揺れる未来 (2017f)
海外旅行に行く人が多いですね。
毎年、ハワイに行くという芸能人がいるようですが、何度行っても飽きない楽しい場所なのでしょう……
一方、毎年違う場所に行くという人もいます。どこどこへ行った、どこどこも行った、と自慢げに話します。楽しいのでしょうね……
世界の各地に足を運んだ後、どこへ行くのでしょう?
もし、別の時代に行けるなら、高いお金を支払ってでも行こうとする人はいるのでしょう。きっと……
23世紀。
タイムトラベルが一般に解禁されました。人々は物珍しい時間渡航へ我先にと挑みます。しかし、時間を越えることによる厄介な問題を避けるために、厳しい規制があります。好みの時代を好き勝手に歩き回る、などということはできません。でも、一度ぐらいは時間旅行をしてみたい。そう考える人は少なくないでしょう。きっと……
●登場人物
■ハワード・アシュランド(31)タイムコップ
◇アルマ・クックス(26)タイムコップ、ハワードの相棒
◇コニー・アシュランド(27)ハワードの妻
◇シャロン・エルマイラ(29)不正渡航者
□イーストン 医師
□ナイルズ(40代)刑事、現場指揮
□ブラント(30前後)刑事
□ウェストン(60代)顧客
□ホーネル(50代)運用責任者
◇マリオン・ブルック(30)殺人犯
◇エリー・マーカム(17)殺害された女性
プロローグ
上下に半球の装置が向かい合わせに配置され、その間には何も無かったが、それはカプセルと呼ばれていた。
低い作動音が響くと、半球装置の向かい合った面から光が放たれる。次第に眩さを増し、一帯が灼熱のような光に包まれた。騒音がピークに達し、激しく振動する……
やがて光が弱まり、音と揺れが遠ざかると、中空のカプセルに一人の男が立っていた。
薄手のジャンプスーツを着た男が上体を揺らし大きな息をする。凝り固まった体を解すように、ゆっくりとした動作で半球のパッドから降りた。数歩進むと足を止め、自分が出現した場所を振り返り、周囲を確認する。同じ形状のタイムカプセルが幾つか並んでいた。
壁には大きな表示がある。
二二四三年七月二一日、九時一七分。秒表示が刻々と変化する。男はそれを見て小さく頷くと、係員が見詰める出口に向かった。
「こちらに手のひらを当ててください」カウンターの女性が笑顔で言う。
男は頷き、パッドに手を載せた。
「お名前をお願いします」
「ハワード・アシュランド」
その女性はディスプレイに視線を向けたまま、次の質問を口にした。
「渡航の目的は何ですか」
「観光…、バカンスです」
「滞在期間は?」
「二週間……」
「手荷物はございますか」
「いえ、ありません。手ぶらで来ました」
時間渡航では厳しい所持品規制があった。時を越えて物品を移すことに懸念があり、必要最小限の物しか持ち込めず、お土産も持帰ることができなかった。
女性は一つ頷いてから笑顔でハワードを見た。
「滞在を許可します。あちらで着替えてください」
「ありがとう」
「どうぞバカンスをお楽しみください」
ハワードは笑顔で頷き先へと進み、数多くの衣類が並ぶ部屋に入った。観光者向けの広いスペースがあり、笑顔の女性スタッフが迎えてくれる。衣装も料金に含まれていた。ハワードは女性スタッフの見立てで、派手めの軽快な服装を選び、着替えた。
ハワードは到着ロビーのソファーで時間を潰す。
程なく、一人の女性が笑みを浮かべて近付いて来る。ハワードは目を見張った。
「お待たせ……」
スラリとした体に、リゾート風の爽やかな服装だ。
「どうしたんだ? その……、見違えるほどスリムだ」
ハワードはソファーを立ち、女性の姿を足先から頭の天辺まで眺めた。
彼女は満面の笑みを見せる。
二人の子育てを一段落させた妻のコニーは、別の時代から来ていた。この場では三一歳のハワードより彼女の方が年上だ。その姿から、しなやかな大人の女性の色香が溢れている。魅力的だ。
「リゾートアイランドに行くのよ、気合を入れてスポーツジムに通ったの」
もちろん、夫であるハワードの好みは承知している。子育てを優先していた間の埋め合わせをしたいという思いがあるのだろうか?
ハワードは驚きつつ、年上の妻とハグをする。
その時、ハワードの脳裏に三人目を授かる予感が走った。眉を顰める。
しかし、そうなるのは必然なのかもしれない……
一
二二〇一年一月一日。
二三世紀の幕開けと共に、時間渡航が一般に解放された。人々は新時代の到来に興奮し、混乱することになる。
時が進み、当初の混乱は幾らか収まったが、時間を越えた犯罪が広がりを見せていた。
時間管理局は、これに対処するために犯罪捜査課を設置する。それは街の警察とは異なる組織で、タイムコップと呼ばれていた。
「いい色に日焼けしてるわ。楽しかったようね」
コンビを組む女性捜査官のアルマ・クックスが羨ましそうに言う。制服姿の小柄な彼女はキビキビと歩き、派手な塗装とパトライトを取り付けた専用車両の助手席に乗り込んだ。
運転席に座ったハワード・アシュランドが頷く。
「ああ、楽しかったよ。のんびりできた」
バカンスに出掛けたのは昨日、戻ったのも昨日だった。内緒にしていれば知られることはないのだが、こんがりとした顔を見れば察しがつく。バレバレだ。
ハワードは車を出し、運転をコンピューターに任せた。
「キレイだった?」
「もちろん。凄いね、この時代のあの島の状況を知ってるから、驚きだよ。同じ場所とは思えない」
世界各地で環境の壊れた場所、汚染された場所を自然に戻すプロジェクトが計画されている。ハワードがバカンスを楽しんだリゾートアイランドは、その先陣を切ったモデル地区だった。未来では破壊されていた自然環境が回復し、リゾートとして営業が始まる。すると汚れていた時代の人たちが殺到し、予約の取れない人気の観光・保養地になっていた。
「海洋生物も数多くが戻っている。海の中は楽園だね。観光潜水船で二〇〇メートルの海底まで潜ったよ。ある意味、宇宙より神秘的だ。この星を出るのもいいが、一度は海の深い所を体験すべきだね」
アルマは何度か頷き、話を聞いていた。
「でも、よく予約が取れたわね」
「ああ、人生の運を全て使ってしまった気分だよ。ローンだけが残った」
その答えにアルマが笑う。
ハワードも予約が取れるとは思っていなかったが、運よく高倍率の抽選に当たった。そのチャンスを逃すのは惜しい。時間渡航は休暇の取得を気にする必要はないが、高額費用の支払いに悩むことになる。ハワードはこの先、長期の支払いを続けることになっていた。
「一度くらい、時間渡航でバカンスを楽しまないとな。でも正直、帰りは気が重かったよ」
「私も、申し込んでみようかな……」
「うん? 相手はどうする? 一人で行くような所じゃないぞ」
「相手? バカにしないで。一緒にバカンスする相手ぐらい、いるわよ」と二六歳のアルマが膨れっ面をする。
「そうなのか、それは、驚きだ」とハワードは笑った。
確かに、柔軟に対応することができる。
ハワードの妻、コニーは、現在二人の子育てに奮闘している。育児ロボットに任せるのではなく、愛情を込めた暖かみのある育児を実践していた。ハワードはたまには気分転換を、と気を遣った。だが、こちらの時代では一瞬のことになるが、時間渡航をした者には長い旅行になる。まだ幼い子と離れて二週間のバカンスを楽しむような気分ではない、と乗り気ではなかった。
そこへ未来の彼女からメールが届く。
子育てが一段落し、ねぎらいのご褒美が欲しい……
それで、スポーツジムに通いシェイプアップした年上のコニーとバカンスを楽しんだ。この時代の彼女には、リゾートアイランドでの出来事を話してはいない。ご褒美を楽しみにして子育てに励むという。ハワードの心境は複雑で、浮気をしたような気分になっていた。
「私もバカンスに出掛けたいわ」とアルマが切実な声で言う。
ハワードは笑いながら、センターコンソールを操作し周辺地図を表示する。最初の巡回場所の港湾地区に近付いていた。
無許可で時間渡航を行う組織がある。高い金を支払い、不正に時代を行き来する者が絶えない。大抵は犯罪者だ。
タイムコップは、その組織の全容解明に取り組んでいたが、末端の摘発に留まり、時間を渡り歩く組織の中核にまで届いていなかった。
タイムカプセルが始動する時、空間に特有の歪みが生じる。これを検出することにより不正な時間渡航を知ることができるが、場所の特定までは難しい。地道な捜査によってアジトを突き止める捜査を続けていたが、組織が大型コンテナにタイムカプセルと電力供給の大容量バッテリーを組み込み、トレーラーに載せ街を徘徊しては不正渡航を行うようになってから、その活動を阻止することが難しくなっている。
現在は、怪しげな場所に止まる不審なトレーラーを探して街中をパトロールする業務が加わっていた。
港湾地区には大型コンテナを積んだトレーラーが数多く出入りしている。身を潜めるには絶好の場所だ。車を止め、二人は行き来するコンテナトレーラーの動きに目を配っていた。
「どれも怪しく見えるわ」とアルマが、いつもの愚痴を口にする。
確かに、タイムカプセルを組み込んだコンテナが目の前を通過しても気付くことはできない。無意味ではあるが、タイムコップの車両がここで目を光らせていることで、組織への牽制になると考えていた。裏を返せば、それぐらいの手段しか無い、ということになる。
三〇分ほど経過した時、無線が入った。
「パトロール五〇三……」
「こちら五〇三、どうぞ」
「河川敷の駐車場に機動車の無いコンテナトレーラーが放置されていると通報があった。現場情報を送る、直ちに急行し確認・対処を行ってください」
「了解」
ハワードは返事と同時に車を始動した。
一〇分ほどで現場に到着する。
堤防道路を下りた広い河川敷のガランとした駐車スペースに、一台のコンテナトレーラーが放置され、警察車両と白いバンが止まっていた。
「タイムカプセルを河川敷に放置するなんて、あることなのかしら」とアルマが疑問を口にする。
ハワードは無言で頷く。
「横に止まっているバンは市役所の車だな……」
白いバンのボディに描かれた文字が読めた。
「通報したのは市役所の職員のようだ」
二人の警察官と作業着姿の二人の側で車を止め、外に出た。
「御苦労さまです……」
こちらを見る四人にハワードが声を掛けた。あまり見ることのない制服姿の男女を物珍しそうに眺める。
「今、照会をかけています。コンテナはカギが掛かっているので中を確認することはできません」と警察官の一人が言った。
「通報した市役所の河川管理課の方です」
作業着姿の二人が軽く頷いた。バツの悪そうな顔をしている。
不審なコンテナトレーラーを見かけたら通報するようにと市役所にもお願いをしていた。それに従って通報したが、大事に扱われ戸惑っているのだろう。
「ありがとうございます。コンテナに不審な点はありますか」
「いえ、普通のコンテナに見えますが、我々はこうした物に詳しくないですからね。河川敷にポツンと置かれていること以外には不審なことは無いと思いますが……」
「もし中身が、その……、タイムマシンだったとして、危険はあるのでしょうか。危険なら離れて、対応を検討しなければなりません」ともう一人の警察官が尋ねた。
ハワードは首を横に振った。
「危険はありません。心配ないです。ちょっと、ぐるっと回って、コンテナの様子を見てみます」
ハワードはアルマに目配せをして、コンテナトレーラーに近付いていった。
「何か特徴を知ってるの?」と背後から歩み寄ったアルマが尋ねる。
「いや、外観にこれといった特徴は無いはずだ。ただ、捕らえた不正渡航者の調書では、後部に人が出入りするドアがあるそうだ。だが、パッと見はわからないようになっている」
二人はコンテナの後部に歩いた。手を伸ばし、コンテナの壁に触れてみる。
「どこにあるの? わからないわ」とアルマが言う。
「内側に開くドアのようだ。強く押せば透き間が見えるかもしれない」
ハワードはそう言ってコンテナの壁を押してみた。ビクともしない。こんなやり方では目の前にドアがあっても、わからないだろう。顔を顰めた。
「あれを見てください」
と警察官が叫んだ。指さす先に目を向けると、堤防道路を一台のトレーラー用機動車が走っていた。大型トラックの前部だけをちょん切ったような不格好なフォルムだ。駐車場への道を下ってきた。
「何かあったのですか」
運転手の男が車両を止め、警察官に尋ねる。
「すみませんが、降りてください」
運転手は顔を顰めたが、素直に従った。
話を聞く。
コンテナを積み、港を出たところで、息子がケガをして病院に運ばれたと連絡が入る。しかし、トレーラーを引っ張ったまま病院に行くわけにもいかない。手近な河川敷の駐車場に置き、取り回しが楽な機動車で病院に向かった。幸い息子のケガは大したことはない。仕事に戻ろうと、ここに戻ってきた……
ハワードが苦笑いをしアルマを見た。彼女も怪訝な顔をする。
「一応、コンテナの中を確認したいのだが……」警察官の一人が言う。
「それは無理です。カギは荷主が持っています。私たちは中身が何か知らずに運んでいるんですよ」
それが物流業界の実態なのだろう。
「あの……、もう運んでいいですか。遅れを取り戻さないといけないので……」と懇願する。
警察官がハワードを見る。その判断をタイムコップに委ねているのだ。ハワードは目を閉じ、思案した後で頷く。
これ以上、騒ぎ立てても仕方ないだろう。コンテナの運送コードは控えていた。追跡調査で確認すれば事足りる。
運転手はホッと微笑み、機動車をトレーラーの前方に移動させ、バックでガチャリと結合した。一度運転席を離れ、何本かのコードを繋ぐ。
機動車がコンテナトレーラーを引き、ゆっくりと動き出した。運転手が頭を下げたのが見えた。駐車場を出て堤防道路に入り、走り去っていく。
ハワードは警察官と市役所職員に手間を取らせたことを詫び、解散した。
「空振りね……」
車を走らすとアルマが言う。
「そんなもんだよ。簡単にはいかない」
とハワードが答えた。地道に取り組むしかない。
二
時間管理局支部にある空間観察室。時間転移で生じる空間歪みの検出・調査を行っている。各地に設置された歪み検出装置のデータを収集・解析し、不正渡航の発生を知ることができた。
その日、一件の不正渡航があった。街の中心部から遠く離れた寂しい場所だ。
検出した空間歪みのデータ解析から、到着だとわかる。検出した装置の位置から、おおよその場所は判明するが、それ以上の特定は困難だ。不正侵入した渡航者の目的もわからない。人手を割き、捜査するしかなかった。
「手配書が届いたわ」
ハワード・アシュランドが短い休憩を終えて車に戻ると、アルマ・クックスがそう言った。
「手配書?」
運転席に座ると、アルマがセンターコンソールを操作し手配人物の顔を表示した。
「女性よ」
表示された顔を見て、ハワードは片方の眉を吊り上げた。不正行為を働くような女性には見えなかった。穏和な顔付きをしている。
「年齢は?」
「二九歳よ。名前は、シャロン・エルマイラ。こっちが出身地になるわ。好みの女性なの?」
「何でそんなことを聞くんだ?」
「年齢を先に聞いたわ」
「年を先に聞くと、好みなのか」
「違うの?」
ハワードは顔を顰め、その問いには答えなかった。
「三日前の不正渡航者なのか。歪みを検出した場所とは随分離れているが……」
「そうね。でも、出身はこっちよ。母親がこの街の病院に入院してるの。臨終が近いようね」
「臨終? 特効薬でも見つかったのか? 母親を助けるために不正渡航したのか? 大金叩いて……」
「一つの理由には、なるわね」
そう言われても、ハワードは納得できなかった。
「とにかく、その母親が入院している病院に行ってみよう」
そう言って車を始動させた。
シャロン・エルマイラは、面会謝絶の母親の病室に籠もっていた。
アルマに病室の外での監視を頼み、ハワードは母親の担当医と話をすることにした。
「不正渡航者……。彼女が不正に、この時代に来たのですか」
イーストン医師が驚き、頷いた。
「なるほど、生体認証は時間渡航を見抜けませんからね。本人と認めてしまう。二一歳の割りには年がいっているように見えました。実年齢は二九ですか……」
医師としての見立てが間違いないことに自信を深めたようだ。ハワードが質問をする。
「この時代の彼女がどこにいるのか、ご存じですか」
「いえ、場所は知りませんが、彼女の叔母さんから留学中だと聞いています」
「留学中?」
「ええ、大切な試験が迫っているそうです。それが終わってから母親のところに行くと言っていたそうです。試験を投げ出すようなことをすると母親に叱られるそうですが、それまで持つか微妙ですね。いや、二九歳の彼女が不正渡航までして来たのですから、間に合わなかったということですか……」
ハワードは目を細め、眉間に皺を寄せた。
「彼女は、母親と話すことはできたのでしょうか」ハワードはそれが気になった。
「どうでしょうね。薬が効いていますから、目覚めていても意識は朦朧としているでしょう。まともな会話はできないと思います。彼女を逮捕し連れて行くのですか」
「ええ、そうなります」
「不正渡航したからですか」
「同じ時間に同一人物が存在すれば、二人が接触する危険があります。様々な問題を引き起こすことになるでしょう。厄介な事になる前に、彼女がいた本来の時代に送り返します」
「なるほど、それが無難ですね」
「彼女が時間渡航者であることは、内密にお願いします」
「ええ、わかりました」
医師として、日常的な仕事にも秘匿が絡んでいるはずだ。信頼できるとハワードは思った。
「お願いします。それと病室に入り彼女を外に出してもらえませんか。面会謝絶、絶対安静の部屋の中で騒ぎは起こしたくありませんので……」
それにイーストン医師が頷く。
「お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします」
イーストン医師は準備をして二人の看護師と共に面会謝絶の病室に入った。しばらくして、二九歳のシャロン・エルマイラが出てきた。手配書の顔写真のイメージ通り、スラリとしたスリムな体をしている。
彼女は二人のタイムコップを見て驚いたが、逃げ出すような真似はしなかった。素直に任意捜査に応じる。憔悴がその理由だろう。ジタバタする気力さえ失せているようだ。
「最期の様子について聞いていましたが、こんなに症状が重かったとは思いませんでした。この二日間、側にいましたが、母と話をすることはできませんでした……」
時間管理局の支部でシャロン・エルマイラに話を聞いた。彼女は気落ちしていたが、自分の愚かさを誰かに聞いてもらいたかったのか、質問には素直に答えた。
「二一歳の君は、今、この時、何をしていたのですか」とハワードが尋ねる。
「試験の追い込みです。母も、その資格を得ることを望んでいました。母のためにも全力で試験に挑もうと考えていました……」
「留学先にいたわけですね」とアルマが念を押す。
「ええ……」と弱々しく頷く。
「それで、母親を看取ることができなかった」
「お葬式にも出ていません。薄情な娘です……」
「それが心残りで、時間渡航をする気になったのですか」
「早い段階で、それを考えました。今は、試験に取り組む。試験が終わったら過去へ戻って母の看病をしようと……」シャロンは、そう言ってから首を横に振った。
「でも、私の願いは却下されました。同じ時間に、同じ人物が二人存在することは禁じられていました。過去の自分と会うことはないと訴えましたが、聞き入れてもらえません……」
それだけではない。時間渡航では、好きな時代の好きな場所を自由気ままに旅することはできない。決められた時代の決められた場所に、決められた期間滞在する。手荷物は必要最小限、滞在先から何かを持ち帰ることもできない。対応するのも教育と訓練を受けた専任スタッフのみ、その時代の人々と交流することはできなかった。
時間渡航に伴う様々な問題を排除するため、規律・規制の厳守には厳しかった。彼女のような要望は、何を言っても認められないだろう。ハワードは頷き、次の問い掛けをした。
「正規の時間渡航は認められない。そこで不正渡航を選んだ」
シャロンが頷く。
「アンダーグラウンドの時間渡航は、そうした制約がありません。過去に戻って母の看病をすることもできます」
ハワードが眉を顰める。
「しかし……、不都合が生じることがある。そうなると、あなたの人生が大きく狂うこともあります。危険です」
「でも、この時代の私は、留学先から動いていません。私の目的は、寿命が近付いた母に会うことです。最期を看取ることです。過去の自分に会うことではありません」
ハワードはその答えを聞き、低く唸った。
「どうやって地下組織と接触したのですか」とアルマが尋ねた。
「最初、私も戸惑ったけど……。地下組織であっても、顧客になるのは一般の人だわ。だから、ネット社会でそうした動きを見せれば、向こうから接触してくるの。気をつけないといけないのは、大きなお金が動くから、騙し取ろうとする人がいることね。私のところにも偽者が幾つか来たけど、お金が無い状態で費用がどれくらいなのか調べるところから入ったので、無駄に時間が経過すると手っ取り早くお金を得ようとする人たちは離れていったわ。最初から纏まったお金があって渡航手段を探していたなら、騙し取られていたかもしれないわね」
「ずっとお金を貯めてたの?」
「せめて母を看取ろうと、お金を貯めることばかり考えていたわ。正規の渡航ではないから、費用は更に高額になる。足元を見られていたのね……」
「でも、相手は怪しげな地下組織よ。接触はネット社会だけだったのでしょ。よく渡航することができたわね」
「そうね。長年思い詰めていたからだと思うけど、地下組織がビジネスに徹していたのは確かね。何もかもキッチリしていたわ」
「キッチリ……?」
「ええ、正規の時間渡航が、どういう手続きで進めているのか詳しいことは知らないけど、地下組織は、不正であっても、一つひとつの手続きや準備を確実に進めていたわ」
「キッチリとした地下組織か……」とハワードが呟く。
不正を企てる陰の存在からイメージする悪徳組織とは違うようだ。どういう意図があるのだろう? 時間を股に掛け暗躍する地下組織の実体を明らかにするのは難しかった。
「帰りは? 帰りはどうするつもりだったの?」
そのアルマの問い掛けに、シャロン・エルマイラは沈黙した。静かに時が流れる。
「一つ、お願いがあるの……」シャロンが俯いたまま小声で言う。
「母を看取らせて欲しいの……」
この聴取が終われば元の時代に強制送還される。それを知った彼女は取引を目論んだのだ。だから、ここまで冗舌に話をしたのだろう。
「この時代でもう一度、地下組織の手を借りるということか」
シャロンが小さく頷く。
「往復の契約なの……」
それを聞き、ハワードは険しい顔をする。小賢しい。何がなんでも母を看取りたいのだろう。しかしハワードには、そうした取引を結ぶ権限が無かった。
ハワードとアルマは、タイムカプセルに立つシャロン・エルマイラを見詰めた。彼女の目は虚ろだ。
低い作動音が騒音となり、カプセルが眩い光りに包まれた。
光りと音が消え、それに連れ去られたようにシャロンの姿も無くなっていた。
「地下組織の摘発より、規律を重視するのね……」とアルマが呟く。
「不正滞在の方が、問題が大きいということだろう……」
ハワードはそう答えたが、納得はしていなかった。不満が燻る。
シャロン・エルマイラとの取引を上司の犯罪捜査課長に伺いを立てたが、別の時代にある上層部の判断は、現場の要望とは違うものだった。シャロンは即刻、送還された。
「この時代の彼女は遠い留学先にいるわ。母親が亡くなっても帰ってこない。母を看取り、摘発に協力しても問題ないと思うわ」
「しかし、母親が亡くなった時に二九歳の彼女がいたら、その話が二一歳の彼女に伝わるだろう。それに、摘発に協力することも未来にどんな影響があるかわからない。時間を越えた介入には、慎重にならなくてはいけないのは確かだ」
ハワードは正論を口にした。アルマもそれは理解している。理解はしていたが、釈然としない想いがあった。
三
凄い人集り、だった。
大通りを横断する人が絶えない。群衆整理の警察官が注意をするが、収まる気配はないようだ。
ハワード・アシュランドは車のスピードを落とし、大通りの真ん中をトロトロと進む。パトライトを点けた目に付く車両でなければ立ち往生しただろう。
規制線の手前で止め、アルマ・クックスと共に車を降りた。大通りは完全に封鎖されている。警備する警察官と話す。
「時間管理局犯罪捜査課です。現場の状況を見に来たのですが……」
その警察官は敬礼をしたものの、戸惑いの表情をした。
「すみません、少しお待ちください。確認をします」
警察官はその場から数歩下がり、無線を使って問い合わせをする。
「沢山の野次馬ね……」とアルマが小声で言う。
「人だけじゃないぞ。マスコミも大勢いる。何台かのカメラがこっちを向いてる」
「私たちを撮ってるの?」
「そのようだ」
「そんなに珍しいのかしら……」
「なぜ、この現場に来たのかと疑問に思っているのだろう」
先ほどの警察官が元の位置に戻り、キリリとした表情をした。
「失礼しました、お入りください」
そう言って規制線テープを持ち上げた。二人は順にその内側に入る。
「あの車の向こう側が指揮所になります」
警察官が指さしたのは何台か並ぶ警察車両の中のバンだった。その車両の屋根にはパラボラと、長く伸びた数本のアンテナがある。二人はそこへ向かった。
「捜査官を派遣したということは、情報提供を決定したということですか」
路上に置かれた机の側からスーツ姿の一人の男が声を掛けてきた。
「現場指揮のナイルズです。御苦労さまです」と名乗る。
「時間管理局犯罪捜査課のアシュランドとクックスです。情報提供が決定したのかどうか、我々も知りません。現場に出向き、状況把握をするように指示されました」
「そうですか。時間が掛かりますね……」
ハワードは目を細めた。時間は関係ない。判断を下すのは別の時代の上層部だ。
「ブラント、タイムコップのお二人に状況説明をしてくれないか」
「了解です」
ハワードと同年代の男が頷き、歩み寄って来る。
「先週の土曜の夜、コンサート会場で爆発騒ぎがあったことはご存じですか」
ハワードとアルマが頷く。
「ニュースで見ました」
自爆テロ。
そうした犯罪は、背景事情を変えながら続いている。四六人の死傷者が出た先週末の事件も、このところ頭角を現してきた反体制組織の犯行と目されていた。
「死亡した実行犯の身元調査から犯行グループの存在が明らかとなり、アジトに踏み込んだのですが、全員を捕らえることはできませんでした。一部のメンバーが逃走しました」
ハワードが眉を顰めた。
「その逃亡者が、向かいの病院に立て籠もったのですか」
「ええ、そのようです。逃走の際にケガを負ったのか、持病があるのかわかりませんが、病院に入り騒ぎを起こし、看護師と病院関係者を人質にして立て籠もっています。その男は、時間転移での逃亡を要求しています」
「どの時代に行くと言っているのですか。別の時代に仲間か支援者がいるのでしょうか」
時を跨いだテロ組織なのかもしれない。気になる。
「さあ……。今のところ、それ以上の詳しいことは言っていません」
ハワードはアルマと顔を見合わせた。少なくとも時間管理局が、犯罪者の逃亡を手助けするような真似はしない。それは確かだ。
「一つ気になるのは、所持品です。拳銃の他に、リュックサックを持っています」
「リュック……」
「ええ、中身が爆弾かもしれません」
警察が強行突入できない理由がソレだった。徒に時間だけが過ぎている。
「それで、リュックの中身を時間管理局に問い合わせているわけですか」
ブラントが頷く。
「拳銃だけなら対処は可能です。しかし、先週末に使われたような爆弾を所持しているのなら、被害が大きくなるかもしれません。人質だけでなく、突入部隊に死傷者が出ることもあるでしょう……」
それで警察の誰かが時間管理局に問い合わせることを思いついたのだろう。結末の情報を未来から得ることができれば確実な裏付けとなり、自信を持って対処できる。
しかし、この時代の支部では決めることができない話だ。時間管理局上層部に伺いを立てることになった。人の命が関わるとはいえ、事件の結末を過去に伝える決定を下すだろうか?
もし、情報提供を拒否して被害が大きくなってしまったら、マスコミの報道も加わり人々の批判が時間管理局に集まるだろう。社会との関係性に歪みが生じる。それは避けたい。
ハワードは顔を顰めて唸った。だが、一介の捜査官には、どうすることもできないことだ。このまま状況の推移を見守り、結末を報告する。それだけだ。
「着信!」
アンテナが立つバンの中から声がした。現場指揮のナイルズが歩み寄り、上体をバンの中へ入れる。
「立て籠もり犯からです。交渉は別な場所でやっていますが、ここでも会話を聞くことができます」とブラントが説明する。
周囲の警察官がナイルズの反応を注視する。ハワードとアルマも同じように現場の責任者を見ていた。しばらくするとナイルズがバンを離れ、渋顔で首を横に振る。進展がないという意味だろう。
「突入の準備をしているのですか」とハワードが尋ねた。
「もちろんです。ゴーが掛かれば直ぐに突入できます」とブラントが答える。
時間管理局からの情報を待っているのか?
時を越えた上層部からの返答が、時間が掛かるというのもおかしい。何か別の事情があるのだろう……
硬直状態が続く。
日が傾き、暗くなり、街の光りが瞬く。
それでも野次馬が減る気配はない。マスコミも撮影を続けている。
ナイルズが二人の所へ歩いてきた。
「時間管理局は協力を拒んでいるようですね。未だに連絡がありません……」
ハワードは返す言葉を探したが、適当なものが見つからなかった。
「立て籠もりの犯人も苛立っています。これ以上、長引かせては人質の命が心配になります。透きをみて突入することになるでしょう。結末がどうなるのか、しっかり確認して報告してください」
そう言うと踵を返し、歩いていった。
嫌味、なのだろう。現場指揮を担う責任者として、一言いわずにはいられなかったのだ。これで死者が出たりしたら、時間管理局が非難されるのは間違いない。被害がなく事件が解決することを祈るしかない。
それから一時間ほどして現場が騒がしくなった。
爆発音?
いや、そこまで大きくない。何かの炸裂音が何発か響き、激しい銃声が聞こえる。
強行突入。
ナイルズはバンに上体を突っ込んだまま動かない。二人がいる位置から病院は見えない。何が起きているのか、わからなかった。
静かになる……
誰も動かない。体が凍ったような寒気がした。
「犯人を射殺! 人質の生存を確認! リュックに爆弾はありません!」
バンの中から大声がした。
周辺の警察官が安堵の声を漏らす。
ナイルズが現場の病院に向かって歩いていった。何人かが後に続く。
「リュックの中身は、雑多な日用品でした。逃走に必要だと思ったのでしょうか……」
戻ってきたブラントがタイムコップの二人に言った。
「人質は無事なんですね」
「ええ、傷を負っていますが、軽いものです。現場は病院ですからね、手当は迅速ですよ」と微笑む。
「突入した警察官に被害は?」
「そっちも擦り傷程度です。問題ありません」
「犯人は射殺ですか」
「撃ち合いになりました。リュックが離れた場所に置かれていたことが確認できましたから……」
「そうですか」
ハワードはそう答え、肩を揺らして息を吐く。犯人がどの時代に行こうとしていたのか、それを知ることもできなくなった。
「時間管理局は、この結末を知っていたのですね」
「そう思います」とハワードが頷く。
「事件解決は、こちらの役目ということですか」
「それは間違いないですね。我々には、そうした能力がありませんから」
その受け答えに、ブラントが満足そうに頷いた。
「ともかく、ホッとしましたよ」
「そうですね……。では、我々は帰って報告することにします。現場指揮のナイルズさんに、お力になれず申し訳ありませんでした、とお伝えください」
ブラントは一瞬怪訝な顔付きになったが、直ぐに頬を緩めて微笑んだ。
「わかりました、伝えます。御苦労さまでした」
二人は指揮所を離れ車に戻った。まだ人が溢れる道をソロソロと走る。
「上層部は、どんな判断をしたのかしら?」とアルマが疑問を口にした。
「さあ、わからないな」とハワードが言う。
「もし、リュックの中身が爆弾で、大きな被害が出たとしても同じ判断になったのかしら?」
「どうだろう……。しかし、大きな事件が起こるたびに、時間管理局を頼るようなことになっては困るからね」
「それは、そうだけど……」
信号交差点の所で溢れていた人が途切れた。ハワードは車のスピードを上げる。
時間管理局は国際的な機関であるが、時を越えた組織であることも事実だった。当然、それを踏まえた活動になるが、一つの時代に生きる人々にとっては納得できない点も出てくるだろう。
ハワードは、時を管理して不正を取り締まる、その仕事の難しさを感じていた。
四
二三世紀においても海運物流は大きな役割を担っていた。それは、この星の表面は海の方が広い、ということに他ならない。
現役を半分引退したような老朽貨物船が大洋を進む。
その甲板に、四つのプロペラを四隅に配したヘリコプターが降り立った。何人かが恰幅のよい、身なりの整った年配の男性を船内へと導く。
「海が穏やかになってくれて、ホッとしましたよ」
スーツ姿の六十代の男が、そう言ってソファーに座った。
「すみません、ウェストンさんにはご迷惑を掛けました……」
と対面に座った痩せた男が答える。幾つか年下に見えた。
「カプセルは免震装置の上に設置してあるのですが、船の大きな揺れを抑えることはできません。システムの動作に問題はないのですが、カプセルに立つ人間が揺れて飛び出しては大変ですからね。それに大揺れの船にお呼び立てしても、ご迷惑でしょう」
ウェストンは笑みを見せた後で真顔になった。
「時を制覇することはできても、荒れた海には弱いということですか。いや、最新鋭のタイムマシンも自然には勝てないということですね」
対面の男も調子を合わせて苦笑いをした。
「あなたも大変ですね。船の揺れが酷いと、酔ったりするのでしょう?」
「ええ、まあ、船乗りではないですからね……」
運用責任者のホーネルが弱り顔を見せた。
痩けた頬に細い体は、この仕事に就いたからだろうか、とウェストンは気の毒に思う。
コーヒーが運ばれテーブルに並べられた。ウェストンはそれを口にして、部屋の内装に目をやった。船の他の場所とは違い、明るくキレイに整えられ、来客室として使っている。
「しかし、こんな遠くの海で、やらないといけないことなんですか……」と素朴な疑問を口にした。
ホーネルは苦笑いをする。
「時間管理局の介入を排除しないといけませんからね。彼らの検出システムにも能力の限界があります。陸が見えない外洋まで出れば、検出装置の背景ノイズに紛れ、気付かれることはありません」
「時間管理局が邪魔をすることはない、それは確かですか」
細身のホーネルが頷く。
「もちろんです。そのために陸で不正渡航の活動を続けています。時間管理局の目は、そちらに向いていますので、広い海の上までは手が回りません」
「なるほど、落ち度はないということですか」
「はい、万全です。ところで、タイムカプセルをご覧になるのは初めてですか」
「初めてですよ。毛嫌いしていましたからね。近付かないようにしていたんです。だから、この話にも耳を傾けることになったといえますね」
そう言われ、ホーネルは笑みを浮かべて頷いた。それを目にしてウェストンが口を開く。
「すみませんが、もう一度、お浚いをさせてくれませんか。重要な点を正しく理解しているのか確認しておきたい」
「ええ、どうぞ」とホーネルが応じる。
ウェストンはコーヒーを飲みながら考えを纏める。
「……未来は揺れ動いている。そんな不安定なものを相手にするより、過去の事実を変えたほうが確実だと思いますが、それをしないのは、この世界がパラレルワールドだからだ。過去を変えたところで我々が生活する世界が変わるわけではない。変わるのは過去を変えた時点から枝分かれした別の世界になる……」
ホーネルが無言で頷く。それを見てウェストンは言葉を続けた。
「まぁ、素直に受け入れることができない話ですね。パラレルワールドに住んでいるという実感がありませんから。口先で丸め込まれているような気になってしまう」
「ええ、それは私たちにとって大きな悩みですね。信用してもらえない。戯言を口にする怪しげな組織と思われてしまいます」とホーネルが口元を緩めた。
ウェストンは険しい顔付きのまま、頷いた。
「過去を変えることは不可能ではない。しかし、我々が住むこの世界に変化は及ばない。そうなると無駄な努力になってしまう……」
「ええ、そうなります」
ウェストンは、ホーネルの痩せた顔を見ながら、コーヒーを啜った。
「我々の人生、未来を変えようとするならば、今、この時を変えるしかない。我々の前には揺れ動く未来があり、数多くの選択肢がある。どれを選ぶかによって未来は大きく変わる」
「はい、その通りです」
「それほど難しい話ではない。我々が望む未来になるよう選択すれば、それでいい……」
「ええ、そうなります。しかし、簡単ではありません」
「先が読めない……。判断を誤り、失敗に至る。人類がこれまでに、嫌というほど繰り返してきたことだ。それを避けて、望む未来に辿り着きたい……」
「はい」と痩せた男が頷く。
「確実な手段は、未来を見て、対応対処に誤りがあるなら、元の時代に戻り修正すること。望む未来に向かうよう、常に微調整を繰り返すこと……」
「ええ、それが唯一の有効手段といえるでしょう」とホーネルが力強く頷く。
ウェストンは低く唸った。
「未来は自身の手でつくり出すもの……。どこかで聞いたフレーズだが、その具体的な手法がここにある」
ホーネルがもう一度頷く。
「パラレルワールドか……。そのイメージには、まやかしがあるような気がしてならない。この世界と似たものが無数に存在する。そう言われてもピンとこない。逆に、この宇宙はどれ程大きいのかと目眩がして、理解できないものを拒絶しようとしてしまう」
ホーネルが誤魔化すように笑った。
「それも時の悪戯ですよ。時を超越すれば、もう時間に縛られることはありません。少し違った世界を気の遠くなるほど何度も繰り返す。そうやって無数に広がる世界に時間を与え、宇宙を築いています」
その説明にウェストンは怪訝な顔で頷く。
「それが宇宙の真の姿だというのか……」
人間の小さな脳では、感じることも理解することもできないことだ。無闇に首を突っ込むのではなく、その辺りで手打ちにするのが無難だろう……
そこへドアがノックされ、一人の男が入ってきた。ホーネルを見る。
「間もなく準備が整います」
それに痩せた男が頷いた。客人に目を向ける。
「お待たせしました。では、行きましょう。タイムカプセルは船倉に設置してあります」
身なりのよい男が大義そうに立ち上がる。
「下へ降りるのですか」
「ええ、でもエレベーターがありますから、ご心配なく……」と笑顔を見せた。
確かにエレベーターはあったが、汚れが目につく使い込まれた古い物で、今にも壊れそうな耳障りな音と振動を出しながらゆっくりと下りていく。薄暗い船倉の一角に免震台が置かれ、上下に半球装置が向かい合うタイムカプセルが載っていた。
その正面に強化ガラスの仕切り壁が、間に合わせたように造られていた。そこに足を踏み入る。幾つかの机と椅子が並び、何かの装置が置かれ、数人の係員がそれらをいじっていた。時間転移の準備をしているのだろう。ウェストンはそれを見回してから、ガラスの仕切りの前に立った。
ほどなく一人の男が現れ、カプセルの中に立った。ウェストンの姿を認め、小さく頷く。彼はウェストンの配下の男だ。特殊な教育と訓練を受け、カプセルに立つことになった。
ウェストンも緊張の表情で頷き返した。
ホーネルが指示を出す。
低い作動音が響き、カプセルが光りに包まれた。
騒音と光りが消え去り、カプセルに立っていた男の姿も消えていた。
ウェストンがホーネルを見ると、彼は力強く頷いた。時間転移は成功だ。だが、まだ終わっていない。係員たちは小忙しく働いていた。
再び作動音が響き、カプセルが輝き始める。
光りが辺りを明るく照らし、次第に薄くなると、空っぽだったカプセルに人影があった。直前に消えた男が、そこにいた。ただ、髪が幾らか乱れ、疲れた顔をしている。
男は、一瞬ふらついたが、両足を踏ん張るとぎこちない動きでカプセルを降りた。
ウェストンがガラスの仕切りを回り込む。
「大丈夫か……」
「はい、大丈夫です。問題ありません」
「……どうだった?」
その問い掛けに、男は笑みを浮かべた。
「上々です。詳しくお話しします」
ウェストンは頷き、ホッと息を吐く。彼もまた笑みを零した。
五
会議室に四人が並んで座った。
時間管理局犯罪捜査課の二人に、刑事が二人。その前に三十前後の女性が座らされた。これでは取り調べというよりは、公聴会だな、とハワード・アシュランドは思った。
手元には警察の調書がある。生体認証によれば、その女性の名前は、マリオン・ブルック。年齢は二十歳となっていたが、どう見てもそれより十歳は上だ。それに二十歳のマリオンは、遠く離れた街で暮らしている。所在は明らかだった。
「どうぞ、お願いします……」
刑事の一人がハワードに言う。今回の取り調べの主導はタイムコップにあった。だが、ハワードはどこから切り崩していけばいいのか迷っていた。目の前のマリオンは警察の取り調べに、素直に応じていなかった。
「相当の恨みがあったようですね……」とマリオンに語りかける。
彼女は、この街に住む十七歳の女性を撲殺していた。その顔を執拗に殴り、見るも無残な姿にしている。もう一度、マリオンの顔を見る。気の強そうな印象だが、人を殴り殺すような女性には見えなかった。それほど強い恨みがあったのか……
「その恨みを晴らすために、不正な時間渡航をしたのですか」
マリオンは顔を上げチラリとハワードを見たが、直ぐに顔を伏せた。質問が直球すぎたか、あるいは取っ掛かりとしては誤った選択だったのかもしれない……
「高いお金を要求されたでしょう。どうやって工面したのですか」
マリオンはピクリとも動かなかった。
ハワードは眉間に皺を寄せた。低く唸り顎を摩る。
「あなたは未来からこの時代に来て、十七歳のエリー・マーカムさんを殺した。それは、つまり、あなたが生きてきた世界を別なものに変えてしまった、ということです。今いるこの世界は、あなたにとっては枝分かれをした別の世界です。あなたが生きていた元の世界は遠く離れた存在になり、今のあなたとは何の因果関係もありません……」
そのハワードの話に、マリオンが反応した。
「因果関係? 何を言ってるの」
「枝分かれをしてしまったのです。この先で元の世界と重なることはありません」
マリオンは引き攣った笑みを見せた。
「何の話? さっぱりわからないわ」
ハワードは目を細め、少しの間彼女の顔を見詰めていた。そこに不安げな仕草を認める。
「何か恨みがあってエリー・マーカムさんを殺しに来たのでしょう。その結果、どうなるのか、変化した元の世界の様子が気になると思います。しかし、あなたがそれを知ることはできません。警察に捕まったという理由ではないですよ。時の奇妙な振る舞い、この世界、この宇宙の成り立ちを言っているんです」
そう言われ、マリオンは明らかに混乱した表情を見せた。それを目にしたハワードは透かさず衝撃の事実を口にする。
「あなたは、元の世界からエリー・マーカムさんだけが消えた世界をイメージしているのではないですか。しかし、それは間違いです。元の世界から消えたのはエリー・マーカムさんではなく、マリオン・ブルック、あなたの方です」
「何を言ってるの? エリーはもういないわ」
「それは今いる、この世界の話です。あなたが暮らしていた枝分かれをする前の世界ではエリー・マーカムさんは生き続けています。その世界にいたあなたが過去へと行き、枝分かれをした別の世界に入り込んでしまった。わかりますか、元の世界から消えたのは、あなたです」
「私が消えた……」
マリオンは、ブルブルっと頭を左右に振った。目を大きく開き、ハワードを見る。
「殺人犯として警察に捕まりましたから、あなたは自身の意思で未来に帰ることができません。ただ、警察に捕まらなくても、あなたは元の世界に戻ることはできなくなっています」
「なぜ? 時間管理局が邪魔をするから?」
ハワードがにんまりと笑う。
「そういう話ではありません。時の振る舞いの話です。……いいですか、あなたが過去へ戻り殺人を犯したことで、あなたは枝分かれした別の世界に入りました。エリー・マーカムさんがいない世界です。それは、つまり、あなたが歩んだ未来への流れから外れたことになります。もう、あなたが歩んだ時の流れに戻ることができません。パラレルワールドの無数に連なる世界のどこに、あなたがいた世界があるのか知ることすらできません」
「パラレルワールド……」
マリオンはその言葉を呟いてから、パクパクと口だけ動かした。次の言葉が出てこない。
ハワードはそれを見て別の言い方をした。
「我々が行くことができる過去や未来は、一つの時の流れで繋がっている世界だけなんです。枝分かれをした世界を探し出し、そちらの時の流れに乗り移る術がない。あなたがいた元の世界、あなたがいた未来に戻る手段はありません」
「戻る手段がない……」
マリオンはそう呟いてから、その意味に気付いた。
「元の世界には帰れない……」
ハワードが頷く。
「そうしたことがないよう、時間管理局は注意喚起し、時間渡航者の行動監視を行い不測の事態に備えています。しかし、それを無視して自己都合を優先し、時を越えようとする人が後を断ちません。我々も、時の不可思議な振る舞いと、そこに潜む危険性を周知する努力をしているのですが……」
そこでハワードは小さな溜め息をついた。その徒労感を振り払うように身じろぎをする。
「それと、もう一つ、あなたの体に起こる問題です」
「私の体……」とマリオンが不安げな表情を見せた。
「ええ、世界の枝分かれを起こした衝撃、歪みのようなものが、その発端となるあなたの体を蝕んでいます」
「衝撃? 何、それ。別になんともないわ。痛くも痒くもない」
マリオンは引き攣った笑みで両手を前に差し出した。
「まだ、自覚症状はないでしょう。しかし、枝分かれしたこの新しい時の流れの中で、次第にその歪みが大きくなり、あなたは体調を乱すことになるはずです。ほどなく、体の異変を感じるでしょう。気分の悪化だけでなく、激しい痛みに襲われ、体の機能が次々に乱れていきます。原因不明、最新の医療技術を用いても治療は叶いません。命を落とすことになります」
その宣告には、当人だけでなく、同席する二人の刑事も驚いた。
「そんな、脅し……」
「脅しではありません。過去を変えるということは、そうした歪みが生じるということです。残念ですが、覚悟をしてください」
「覚悟……」
マリオンの顔から血の気が引くのがわかった。
「それが、あなたがやったことの代償です。もはや、逃れることはできません」
険しい表情のハワードが放った厳しい言葉に、マリオンは俯き、体を震わせた。だが、自身の運命に怯えたわけではなかった。肩を揺らすと、クックッと声を漏らし、顔をあげ乾いた笑いをした。
「本望です。少なくともこの世界の私が、あの意地汚い女に邪魔されることはありませんから……。私は、もう、どうなってもいいんです。元の時代、元の世界へ戻ろうとは思いません」
それは強がりなのだろうか?
彼女は強張った顔でもう一度、笑って見せた。
「殺人の動機ぐらいは聞きたいものですね……」
マリオン・ブルックを拘留場へ移した後で、一方の刑事が言った。
「すみません。警察の取り調べで話さなかったことを私のような素人が出ていって聞けるとは思いません。役不足です」とハワードが恐縮する。
「いえ、そういう意味で言ったわけではありません」と刑事は慌てた。
「本来なら、動機の解明も我々の仕事ですから……」
ハワードは表情を和らげ、小さく頷いた。
「彼女、口が固いですね。なぜでしょうか」
ハワードのその疑問に答える者はいなかった。もう一人の刑事が頭を掻く。
「動機を聞いたとしても、その裏付けを取ることは難しいのでしょ?」
ハワードは頷き、それに答える。
「ええ、彼女がいた世界は、我々には手の届かないところです。どうすることもできません」
その刑事は顔を顰めた。
「どうすることもできない、か……」
「やはり、男女の問題が動機なのでしょうか」
ハワードは、場を取り繕うように在り来たりの憶測を口にした。
刑事の一人が唸る。
「もしかすると、仕事絡みかもしれませんよ」とアルマが言う。
「なぜ、です?」
鋭い視線の刑事に問われ、アルマは思わず身を引いた。
「いえ……、何となくそう思ったんですが……」
「職場での男絡みでしょう。そんなところですよ、きっと……」
埒が明かない。ハワードは、その話を締めようとした。
刑事が再び唸る。そこへ、もう一人の刑事が口を挟んだ。
「あの女、どうなるのでしょうか」とハワードに尋ねる。
「どうなる?」
「ええ、体調を崩し、命を落とすと仰いましたよね」
ハワードは小刻みに頷いた。
「事例報告によれば、数日中に異変が起きるでしょう。日に日に症状が重くなり、ひと月経たない間に命を落とすはずです」
「一カ月……」
「殺人犯ですが、彼女の人権を尊重し、対応していただきたいと思います」
その刑事が、ぎこちなく頷いた。
「時間渡航は危険が付き纏うようですね」
「ええ、でも、時間管理局が認めた正規の時間転移なら危険はありません。安全で快適な旅が楽しめます」
「なるほど、不正な渡航が問題というわけですか。しかし、正直言って理解に苦しみます。この世界は、私が想像していたものより、ずっと複雑怪奇のようですね。驚きです」
「そうですね。私たちの五感は、この星の表面で暮らしていくために獲得した、間に合わせのものになるのでしょう。非常に貧弱なため宇宙の真の姿を感じ取ることができない……」
「もし、この宇宙の実体を感じ取ることができたのなら、仰天するでしょうね。呑気に暮らすことなんて、できないと思います」
「ええ。知らない、わからないほうが、幸せに暮らせるかもしれませんね」
とハワードが答えると、その刑事は大きく息を吐き、頷いた。
ハワードはアルマに視線を投げ、合図を送る。
「今日はこれで引き上げます。また、様子を見に伺いますので……」
「ええ、お願いします」
二人は刑事に見送られ、警察署を後にした。
車を走らせしばらくすると、アルマが疑問を口にした。
「彼女を救う方法は無いの? たとえば、彼女が犯行をする前に人を送って、阻止するとか」
「それでも、一人の女性が殺された世界が残ることになる。パラレルワールドだ、その事実を消すことはできない……」
「そうね……」
「それに、その工作が上手くいかなかったら、新たに不幸を背負う者が出るかもしれない。傷口が広がってしまう……」
アルマが小さな溜め息をつく。
「過去に戻り、人を殺して世界を変えた女性は、その反動で命を落とす……。一方、母親を看取ろうとした女性は、世界を変えることなく元の時代に戻った……。罪の重さの違いなのかしら?」
「そうだな。人の裁きよりも厳格だよ」
ハワードはそう答えると、目を細め思案した。
時間渡航が解禁された。そこには様々な思惑が交錯する。しかし、安易に時を越え、無謀な行動に走ると厳しいしっぺ返しを受けてしまう。人々はそれを避け、時を越える恩恵を求めることになる。慎重な対応・対処が欠かせない。
ハワードはそう思い、一人静かに頷いた。
エピローグ
ハワード・アシュランドは、生まれたばかりの三人目の子を抱いた。
だが、しっくりしない……
自分にとっては遠い過去の話だ。
記憶は薄れている。
それでも、未来のリゾートアイランドで妻のコニーと楽しいひとときを過ごしたことは、紛れもない事実だ。それを阻むことなどできない。ただ、コニーが浮気をして他人の子を産んだような気持ちになる。過去の自分自身に嫉妬していた。彼女の狙いは、それだったのか?
ハワードは、腕の中で安らかに眠る我が子を見詰めた。
仕事が忙しく、夫婦の間に見えない亀裂があるのは確かだ。不仲ではないが、昔のような親密さが薄れている。このままぎくしゃくした関係が続き、離婚に至るのではないか……
ハワードは新しい命を腕に抱き笑顔を見せたが、破局への予感が頭の中を駆け回っていた。