2
両手で挟むようにペシッと頬を叩き、気合いを入れる。
「よし! 明日から頑張るぞ!」
拳を握りながらザバッと可愛い猫脚のバスタブから出ると、体を拭いてデカTを着る。
3LのTシャツは、ダボダボの膝丈ワンピースのようで、とても楽チンだ。
気に入っているので、洗い替えで同じものを三枚持っている。
ソファーへと腰を下ろし、髪を丁寧にタオルで挟みポンポン叩いて水分をとる。
ドライヤーがないのが辛いところではあるけれど、こればかりは仕方がないと諦めた。
水滴が垂れない程度に髪を乾かし、ソファーから立派な鏡台へと移動する。
鏡の縁には美しく繊細な彫刻が施されており、それだけでもかなりお高いことが窺える。
そしてその鏡には、のっぺり平凡顔の女性が映し出されていた。
……メイクを落とした麻里である。
「我ながら、ホント詐欺級のメイクよね」
小さく笑いながら旅行用バッグの中から化粧水とワセリン、メイク用品にヘアブラシなどを取り出して鏡台の上に並べていく。
化粧水をたっぷり肌に入れこみ、米粒一粒大のワセリンを掌の熱で伸ばしたもので蓋をし、それが終われば再び髪を乾かし始める。
生乾きで寝てしまうと、朝起きた時にものすごいことになってしまうのだから、仕方がない。
この世界には魔法はあれど、電気はないのだ。
麻里がもっているヘアアイロンなどは全て使えない。
となれば、だ。
タオルドライ一択となってしまう。
残念ながら、旅行バッグの中に入ったままのドライヤーとヘアアイロンとホットカーラーは、こちらの世界では日の目を見ることはなさそうだ。
ちなみに照明のスイッチやシャワーなどのコックには魔石なるものが埋め込まれており、定期的に魔力を込めることによって魔力のない者にも使えるようになっているらしい。
何にしても魔力のない自分にも不自由なく使えるというのは、とてもありがたいことだ。
用事は終わったとばかりに椅子から立ち上がり、喉が乾いたことに気付いてベッド脇のテーブルの上に置かれた果実水をコップへと注ぎ、ゴクゴクと一気に体内へ流し込む。
目の前のベッドにダイブしてサッサと寝てしまいたいところではあるが、まだ髪が乾いていないため、仕方なくソファーへ腰を下ろした。
「もう少し髪が長ければ、結んだり編み込んだりして寝癖を誤魔化せるんだけどなぁ。……髪、伸ばすか」
溜息をついて、豪華な広い部屋を見渡す。
本当であれば、今頃はホテルのジュニアスイートに泊まっているはずだった。
とはいえ、絶対にホテルのジュニアスイートよりもこの部屋の方がグレードは高いだろう。
「あまりにも豪華すぎて落ち着かないって、根っからの庶民なんだなぁ、私」
苦笑を浮かべつつ、何ともなしに部屋をぐるっと見渡してみる。
そして、麻里の腰の高さほどの本棚で目が止まった。
(そういえば普通に喋っていたけど、この世界の文字ってどうなんだろう?)
ソファーから立ち上がり、本棚に向かって足を進める。
ギッシリと詰まった本の背表紙に書かれた文字は、正直古代エジプトのヒエログリフのようで『うわ、読めない!』と思ったのも束の間。
一瞬そのヒエログリフ擬きがグニャリと歪んだかと思うと、次の瞬間には普通の日本語に変わっていた。
「……え? 何それ」
慌てて適当な一冊を手に取り開いてみれば、ウニョウニョと並んでいたヒエログリフ擬きが一瞬で日本語へと変わっていく。
「え〜っと、読めるようになって良かったね! てことでいいのか? これ」
何だか意味が分からないが、とりあえず本を元の場所に戻して無言でソファーに座る。
普通に話すことは出来るし、文字を読むことも出来るらしい。
だが、自分が書いた文字はどうなのだろうか?
この世界の人に読める文字に変換されるのか、されないのか。
それによって、今後やらなければならないことが増えることになるのだが……。
それは明日、セレンティーヌかサイラスに確認してもらうことにしよう、うん。
色々と考えているうちに髪も乾いたようなので、あの豪華な天蓋付きのベッドに移動する。
出来るだけシーツにシワが寄らないよう、ゆっくりと横になる。
どうせ、朝起きた時にはある程度シーツがよれていたりするだろうが、意識がない時ならばいちいち気にすることはないから良いのだ。
肉体的には大して疲れてはいなくても、精神的にはかなり疲弊していたのだろう。
枕に頭をつけるとあっという間に眠ってしまったのだった。
◇◇◇
翌朝。麻里は鳥の囀りで目を覚ました。
そんなことは今まで生きてきた中で、一度もなかったと思う。
「なんか、とんでもなく爽やかな目覚めって感じ?」
苦笑しつつベッドから出ると、鏡台に置いてあった化粧水とワセリンを持って洗面所に向かう。
洗顔フォームをネットを使って泡立て、泡を手に取り包み込むようにして顔を洗っていく。
しっかりと洗い流し、ふかふかのタオルで顔を拭くと、いつものように無意識に「ふぅ」と息を吐いていた。
鏡に映るのっぺり平凡顔は、何だかんだでしっかりと睡眠がとれたお陰か、クマは出来ていなかった。
落ち着かないと思っていたはずの立派なベッドは流石というか、ものすごく寝心地が良かった。
これからはあのベッドで寝起きをするのかと思うと、不思議な気持ちになる。
この世界に来る前、麻里は暇つぶしに携帯小説などを読むこともあった。
頻繁にではなかったが、中でもファンタジーものは気楽に読めるため、『異世界転移』や『異世界転生』などの話はそれなりに面白く読ませてもらっていた。
まさか、自分がその立場になるとは思ってもみなかったけれど。




