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8/12

夏休みへ

「ひゃ~~~~終わった終わった終わった! これにて万事解決!」


 流宮は、なんとか赤点を回避しきったテストを両手に持って、いやかざして歩いていた。そんな点数をよくも自慢げにできるなあ、とか、あれだけ教えた割には点数伸びなかったなあ、とかいろいろ思うけれど、流宮が楽しそうだから僕は黙っていた。

「これも江原のおかげだよ! ほんっとうにありがとう!」

「いや、最終的には流宮の努力だよ。おめでとう、流宮」

 流宮はグラウンドを横切りながら、翼を羽ばたかせてしきりにぴょんぴょん飛び跳ねた。尻尾がビタンビタンとグラウンドに当たり、砂埃が舞う。痛い。痛い目が。

「これであとはっ、夏休み一直線! 海水浴! バーベキュー! 夏祭り! いやはや~楽しみだねぇ!」

「流宮は海行かない方がいいと思うけど」

「もー! 突っ込みどころ探してないでもっとプラスっぽいこと言ってよ!」

「僕インドア派だからなぁ」

「ヘイ水泳部ぅ~! ちゃんと合宿とか来てよね!」

 くだらない話をしていると、水泳部の部室が見えてきた。

「じゃ、また後でね、流宮」

「うん!」

 それぞれの更衣室の前で僕らは別れた。


 男子更衣室に入ると南乗がいたから、軽い挨拶をしつつ自分のロッカーに向かった。手早くリュックを詰め込み、プールバッグから水着を取り出す。水泳の準備だけは慣れたものだ。

「なあ、哲司」

 着替え用のラップタオルに身を包んで服を脱いでいる途中で肩をつつかれ、僕はよろめいた。抗議の目を向けながら振り向く。

「南乗、着替え中」

「すまん。だってお前準備早いから、着替え終わったらさっさと行っちゃうし」

「それはそうかもだけど、何、ここでしなきゃいけない話?」

「まあ聞けよ。最近哲司さあ、流宮さんといい感じじゃん」

 いきなりの不意打ちで床に倒れこみそうになる。なんとか踏ん張り、何でもないようなふりをして着替えを続けた。

「……いきなり何? 別にそんなことないよ」

「隠すなよ、流宮さんと楽しそうにしてるじゃんお前。付き合ってるの?」

 ぼっ、と顔が火照る。冷たい石床を踏む足の裏が、妙にこそばゆくなる。

「付き合ってるわけじゃ……ないよ。ただ、なんやかんやあって、そこそこ仲良くなったってだけで」

「本当にそれだけ? 付き合ってみたい、とか思わないの?」

 そう言われて、考え直してみる。

 正直なところ、そういう想像をしてみることは、増えた。健全な男子としては、まあ、そういうことも往々にしてあるじゃないか。

 だけど、本当に付き合いたいというわけじゃないのだとも思う。やっぱり僕にとって流宮は最近仲良くなった友人であって、今はそれ以上とも、それ以下とも。

 それに、付き合うとなれば今度こそあの両親が黙ってないだろう。

「……微妙」

「なんだそれ。煮え切らねぇ~」

 勝手に突っ込んできて勝手につまらなそうにするものだから、僕も少し言い返したくなった。

「お前はどうなんだよ。流宮のこと。確かに僕も流宮はかわいいと思うし、美人だし、性格も……悪い人じゃないし。気になってるんじゃないのか?」

「俺は彼女いるから」


 僕は今度こそ床に倒れこんだ。

「…………マジで」

「うん。中学からな」

「へぇ~ん……」

 仲間だと思っていた人間からの彼女持ち宣言は、いつだって辛いものがある。

「彼女欲しくなった?」

「べ、別にぃ、他人がいるから自分もってものじゃないだろ」

「カタいなぁ。付き合う理由なんてそんなもんでいいと思うけど」

「南乗もそうなの?」

「いや、俺の場合は幼馴染と中学で付き合いだした」

「勝ち組じゃん……」

「イェイ」

 ほとんど裸の格好でこういう俗な話をするのは、ものすごく落ち着かない。僕はもう早く話を切り上げたくなった。

 ……いや、唐突な彼女持ち宣言がショックだったのもあるかもしれない。

「で、話は終わり? 終わりでいいよね」

「いやこれから本題」

「えぇ……」

 僕は露骨に嫌な顔をして、そそくさと場を離れようとした。が、南乗の尻尾が足に絡みついてきた。ふさふさの尻尾が膝裏に触れると、くすぐったくて力が抜ける。

「待って、待ってくれって。もうちょっと野次馬させてくれよ」

「もう野次馬って認めちゃってるじゃん!」

「俺はカップル成立の瞬間を見るのが大好きなんでね」

「勝ち組の娯楽だなぁ」

 僕の嫌味はするっと受け流して、南乗は話を続ける。

「来週、うちの地域で夏祭りやるじゃん。花火祭り」

「うん」

「誘ってみろよ、流宮さん」

「嫌だよ……」

「なんでそこで即答なんだよっ」

「だって……夏祭りに誘うって、いかにもな感じだし。それに僕、夏祭りとかそういうキラキラしたのは好きになれない」

「あれ? でもお前、花火好きじゃないの?」

「え。なんで?」

「だってお前、花火の写真のクリアファイル使ってるじゃん。筆箱についてるキーホルダーも花火だし」

「……あー」

 言われてみれば、そうだった。別に隠してるわけじゃなかったけど、あれじゃ確かに花火好きを公言しているようなものだろう。

「まあ……認めるよ。花火は好きだ。本当言うと、お祭りも好き。でも、お祭りに混じるのが好きじゃないんだよ。花火も祭りも、遠くから見てる方がいい」

「なんだそれ。どうしてそう思うんだ?」

 僕はお祭りの、あの一体感みたいなのが嫌だ。人はみんな違う生き物なのに、「みんなで一体に!」だとか「今だけは心を一つに!」だとか、調子がいいと思う。

 だけど、南乗はきっと、一つになりたがるタイプだ。

「……インドア派だからかな」

「はぁ。そんなもんかね」

「これでいい?」

「あのな、哲司。ちょっと、俺の目をしっかり見ろ」

 南乗が神妙な面持ちになって僕の両肩をガシリと掴む。そろそろくどい。

「なに、なんなの今度は」

「お前が、本当に流宮さんと付き合う気がないとして、だ」

 ギロリ。

 狼種の鋭い眼光が僕を睨む。



「――流宮さんの浴衣姿を見たいとは思わないのか?」


「…………!」

「…………」

「…………っ」

「…………」

「……見たい」

「よく言った。よし、誘え」

「それは……ズルだぞお前……」

 僕は腹いせに南乗の頭をわしゃわしゃと撫でた。



 プールに出ると、もう流宮は準備運動を終えて練習をしていた。今日はけのびの練習のようだ。昨日もけのびの練習だったけど。

 準備運動をしつつ、彼女のことをぼんやり眺める。

 ……流宮と、夏祭り、か。

 やっぱり想像できない。

「――ぷひゃぁっ! あ、江原。なんか遅かったね~」

「ああ、うん、ちょっと」

 流宮が立ち上がり、僕に気づいた。軽く挨拶を交わすとすぐにまた壁際に戻り、またけのびをする。

 相変わらず流宮の動きは硬い。僕が言えたことじゃないけど、彼女はあまり成長が見られない。水が怖い、という根本的な問題をクリアできていないのだから、仕方ないかもしれないけど。

「ねえ。流宮って、どうして水が怖いの?」

 ただ見つめているだけだとどうにも落ち着かなくて、僕は何気なく尋ねた。

「んー、どうしてって言われてもなぁ。だって水の中じゃ息できないんだよ? 怖くない?」

「そうかな。海ならまだしも、ここは浅いプールだし、息しようと思えば自由にできると思うんだけど」

「それは分かってるけどさー。あっ今息できない! って思うと、身体が竦んじゃうんだよね」

「僕はあまりそういうふうに考えたことはないな」

「えー。じゃあどんなふうに考えてるの?」

「どんな、って言われても。ただ単に水の中だと息はしないってだけで」

「……んっ?」

 流宮が急に真顔になる。

「ね、ねね、今のワンモア」

「え? だから単純に、水の中っていうのは息をしないものだ、って考えてるだけだって。言ってしまえば、物を買うときはお金を払うものだ、と同じくらい基本的なルールとして」

「それだぁっ!」

 ざっぱん、と彼女の翼と尻尾が勢いよく躍動し、僕にまで飛沫がかかる。

「息ができないんじゃない、息をしないんだ! なんか分かった気がする! ね、見てて見てて江原!」

「え、なに、なに?」

 流宮がもう一度壁に戻る。そして大きく息を吸って身体を伸ばすと、壁を強く蹴り、けのびの姿勢。

「おぉ……」

 僕は思わず嘆息を漏らした。

 明らかにさっきとは身体の使い方が違う。しっかりと脱力し、存分に身体を伸ばしている。実際けのびの距離も三メートルは伸びたんじゃないだろうか。今までが酷かったとはいえ、これは大躍進だ。

「どうっ、どう?」

「うん、素人目で見てもだいぶ良くなったと思うよ」

「やったぁぁ! すごいよ江原、名インストラクター!」

「いや、どう考えてもすごいのは流宮だよ……」

 いくら流宮が感覚派のアスリートだからって、さすがにピーキーすぎないだろうか。

「これでやーっっっっと新しい練習メニューに進める! というか、もうこれカナヅチ卒業できちゃうんじゃないかなっ?」

「遠くないかもね」

「やたたーっ! もー江原大好き! 今度学食奢ってあげる! いや駅近モールのスイーツでもいいよっ? ってかもう今なら何でも言うこと聞いてあげる~っ!」

「そんな大げさな……」

「大げさじゃないよぉ! だって泳げなかった私が泳げる私に進化したんだよっ、これはもうもはや、ノーベル賞受賞っ!」

「何もかも違うからね」

 興奮のあまり言語野がおかしなことになってるらしい流宮を尻目に、せっかくだから何かお願いしようかな、と考えを巡らせる。

 一番妥当なのは、彼女が最初に挙げたように学食を奢ってもらうことだろう。これならすぐにでもできるし、後腐れがない。だけど今、別にお金に困ってるわけでもないしな。

 だったらむしろ、お互いに得できるような、つまり金銭のやり取りが発生しないような願い事がいい。つまり、僕が一人だと行きづらいようなお店やイベントに、一緒に行ってもらうみたいな――

「…………」

「ん、何? お願い思いついた?」

「流宮、僕らの更衣室での会話立ち聞きしてた?」

「あぇっ!? 何いきなり! そんな悪趣味なことしないよっ!」

「だよね」

 もしさっきの会話を聞かれていたとしたら、僕は恥ずかしさのあまり夏休み中ずっと部屋に引きこもることになっていただろう。

「あのさ……願い事は浮かんだんだけど、嫌だったら別に断ってもいいし」

「そーんな前置きいらないから、何でもドンっとお願いするがよい!」

 流宮は上機嫌な様子で翼を広げながら胸を叩く。

 根っからネガティブな僕は、その笑顔を見て、もしそれが露骨に面倒くさそうな顔に変わってしまったら……などと想像して怖気づいてしまう。

 けれどもう、賽は投げられたのだ。やるしかないんだ、江原哲司。これは単純な話だ。結局のところお前は、彼女と夏祭りに行きたいのか、行きたくないのか。

 答えは一つしかないだろう。


「……来週、一緒に夏祭り行かない?」


「――えっ! いいの? 江原が? 私と一緒に、夏祭り行ってくれるのっ?」

「よかったら、だけど」

「もちろんいいよ~~!」

 僕が一生分の勇気を絞り切ったというのに、流宮の反応はなんとも単純に嬉しそうだった。いや、別にそれでいいんだけど。ひょっとすると案外、一緒に夏祭りに行くというのは普通のことなんだろうか。それこそ、一緒に学食行くくらいの。

「えへへ、へへ。江原から誘ってくれた」

 流宮は、水にふやけたような笑顔で嬉しそうに呟く。

 でもここまで喜んでくれるなら、それだけでも誘ったことには意味があったと言える。

「でも流宮、他の人と予定被ってたりしない? 流宮ならどこのグループからも引っ張りだこでしょ」

「ううん。実は私、最初から江原のこと誘おうとしてたんだ」

「えっ?」

「願い事を叶えてあげるって話だったのに、私ばっか得しちゃってるね。へへ、お祭りのときは何か一つ奢ったげるよ」


 ――どうして僕を? 


 と、聞けるほど、僕の中の勇気はもう残っていなかった。


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