3 若さと可能性
どうやら異世界に転生しているようだ。
日本人であった頃、僕は転生や死後の世界といった事について否定的で、神話や創作物語としては好きであったが、現実としては信じていなかった。宗教に対しては敬意を払っていたが、無宗教と呼ばれる類であった。
だが、現実は受け入れざるを得ない。どうしてこうなったのか、悩んでも答えが出る事はないだろう。まずは現状を整理していこう。
第一に若い。若いというより幼い。
これは大きなアドバンテージだ。若さとは可能性である。大人ではなく、子供の内に前世の記憶がよみがえった事は非常に大きい。
若さで得た時間を、有効に使うことが出来るからだ。人は皆、試行錯誤しながら成長し、より良い選択肢を模索してゆく。記憶の中では二度目の人生となる今回、前回よりはましな選択をとれるかもしれない。
昔、友人がこう言った事がある。
「うわ~ 失敗したわ~」
「何が?」
「いや、俺って短足やろ?」
返答に困る問いを投げ掛けてくる。
実際、客観的に見て長いとは言い難い。
「筋肉を付けると、背が伸びんくなるらしくてさ~」
「そのせいで、足が成長せんかったんやわ。」
彼曰く、足に筋肉が付いたせいで、足の成長が妨げられたと主張しているのだ。彼は走るのが好きで、小学校の頃から良く走っていたのを覚えている。その走り込みのせいだと言う。
(な… なんやとぉ~。)
長くはない足であったが、彼はとても足が速かった。運動会のリレーでは常にアンカーで、足が短いが故の、狭いストライドを回転で補っていた。いわゆる見事なピッチ走法であり、見ていて気持ちが良いほどであった。
運動会のエースとなるにあたって、その様な悪魔の取引があったと知り、恐れ、そして慄いた。
当時チビであった僕にとって、これは恐怖であった。その話を聞いて以降、部活の筋トレでは、こっそりと手を抜くようにしていた。
本当は、鍛えた方が成長に良い効果があるそうなのだが、当時はそれを知る由もなかった。そして、目前の足の短き男がそうのたまうのだ。
現物がそこにある、説得力は抜群だ。
その後の僕については、遅い成長期があり、平均並みには身長が伸びたが、当時の筋トレを、もっと真面目にこなしていれば、さらに上背があったかもしれない。
この異世界における物理法則等が、どこまで前世、地球と共通点があるか分からないが、前世の経験により、このような失敗を少なく出来るだろう。
しかし実際のところ、筋力が彼の足の長さへ、どのように影響したのかは謎だ。効果と結果が結びつかなかったのかもしれない。成長が遅れているだけだと言い、お茶を濁しておいたが、その後どうなったかは不明である。
人生とは不条理なもので、努力が結果に反映されるとは限らない。反映されるまでに時間がかかる場合もある。しかし、やれる事はやったという精神が、その後の人生で起きうる理不尽に、抗う力を育んでくれると信じたい。
二度目の人生とは言え、今後、数多くの失敗を繰り返すだろう。いや、既に間違いを犯している可能性も否定できない。
どんな能力を持っていても、重要なのは、それを使いこなす側である。F1というバケモノのようなマシンを与えられても、ドライバー次第では軽自動車にも劣る。前世の知識も、それと同じ事が言えるだろう。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。」論語の格言であるが、この精神を心掛けて柔軟にいこうと思う。前世の記憶を活用しつつ、それに振り回されないようにしたい。
ところで、成長については適度な運動もそうだが、遺伝に加えて栄養状態が大事だ。好き嫌いを言わずに食べていたら、食いしん坊と認定されてしまったようだ。苦手なものが食卓に並んだ時、孤児院の仲間が、それを僕の皿に放り込んでくる。
好き嫌いが出来るということは、食に不自由をしていないということでもある。孤児でも恵まれているのかもしれない。などと考えていると、皿に移しているのを見つかったようだ。
「こらっ 自分の分は自分で食べる。」
孤児院の寮母さんから注意を受ける。
「ハルも人のものを欲しがらないようにね。」
とばっちりが飛んできた。食事は白米が食べられ、元日本人として有難い。
肉食も大丈夫だ。非常に有難い。
甘味は少なく駄菓子類も無いが、始めから無いものだと割り切れば、それはそれで、やっていけるものだと知った。
しかし、此方の世界で、一度でもその味を知ってしまったら、その誘惑に耐える事が出来るのだろうか。自信は無い。