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メイクを終え着替えたタイミングで、扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ?」
「失礼致します」
昨日案内してくれた使用人さんが、朝食の支度が整ったことを知らせに来てくれた。
「ありがとうございます」
笑顔でお礼をいえば、使用人さんもニッコリ笑顔を返してくれる。
彼女に続いて食堂へ向かうために部屋を出た。
なんといってもお城的な建物だし、一人で行こうとしたら絶対に迷子になるだろう自信がある。
一日でどこに何があるかなんて、把握出来るわけがない。
廊下も広く、所々に甲冑やらお高そうな壷やらが置かれており、うっかりそれらを壊したり傷付けたりしないよう、廊下のど真ん中を歩いている。
ふと一休さんの『このはし渡るべからず』が思い出されて、一人苦笑を浮かべた。
食堂には既にセレンティーヌとサイラスが席に着いていた。
セイロン公爵は既に朝食を食べ終えて王宮に向かったようだ。
「おはようございます。お待たせしてすみません」
「おはようございます。お気になさらず」
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「ありがとう。お陰様で、頭を枕につけた瞬間からグッスリ!」
笑顔の麻里にセレンティーヌは嬉しそうに笑みを浮かべ、サイラスは「そうかそうか」と満足そうにウンウンと頷く。
皆が席に着いたことで、使用人が朝食をテーブルに運び始めた。
チーズと野菜がたっぷり入ったオムレツに、カリカリのベーコンにソーセージと少し固めのパン。
旅館の朝食のような朝ごはんが定番だった麻里には少しばかりコッテリに感じるが、贅沢は言っていられない。
きちんとした食事を頂けるだけでありがたいのだから。
とはいえ、やはり朝から慣れないコッテリ朝食は、出された全てを食べきることが出来なかった。
「昨日も思ったが、マリ殿は随分と少食なんだな」
「そうですか? 自分では普通程度くらいだと思ってますが、せっかくの料理を残してしまって、すみません。あと、マリ殿って呼ばれるのは何だかむず痒いので、マリと呼んでください」
「あ、あの……」
「ん? 何? どうしたの?」
セレンティーヌが何やら言いにくそうにモジモジしている。
とりあえず焦らず彼女が話し出すまで待ってみた。
「マリ様のおられた世界では、家族や婚約者以外の異性にも、お名前を呼ばせることが許されておりましたの?」
セレンティーヌは意を決したように、けれども自信なさげに小さな声で聞いてくる。
「う〜ん、目上の人とかは『さん』付けだったけど、家族以外でも普通に名前呼びしてたわよ? ……ここでは不味かったかしら?」
「ええ。同性でしたら公の場以外では名前で呼び合うことはありますが、身内以外の異性に対しての名前呼びは『はしたないこと』とされてしまいますので……」
こういう『ダメなこと』を人に教えるのって、本当に勇気がいることだと思う。
それでも麻里の今後のことを考えて、きちんと教えてくれたセレンティーヌはやっぱり良い子だと麻里は思った。
「そうなんだ。教えてくれて、ありがとう!」
満面の笑みでそう返せば、セレンティーヌはホッとしたように笑顔を見せた。
「けど、そしたら彼のことは何て呼んだらいいのかしら?」
「『サイラスさま』で良いと思います。あまり親しくない令嬢や子息の方をお呼びになる場合は『○○伯爵令嬢』というように家名と爵位を付けます」
「へぇ〜、ありがとう。何か私がいたところとここでは常識が異なることが多そうだし、その辺を色々教えてもらえたら助かるんだけど」
「それなら、マリ殿にはマナーと歴史の先生をつけてもらえるように、父に頼んでみるとしよう」
「わ、助かります!」
「他にも何か必要なものがあれば、遠慮せずに言ってくれ」
「ありがとうございます。それなら、必要なものというか確認したいことがあるんですけど」
「何かな?」
「えと、言葉はちゃんと通じますし、こちらの文字も読むことは出来るんですけど、私が書いた文字がこちらの世界の方に読めるのかどうかを確かめたいんです」
「どういうことかな? 読めるのなら書くことは可能ではないのかい?」
「いや、う〜ん、何て説明したらいいかな……」
麻里がどう説明するべきかとブツブツ呟く姿を、サイラスとセレンティーヌの二人は小首を傾げて不思議そうに見ている。
「どういう原理かは分からないのだけど、こちらの文字が私が使っていた文字に勝手に変換されて読めるようになっているのよね」
麻里の説明に、二人は意味が分からないとばかりに困ったように眉尻が下がっていく。
容姿は全く似ていないけれど、こういったところはそっくりである。
「う〜んとね、まず本を開くとこちらの世界の文字が書かれているんだけど、それがグニャッて歪んだかと思ったら次の瞬間には向こうの世界の文字に変わってたのよ。部屋にある本何冊かで試してみたけど、全部そんな感じで読めるようになってたの」
「それは何とも不思議なことではあるな。つまりマリ殿が先ほど言っていたのは、マリ殿が使用していた文字を書いた時に、それが同じようにこちらの文字に変わるかどうかを確かめたい、ということでいいのかな?」
サイラスの言葉に麻里は満面の笑みを浮かべて何度も頷いた。
「そうそう、それを言いたかったの!」