55 契約相手を知る
約束の日時になったので、お寺へ出向くことにした。自分なりに事前に考えた事もあるが、所詮は素人考えである。そもそもの前提が間違っていたのなら、頭の中をリセットする心構えだけはしておこう。
「こんにちはー。」
「はい、こんにちは。今日はお茶菓子を用意してありますよー。」
なんと! これだけでも来たかいがあったぜ。
「では、落ち着いたら始めましょうか。」
「お願いします。」
そして個人授業が始まった。先ずは神仏との契約、魔術について講義を受ける。講義というか、僕の問いに対して回答をしてくれる方式だ。
(問)
契約対象の神仏を指定できるか、また、対象を信仰している必要があるか。
(解)
特定の神仏を指定できるが、指定しない場合、契約を遂行する力を持ったものが契約相手として現れる。契約前であれば、他のものに変更や拒否も出来る。信仰の必要は無いが、信仰対象である場合は力が発現しやすい。
そもそも信仰という言葉が、前世における信仰と違った意味になるのではという気がする。神仏という別次元の存在が確認できているのだから。
前世において、僕自身は神の存在を信じてはおらず無宗教であったが、人を超越した存在を認めていなかったという訳では無い。例えば自然や宇宙そのもの等だ。
無神論者とは、人を超越した存在を認めるかどうかではなく、その存在に意思が宿っている事を認めるか否か、という事だと思っている。
仮に自然災害が発生したとしよう。そこに神の意思は存在しているのか?
ある宗教家は言うだろう。神がお怒りになっておられ、鉄槌が下されたのだと。不徳が蔓延った町は、一夜にして全ての痕跡を消す事になるのだ。
全て?
全てだって?
その町には罪なき者もいたはずだ。その者たちを含む、全てが罰を受けたのか?そりゃないぜ。全知全能であるならば、罪なき者は除外してもらいたいもんだ。
自然現象には、生物のような意思を認める事は出来ないというのが、僕の考えであった。自然に優しくという言葉は、人間にとって都合の良い環境という意味でしかなく、それ以下でもない。
しかしこの世界には、意思を持った神仏が存在するという。
ビックリだ。
じゃあ先ず、そこから改めてみよう。実際に魔力という超常現象がある世界だ。その神仏が善なるものかはともかくとして、意思を持った超越者が存在すると認める事から始めるとする。
そこで疑問となるのは、その超越者達が何の意図をもって人間と関りをもつのかという事である。
人間を在るべき姿へと導いてくれてるんだろうか。何の為に?
愛玩動物であるペットの躾と同じで、飼い主(創造主)としての責任から?
製造物責任ってやつですかね。
製造物責任(Product Liability)を定めた日本の法律は、製造物責任法(PL法)と呼ばれる。人間という製造物を生み出した責任が神様にあるのかな? しかし、そんな事を認めてしまうのなら、それは究極の責任逃れだ。
自ら犯した罪を、親や社会が悪いと主張できるのは未成年までだ。ある程度まで成長したら己が責任を負うべきで、神さまに責任を押し付けるなんて恐ろしいぜ。
「神仏が人と関りを持つ理由ねえ。」
「はい。人間からすれば、神仏の庇護を受けられるなら有難い話ですが、あちら側にとって、何か利はあるのでしょうか。」
「ところでね、神さま仏さまって何時から存在していると思う?」
難しい質問ですな。前世の考えと今とでは前提が大きく異なる為、どう説明したら良いか迷いつつ言葉を発した。
「以前の考えですが、人が認識した時から存在しているのだと思っていました。」
「ほう。」
「存在すると考える人がいるからこそ、神は存在するのではないかと。」
人間が必要とし求めたからこそ、神は存在すると考えていた。それでは、必要とされない神はどうなるのか。
哲学者ニーチェの言葉がある。
「神は死んだ。」
そう、必要とされない神は死ぬのである。
勿論の事だが、神話のおとぎ話のように、現実としての死を迎えるのではない。既存の概念としての死、という意味である。
現実世界はとても不条理で、思い通りにならない事ばかりだ。悪の栄えたためし無しとは言うけれど、本当にそうなのか? 長期的にはともかく、短期的にみれば栄える悪は存在する。
今まではそれらの不条理を説明する為に、宗教、つまり神の教えを説いてきた。悪事をすれば地獄へ堕ち、相応の報いを受けるというものである。
ニーチェは「神は死んだ。」という言葉で、もはや宗教のロジックが通用しない時代に突入したという。神の存在意義を否定したのである。概念上の神殺しだ。
神という精神的支柱は失われた。
この世の不条理に対して、もはや神に救いを求める事は出来ない。
これから人は何を拠り所とすべきなのだろうか?
ニーチェは言う。神に変わるものこそ覚悟を持った人間であると。超人思想だ。超人とは、運命を受け入れる覚悟をした者達である。特別な能力を備えていたり、他の人間と身体能力に差がある訳でもない。
違いは、運命を受け入れる覚悟を持っているか否か、この一点に限られる。
神を殺した者に救いは無い。ただ覚悟と信念をもって、残酷な現実を受け入れる以外に選択肢は残されていないのだ。超人とは、この事を理解した者達を指す。
これらの考えを真魚さんに伝えるには、どう考えても時間が足りない。これまでに述べた内容は未だ一部分に過ぎないし、そもそも、前世の記憶を持つこの僕が、輪廻転生を否定したニーチェを語るなど、皮肉でしかない。
「以前はと言いましたが、では今はどう考えているのですか?」
「正直、何も分からなくなってきました。考えを根底から否定された気分です。」
そりゃそうだ。神の救いの無い残酷な世界で、覚悟を持ち進もうとしていたら、前提となるものを根底から覆されたのである。どうして良いやら分からない。
「人間が求めたから、それを体現する神が存在するというのは面白い考えです。」
「自分でも良く分ってはいないのですがね。」
「私は宗教の誕生について研究しているのですが、その考えに近い事を思っております。」
真魚さんの話によれば、古典とされるもので、最も古い時代に記述された書物に登場する神々は、僅かな数で構成されていたが、時代が経つにしたがい、その数を増していったらしい。更には、明らかに異文化から影響を受けている神が誕生した例すらある。
誕生後、その神による奇跡が確認される様になった。かつては存在すら否定されていたが、信者が増すごとに力を発現するようになったとの事だ。
その例こそが、人間が神を産んだ証ではないかという。
「人が神を産む、神産みを成したと。」
「はい。」
「えっと……、ちょっと待って下さい。」
ここから先は慎重になるべきだと、頭の中で警戒音が鳴り響く。
「これ以上の話は、神仏を信仰するにあたり重要な事のような気がします。僕なんかに話をしても大丈夫なのでしょうか。」
「どういう事です?」
「下手をすると、異端と認定されかねない内容なのではないでしょうか。」
異端は異教より憎し、と言う人もいるくらいだ。
考えてみれば、この世界の宗教事情は何も分からない。知らないうちに、ヤバい領域へと踏み込んでしまっているのではあるまいか。




