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彼女の名は流宮嶺央奈

 初夏の日差しが外側の窓から入り込む。

 まとわりつく塩素の残り香が、溶け出して僕の肌に染みこんでいく。それに他の生徒達の騒ぎ声が制服の隙間に籠って蒸し暑い。じっとりとした汗が腕を伝って机に落ちる。

 二限の体育は、水泳だった。しかしプールに入ったところで、クーラーのない教室に戻って一時間も授業を受けたらこんなものだ。残るのは上昇しきった不快指数だけ。

 早く帰りたい。たとえばこの昼休み、昼食を口実に学校を抜け出して、そのまま帰宅してちゃんと冷房の効いている部屋で小説でも読みながら、四限の開始時刻を忘れてしまいたい。

 憂鬱なのは、授業だけではない。放課後の部活動もだ。

 あいつに絡まれたくないから。



「おっ! 水泳部期待の新人! 江原君じゃん!」

 鋭く澄んだ声が飛んできて、僕はギクリと身体を強張らせた。

 そちらを振り向くと、やはり彼女だ。


 大柄な身体、それに見合う一際大きな深緋色の角と翼と尻尾。心を薪材にして燃やしたかのようにギラついた赤橙色の瞳。それらの鮮やかな警告色を際立たせる、艶やかなセミロングの黒髪。

 体躯の大きさだけなら馬種(ケンタウロス)蛇種(ラミア)に一歩譲るが、それでも彼女たちほど目立つ種族はいないだろう。

 龍種(ドラゴニュート)

 彼女の名は、流宮(りゅうぐう)嶺央奈(れおな)

「これから学食~?」

 彼女は廊下のロッカーに教材を手早く詰め込むと、僕の胸中など知らずにこちらへ駆け寄ってきた。そのまま並んで歩く形になる。勘弁してほしい、と内心思う。

「あのさ。その期待の新人って言い方、嫌味?」

「そんなわけないじゃん。私たちなら誰よりも成長できる! ……っていう可能性があるかもって意味! そして私も期待の新人!」

「はあ」

 僕は生返事をして、歩みを速めた。

「あっ待って待ってよ!」

 しかし流宮が小走りで僕の前に立ち塞がり、やむをえず立ち止まる。

「ね、学食一緒に行かない?」

「行かない」

「ひえぇ迷いがない」

「だって僕、たぶん流宮さんと話合わないし」

「そんなんっ、まだまともに話して一回目なのに!」

「大体分かったよ、その一回目で」

「ねぇお願い~同じ水泳部カナヅチ課同士仲良くしようよ~」

「そんな課はない」

 そう。

 非常に情けない話ではあるが事実だ。僕は、いや僕らは水泳部のくせに泳げない。といっても、まだ水泳部としての活動をしたことはないが。入学してすぐ水泳部に入ったはいいが、今まではシーズンオフで、基礎的な運動しかしてこなかったのだ。

 そしてプール開きをした今日の三限、僕は初めて自分の壊滅的な水泳センスを知ったのだった。

 だって、しょうがないじゃないか。僕は小学校にも中学校にもプールがなくて、今まで水泳の授業がなかったんだから。教えてくれるような友達もいなかった。

 僕のクラスの金槌は、僕と流宮だけ。どちらも水泳部なのに泳げないってことで、こっぴどく恥をかいた。そして無慈悲にも金槌組は自習という名目で隔離されたから、ずっと流宮と二人で練習していた。

 いや、流宮はずっと僕に絡んでいるだけだった気がする。どうにも妙な仲間意識を抱かれてしまったらしい。でも、僕はそういう馴れ馴れしい人は苦手だ。

 特に、仲良くもない人を食事に誘うような奴は。

「ねー、なんでそんなにツンケンしてるの?」

「流宮さんが近づきすぎなんだよ。誰にだって、ちょうどいい距離ってものがあるわけで」

「む、そっか、分かった」

 理解したような顔をして、彼女は僕から数十センチほど離れた。

「……全然分かってないじゃん」

「えぇ~? どうしたらいいのさ」

「距離感の話だよ、距離感。まだそんな仲良くもないのに一緒に食事なんてしたくないって話」

「もっと仲良くなりたいから一緒にお昼したいのになぁ」

 流宮は尻尾をへにょんと垂らした。気落ちしているようだけど、仕方がない。彼女と相性がよくないことは最初から分かりきっている。きっと彼女だって、いざ僕と食事したらすぐに会話が途切れて困るに決まっている。

「とにかく、悪いけど僕は流宮さんと食事する気ないから」

「へぇ~い……じゃ、また部活でね」

 流宮はまだ納得できていないといった様子ではあるが、ようやく退散してくれた。それを確認してから、僕は大きなため息をつく。

 そうだ。どのみち僕は、また部活で彼女に会うことになる。



              ☆ ☆ ☆



「…………」

 僕はプールサイドに腰掛けて、ひたすら足で水面をバチャバチャと叩いている。部員が各々の泳法で五〇メートルを往復している中、隅っこでこんなことをしているとまるで遊んでいるかのように見えるだろうが、僕はいたって大真面目だ。

 これは「腰掛けキック」という、二足歩行種における水泳の最も基礎的な練習方法。まだ泳げない初心者が、水中での足の使い方を覚えるための練習だ。

「こりゃ~楽だぁ~」

 もっとも、隣でぴちゃぴちゃしているだけの流宮は、本当に遊んでいるつもりなのかもしれない。

「先月までは基礎練ばっかで退屈! って思ってたけど、こうやって暑い日にプール入ると水泳部入ってよかったぁ~ってなるよねぇ。水気持ちいい~」

「その暑い日にわざわざ外に出て運動してるって点では変わらないけどね……まあ陸上部や飛空部に比べればマシか」

「ですな~」

 僕は空を見上げた。そこにはやはり、忙しなく空を飛ぶ、飛空部選手たちの姿がある。

 ものすごいスピードで空を駆ける「五〇〇メートル飛空」の選手。

 空に浮かぶ輪を軽やかにくぐりながらゴールを目指す「フープスルーリング」の選手。

 翼を羽ばたかせ、真っ直ぐに空を昇る「ライジング」の選手。

 どの種目の選手も中学の時とは熟練度が一段違う。龍種も鳥種(ハルピュイア)も動きに無駄がない。

 特に、やっぱり龍種の飛空は華やかだ。龍種は高速で飛ぶと、体内に溜まるエネルギーを逃がすために鱗の部分が発光するのだ。その光景は、流星をもじって龍星と呼ばれているくらいで、とても美しい。

「ひゃ~、やってるやってる」

 そう言う流宮は、グラウンドの陸上部を見ていた。プールのフェンスでいまいち見えないけど、ここからだと馬種の二〇〇メートル走が見える。グラウンドを駆ける蹄のけたたましい音が心地よい。

 と、何気なくグラウンドを見ていたのだが、ふと視界の手前側に映る流宮の姿に目が留まった。彼女はすっかり陸上部に気を取られていて、僕のことなど視界に入っていない様子だ。

 ……改めて彼女を見てみると、綺麗な身体をしていると思う。僕より十五センチは背が高いのに顔は小ぶりで、モデルみたいな体型だ。それに運動部らしく全身の筋肉が引き締まっていて、健康的でしなやかなボディラインを作っている。

 それをより強調しているのが、背丈に見合った豊満な胸。水着にぴちりと張りついてプールの水滴を弾いて光る彼女の胸は、さながらグラビア写真のように僕の目に映る。

 その上、龍種は翼と尻尾があるから、水着は大きく背中が開いたデザインになっていて、いろんな種族の中でも特に露出度が高い。スクール水着のくせに、これじゃほとんどビキニだ。

 顔が火照り、頭がぼうっとしてしまう。脳が目の知覚以外の仕事を全く放棄してしまって、何も考えられない。ひょっとすると熱中症なのかもしれない、と思うくらい。

「あ、そういえば――」

「っ! な、なに?」

 ところが急に流宮がこちらを振り向いた瞬間、僕は我に返った。動揺はできる限り隠したつもりだけど、相手を邪険にしておきながらこの有様は、ちょっと情けなさすぎる。

「江原君って中学の頃何部だったの? 水泳はやってなかったんでしょ?」



「……あー」

「え、なに今の間。中学時代の部活聞いただけだよっ?」

 実を言うとそれは、僕の黒歴史に抵触する質問なのだ。こんな口の軽そうな奴に教えるわけにはいかない。そうでなくても、わざわざ流宮に僕の恥部を晒すような義理なんてない。

「それ、部活中にしなきゃいけない質問?」

「わぁ露骨にはぐらかされた」

「真面目にやりなよ真面目に。足止まってるよ」

「だってこれ退屈なんだもん」

 さっきまで楽だとか気持ちいいとか言ってたくせに。

 ……とはいえ、気持ちは分かる。まだ泳げないんだから仕方ないけど、ただ単調に足を動かしているだけというのは、ちょっと虚しい。

「下に合わせろとは言わないけど、先生も少しくらいこっちを教えてくれてもいいよなぁ」

 顧問の千恵先生は、泳げる生徒の指導で忙しそうにしていた。さすが魚の下半身をもつ魚種(マーフォーク)の彼女は、ここが自分の主戦場だと言わんばかりに輝いている。

 対する金槌組は「これ読んで自習!」とトレーニング本を渡されたっきり、何のリアクションもない。酷い格差だ。

「ま、千恵ちゃん魚種だしね。さすがにカナヅチの異種二人なんて手に負えないでしょ」

「それは分かるけどさ」

「こういうとき、身体違うのって不便じゃ~って思うよね」

 流宮は尻尾をぐねらせておどけた。

 その尻尾が僕の横腹に軽く当たり、ずしりと重たい感触が身体の奥に響く。思い切り当たれば、僕の身体なんて紙袋みたく簡単にひしゃげてしまいそうだ。

「……僕は割と常に思ってるけどね」

「なんで?」

「なんでって、人間(ヒューマン)はそういう人多いと思うけど。他の種に比べて、秀でた能力ないしさ」

「いやいやいや、あいきゅー! 人間は知能が高い! でしょ?」

「教科書にはそう書いてあるよ。でも、それって本当なのかな」

 言っている内に、僕まで足の動きが止まる。周りはまだ忙しなく泳いでいて様々な水音を奏でているのに、やけに静かになったように感じる。

「脳科学とか詳しくないけど、なんとなく、それって帳尻合わせなんじゃないかって。人間だけ何もありません、じゃ後味悪いから」

「えぇ~、なんかそれはヒネてない?」

「そうかもね」

「……うー」

 僕ももう高校生だ。こんなの、ちゃちな陰謀論みたいなものだって自分でも思う。

 だけど、そう思わずにはいられない。だって人間には本当に何もない。他種族と比べると、飛べもしないし、そのうえ泳ぐのも走るのも下手だ。人間は分かりやすく弱い。

 知能が高いって言ったって、そんなものは目に見えないし、どうとでも言える。知能テストを作ったのだって人間なのだ。それで「人間は知能が高いです」って、納得いかない。だいたい、確かに進学率とか研究職の割合こそ人間がかなり高いけど、それでも僕たちは一緒に授業を受けて、同じテストを受けているじゃないか。それでまともに成り立ってる社会で人間が誇っている「知能」なんて、身体の違いに比べれば誤差レベルだ。

 きっと僕らは神様が間違えて作ってしまったデザイン――あるいは、人類を作る際の参考として作ってみたデッサン人形のようなものだったのだとさえ、思ってしまう。それを間違えて地上に落としてしまったのだ。だけど神様が間違いを犯したなんて認めたくない人達が、「知能」なんて概念を作ったんじゃないか、と。

 悲観的な思想に浸っていると、隣で流宮が切ない顔をしていることに気づいた。

「あー……ごめん。こんなこと流宮さんに話しても仕方ないよね」

「ん、別にそれはいいんだけどさ……どうしてそんなネガティブなんだろ? って」

「そういう性格だから、ってだけだよ。昼も言ったけど、僕と流宮さんは話が合わないと思うんだ。話題って意味じゃなくて、話し方とか考え方が。だから……」

 その先に継ぐ言葉を想像したら心臓の鼓動が変にぶれてしまい、一度言葉を切る。素肌を外に晒していると、まるで心臓まで丸裸になっているみたいに気まずくて、僕は心臓に手を当てた。

 言うぞ。言ってやる。

「だからさ。あんまり仲良くしない方がお互いのため、だと思うよ」

「……そうかなぁ」流宮は尻尾の先を指でいじりながら言った。「私はあんまりそうやって難しいふうに考えないから、分かんないよ」

 さすがの彼女も、ここまで言われると少し元気がなさげだ。……ちょっと突き放しすぎただろうか? でもこれくらい言わなきゃ、彼女ほど我の強い人はたぶん諦めてくれない。

 いやしかし、まさか泣いてやしないだろうな、と少し心配になって彼女の顔を伺おうとすると、急に彼女はこちらを向いた。ばっちりと目が合って、たじろぐ。

「でもね。私はやっぱり、江原君と仲良くしたいなって、思う。結果的に仲良くなれなかったとしてもさ」

 呆れた。彼女はこれだけハッキリと言っても、まだ諦めないつもりらしい。

「どうしてそう思うの」

「大事なのは、仲良くなれたとかなれなかったとかじゃなくて、仲良くしようとするって過程じゃない? お互いのこと何にも分かんないまま離れていくより、ちょっとくらいぶつかって、その反動で離れるくらいが、私はいいと思う」

「分からないな。衝突事故を起こしてお互い傷を負う方が辛いと僕は思うけど。そうまでして君が人と仲良くなりたい理由って何?」

「人はみんな、星だから」

 ぽつりと、彼女は呟いた。けれど彼女が、あの流宮が唐突にそんな詩的なことを言ったものだから、僕は少しの間思考が停止してしまった。

「……それって、どういう」

 そして僕がようやく口にした言葉が届くより先に、流宮は立ち上がり、プールサイドを走っていってしまった。

「千恵ちゃんに次何やればいいか聞いてくる!」

 そう言ってこちらを向いた彼女の顔は、もういつもの明るい顔だった。


 ……そのすぐ後、「プールサイドを走るな」と千恵先生に怒られて、またしょげていたけど。



             ☆ ☆ ☆



「ヤダぁーーーッ! 千恵ちゃんのオニ! アクマ!」

「アンタが『新しい練習したい!』って言うからやらせてあげようとしてんでしょー」

「ちがーーう! こういうのじゃなーーーーーい‼」

 ある日の水泳部。

 流宮は「金槌を治すスペシャルメニュー」のため千恵先生に羽交い絞めで連行され、巨躯種族用の五メートルプールの真ん中で泣き叫んでいた。


 そもそも流宮は、運動神経自体は抜群に良い。先月の体力テストだって、確か女子トップクラスだったはずだ。それなのに、なぜ金槌なのか。

 それは単純な話――彼女は水が怖いからだ。だからまず全身をプールに浸けられないし、水に慣れるまで新しい練習も何もできるわけがない。

 だというのに、「水に入らなくてもできる水泳の練習何かないの~?」としつこく千恵先生に聞いていた結果があのザマだ。「もう普通のプールが怖いなんて言えない身体にしてあげる」と言われ、さっきから五メートルプールで浮き沈みを繰り返している。

「死んじゃう! 死んじゃうぅぅ‼」

「私が抱きかかえてる限り死なないから安心なさいな」

「嘘だもん! 人はいつか死ぬもん‼」

「落ち着け」

 それにしてもあの嫌がりよう、水への恐怖を克服するには逆効果だったんじゃないだろうか……。

「もういいです! 私は空に帰ります! 空こそが龍種の居場所!」

「水上での『羽ばたき』はルール違反です。ほらもう一回沈むよ、息吸って~」

「やぁーーーだぁーーーーゅッ――」

 また二人が水中に沈む。

 ……あれは水が怖くなくたって怖いだろ。


「よっす」

「ぉわっ!」

 二人が浮かんでいた場所の波紋を見つめていると、後ろから両肩を掴まれた。しっとりとした感触がいきなり素肌に絡みついて、かなり驚いてしまう。

 振り向いてみると、やはり南乗(なんじょう)だった。僕と同じ一年で、狼種(ルーガルー)の男だ。

 普段は全身もふもふしていて触り心地がいいのだけど、今は水で濡れていて湿っている。姿も普段と比べて一回り細く、まるで別人みたいだ。

「どうよ、哲司(けいし)。少しは泳げるようになった?」

 哲司というのは僕の名前だ。

「……バタ足してるのに、なぜか身体が沈んでいく」

「うーん。身体しっかり伸ばしてるか? 指先からつま先まで」

「伸ばさないといけないのは分かってるんだけどさ。バタ足で足に集中してると、つい腕の力が緩んじゃうんだよね……」

「けのびの練習から始めたらどうだ?」

「あっ、けのびか……そういえばそんな練習法もあったな、忘れてた。ありがと」

「あと、お前『腕の力が緩んじゃう』って言ってたけど、もしかして全身に力入れて泳いでる?」

「え? あー、言われてみれば力入れてる、かも」

「水泳で一番重要なのは脱力することだぞ。じゃなきゃ身体が固まって沈む」

「なるほど。ありがとう、気をつけてみる」

 さすが小学校から水泳を続けていると言うだけあって、適切なアドバイスをくれる。きっと他に比べて人間と体格が似ているのもあるんだろう。


「っぷひゃぁぁーーー‼ はぁっ、はぁっ、も、もういいでしょっ? 今日もう帰っていいよねっ?」

「はい息整えたらもう一回ね」

「千恵ちゃん大キライ!」

 ……ああならなくてよかったなぁ。


「あー、お前さ」

 南乗が鼻頭を掻きながら呟いた。

「流宮さんと何かあったの?」

 僕は言葉に詰まった。

 何かあった、と言えるほど何かあったわけではない。

 だけど何もない、と言えるほど無関係ではない。

「お前、やけに流宮さんに冷たいからさ。なんか嫌なことでもされたのかなって」

「…………」

 嫌なことを、されたわけではない。されたわけでは。

「もしそうだったんなら仕方ないけどさ。なんとなく気に入らない、みたいな理由なら、もう少し歩み寄ろうぜ。同じ水泳部なんだから」

「いや、そういうわけでも、ないんだけど……いや、そうなのかな」

「どういう意味だ?」

「……あー」

 これもまた僕の黒歴史が関わってくる。

 気乗りはしないけど、南乗には言っておくべきか。せっかく部の雰囲気を気遣ってくれているのだし。

「僕さ、中学の頃、飛空部だったんだ」

「…………え? マジ?」

 案の定、訝しげな目で見られる。これがあるから人前では言いたくないんだ。

『空を飛べない人間が、飛空部?』

 そう思うのは、当然のことだ。

「おう……そうだったんだな、うん。それで?」

「流宮さんって、この地域の飛空部の間ではすごい有名人なんだよ。去年、中学の全国大会で、フープスルーリングの三位を取ったんだ」

「え、全国三位! そんなすごい人だったんだ、流宮さんって。でも、だったらなんで水泳部に」

「そう、そこだよ」

 少し語気が荒くなったのを自覚して、軽く咳払いをする。

「あれだけの成績を残しておいて、高校になったらあっさり未経験の水泳部に入るって。その執着の無さというか、欲望の薄さ、みたいな……僕は、それが気に入らないんだよ」

 去年、僕は他の部員の応援で飛空の全国大会に行ったのだ。

 そこで、彼女の姿を見た。

 ――輪から輪へ迷いなく空を駆ける赤色(せきしょく)。太陽のように強く美しい彼女の龍星。

 他の誰よりも輝く光の隙間に、わずか見えた彼女の顔は、真っ直ぐ前を見据えて不敵に笑っていた。

 その光景に、僕は色と熱を奪われた。あまりにも強い憧憬に五感を焼き尽くされてしまったんだ。それほどの衝撃だった。

 それなのに。

 今の彼女は、情けなく泣き叫んで水に溺れている。

 失望と軽蔑とか、そんな偉そうな言葉を使える立場じゃない。だけど、やっぱり気に入らない。ただただ気に入らないだけ。


「いまいちお前の気持ちは汲み取ってやれないけど……やっぱり、もう少しだけ頑張ってみないか?」

 南乗の考えは変わらない。あまり期待はしてなかったけど、それでも全く共感を得られないというのは、少し寂しい気分だ。 

「話してるうちに印象も変わってくるかもしれないし、それに、順当に行けば後三年間付き合う仲だぞ? ずっと気まずいままなのはしんどいだろ」

「……それは分かってるよ」

「ほら、この前学食誘われてたろ? せめて一回くらい付き合ってあげたらどうよ。そしたら案外するっと仲良くなれるかもしれないし」

 南乗の意見も一理ある。というより、南乗の方がたぶん正しい。それは僕も認める。気遣ってくれている彼の顔を立てるためにも、やっぱり一回くらいは付き合ってやるべきなんだとも、思う。

 ただ、それでもやはり気が進まないものは進まない。

「……考えとくよ」

 僕は結局、曖昧な返事で茶を濁すことしかできなかった。


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