届きそうな星
「うーん」
数日ぶりに金槌組の成果を確認しに来た千恵先生は、芳しくなさそうな声で唸った。
「成長は見えるけど、まだまだ実践レベルじゃないわね」
「そりゃー指導してくれる人もいないのに、ろくに上達なんてしないよぉ」
「龍種も人間も先輩がいないのがネックよねぇ。私も指導したことはあるけど、いまいち不評だし」
一応、先生の指導は何度か受けたことがある。だけど彼女は自分でも認めるように、お世辞にも教えるのが上手いとはいえない。あくまでマニュアル的なことしか言ってくれないし、肝心なところは感覚的な説明しかできない。
大人の魚種だから当然、水泳は生徒の誰よりも上手いのだが。名選手が名監督になるわけではない、という言葉の典型例だ。
「ま、とにかく! 二人とも動きが硬いのよ。水泳の基本は脱力! これは全種族共通だからね」
「それ前回も同じこと言ってた~」
「実際に脱力できてないから同じこと言ってんでしょうが」
「だって水怖いんだもん……水に全身浸けると、身体がこわばっちゃう」
「まだ慣れないの? せっかく私がスペシャルトレーニングしてあげたのに」
「あれ絶対に水嫌いを悪化させただけだからねっ!」
「しょーがないじゃないの。こちとら海中で産まれてんのよ。水嫌いの気持ちなんて分かるわけないでしょうが」
「ぶぇー。開き直った」
「ま、流宮さんは運動神経いいんだからその内に感覚掴めるわよ」
「そんなの掴めないよぉ……は~あ。私も魚種に生まれたかったなぁ」
「ばかちん。泳げないくらいで安易に魚種になりたがるんじゃないわよ。どんだけ不便か分かってんの、陸上中心社会の水棲種族ってのが」
半ば強引に流宮の不満を打ち切ると、先生は僕の方に向き直った。
「それで、江原君は? 水が怖いってわけじゃなさそうだけど」
「僕は……なんでしょうね。脱力が大事っていうのは分かってるんですけど、具体的に身体をどうするのか、よく分からないというか」
「身体は伸ばしてる? 指先からつま先までちゃんと伸ばさないと、水の抵抗が大きくなって上手く浮かべないよ」
「南乗から同じこと言われて、意識はしてるんですけどね……できてませんか」
「できてないね」
「あ、そうですか……」
この人は竹を割ったように気持ちのいい性格だけど、いささか割りすぎていると思う。
「たぶん典型的な理論派なのね。感覚じゃなくて思考で身体を動かしてる」
「自覚はしてます」
「や、悪いことじゃなくてね。ただ、私は感覚派だから上手いこと教えてあげらんないっていうか、うん……ぶっちゃけお手上げ!」
「はい……」
同じく、開き直られた。
「ま、二人とも課題は同じね。水に慣れること。水の感覚に慣れること。地道にけのびとか繰り返して頑張んなさい」
「えー。けのびつまんない」
「つまんないじゃない。まだ全然なってないじゃないの」
「だぁって、ただピョーンってやってスィーってやるだけじゃん。どこを目指して練習すればいいのかいまいち分かんないよ」
「だからとにかく身体の伸ばし方をマスターすんのよ。身体の真ん中に鉄棒一本刺されたくらいのイメージで、ピンって一本の線になるの」
「グワーッ、痛い痛い」
流宮は自分の脳天を鉄棒で貫かれたところを想像してしまったのか、頭を押さえてじたじたと悶えた。想像力が豊かすぎる。
「ったく、特にアンタ龍種なんだから、けのびは最重要なのよ? 龍種はね、翼をいかにしっかりと伸ばすか、って訓練に生涯かかるって言われてるんだから」
「へ~っ、そうなの?」
「そうなの。流宮さん飛空部だったでしょ? あれのライジング競技と似てる、らしい。知らないけど」
「あー、なるほど」
二人の会話の途中で、「先生~」と声がかかった。見ると、僕たちの傍のプールサイドに馬種の先輩が近寄ってきている。
「言われてたメニュー終わりましたよ」
「あ、はいはい。今行きます。じゃ、そういうことだから二人共、申し訳ないけど自力で頑張ってね」
「はい」「はぁーい」
あまり期待はしていなかったけど、本当に匙を投げられるとは。
僕は口元をプールに浸けると、ため息代わりに水あぶくを吐いた。
☆ ☆ ☆
「え~はら~」
三限の水泳の授業が終わり、学食へ行こうとしてるところへ、流宮から声をかけられた。
「なに? 流宮さん」
「あ。ねえ、もう『さん』付けやめない? 呼び捨てでいいよ~」
僕は「なに」と聞いたのに。相変わらず思ったことをそのまま口に出す人だ。
それにしても、彼女は本当にどんどん距離を詰めてくるから戸惑ってしまう。呼び捨てのラインなんて人それぞれだろうけど、少なくとも僕はそのラインまで仲良くなった覚えはない。
「別にいいじゃないか、流宮さんのままで。で、なに?」
「…………」
「……流宮さん?」
「…………」
「……。流宮?」
「はーいっ、なぁに?」
「なぁにじゃないんだよ。君が声をかけたんだろ」
「あっ、そうだった。ねねね、また一緒に学食行かない?」
僕は意外に思った。彼女はもう僕との学食なんて懲りたと思っていたのに。
「また暗い話しかできないよ?」
「暗い話なんてしたっけ?」
「……流宮さんは鶏か何か?」
「なにそれーっ! 嫌味ぃな言い方! 三歩歩いてもちゃんと覚えてるよ、どんな話したか! でも暗い話なんてしてなくないっ?」
どうにも彼女とは言葉の認識が違いすぎて、頭が痛くなる。
「しただろ。君に向上心はないのかだの、僕はわがままなだけだの、何のって」
「えぇー、暗い話かな? 暗い話ってのはさ、たとえばAクラスの誰々がウザいとか、今月期末テストだねとか、そういう話のことを言うんじゃない? あっ、今月期末テストじゃんっ! 憂鬱!」
「一人で会話しないでくれ……」
今日の流宮はいつにもましてテンションが高い。きっと天気がいいからだろう。
「とにかくさ! そんなこと全然気にしなくていいよ。私、もっと江原と話したい。江原が嫌じゃなければ、学食一緒したいな~、って思うんだけどな~」
「流宮って決まったグループと一緒に食べたりしないの?」
「うん。いろんな人とご飯食べたほうが楽しいし」
「恐ろしいな……」
「どゆことっ!?」
強烈な対人能力を目の当たりにして、つい不適当な言葉が口をついて出てしまった。
「まあ、いいよ。一緒に食べよう」
「ほんと? ありがと!」
きっと僕はもう、彼女の昼食ローテーションの一部に組み込まれてしまっているのだろう。これから週一ペースで絡まれ続けるのだとしたら、そのたびに断るなんてうんざりする。昼食に関しては、もう観念しよう。
僕たちは食堂に入り、各々の昼食を注文しに行った。そして壁側の二人席に座る。前と同じ席だ。
今日のメニューは、僕が肉野菜炒め定食の並、流宮は辛口カレーの大盛。
「流宮っていつもそれ頼んでるの?」
「うん。私かなりの辛党なんだけどさ、うちの学食で辛いのってこれしかないじゃん?」
「だからって毎日辛い物食べるかね」
僕は辛い物が得意じゃないから、その色を見るだけで少し辟易してしまう。
「前から疑問だったんだけどさ。辛みって味じゃなくて痛みでしょ? 辛党は辛い物の何が好きなの?」
「ん~、なんて言うんだろ。味っていうかさ、こう、うおぉ~胃の中が燃えそう~! っていうあの感覚が好きなんだよね」
「龍種が言うと比喩に聞こえないよ……」
「大丈夫大丈夫、龍種の火炎袋なんてとっくの昔に退化してるから!」
「そりゃ知ってるけどね」
流宮は「が~お~」と火を吹くジェスチャーをしてみせた。
今となっては少し想像しづらいことだけど、昔の龍種は当然のように火の息を吐くことができたらしい。だけど、火を吐くのにも火を吐ける身体を維持するのにも膨大なエネルギーが必要だったため、あまり使われることなく自然に退化していったのだという。
なんだか、商品にその場の勢いでオプションを付けたら思ったより不便ですぐに外した、みたいなノリだなと思う。神様というのは案外、情報リテラシーがなってないのかもしれない。
「江原は甘党?」
「そうだね、甘いのは好きだよ。コンビニのスイーツをよく食べる」
「やっぱり! 頭のいい人って甘いの好きなイメージあるもん」
「別に僕は特段頭がいいってわけじゃないけど……まあテスト勉強の糖分補給のために甘い物を食べるっていうのは、僕もあるね。最近また増えてきた」
「あー。暗い話」
流宮がジトっとした目でこちらを睨むので、視線を横の壁に受け流した。
「暗くないよ、別に。僕は流宮と違ってテストを嫌がったりしないし。むしろ少し楽しみに思ってる」
「ま~たスカしちゃって! 私は不安でしょうがないよぉ。高校は留年なんていう残酷なシステムがあるでしょ? 私、三年間も無事に乗り切れる気がしなくて」
「大丈夫だよ。学校だって留年なんて出したくないんだから、追試とか補習とかいろいろ用意されてるし。よっぽどのことがなきゃ留年なんてしない」
「追試も補習もヤダ!」
「じゃあ今のうちから勉強しなよ」
「やーーーだーーーー……」
流宮はジタジタと尻尾を揺らした。後ろに席はないとはいえ危なっかしい。
「でも、意外。最近元気なさそうにしてたから、私と同じでテストが近くて嫌になってるんだと思ってたよ」
そう流宮に指摘され、僕は一瞬硬直してしまった。
「……元気なさそうに見えた?」
「うん。ぼーっとしてるっていうか、気怠そうにしてるっていうか……ん? それはいつもか!」
「馬鹿にしてるでしょ」
「シテナイ、シテナイ」
「…………」
あからさまに棒読みで言うので、僕は無言で彼女を睨んだ。
「あははっ、冗談冗談。や、何かいつもと違うな、って思ってたのは本当だよ」
流宮は咳払いをして、少し真面目な顔になった。
「何かあった? よかったら力になるよ」
そんなことを悩みの種そのものから言われて、僕はどうすればいいのだろう。
「……別に。流宮に話すようなことじゃないよ」
そう言ってから、「悩み事なんてない」と言う方がよかったと後悔した。
「なになに、どうして? できたら言ってほしいな、誰かに話すだけでも楽になることってあると思うし、それにほら、ちょうど人気もなくなってきたし。あ、私これで結構、口も堅いんだよ」
「だからさ、僕はそういう愚痴を流宮にこぼすほど君と仲良くなったつもりがないってことで」
「もっと仲良くなりたいから、江原の話を聞きたいの。それじゃダメかな?」
本当に、彼女とは生きてきた文化が違いすぎる。僕は思い切りため息を吐いた。
もういい。分かった。彼女はとにかく徹底的にハッキリ言わないと理解してくれないんだ。現代文の授業もろくに聞かない彼女なのだから。
「じゃあ、言わせてもらうけどね。僕がほとほと嫌になってるのは、君のそういうところなんだよ、流宮」
「…………え」
そのとき、流宮は妙な顔をした。
無表情に近いけど、それを無表情と形容するのは正しくない気がする。妙、としか言いようのないその顔から、僕は何も汲み取れなかった。
強い衝撃がぶつかり合ってゼロになった、そんな無表情だった。
「……ごめん。江原って、私のこと嫌いだった?」
そして彼女は、低い声でぽつりと呟いた。その態度の変わりように僕の方がたじろいでしまう。
急にそんなしおらしくなって、どうしたんだよ。今までどんなに僕が突き放したって、君は平気そうにしてたじゃないか。それがいきなり、そんなネガティブな解釈をしたりして、僕がしたら、きっと君は笑うだろう。
君はいつだって、僕の深刻を笑い飛ばす側だったじゃないか。
「ねえ、あの、もしも嫌だったら、本当、ごめんなさい。私、そういうの……上手いこと察してあげられなくて」
……なんだろう。「嫌」というワードが、彼女にとってはスイッチだったのかもしれない。意外だ。彼女はそういう、言葉の一つ一つに敏感な人ではないと思っていたから。相手の態度とか身振り手振りで、もっと緩やかにコミュニケーションを取る人なんだとばかり。
いや、ぼさっと考えてる場合じゃない。今はまず、彼女の胸に渦巻いている黒いしこりを取り払ってやらなければならない。僕は彼女に傷ついてほしかったわけじゃない。少なくとも、今は。
「違う、違うんだよ。別に流宮が嫌いとかじゃない」
「へ……そうなの?」
僕が否定すると、ようやく彼女の瞳に色が戻った。少し安堵して、言葉を続ける。
「変な言い方してごめん、悪かった。それは謝る。けど、違うんだ。なんていうのかな。その、僕には君は眩しすぎるんだ。だから、あんまりぐいぐい近づかれると怯んでしまうってことで。僕が言いたかったのは、そういうことなんだよ。って言って、意味分かるかな」
「……ごめん、ちょっと」
流宮は困惑ぎみだ。あまりにも抽象的すぎるし、当然といえば当然。
とはいえ、こう説明する以外に僕はこの感情を表現するすべを持たない。
「つまり、その、君は僕にとって太陽なんだ」
「た、太陽っ? どういうこと?」
「イカロスと太陽の話があるだろ。知ってる?」
「うん、なんとなくは」
「あれで例えるなら、僕はイカロスだ。蝋で作った翼で宇宙を漂っていて、それがどれくらい太陽に近づけば溶け出してしまうのか知ってる。だから、蝋の翼が溶けないように遠くの方にいるんだ。なのに太陽が近づいてきたら、元も子もない、蝋が溶けて地に落ちて、死んでしまうだろ」
「……うーん、それはまあ、そうだね」
「君は僕にとって熱すぎる。僕には、これくらいの距離感がちょうどいいんだ。だから安易に距離を詰めないでほしいってだけなんだよ。つまりは、君に最初言ったことと同じだ。何事にもちょうどいい距離ってものがあるだろう、ってこと。別に君のことを、悪く思ってるわけじゃない。これは本当」
上手く伝わっただろうか、と不安に思いながら流宮を見つめる。
彼女は数秒ほどぽかんとした後――不意に吹き出して笑った。
「江原の方が、よっぽどロマンチストだね」
二人で水泳をサボったときの会話の意趣返しなんだろう。
「う、うるさいな。他に分かりやすい例が思いつかなかったんだ、悪かったね」
「ううん、ありがとう。よかった……私、またやっちゃったのかと思った」
そう言うと流宮は、やっと安堵の表情を見せた。
「いくらなんでも、嫌いな人と一緒に学食行ったりしないよ」
「江原はね。だから君とは付き合いやすいと思ってたんだ」
含みのある言葉。
「でもどうして、江原が人間で、私が太陽なの? なんか対等じゃなくない?」
「えっ」
流宮は、本当に「なんとなく」といった表情で尋ねてきた。やっぱりさっきの例え話、よく分かってなかったんじゃないか。
「それは……それは」
「?」
それを僕に言わせるつもりか。
ああ、もう。流宮は察しが悪い、というのは確からしい。
でも、この際だ。これで誤解が完全に解けるなら、そっちの方がいい。
「だから……言ったじゃないか、僕は。君のフープスルーリングが一番綺麗だと思った、って」
「うん」
「あの言葉が全てだよ。僕はずっと君に憧れてたんだ。正直言えば、今だって憧れてる。素敵だ、って思ってる。だからこそ、僕にとって君は本当に太陽みたいな存在なんだよ。それだけで十分な理由じゃないか、あまり近づきすぎないでほしい、って思うのは」
なんだか勢いに任せて、余計なことまで言ってしまった気がするけど、それでもじっと流宮の顔を見つめて言い切って見せる。もうあんな顔されるのはごめんだ。
彼女は、何も言ってくれない。またしても表情を硬くして、停止してしまっている。なんなんだ、僕はまた何かまずいことを言っただろうか。
「あの、」
僕が反応を求めようとすると――彼女は急に自分の翼を前に持ってきて、全身を覆い隠してしまった。
「なっ、なにっ?」
「い、いや、その」
両翼の隙間を指で開き、彼女は目から上だけを外に出した。
「そんなふうに真っ直ぐな目で褒められたら、さすがにちょっと、照れるよ」
「あっ、いや別になんか、そんなつもりで言ったんじゃ」
「そっか」
「ああでも、さっきの言葉は本当で、本当なんだけど、そんな反応を狙ってたんじゃなくて」
「うん」
「っ…………」
僕は言葉を続けられなかった。
「ありがと、江原」
「……うん」
本当に恥ずかしい。顔が燃えそうだ。やっぱり、彼女にあんまり近づきすぎるものじゃない。そのせいで、こんな大火傷の有様だ。
だけど――今の彼女の様子を見れば、火傷するだけの価値はあったかもしれない。そんなふうに思う自分もいた。
「で、そのう、そう言ってもらえたのは嬉しい、嬉しいよ? だけどさ」
「え。まだこの話続けるの?」
完全に一区切りついた気分で気が抜けていた。
「もうちょっとだけ! 私も言いたいことがあるの!」
流宮はようやく翼を元に戻すと、身を乗り出した。もう完全にいつもの調子だ。
「そう、嬉しかったんだけど! 私、やっぱり江原とは対等でいたいなって思うの」
「……いや、そうは言ったって、あれは比喩の話で」
「じゃ、私も比喩で対抗する!」
対抗してどうなると言うのだろうか。そう思ったけど、今はとりあえず彼女の言葉を聞くことにしよう。
「私はね。人はみんな、一つの星なんだと思ってる」
「人がみんな、星?」
プールサイドで彼女がぽつりと漏らした言葉だ。
「うん。みんな、お互いを照らし合って、お互いを暖め合って、お互いを引力で引っ張り合って生きてるんだって思う」
ベタな表現だな、と思うけど、決して馬鹿にはできない。それを言い出したら僕の表現だってちゃちなものだ。
「世界中の誰もがみんなキラキラ光ってて、私は、その全てに触れてみたい! って思っちゃうんだ。うん、私は欲張りだからね。
でもさ、近づきすぎると、お互いの光で何も見えなくなっちゃうんだよね。だから勢い余ってぶつかって、大怪我することもある。私は特に昔からそういうこと多くて。
距離が縮まって、結構仲良くできてると思ったら、いきなり『嫌い!』なんて言われたり、さ」
なるほど。やはり彼女は彼女で、苦い経験をいくつもしてきたらしい。
「……ってことは、結局僕と同じ結論にならない? 互いにちょうどいい距離があるって話。君の例で言うなら、ちょうど星間の周回軌道みたいにさ。本質的には言ってること同じじゃない?」
「似てるところは、あるよ。でも違う、この話はまだ終わってない、私はそれだけじゃ我慢できない! だって私たちは対等で、ぶつからない限りもっともっと近づけるはずだから!
だから私は、手を伸ばすの。相手の光の向こう側に、掴んで! って。見えなくったって、お互いに手を掴もうってもがいてみれば、いつか掴めるって思うんだ。
もしも手を掴みたくなければ、嫌だって言っていい。嫌って言わなくても、掴まれそうになった瞬間、振り払えばいい。距離を取るのはその後でも遅くないって思うの。私はいつでもその準備をしてる」
決意を湛えた目で、僕を見据える流宮。
けれどその決意には、どこか悲壮感が紛れているように見えて。
「……その生き方は、辛くない?」
「辛いよ。でも、同じくらい楽しい」
彼女は泣きそうな顔で笑った。その表情は随分と大人びていて、それでいて儚かった。僕が彼女を見上げているはずなのに、なぜか見下ろしているような心地がした。
その姿を見ていると、僕の瞼の裏にある流宮の姿が、滲んでぼやけていくのを感じた。線が消える。色が消える。溶け出して、見えなくなっていく。そして心なしか、今目の前にいる彼女の顔が、これまでよりずっと鮮明になったような気がした。
今なら、手を伸ばせば届くだろうか。
いや、今はまだ――やめておく。
彼女は手を伸ばしているんだってことだけ、忘れないでおこう。そう思った。