第1夢 序曲13
夕日色に包まれた暖かい音楽室に、楽器を手にした吹奏楽部員らしき人が九人、椅子に座ってじっとしていた。
ドアを部長に開けてもらい、俺が音楽室に入ると、吹奏楽部員九人が一斉にしゅばっとこちらを向いて立ち上がった。
彼女たちの視線が全てこちらに集まっていると知ると、一瞬たじろいでしまった。
最初に、部長が叫んだ。
「挨拶しますっ!」
「「「はいっ!」」」
「こんにちはっ!」
「「「こんにちはっ!」」」
「よろしくお願いしますっ!」
「「「よろしくお願いしますっ!」」」
良く言うと元気が良く、悪く言うとうるさい。
そんな挨拶だったが、シンクロ具合だけは凄まじかった。
見事な個性の消され具合だ。
「では先生、よろしければあちらの椅子に……」
彼女が指した椅子というのは、吹奏楽の完成された陣形の目の前のど真ん中。
本来なら、指揮者がいるであろう位置の椅子に、俺はほぼ無理やり座らされた。
人数が人数なだけに、広々として、だいぶ余裕があった。
ちなみに今座っている場所の目の前に、俺は今朝寝ていたらしい。
不意に、目の前にいるクラリネットを持った真子とかいう奴が立ち上がったかと思うと、みんなのほうを向いて音を鳴らした。
これがチューニングとかいうやつだ。
やがてクラリネットの音に合わせてほかの音も入ってくる。
入ってきたとういのがバレないように入るのはとても至難の業なのだが、全員それをこなしていた。
真子が座ると、視線が俺の方へと集まった。
部長が言った。
「それでは、〝アルセナール〟という曲を演奏する」
へぇ……アルセナール。
部長の言葉を聞いて、みんなが一斉に楽器を構えた。
彼女らの目つきが変わる。真子のフー、ハーというブレスと同時に演奏が始まる。
最初の印象が、九人しかいないのに、すごい迫力だな、と思った。
それに、ただ音量が大きいだけじゃなく、小さいところは小さかった。
音程なんて、全く気にならないくらいだ。
場面が変わり、ある程度静かになる。
クラリネットの真子のメロディーが、俺をこの曲の世界観へと導いた。
もう一度同じリズムが繰り返されたが、今度は金管楽器の中低音であるトロンボーンとユーフォニアム、桃と楓が先程までとは少しだけ違う雰囲気を作り出す。
それが終わると、不協和音だけの暗い場面に入るが、そんな場面転換も綺麗で、曲の中での明暗がはっきりとしていた。
トランペットの真菜が高温でも正確にあててくるのが、すごいと思った。
そこからだんだんと明るさを取り戻していき、冒頭のメロディーへと戻るが、クレッシェンドのタイミングが全員で揃えられるのは、人数が少ないことの利点の一つだと思う。
しかしまた静かになる。
ホルンの水樹とクラリネットの真子が神秘的な雰囲気を作り出している。
そして、アルトサックスの柚希の中世的なメロディーがもともとの雰囲気を取り戻させる。
が、そこで金管の不協和音が始まる。
それぞれがバラバラのリズムなのに、どこかまとまって聞こえてくる。
それがまたすごいと思った。
一度崩れた雰囲気を取り戻そうとする後ろで、低音であるチューバの聖菜がしっかりと安定したテンポを刻んでいる。
おそらくここがこの曲の頂点なのであろうところで、テンポが遅くなる。
ここのフルートの華菜からパーカッションの中のグロッケンをやっている麦への高音メロディーのつなぎが綺麗だった。
最後は、冒頭のリズムをもう一度、全員で揃えて終わる。
最後の和音が音楽室の中に響いている。
終わった瞬間はもう、感無量としか言いようがなかった。
夕日色に包まれた彼女らが、どこか幻想的で、神聖なもののように見えた。
楓の言うとおりだ。
彼女らの価値観が、一八〇度も変わった。
ただただ、「すごい」という言葉だけが頭の中でこだましていた。
「どうだったか?先生」
そう言った楓の言葉で俺は我に返り、一気に現実へと引き戻された。
感想を聞かれているのだろう。
でも、適した言葉が見当たらない。
なんか、何を言っても違う気がする。
でもそれ以前に、感想なんてものが、頭の中にない。
頭の中では自然ともう一度彼女らの演奏が再生される。
さっき思ったことを素直に言うべきなのか、どうか。
「あー……えっと……」
結局俺は、素直にさっき思ったことを口に出すことにした。
「正直言って驚いた。みんなのことを見くびっていたわけではないが、ここまでうまいとも思っていなかった。なにより、たったこれだけの少人数でこんなに迫力があるのはすごいと思う。とても聴きごたえのある演奏だった。ありがとう。……ところで、顧問とかはいないのか?この部活」
そう言った瞬間、みんなの視線が俺へと集められていることに気がついた。
……え?俺なのか?……嘘だろ。聞かなければ良かった。
楓は俺の前へ来ると、言った。
「先生、知ってるか?」
「……?何を……」
「この学校には部活は吹奏楽部だけ、先生は君だけ、ということを」
「ああ……まあ」
そういえばそうらしいな。
「だから、ちょうど良くないか?」
満面の笑みだった。
「僕たちの部活、この桜高校吹奏楽部の顧問になってくれないか?」
断りづらい雰囲気だった。
楓の笑顔から「まさか断ったりとかしないよな?」という気持ちが伝わってきた。
……ということを心の中での言い訳に使った。
……仕方ない。止むを得ん。
「分かった。引き受けてやる」
しぶしぶ俺がそう言うと、パアァ……とかいう効果音がつきそうな顔にみんなが変わっていったのが分かった。
楓は即座に「ありがとう」と言った。
他にも、「うぇーい」とハイタッチをする子やガッツポーズをする子、胸をなでおろす子がいた。
そんな時、タイミングを見計らったかのようにチャイムがキーンコーンカーンコーンと鳴った。
「片付けしてー」
楓がそう言ったのと同時にみんなはそそくさと片付けを始めた。
俺もそれに紛れてそそくさと出ていこうとすると、楓に呼び止められる。
「先生」
「なんだよ」
「先生って、音大で吹奏楽を専攻してたんだよな」
「なっ……なんでそれを知って……」
俺が驚きに満ちた顔をすると、楓は、最後に一言だけ言った。
「これから、よろしくなっ」
「よ、よろしく……」
俺はそう言い返すと、今度こそ、そそくさと音楽室から出て行った。
夕日はもうすぐ、沈みそうだ。