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彼女と並んで歩く縁日

 辺りはすっかり闇に覆われた午後八時。僕は、なんとなく落ち着かない気分のまま橋の手すりに寄りかかっていた。

 向こう岸は橙と金の光に満ちている。橋を越えた向こうは、既に祭りが盛りを迎えているのだ。賑やかな人の声、太鼓の音、出張ラジオの音声も溢れてこちらに届いてくる。だけど今僕がいる場所は、それらの音を丸ごと覆って、しんと静寂に満ちている。

 変に聞こえるかもしれないが、この感じこそ祭りだ、と思ってしまう。やっぱり、お祭りは遠巻きに眺めているのが一番好きなんだ。これからこの待ち合わせ場所に来るだろう彼女の前で言うわけにはいかないけど。


「え~~~はら~~~~~っ!」


 噂をすれば。

 浴衣姿の美しい少女が、空からこちらにやってくる。カコンッ、という下駄の音と共に、彼女は地に舞い降りた。翼を折り畳み、ふぅっと息を漏らす。向こう岸の祭りの灯に彼女の姿が照らされる。

 その姿は、紛れもなく流宮嶺央奈その人だ。

 荒れた髪の毛を直しながらこちらに近寄ってきて、彼女はニコッと屈託のない笑顔を見せた。

「お待たせっ。やー、遅れそうだったから飛んできちゃった」

「ああ……うん」

「へへへ~っ、どうどう、この浴衣。似合うかな? 高校デビューで新調したんだ~」

 癪だけど認めよう。僕は今の数秒、完全に流宮の姿に見惚れていた。

 ここに来る前、そういえば龍種はどうやって浴衣を着るのだろう、などと思っていたのだが、想像以上の破壊力だ。下はおそらく尻尾に当たる部分だけスリットスカートみたいに分かれていて、尾の根元の下側を紐か何かで留めているのだろうけど、問題は上。翼を出すために、背中が吹っ切れたようにはだけたデザインになっているのだ。まるで花魁の衣装みたいに。

 こんな姿の流宮を、これからの一、二時間独占してしまっていいのだろうか、なんて考えてしまう。

 すると流宮は、じとっとした目で僕を見つめて苦笑した。

「あの~~、江原? もしかして見惚れちゃってる?」

「っいやいや! 別に、似合うかって聞くから、ついじっくり見ちゃっただけで」

「あらそーですか。それで、どう?」

「……似合ってる、と思うよ」

「よしゃしゃ~! ありがと!」

 そんなことを言って、実のところ浴衣の柄なんてまともに目に入っていないことを、僕は心の中で懺悔した。きっと彼女は、むしろそっちを見てほしかったんだろうけど。でも、もしも僕の懺悔を聞いた神様が男なら、きっと僕のことを許してくれるだろう。

「江原も似合ってるよ、浴衣!」

「あー、ありがとう。浴衣って言っても甚平だけど」

 つまり和服に見せかけた、半ズボン型の服だ。普段は寝間着として使っているものだけど、夏祭りに合う服なんてこれくらいしか僕には用意できなかった。

「いーのいーの! こういうのは雰囲気が大事! カッコいいよ江原!」

 僕はそんなに服を気にするタイプじゃないから「そうかな」くらいにしか思わない。でも、彼女がそれで気をよくしてくれたなら、着てみてよかった。……彼女の方がずっと気合の入った服装で来ているのに、彼女の僕に対するリアクションの方が大きかったのは、少し申し訳ない気分だけど。

「じゃ、行こっか!」

 流宮は僕の手を取って、祭りの方へ駆け出した。するり、と柔らかな指の滑る感触に、どぎまぎする。今日彼女と会ってから一人で勝手に振り回されてばかりだ。

「ちょ、ちょっと! そんな走らないでくれよ!」

「あはは、やだ! 頑張ってついてきて!」

 一緒に走ると、彼女の方が歩幅が大きいから転びそうになる。

 でも、なんとか彼女に合わせて走った。


 橋を渡る最中、最初に見えたのは、下の川で所狭しと泳ぐ魚種の人々だ。もちろん彼らも車椅子を使えば地上で夏祭りを楽しめるのだが、ほとんどの場合魚種は魚種で集まり、河川で夏祭りを楽しむ。

 なぜなら、

「いいよね~。夏祭り中、河川は魚種しか入れないもんね」

 そう。ボートや屋形船の類は、夏祭り中河川に出ることを禁止されている。もちろん、夏祭りで激混みになる魚種への配慮だ。

 とはいえ、魚種以外の全人種が集中する地上に比べれば、河川の込み合いは何ということもない。それに、河川専用の露店も結構出ているから縁日を楽しめないわけではないし、基本的に夏祭りは魚種が圧倒的に得をするのだ。

「魚種限定特等席! こういうとき、魚種に生まれればよかったかも! って思っちゃう」

「流宮、結構安易に何にでもなりたがるよね」

「もちろん、欲張りですから。願うだけならタダだしね~。あーあ、千恵ちゃんとか水泳部の先輩も、今頃誰かと川で楽しんでるのかなぁ」

 橋を越えると、一気に人ごみと騒音が激しくなる。人の波を物ともせずに分け進む流宮が手を引いていてくれなければ、きっと僕はこの縁日に参加することすら難しかっただろう。

 特に馬種が集まったグループは動きづらそうだ。馬種は道路交通法的には軽車両なのだ。こんなに多くの群衆の渦中に車両が紛れ込んでしまったら、それはもう動きづらいに決まっている。

「や~相変わらず混んでるねえ」

「流宮、飛んでた方がいいんじゃない? 空もまあ、そこそこ混んでるみたいだけど、陸よりは空いてるよ」

「ううん、一緒に歩こ?」

 僕が歩みを躊躇っても構わず、流宮は僕の手をくいくいと引っ張る。

「いいの?」

「うん。そういう気分なの」

 忙しなく前をかき分けていく流宮が、ちらりと後ろを振り返った。

 祭りの灯に照らされた彼女の赤橙色の瞳が、いつもより輝いて見えた。

 すぐに前へ振り向くと、やはり彼女はずんずんと前へ進み、やがてぽかんと雑踏の空いた空間に出た。普段はちょっとした広場になっている場所だ。そこでようやく彼女は、身体ごとこちらへ向き直った。

「さて! 約束通り、ひとつ何か奢ったげるよ。何がいい? 何でもいいよ、たこ焼きでもお好み焼きでも、あ、射的でもいいし!」

「射的だけはないから」

 ピシャリと突っ込んでおく。射的なんて。もう小中学生じゃあるまいし。

「エーッ。私は後でやるよ? 射的」

「あ、そう……」

 彼女が子どもっぽいのか、それとも僕が縁日に慣れてないだけで大人でも射的をやるのは割と普通のことなのか、判別がつかない。彼女がやりたいと言うなら、もちろん自由だろうけど。

 気を取り直して、食べ物系の露店を見回してみる。……こういうとき、唐揚げとか焼きそばとか、「別に今じゃないとダメってものでもないかな」って食べ物にばかり目が行ってしまうのはなぜだろう。

 されど、露店はどれもお祭り価格。それならばせめて、この場限りの物を買う方が得というものだ。

「じゃあ、綿あめで」

 それを聞いた流宮は大げさに訝しんだ顔をした。

「綿あめ? それで本当にいいのかね?」

「な、なんだよ……美味しいだろ、綿あめ」

「いや、私も好きだけど~、安いし、食べ歩きやすいし、何よりお祭りっぽいしね。だけど反面、お腹は膨れないし、その割に舌が甘々になっちゃうよ?」

 言われてみれば、確かに。夕飯も食べてないし、最初に舌を甘みで包んでしまうのはよくないかもしれない。

「つまるところ、初手綿あめは初心者ですな」

「どこの誰なんだよ流宮は」

「いやなに。通りすがりの縁日マスターだよ」

 どうやら彼女はすっかり浮かれているらしい。

 でもその口ぶりから察するに、事実彼女は夏祭りによく来るんだろうな。

 流宮は改まって咳払いをすると、一気に語りだした。

「こういうときは、最初にガッツリしたものを一品! そしてその次にかき氷冷やし果物系とか甘くてスッキリしたもの。そしたら一旦腹と舌を休めに射的とか金魚すくい。この辺の定番は、狙い目がすぐ消えちゃうからね。

 で、またガッツリしたもの! ここでワンポイントアドバイス。ご当地グルメ系は味わいが目新しくて特別感あるし、何より定番じゃないので来年は消えてるなんて危険もあるから要チェック! その後はまた甘いものだけど、今度は大判焼きとか綿あめとかの、こってりと甘いもの。それを食べたら、キリッと冷えたラムネを飲んで舌をリセット! これでワンセット、後は自分のお腹と相談しながら何セットか繰り返します。

 で、最後はりんご飴を食べながら花火に備える! これが縁日巡りの極意!」

「なるほど?」

 なぜかりんご飴だけ限定されてるところに謎の主観的こだわりを感じるが、ひとまずそれは最後らしいから後で言及することにしよう。

「じゃあ、最初は主食系ってことね」

「そゆこと。鉄板は焼きそばだね! いや焼きそばは鉄板で焼くけど、そういう意味じゃなくてね」

「…………」

「ごめんて! 悪かったよそんな目で見ないでよ!」

 行き慣れてるアピールをしてる割には随分な羽目の外れようだ。

「でも、焼きそばでいいんだ? 焼きそばって別に、食べようと思えば家で食べられるし、あえて屋台で食べる意味ないんじゃないかなって思ってた」

「いやいや。屋台の焼きそばにはね、独特の美味しさがあるのだよ」

「ふうん。そうなんだ」

「そう。だからこそ、縁日ではいろんな食べ物を躊躇なく食べられるように、お金的にもお腹的にも入念な準備を――」

 言葉の途中でいきなり流宮が翼を大きく広げた。

「あぁッ! あのぬいぐるみほしい! あれ、あそこの射的やろ、江原!」

「いや縁日巡りの極意は?」

「マニュアルに従っているだけじゃあ人生楽しくないもんだ」

 だからって自分で作ったルールを自分で破らなくても。

 流宮は構わずに射的の列に並ぶ。彼女がほしいと言っているのは、あの有名ゲームのマスコットキャラのぬいぐるみだろう。ずんぐりむっくりなネズミのキャラクター。

 この手の射的やくじってちゃんと景品を取れるイメージがなかったけど、あれなら小さめのぬいぐるみだし、もしかしたら取れるのかも。

 流宮は自分の順番が回ってくると、急に神妙な表情を作った。

「さて。縁日初心者の江原クンに射的のコツを教えてしんぜよう」

「はあ」

「まずはねえ。銃とコルクは千差万別。しっかり選ぶべし。戦いは既にここから始まっているのだ!」

「コルクを詰めるときはしっかりぎゅぎゅっと奥まで! 弾の威力は空気圧が重要だからね」

「もちろん姿勢はかなり大事だよ。銃を構える時は、脇をしっかり締めて銃を固定!」

「あと、こう、足はかなり広めに開いて、肘を台に乗せて……」

 流宮は意気揚々と射的の解説をしながら準備を整えていく。

 ただ、その姿勢だと、必然的にその……お尻を突き出す姿勢になって、目のやり場に困る。ただでさえ際どい格好なのに。

 というか、

「おい、おーい! 流宮、尻尾!」

 興奮した彼女の尻尾がメトロノームのごとくふりふりと揺れていて、射的の行列を大いに乱していた。

「あぇっ? あ、アーッごめん、ごめんなさい!」

 ペコペコしながら射的の台に向き直る。

「……気を取り直しまして! 撃つときは、銃身がブレないように、こう、銃の柄にほっぺたをくっつけてねぇ」

「お目当ての景品をよぉーく見て、当てたい! って想いを弾に込める!」

「景品の上側を狙って、照準を定めてぇ」


「――ショット!」


 ポンッ。

 軽快な発射音と共に飛んだ弾は――なんと、一発でぬいぐるみの額にヒット! ネズミは後ろに倒れ伏した。

「イェーッ」

「おぉ……」

 高らかに掲げるガッツポーズ。僕も思わず感嘆の声を漏らした。

 流宮は景品を受け取ると、喜び勇んで僕の前にやって来た。

「すごいね流宮。本当に上手いじゃん」

「ま、こんなもんですよ!」

 彼女は得意げに胸を張る。まあ、今くらいは素直に褒めておこう。


「ちなみに、もうひとつ射的のアドバイスをしとくとねぇ」

 再び縁日の雑踏に混ざって歩き始めてからしばらく、唐突に流宮が言い出した。

「え、終わった後に?」

「……射的でぬいぐるみなんかを当てちゃうと結構荷物がかさばっちゃうので、序盤はオススメしません」

「……あのさぁ」

「ね? 縁日巡りの極意、重要でしょ?」

 自分で教師と反面教師を同時に務める人もなかなかいないだろうな……。

 確かに流宮が取ったぬいぐるみは、小さめではあるが彼女の小さな巾着袋に入りきるほどではない。景品用のビニール袋に入っているとはいえ、この縁日を歩くには苦労しそうだ。

「持っとこうか、それ」

「え、いいの?」

「流宮の方が絶対あちこち回るだろうし、それ持ちながらだと大変でしょ」

「えへへ、お恥ずかしながら。さんきゅー」

「ん」

 流宮から景品を左手に、流宮の手を右手に取り、また歩き出す。なんかこれだと、僕が景品を取ってもらったみたいじゃないか?

 そうじゃなくても、こういうときは男が積極的に射的とかやって、女の子にプレゼントを渡してあげるものなのかな。ああ、確かにそういうのなら漫画でよく見る気がする。

 それ以外にも、自ら手を取って歩いたり、縁日ではしゃすぎてるのを諫められたり。なんだか流宮の方が男子みたいだ。もう、そんなふうに言われる時代でもないんだろうけど。


 ちょっとだけ、普通逆だよなあ、なんて思いながら、僕は流宮について行く。

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