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「は?」
先ほどまで自分の勝利をつゆほども疑っていなかった男は、賭けに負けたら土下座しなければならないことをすっかり忘れていたのだろう。
「は? じゃなくて。あなたが負けたら土下座する約束だったでしょう?」
言われて思い出したらしい男は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込み、その後ろで令嬢達が何やらキーキー喚いている。
「エドモント様がそのような事をされる必要はありませんわ!」
「そうですわ!」
現実を直視出来ないお花畑な令嬢達に麻里が呆れて小さく息を吐くのと同時に、男が悔しげに顔を歪ませながら言った。
「いや、約束は約束だ。だが、私にも侯爵家としての矜恃がある。出来ればこれだけの人目のある場所ではなく、場所を移してほしい」
ちゃんと約束を守るつもりらしいエドモントに、麻里は心の中で『ほほう』と感心する。
やはり根は悪い奴ではないのだろう。諌めるのではなく、ただただ煽りまくる『友人』は別として。
「セレンはどうしたい? 私としてはキチンと約束を守ってもらえるなら、さっきからガン見してるあの二人も連れて、個室でもいいかな? って思うけど」
麻里が苦笑しつつ、少し離れた所から黒い笑みを浮かべてこちらを凝視している公爵とサイラスを見やる。
先ほど令嬢達が喚いている時、何やら殺気を感じて二人がいることに気付いたのだが、いつから見ていたのか。
麻里の視線で公爵とサイラスがいることに気付いたセレンティーヌは、笑顔の裏に激しい怒りを隠す二人を見て、自分のために怒ってくれていることに嬉しい気持ちが湧くのと同時に、これまで散々心配掛けていたことに申し訳なく思っていた。
そしてエドモントも麻里の視線の先を辿るように振り返り、公爵とサイラスの存在に気付いて顔色を青くし、
「わ、私……。私も個室で、いいと思います」
というセレンティーヌの言葉に安堵の息を吐きながらも複雑な表情を浮かべる。
望み通り侯爵家としての矜恃を保つことには成功したが、その後を考えると恐ろしくて仕方がないといった心境なのだろう。
自業自得とはいえ、セレンティーヌを変えるきっかけ作りをしてくれた相手として少しだけ気の毒に思いながらも、『それはそれ、これはこれ』である。
しっかりとセレンティーヌに謝罪して、公爵とサイラスからガツンと怒られるといい。
完全に許されることはないだろうが、過ちを認め真摯に謝罪出来る者として少しでも悪印象を払拭出来れば、セレンティーヌとの未来を夢見るチャンスが巡ってくるかもしれない。
――まあ、爪の先ほどもないとっても小さなチャンスだと思うけれどね。
「私達が個室に入る前に、セレンに対するこれまでの失礼の数々を謝罪をしておいた方がいいと思うわよ」
未だ公爵とサイラスの存在に気付いていない令嬢達に、一応忠告をしておく。
少しでも反省する気があるのならと思っての言葉だったのだが……。
この時麻里の言う通り素直に謝罪をしていたならば、彼女達も若さゆえの過ちとして少しの間社交界で『やらかしちゃった令嬢』と噂される程度で済んだものを。
誰一人として謝罪することがなかったため反省なしとして後日公爵家から正式に抗議文が届けられ、彼女達の家は公爵の機嫌を害したくない貴族達から距離を置かれるようになり、婚約者のいた者は破棄されることになる。
当然新たな婚約を結ぶ相手が見つかるはずもなく、全員修道院入りは免れぬだろう。
虐めの代償はずいぶんと高くつくが、せめて次の時代を担う幼い子ども達の後学のために役立ってくれることを願うばかりだ。




