第2話
多くの遊牧民が古代から生活し、時にはその長が国の支配者ともなった歴史を持つ、土地の大半が草原の国。世界で一番大きな大陸の、東側に位置している厳しい冬の印象が強い国でもある。
モネリアサーカスが生まれたのは同じ大陸であるが、西の端。それを考慮すると、モネリアがこんな東の地でショーを開催できるということだけでも、東側の国々が西の技術や考え方を取り入れ始めている潮流が伺えた。
ロウとレックがテントの合間の場所で3度、ショーの内容をさらい終えると、向こう側から男の声が聞こえてきた。声、というか何かを言っている、とわかる程度で細かい内容は聞こえなかった。
ロウは気になって内容が聞こえる位置まで移動した。テントに体は隠れているから、おそらく向こうからは気づかないだろう。人間を避けてきた身の上、自然とそう思う。
「だから、まだ準備中で、入ることもできないんだって」
「でもお兄さん、団員の人なんでしょ?それなら……!」
「できることとできないことってのがあるだろ!」
む、と言い返す声の主に気付いたロウは、纏う雰囲気を重いものへと変えた。
これは聞かなかったことにして、きっとレックの下に戻った方が賢明だ。と、ロウが踵を返そうとしたとき。
「あ」
ひょこっと、ロウが身を隠していたテントを覗き込む少女と目があった。
少女はこの国の伝統的な衣装を着ていてた。たて襟に、膝下まで覆うワンピースのような布、先が尖ったブーツ。天に向かって尖ったような形の帽子からは、少女の黒髪が綺麗に肩まで流れていた。
「お姉さんも……?」
少女はきょとんとした様子で、ロウの姿をまじまじと見つめる。ぱちぱちと瞬きしている様は、見た目より幼い仕草に見える。彼女の容姿が大人びているのだろうか。
ロウは、少しだけ目を瞬かせた後、我に返る。
「……あ、その……」
そういえば、あの人と顔を合わせたくないんだった、と少女に「何も言わないで」と告げようと息を吸ったとき。
「ロウ?」
件の声の男が、少女の後ろから同じようにロウの方を覗き込んだ。
灰色に近い黒い短髪。だが前髪の周りの髪の量が多いためか、左耳の後ろは黒いピンで適当に留めている。そして、何よりも目を惹く、昏く朱い瞳。
(―――あぁ、見つかってしまった)
彼の朱殷の瞳ははっきりとロウを捉え、少し驚いたように開かれていた。そう、顔を合わせてしまったら最後、無言を貫くわけにもいかない。彼は、このサーカスの跡継ぎなのだから。
「…………ルウ」
ロウは仕方なく、その名を呼んだ。ルウが何か言おうと口を開きかけて、
「トヤー、どうしたの?」
その前に、別の声が聞こえてきた。自然とルウの唇は閉じる。
テントからほとんど身を出していた少女が、ルウの後ろへと視線をやった。
「ここにも団員の人がいたわ、ナラン」
少女が、そう声を掛けると、テントを覗き込む顔がまた一つ増える。トヤーと呼ばれた少女にどこか顔の印象が似ているが、今度は少年だった。
服装はトヤーと同じような伝統衣装。ただし、男性用は帽子の造りが違うらしい。トヤーの帽子の先からは長い紐が垂れていたが、少年の帽子にはそれがついていなかった。
「あ、ホントだ。それならお姉さんにお願いしよう。オレたち、ショーが見たいんだ」
「え?」
ここはサーカス。ショーを観たいという客が来るのは当然だったが。ロウは少年―――ナランを見つめて答える。
「まだ朝なんだけど……」
その言葉に、ルウは溜息をついて少年と少女を交互に見比べた。何やら、先程までの押し問答が繰り返されそうな気がする。
「だから、ショーは夕方からだって言ってんだろ」
「それまでオレたち待つからさ」
「……もう一度聞くが、どこで待つんだ?」
「ここ!」
ルウは頭を抱えた。
なるほど、事情はそういうことか。ロウは頷いた。それにしても、戸惑うトヤーに対して、ルウ相手でもナランは一歩も引かなさそうだ。
ロウがそう思って三人を眺めていると、ルウがちらりと視線を移した。
「お前からも言ってやってくれ」
「…………」
珍しいこともあるもんだ。と素直にロウは思った。ルウはいつもはもっと、何というか、ロウに対して当たり強い。
とりあえず、ロウは少年と少女の前まで行って屈んで目線を合わせる。近くで見ると、彼らは鼻から上の造りがそっくりだった。
「また夕方に来ればいいじゃない」
「でも、あたしたち……」
「……ゲルに戻ったら、たぶん今日は来れない」
勢いを無くしたナランは、小さくそう零した。ロウは首を少し傾げた。
「ゲル……?あなたたち、遊牧民なの?」
この国は遊牧民の国だが、今回のサーカスのターゲットは西の文化に敏感な街に住む人々だ。でも言われてみると、彼らの服装は街の人々よりも随分と伝統的なことに納得がいく。
「そう。今は街に近いところに来てる。でも無断で出てきたからたぶん、帰ったらもうここには来れない」
「…………」
ナランの呟きに、トヤーも俯いてナランの手を握ったのがわかった。 ロウはなんとコメントすべきか迷ってしまった。どう見てもワケありっぽい。
二人の表情は、太陽を後ろから浴びているからだろうか、陰がさしていた。
「……わかった」
それを間近で目にして、追い返せることなんてできなかった。
ロウの返答に、ナランとトヤーがぱっと顔を上げる。二人のそっくりな灰色の目は再び光を取り戻したように見えた。
「いいの……?」
「ありがとうお姉さん!」
ナランとトヤーは顔を見合わせ、心底嬉しそうに笑った。
「はぁ……」
そんなやり取りをする三人を、ルウは溜息をついて眺めただけだった。