぶっちゃけ一度も食べたことがないんだぞ。だから実は、じっくりと見るのはこれが初めてなんだ。おすすめしようにもできまいぞ」
「……そうか」
品質。
その言葉を俺は気にしていなかったことに反省を覚える。
……とはいえ、腹を壊しても口から戻してもいいから、一度は食べてみたい。
comoパンはたまに食べているからパス。
うどん・そば・ラーメンの自動販売機の方も気になったが、購買のラインナップが炭水化物ばかりだから、これもパス。
というわけで俺は、唐揚げ四個とフライドポテト一〇本のセットを買うことにした。
五〇〇円だった。
意外と高いがしょうがない。
俺は五〇〇円玉を自動販売機の中に入れた。
チャリーン。
俺は迷わず唐揚げ四個とフライドポテト一〇本のセットのボタンを押した。
『三〇秒待ってね』
「「うわっ」」
自動販売機が喋った!というわけでもなく、明らかに録音された音声だった。
古いものだからか、よくノイズ音が聞こえる。
分かっていたつもりだった。
それでも驚いてしまった。
分かっていても驚いてしまった。
そして思わず後ずさりしてしまった。
隣にいる真菜を見ると、真菜も同じような様子だった。
だからさっきハモったのだろう。
その自動販売機には小さな画面がくっついていて、そこにはジュワアア……という音を出しながら唐揚げとフライドポテトを揚げている動画が流れている。
明らかに古い映像だったが、なんとも食欲をそそってくる映像でもあった。
涎が出そうになる。
そして三〇秒後。
取り出し口を見てみると、ほかほかと湯気が出ている、パック入りの唐揚げとフライドポテトがあった。
なんともおいしそうだ。
俺はそれを、近くに置いてあったタオルできように取り出し、蓋を閉めて輪ゴムでとめて、備え付けのビニール袋の中に入れた。
少々熱かった。
『買ってくれてありがとう!やけどに気をつけて食べてね。それと、また買ってね!』
「はいはい。ご丁寧にどーも」
そして俺はさっさとこの場を離れようと、歩き出した。
「うわぁー、すごいおいしそうだぞ。やっぱり少し貰ってもいいか?先生」
「あぁ。後でね」
「あぁ。後で」
やっぱ欲しいのかよ。
まあいけどさ。
「じゃあ次は購買だな。こっちだ。ついてこい」
真菜はカフェスペースを出て、先ほど下りてきた階段を下り始める。
どうやらこの学校には、地下があるようだ。
俺も真菜についていって階段を下りる。
上の階と比べて暗い。
でもその分、電気をつけると、やたらに眩しかった。
「それで、購買とやらはどこだ?」
「購買とやらはあそこだ」
そうして真菜が指さした先に、購買はあった。
よく見れば、右側には女子更衣室と男子更衣室があり、左側にはトイレがあった。
「なあ真菜」
「……なんだ」
「なんでこんなところに更衣室なんかがあるんだ?」
「ああ。それは、この更衣室の先にはプールがあるからだ」
「ああ。なるほど」
そういえばそうだった。
それにしても、地下にプールがある学校はだいぶ珍しいよな。
水道管が近いから、水の入れ替えが楽だったりでもするからか?
「じゃあこんなところにトイレがあるのはなんでだ?」
「それは……この学校の七不思議の一つで、あたしも分からないんだぞ」
「そ、そうか……」
なんか闇が深そうだから、あまり足を突っ込まないようにしておこう。
うん。
それがいい。
……お、俺は決してビビビビビってるわけじゃないからな。
ビビってなんかおらんからな。
ととととりあえず俺は昼飯を買いに来たのだ。
時間がない……わけではないが、早く昼飯を買おう。
……購買で。
「はは早く昼飯を買おうぞ、真菜。ここは戦場だ。いっときでも油断してはならない。無駄な時間を作ってはならない。前の敵から目を背けてはいけない。さあ、いくぞ、真菜。いざ、購買という名の戦場へ!」
「は、はあ……」
親指をぐっと立ててひきつった笑みで真菜に向かってそう言うと、真菜は、意味が分からない……という顔で、俺のことをぼーっと見て立ち尽くしていた。
「ほら、行くぞ真菜」
俺がそう言って真菜の肩をぽんと叩くと、真菜は、はっと我に返ったように言った。
「先生……ついに頭が壊れたか?」
まさかの図星を突かれて、思わず顔に出る。
そそそ、そうかもしれない。
ていうか、さっきも意識があったのか。覚えていたのか!
「まままあ、前からだよ。いまさら大ジョブだよ」
まさかの自虐ネタを言ってしまった。
でも今はとりあえずこれでいいや。
途中で変になったけど……。
「だからさ、ほらさ、早く行こうよ、真菜」
「まあ……そうだな。行こう!」
「ああ!」
俺と真菜の二人は、階段の下から購買までのとても短い距離を、全力ダッシュで駆け抜けた。
「ていうかトイレって、先生が話し始めたことだぞ。自業自得じゃないか」
「ははは」
俺は苦笑いで受け流した。
購買は、パン屋と弁当屋を足して二で割ったような感じの店内だった。
オレンジ色の温かい光が、パンやおにぎりを照らし、よりおいしそうにに見せている。
「お前のおすすめはなんだ?」
真菜は一瞬考え込むような素振りを見せてから言った。
「……そうだな。やっぱりカツサンドだな」
人差し指を立ててにっこりと笑う真菜。
「……お前、一番人気だからそれにしたんだろ」
「えへへ、バレた?」
「バレるよ、そりゃ」
「まあでも、あたしも何回か食べたことがあるんだけど、あれは文句なしでおいしかった。だから、先生にも是非とも食べて欲しくて先生におすすめしたんだぞ」
「へー」
なるほど。
売れるものには売れるだけの理由がちゃんとあるんだな。
少し納得。
「じゃあ、俺もカツサンドを食べてみるとするか」
「やった!」
「……それで、カツサンドはどこにあるんだ?」
「えっと、確かここらへんに……」
真菜はちょうど目の前にあるものを指さした。
そこには確かに、〝カツサンド一五〇円〟と書かれた値札があった。
あったが……
「「……」」
ない。
カツサンドは、そこになかった。
一つも。
一かけらも。
「なぜだ。なぜないんだ。一日三〇食は用意されるカツサンドがなぜ一つもないんだ。ほかのやつはあるのに、なぜカツサンドだけが……」
「落ち着け。とりあえず落ち着け。いいから落ち着け」
俺は、ガタガタと震えている真菜の肩を押さえる。
「なぜだ。本当に……なぜないんだ……」
(犯人――夢神 優)
「ととと、とりあえず、カツサンドは明日食べよう。ほかにもほら、種類はあるんだし。ね?ね?」
「お、おう……」
よし。
とりあえず落ち着いてくれた。
「よしじゃあ、次にオススメなのはなんだ?」
「えーっとえーっと…………じゃあ、焼きそばパンだ!」
今、「じゃあ」って……まあいいや。
「それだっ。よしっ。それを買うぞ!」
「よっしゃっ!」
「それで、焼きそばパンはどこだ?」
「えーっとえーっと……あ、あっちだ!」
「よしきた行くぞ!」
俺と真菜は、小走りで駆け出した。
いざ、やきそばパンのある方へ!
「「……」」
ない。
焼きそばパンは、そこになかった。
またかよ。
〝焼きそばパン二〇〇円〟と書かれた値札はあった。
でもそこに、やきそばパンはなかった。
その代わりに、こんな札が置いてあった。
〝焼きそばパンは、月、水、金のみの販売となっております。ご了承ください〟
「そそそそうだった。今日は火曜日だった。忘れてた!どどどどうしよー……」
「そ、そうか……」
今日って火曜日だったのか。
知らなかった。
……じゃなくて!
「じ、じゃあ、焼きそばパンは明後日食べよう。ね?ね?」
「お、おう……」
よし。
落ち着いたな。
「よしじゃあ、次にオススメなのはなんだ?」
「えーっとえーっと…………たぶんハムチーズサンドだ!」
今、「たぶん」って……まあいいや。
「それだっ。よしっ。それを買うぞ!」
「おっしぇいっ!」
「それで、ハムチーズサンドはどこだ?」
「えーっとえーっと……こ、こっちだ!」
「よしきた行くぞ!」
俺と真菜は、小走りで駆け出した。
……が、もう疲れがにじみ出ていて、結果的に遅くなってしまった。
それでも、いざ、ハムチーズサンドのもとへ!
「「……」」
このノリだと、またダメなタイプかと思った。
……が、
「「あった!」」
そう。
あったのだ。
ハムチーズサンドは今、俺の目の前で綺麗に整列し、食べて欲しそうにこちらを見ている。
俺はしばらく、その場に立って、ハムチーズサンドと見つめ合っていた。
ああ。
やっと会えたね、俺の昼飯。
やっと会えたね、ハムチーズサンド。
俺とお前はきっと、運命という名の昼飯の糸で結ばれていたんだね。
ごめんね、今まで気づけなくて。
ごめんね。
俺は真菜の方を振り向く。
真菜も少し顔がほころんでいる。
「真菜!」
「ん?」
「あったぞ!」
「ああっ!」
「会ったぞ!」
「あ、ああっ…………………んんん?」
真菜が首を傾げた。
でもそんなの関係ない。
「俺は会ったぞ!ついに出会ったぞ!この、ハムチーズサンドという名の昼飯に!俺とこのハムチーズサンドは、運命の昼飯の糸で結ばれているのだ!きっと!……………きっと……?」
俺は、真菜が明らかに引いているのに気がついた。
ちょっと、調子に乗りすぎたのかもしれん。
「す、すまない、真菜っ。そんなに引かないでくれっ。お願いだから!」
後ずさりしすぎて、ついに購買から出ようとしていた真菜に、俺は必死にそう呼びかけた。
「せ、先生、そんな人だったのか……」
「ちちちち違うんだ、真菜!お願いだから、とりあえずその後ずさりをやめておくれ!」
「は、はあ……」
よし。
とりあえずこっちに戻ってきてくれた。
「それで……これはどう買えばいいんだ?」
「えっとだな……確かレジのところに募金箱が置いておるはずだから、そこの値札に書いてある金額を入れれば、とりあえずお買い上げ完了のはずだぞ」
真菜はレジ台の上にある募金箱を指さしてそう教えてくれた。
「よっしゃっ。サンキュ、真菜。それじゃあ、いっちょ買ってくるわ!えーっと気になるお値段は……」
俺はハムチーズサンドの値札をそーっと覗き込む。
次の瞬間、俺は驚愕に目を見開いた。
「ご……ご……ご……五〇〇、Eんッ……」
思わず声が裏返ってしまった。
おいおいなんでこんなに高いんだよ。
ただの普通のサンドウィッチなんだろ?
今時コンビニでもっと安いよ。
「おい真菜!なんでただのハムチーズサンドがこんなに高いんだよ!」
「え……あ、あたしに言われても知らんぞ!ただ……ただ、前に噂で、高級黒豚と最高級カマンベールチーズが使われているというのを聞いたことはあるんだが……」
「だとしたらなんでこんなに安いんだよ!」
材料費いくらかかってるんだよ、このハムチーズサンド!
ハムとチーズなんて、伊藤ハムの安いスライスのやつとプロセスチーズの安いスライスのやつでいいじゃんか。
どんなところに金かけてんだよ、ここの学校は!
「だから知らないと言ってんだろう。こっちが聞きたいくらいだよ、もう……。こんなに高いと、一般の学生はほとんど買えないというのが分からないのか?」
「そんなことを俺に言われても……」
「先生が言うなよ」
「はい。すいません」
俺は少しうなだれる。
「それじゃ、とりあえずいっちょこのハムチーズサンドを買ってくるわ」
「おう。買ってらっしゃい」
俺はそろそろとレジ台へと歩み寄り、募金箱へ五〇〇円玉を入れた。
……が、
カタン
という無機質な音が、箱の中で響いた。
……おかしい。
さっき、カツサンドが売り切れていた。
つまり、俺の前にこの購買にカツサンドを買いに来てくれた人がいるということだ。
「真菜、ここのものは、一日ごとに並び直されるんだな?」
「あ、ああ。そのはずだぞ」
「真菜、ここの募金箱は、一日ごとに集まった金を取り出すんだな?」
「あ、ああ。たぶん」
「真菜、ここの募金箱は、いつ集まったお金を取り出すんだ?」
「えっと、たぶん……次の日の朝だぞ」
……やっぱり、おかしい。
ならばこの募金箱に、俺より前にお金を入れた人がいるはずだ。
さっきの、カタン、という音。
それはおそらく、俺の五〇〇円玉がこの募金箱の底にあたったということだ。
もしこの募金箱の中に俺の前に買った人のお金が入っているとしたら、チャリーン、という、金属と金属のぶつかる音が聞こえるはずだ。
でも聞こえた音は、チャリーン、ではなく、カタン、だった。
……つまり、この募金箱にはお金が入っていなかった!
俺は募金箱を持ち上げ、耳元で軽く振る。
カタカタカタ
やっぱり、この募金箱の中にあるお金は、俺の五〇〇円玉一枚だけなんだ。
「真菜っ。急いで警察に連絡を!」
「え?な、なんでだ?」
「お金かカツサンドか、どちらか盗難されれてる!」
「マ、マジか。分かったぞ!」
真菜は急いで制服の胸ポケットからスマホを取り出し、指で操作する。
「ままま間違えた!これは消防だったぞ!」
真菜はもう一度操作しなおす。
「ままままた間違えた!これは時報だったぞ!」
おいおいどんだけ間違えてんだよ。
アホか。
「え、えっと……一、一、九……と。よしこれだ。たぶんこれだ。絶対にこれだ。さあこい、警察ゥッ」
な、なんか……真菜ってこんなんだったのか……。
プルルル……プルルル……
相変わらず、無機質な着信音だ。
プルルル……プルルル……
電話といえばこの音!というほどの聞き慣れた音。
プルルル……プルルル……
まあでもたぶん、盗んだのはカツサンドの方なんだろうな。
プルルル……プルルル……
もしお金を盗んだとしたら、わざわざ募金箱を開けて持っていくなんてめんどくさくて時間がかかるよ
うなことをするだろうか。
プルルル……プルルル……
それにもし、俺が犯人で狙うのがお金だとしたら、わざわざ開けてではなく、募金箱をそのまんま持っていく。
プルルル……プルルル……
そっちのほうが、明らかに効率がよく、持ち運びやすく、時間を無駄にとっていったりはしないからな。
プルルル……プルルル……
絶対にそうだ。
だから、盗んだのはカツサンドの方だ。
プルルル……プルルル……
でもなんでカツサンドをそんなに大量に?
パンって結構消費期限短くて、特にこういうのは消費期限がその日中だったりとかするものだろ?
プルルル……プルルル……
もしかして犯人は、相当バカなのか?
プルルル……プルルル……
あーもう分かんねぇ。
プルルル……プルルル……
……つーか、
「電話出るの遅くね?警察!」
俺は思わず、真菜が耳にあてているスマホに向かって、そう叫んでしまった。
「やっぱ先生もそう思うよな」
真菜は耳からスマホを離した。
「なんだよもう。ストライキでも起こしてんのか?」
「…さあ」
「それかなんか、重大事件でも起こって取り込んでたりするのか?」
「……さあ」
俺の二本の仮説に、真菜から冷めたような呆れたような返答が返ってくる。
なんとも虚しい。
……もういい。
これ以上粘ったって意味がない気がする。
「真菜。……もう、諦めよう。たぶんもう、これ以上やっても意味ないと思う。この事件はもう、水に流して忘れ去ろう。きっとそれが、幸せな選択だ」
「え、でも……あたしは許せないぞ!犯人は然るべきところで処罰を受け、罪を償うべきだと思うぞ!」
うむ。
すごい正義感だ。
その正義感、素晴らしい。
買ってやろう。
「よし。決めたぞ。俺は決めたぞ!真菜」
「ん?」
俺は真菜の方へ歩み寄り、真菜の肩をポンと叩いた。
「この事件はお前に一任するものとする。事件解決を目指してがんばってくれ!」
「……は?」
俺は、すっと親指を立てて言った。
「俺は応援してるぜっ、真菜っ」
「……………………は、はあああぁぁぁぁぁああっ?」
「さ、じゃあ、昼飯も買ったことだし、昼飯にするか!真菜!」
「ちょっ……先生、待……ってください。話を……」
「いざ、昼飯を食いにレッツゴー!」
俺は、真菜のことは無視してさっさと出発をした。
俺はふと、大事なことを忘れていたことに気がついた。
「あ、そういえば真菜、どこで昼飯食べるんだ?」
真菜は一瞬、驚いたのか目を丸くした。
でも、そのすぐ後に柔らかい表情へと戻り、呟いた声が聞こえた。
「まったくもう……しょうがない人だぞ……」
「んー?何ー?なんか言ったかー?」
俺はわざと、聞こえなかったふりをしてそう言った。
すると真菜は、にこっと笑い、俺のもとへ駆け寄ってきながら言った。
「なんでもないぞ!」
照れ隠しのつもりだろうか……。
「それより、昼食を食べる場所を知りたいんだろ?」
「あ、あぁ……」
おっと。
いきなり話を転換させられた。
やっぱり照れ隠しだったか。
真菜はもう一度、にっこりと笑った。
「ならば、あたしについてくればいいぞ!」




