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目蓋裏の憧憬

 昼休み。直前は水泳の時間だったから、食堂の冷房が身体についた水分をとばして、涼しすぎるくらいに思える。快適だ。毎回これなら水泳の時間も苦じゃないと思えるのに。

 僕は唐揚げ定食の並盛、流宮は辛口カレーの大盛を頼んで、壁側の二人席に着いた。そして他愛のない話をぐだぐだと続けて、しばらく経つ。

「――それでさ、二年の時は長距離飛空にも挑戦したんだけど! もー全然ダメだった! 私、飛行中に使うエネルギーが普通の人よりもずっと多いみたいでさー、だから短距離は強いんだけど、長距離になるとすぐバテちゃう」

「ああ、だから飛んでる時あんなに強く光るんだ」

「そゆことだね。まー私には自分がどれくらい光ってるのかよく分かんないんだけど」

 流宮は辛口かつ大盛のカレーをすいすい食べながら器用に喋り倒している。

 対する僕は、友人と一緒に食事するという経験があまりなかったため、彼女の話を聞いて相槌を打つだけで精一杯だ。話すことと食べることを同時に意識するのが難しくて、なかなか自分からは話せない。

「あ! そうそう、この話をしなきゃだった」

 そう言って彼女は、スプーンを一旦置いた。

「江原って何の競技やってたの?」

「……やっぱり、その話になるか」

「えぇ~、何その反応っ」

 昨日は承諾したものの、いざとなるとやっぱり気後れする。飛べない僕が飛空部でやっていた競技なんて、言ったところで悪い冗談にしか聞こえない。そのうえ相手は飛空のエキスパートなのだ。

「……笑わないでよ?」

「なんで! 笑うわけないじゃん」

 僕なりの冗談だと受け取ったのか、彼女はカラカラと笑い飛ばした。彼女は本当に、人間が飛空部に入っていたということに対して欠片も違和感がないらしい。

「僕は空中ハンドボール投げをやってた。といっても当然飛べないから、陸上でだけどね。ほとんどただの砲丸投げだよ」

「おー、ハンドボールね! 私もそこそこできるよ~」

 やはり呆気ない反応。僕はそれをゆっくりと嚥下し、何でもないように会話を続けた。

「力、強いもんね、流宮さん」

「意外と空中ハンドボールって力使わないよ? 陸上で言えば、砲丸投げよりハンマー投げに近いかな。ほら、ハンドボールって普通は三回転で加速をつけて投げるでしょ? だから、その回転のリズム感とかバランス感覚はハンマー投げが参考になるかな」

「なるほどね」

 彼女は元からお喋りだけど、飛空のこととなるとさらに饒舌になる。しかも分かりやすい。彼女は勉強があまりできる方じゃない……というより全然できない方だけど、こうやって流暢に説明できるところを見るに地頭はいいのかもしれない。

「今度意識してやってみるといいよ~。といっても、部活以外だと空中ハンドボールの練習は難しいか」

「いや、もうたぶん、やらないよ。飛べないし」

「どうして? 人間が飛べるようになって、飛空競技に出場できるようになったらさ、きっと活躍できるよ! だって先駆者だもん」

「その飛べるようになったら、って条件が不可能でしょ」

「そんなの分かんないじゃん! いつか科学が発達して、義手とか義足みたいに義翼を付けられるようになったら、出場できるかもしれないよっ?」

「……ロマンチストだね、流宮さんは」

「えぇー。ちゃんとゲンジツ的な話してるつもりなんだけどな~、流宮さんは」

 敵わないな、と思う。

 僕よりずっと堅実な努力家だろうに、それと同時に僕よりも強い希望や夢を忘れない。たぶん、これが「強靭なアスリート精神」ってやつなんだろう。努力もせずに半端な夢ばかり見ている僕は、彼女に何一つ勝てる所がない。

 そんな風に考えていると、また後ろ暗い気持ちが芽生えてくる。

 ここでこの空気を壊してやったらどうなるだろう、なんて意地の悪いことを考えてしまう。

「僕からも、少し聞きたいことがある」

「え、なになに? 何でもどうぞ!」


「――どうして、飛空辞めたの」


 聞いてしまった、と僕はうつむいた。彼女の顔が見られず、なんとなく目の前の唐揚げを箸でつまみ、そこで停止した。

「? 辞めてないよ?」

 しかし、またしても彼女は平然と僕の深刻な言葉を打ち消した。

「え、だって、水泳部に」

「飛空を辞めたんじゃないの。水泳を始めたの」彼女はカレーをすくう片手間に、これ以上ないくらい単純な解答をしてのける。「それって何か問題?」

「い、いや、問題っていうか。流宮さんは全国三位の実力者だろ。その道を極めよう、とか思わなかったの?」

「んー。あんまりそういうの考えてない。だっていろんなことした方が楽しいじゃん」

 一点の曇りもない笑顔でそんなことを言われると、眩暈がしてくる。

 彼女の言い分は、別に間違っていない。部活動なんて、本人が楽しいと思うことをするのが一番良いに決まっている。

 だけど、感情ではとても受け入れられたものじゃない。

「そんな……そんな呆気なくて、いいの?」

「んー? えーと、つまり、どういう意味?」

「だからさ、要するに流宮さんには……欲がないの? もっと上を目指したいって気持ちというか、向上心というか、野心というか、そういうものが」

 いや僕が言えたことじゃないけど、と付け加えて、僕は尋ねた。

「……うーん、そうねぇ」

 彼女の目が右の壁に向く。こんなふうに彼女が考え込むような姿を見るのは初めてかもしれない。

「私は、たぶん誰よりも欲張りなんだと思うなぁ。あれやりたいこれやりたい、全部我慢できないの。

 私は自由でいたい。何でもやって、何にでもなりたい。だから私は自由に空を飛んで、自由に水中を泳いで、自由に誰かと並んで歩きたいの。

 そういうのって、一番楽しいって思わない?」

 僕の目を真っ直ぐ見て笑う彼女の顔が、あの日の姿と重なる。

「どうかな。こんな感じの答えで」

「……分かった。納得したよ」

 嘘を言いつつ、僕は気づいた。

 僕はまだ、初めて見たときの彼女の姿を、目蓋の裏に大事に保存しているらしい。そして僕にとっては、あの瞬間の彼女だけが流宮嶺央奈なんだ。

だから目の前の彼女自身に、その理想像を押し付けてしまう。理想と違う姿を受け入れられない。それだけなんだ。

 面倒な奴。

「でも私は、江原も同じだと思ってたんだけどな。違った?」

「僕は……僕は、全然違うよ。わがままなだけだ。他人にあるものが自分にはないのが嫌ってだけなんだ」

 飛べないことが気に入らなくて、飛空部に入った。泳げないことが悔しくて、水泳部に入った。僕の原動力は、いつだってそういう稚拙で醜い気持ちだ。だから僕は何事も為せない。

「いいじゃん、それで!」

 ところが彼女は身を乗り出してまで、それを肯定した。

「私はね、人間のそういうところに憧れてるんだよ」

「人間に、憧れてる? 流宮さんが?」

 裏返りそうな声で尋ねる。

「そう。空を飛びたいから飛行機を作った。水の中でも息がしたいから潜水艦を作った。人間は誰よりもワガママだった。だから強い身体がなくても、この時代まで生き残れたんでしょ?」

「それは……」

 遥か昔は数十、数百の人種があったと考えられている。それが今では十数種類にまで減っているのは、これまで幾度となく種の存続を懸けた戦争があったから。

 これという要因が判明しているわけではない。だけど少なくとも人間には、その戦争に打ち勝ち生存している確かな事実がある。

「大丈夫だよ、江原。人間は君が思ってるほど弱くない。人間じゃない私だから、断言できるんだよ」

 ――でも、たぶん僕は君が思ってるほど強くない。

「……どうだかね」

「え~っ、これでもまだ納得してくれないの?」

 苦し紛れの呟きに、流宮は苦笑いで答える。

 そうだ。納得なんてできない。君に、僕にはない翼がある限り。

 だからどうか、あまり僕に近づきすぎないでほしい。僕を照らさないでほしい。僕に影を作らないでほしい。僕を焼き尽くさないでほしい。

 その激しい感情をなんとか飲み下し、僕は急いで食べ進めた。

 彼女は既にカレーを食べ終えていたから。



                 ☆ ☆ ☆



 正午少し前の三限。現代文の時間。

 担当教員は千恵先生だ。この教室は魚種用の水路がないから、彼女は車椅子に乗って授業を行っている。キィ、キィ、と車椅子の軋む音が、やや眠気を誘う。

 ところが今は、雲一つない快晴が、窓際の席の僕に突き刺さっていたので、眠れそうにもなかった。このままだと、左側の腕だけ変に日焼けしてしまいそうだけど、カーテン閉めていいですか、と授業を遮ってまで聞くのも億劫だ。かといって、黙って閉めるのもそれはそれでばつが悪い。

 最終的に僕は、左腕を机の下にしまいこんだ。右腕で教科書を開きながら、ペンも握らずに授業を流し聞きする。

 文章を読むのは好きだけど、現代文の時間は好きではない。特に、順繰りに現代文の教科書を朗読していくだけの時間は、この世でも有数の虚無だと思う。あと、文章のあちこちに印をつけたりするのも個人的に嫌だ。

 僕は自分の番が来るタイミングだけ意識しながら、頬杖をついて窓の傍の木にくっついてる蝉を見ていた。

 ふと教室側を見ると、流宮も僕と同じく頬杖をついて外を見ている。彼女はすぐこちらの視線に気づくと、笑顔で小さく手を振ってきた。それを見ると僕はなんだかすごく恥ずかしくなって、目を逸らしてしまった。

「はい次。……次。次、流宮さ~ん?」

「だひゃぁっ!」

なんて声出してるんだ、あいつ。

「え~~~~~っと」

目を泳がせる流宮に、隣の席の子がこそっと該当箇所を指し示す。それを見た彼女は慌ててページをめくりだした。完全に授業を聞いてなかったようだ。

「あっ、はいはい! その時私はしきりに――」

 蝉がもう一匹飛んできて、さっきの蝉と一緒に鳴き出す。その騒がしい鳴き声が邪魔をして、流宮の声が少し遠くに聞こえた。

「だ~れが丸読みしろって言った? 段落読みです。ちゃんと話聞いてなさい」

「あぃ……しゅいません……」

教室に静かな笑いが沸く。僕も合わせるように少しだけ口角を上げた。



 無気力。


 それでも夏は盛りを迎える。

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