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カタリヌ王国王宮にほど近い小さな城と言えそうなこのお屋敷は、三大公爵家の一つであるセイロン公爵邸。
白く美しい建物に、広い庭には季節によって色とりどりの花々が咲き乱れ、それこそ一年中目を楽しませてくれると評判である。
ある日の夜、そんなセイロン公爵邸の庭で聞いたこともないようなキキキィィィィ……といった甲高い大きな音が響き渡った。
「今の音は何ですの?」
セイロン公爵の末の娘であるセレンティーヌが震えながらそう呟けば、侍女のレイラは「確認します」と言って、庭を確認するために部屋の窓からテラスへと出て行ったかと思えば、直ぐに戻って来た。
「お嬢様っ! 見たこともない大きな光る馬車のような物が庭にありますが、馬がおりません!」
「馬がいなくて、どうして馬車が走るの?」
「それは私に聞かれても分かりかねます」
「……」
「お嬢様は危険ですのでお部屋でお待ちください。警備の者達も集まって来ておりますから、少し確認して参ります」
そう言ってレイラは部屋を出て行った。
部屋に残されたセレンティーヌは恐る恐る窓から庭を覗けば、この角度では馬車のようなものは見えないが、何やら眩しい光と警備の者達に混じって長男のサイラスの姿が見えた気がした。
慌ててテラスへ出て確認すれば、確かにレイラの言った通り、見たこともない大きな光りを放つ馬車のような物があるが、馬の姿がない。
それをとり囲むようにして、警備の者達がジリジリとその囲を段々小さくしていく中に混じって、サイラスがいたのだ。
「お兄様っ!」
思わず駆け出していた。
とても優しく、とても優秀で、そしてとても好奇心旺盛な兄が黙って見ているはずなどないことは、少し考えれば分かったはずなのに。
セイロン公爵家当主である父も、数年前に儚くなってしまった母も、半年前に隣国の皇太子に見初められて嫁入りした姉も、次期当主であるサイラスお兄様も。
家族は皆、こんな出来損ないで醜い私を、とても優しく、大切にしてくれていた。
使用人も皆、優しくて親切で。
このお屋敷の中でだけ、私はとても幸福だ。
そんな中でもお兄様は昔から特別に私を可愛がってくれている。
私にとって、とても大切な家族。
未知のものに対して興味を抱くのは分かるけれど、あれほど前に出ていては危険である。
自分とは違い、お兄様はこのセイロン公爵家になくてはならない存在なのだ。
お願いだから、お兄様が無事でおられますように。
そう祈りながらお兄様のもとへと急いで駆けていく。
普段大人しく淑女として完璧な所作を身に付けているセレンティーヌが、スカートを捲し上げて走る姿などあり得ないことではあるが。
階段をかけ下り、広い玄関を飛び出し、ぐるりと屋敷の裏側へ回り込む。
普段であれば美しく咲く花々に目を向ける所だが、今はそれ所ではない。
兄の姿を見付け、急ぎ駆け寄る。
「お兄様!」
勢い余ってサイラスの背中に突進してしまった。
サイラスは驚いたように振り返り、
「セレン!? ここは危ないから、下がっておいで!」
と慌ててセレンティーヌを安全な場所へ行かせようとする。
「いいえ、お兄様も一緒でなければ、私もここを離れません!」
セレンティーヌは一歩も退かない。
警備の者達は皆武器を構え、辺りは緊張に包まれている。
そんな中、ガチャッという音と共に中から女性が出て来たかと思うと、力なく蹲ってしまった。
「あ~~~、死んだかと思った……。ダメだ、腰抜けた」
女性は何やらブツブツと呟いている。
警備の者が「貴様は何者だ!」と警戒しながら問えば、女性は俯いていた顔をパッと上げて、今初めて包囲されていることに気がつきましたというように、驚きで目を見開いた。
「え? 何者? って、あれ? 暗っ! ここどこ? 城? え? 何で? 高速走ってたはずじゃ……」
何やらパニックを起こしているようだが、警備の者達はそんな女性に対して更に警戒を強めた様子。
けれど、私は、別の意味で驚いていた。
ーーこの女性は、なんて美しいのだろう。
真っ黒な前下がりのボブヘアがとても似合っている女性は、少しつり上がり気味の猫目がとても印象的な、とにかく美しい顔立ちをされていた。
隣国の皇太子に見初められて嫁入りしたお姉様もサイラスお兄様も、わたくしと違いとても美しい容姿をしているけれど、目の前のこの女性は女神様ではないかと思われるほどに美しかった。
……この出会いがわたくしの運命を大きく変えることに繋がることなど、この時は思ってもみなかったのです。