44 エリート達と、体力テストの始まり
正直に告白すると、僕はエリートとされる人に対して、若干の苦手意識がある。彼らが優秀なのは間違いないが、友人としてはどうなのよと考えてしまう。
その苦手意識の原点は小学生の頃に遡る。
僕は公立小学校に通っていたが、そのなかで成績がトップの数人は、中学で私学に進学していった。小学生からエリート教育を受けている子らは、癖のあるヤツが多かった印象がある。勿論、全員という訳では無い。
どんな話の流れだったか忘れたが、進学組である一人の女の子がこう言った。
「人間、バカと天才しかおらん。」
「普通ってのもおるやろ。」
「いや、おらん。」
(こ、こいつ、どんだけ上からやねん。)
こんな事を言うのは、こいつは、自分自身を天才やと思っとるなと感じられた。その子の中では、天才以外は全員バカ扱いらしい。天才ってなんだろう?
根性が曲がっとる。
もう一つ話をしよう。
同じように私立中学に進学した男の子がいた。こちらは普通の性格でそれなりに仲が良く、テストの点数を競っていた記憶がある。僅かに及ばない事が多かったですがね。
僅か?
……そういう事にしといてね。
彼の進学した学校は中高一貫で、社会的な評価も高いところだったが、成人式で再会した時に聞いた虐めの話が、かなりえぐかったのを覚えている。
その虐めは直接的な暴力でも、精神を追い込むものでもなく、本人ですら虐められている自覚がなかったらしい。
じゃあ、それは虐めなのかという事だが、それを聞いて胸糞が悪くなるような、かなり外道な事を行っていた。友人はそれに加担してはいなかったようだが、真相は分からない。
頭の良さを虐めに使うとこうなるのかと感じた。周りから馬鹿にされているが、知らぬは本人のみという状態だ。所謂、玩具にされていたらしい。
人間が腐っとる。
実は、その小学校時代の友人に影響されて、僕も私学に通いたいという気持ちが僅かにあったが、行かんで良かったぜ。受けても落ちてた可能性が大きいけどね。
入学初年度からエリートに囲まれる事になり、なんだか面倒くさい事になってきたなと感じた。だが、それを乗り越える為に、これまで頑張ってきたはずだ。
選抜クラスは所詮1年間だけだ。なんとかなるやろ。それに、エリートがそんな奴等ばかりだったら、世の中終わりだ。
さて、オリエンテーションが終わり、いよいよ試験が始まる。
1年生を除いた学年は、体力テストに加えて学力テストもあるが、一年生は体力テストのみだ。始めの種目は懸垂からで、上限10回で最高回数となる。女の子は半分の5回だ。
僕にとって、これは魔法を使わなくても十分に出来る回数だ。懸垂に重要なのは腕力だが、それ以上に大事なのは体重だ。デブとガリでは負荷が違う。日頃、体を動かしているせいもあり、僕は痩せているほうである。
同じクラスの者をみると、太っているものが多い。太れるほど十分な食事が取れるのは裕福な証拠だろうが、今回の懸垂には具合が悪い。どうやら魔法で肉体強化をしているのがほとんどだ。
ふむ、これ位の魔法は皆も使えるのか。やはりこの種目では差が付きにくいみたいだ。この位は予想していたが、この事は後で響いてくるはずだ。後悔すんなよ。
次なる種目は短距離走で、距離は50メートル。ストップウォッチなどは無く、順位を決める為に複数回走る必要がある。
ゴールには旗が立てられており、それを手に入れた者が勝者となる。つまりは、ビーチフラッグのようなものだ。
【男子15名】
予選 5人 → 2人 3回=6名突破/敗退9
準決勝 3人 → 1人 2回=2名突破/敗退4
決勝 2人 → 1位
決勝まで残れば3回走る事になる。速いヤツと始めに当たるかもしれんという、組み合わせの運もある。このような評価基準を相対評価と呼ぶ。
人事評価などで良く聞く言葉だが、相対評価は他人との比較で評価が決定されるというものだ。
筆記試験で例を挙げれば、平均点との比較だ。テストで80点を取って喜んだが平均点は90点だった場合、80点は良い結果とは言えない。他人と比べての評価を相対評価という。
それとは違い、80点以上の点数を取ったものには単位を与えるという場合は、絶対評価とされる。他人の成績がどうあれ、80点以上獲得した者は、80点以上の実力が備わっているという絶対的な証明だ。
絶対評価は客観的に物事を分析するケースに優れ、相対評価は、対象を競わせ、モチベーションを高める場合に優れている。
どちらも長所と短所がある為、目的による使い分けが必要だ。




