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輪廻の果てへ  作者: 葉和戸 加太
四章 モラトリアム ― 実験開始前 ―
182/305

182 皇帝の定義

個人的に思うファンタジー設定のテンプレイメージ。


王国 …… 味方

帝国 …… 敵役


スターウォーズもこんな感じやね。


因みに、この小説の舞台を帝国とした理由に深い意味はありません。

設定に矛盾が無いよう、後付けでストーリーを考えております。

 島自治領は大和本土と行政区が違うとはいえ大きな違いは無い。通貨などの単位は統一された同じ基準を使っている。前世で例えるならイギリスに近い。


 イギリスは連合王国(United Kingdom)であり複数の国で構成される。


 複数とは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つの地方に分ける事ができ、日本と同じ立憲君主制で元首はイギリス国王だ。


 サッカーの国際大会では、それぞれが代表チームを持つ。


 ここまでの説明で疑問に思う人がいるかもしれない。


「複数の国を統べるってのは皇帝なんちゃうの?」

「イギリス皇帝ってのは聞かんけど、大英帝国とは言うよね。どーいう事なん?」


 では順を追って説明していこう。


 先ず、東洋の皇帝と西洋のエンペラーは全く別物と考えてもらいたい。国が違えば文化も違う。同じ権力者でも、成り立ちや内容に違いがあるのは当たり前だ。


 Emperorエンペラー は古代ローマの Imperatorインペラートル が語源である。


 西洋のエンペラーはローマ帝国の継承者という意味合いが強く、現在のイギリス王室はローマ帝国との繋がりは無い。なので、イギリス国王は複数国の元首ではあるが、エンペラーではない。


 次に、大英帝国と呼ばれた理由を述べる。


 イギリスのウィンザー朝はローマ帝国の後継では無い為、イギリス国王は皇帝を名乗らないのは先ほど述べた通りだが、かつてイギリスはインドを支配しており、イギリス国王はインド皇帝を兼ねていた時期が存在する。


 イギリス国王であり、イギリス領インド帝国の皇帝でもあった。


 大英帝国の根拠はインド皇帝から来ているのだ。これは東西の文化が交わった末に起きたレアケースだ。


 また、変わり種としてはドイツ第三帝国なるものがある。ナチス時代に使われた言葉で、ナチスは様々な創作物に悪役として良く登場する為、耳に馴染みがある人も多いだろう。


 当然だが、ナチスドイツに皇帝は存在しない。


 第三帝国とは概念上の存在。


 ドイツが繁栄した時代よ再びという、政治的ムーブメントである。


 神聖ローマ帝国を第一期、帝政ドイツ時代を第二期と位置づけ、ナチスドイツが第三期の繁栄を謳歌する時代だという考えから、この様な言葉が生まれた。実際のナチスが公式に第三帝国を自称した例は無いと聞く。


 この様に皇帝の概念は文化によって違いがある。日本の天皇もエンペラーと訳されるが、これは非常に特殊なケースだと思っている。


 かつて大日本帝国と称された期間は、朝鮮半島や台湾などを併合し、まさに帝国を形成していたが、戦後になり帝国時代が終わっても、エンペラーと呼ぶべきなのだろうか。


 仮に、日本が単一国家だと言う理由でエンペラーが相応しくないとするならば、他国を併合する前はエンペラーで無かったという理屈になる。


 ところが、天皇をエンペラーと記した文献を探すと、17世紀末の江戸時代まで遡る事が出来るのだ。


 この事実を基にすれば、複数の国を統べる以前においても、天皇はエンペラーとして西欧諸国に受け止められていた事になる。


 その文献は、ドイツ人医師で出島の三学者と言われたエンゲルベルト・ケンペルの記した「日本誌」である。


 江戸時代、天皇は日本の最高権威ではあるが、実際の政治は幕府が行っていた。世界の果てに来てみれば、自国とは違う政治体制の国がある。天皇は土着の宗教を体現しているだけで無く、世俗の最高権威を持つ存在だ。


 勝手な想像を言わせてもらえば、西洋人からすると、天皇をエンペラーと訳す外に言葉が見つからなかったのではと思う。


 天皇を教皇(Pope)と訳さなかったのはキリスト教では無い為だろう。それに、軍事も天皇の権力に含まれる為、教皇より世俗に近いとみなされたのか。


 天皇を表す内裏(Dairiダイリ)や、将軍を意味する大君(Tycoonタイクーン)のように、日本語をそのまま直輸入した例もある。


 やっぱ、訳すんが難しかったんちゃうかな。天皇は他国の君主と比べ非常に稀有な存在で、時代を重ねる程にその特殊性が際立つ。ほんなら何もイジらんと、そのまま使ったろうやんけの精神だ。


 さて、少し話を変えファンタジーの皇帝を考察しみよう。


 なろうに限らず、ファンタジー小説に登場する皇帝は、現実の定義と若干違う。一般的に多いのは軍事大国という設定だろうか。


 王よりも上、王の中の王(King of Kings)という事からの大国設定なのだろう。井の中の蛙が王様を気取っても喜劇でしかなく、違和感は感じない。


 次に軍国主義であるという点。皇帝は軍国主義とイコールではない。だが、このイメージを受け入れ難いとは思わない。


 その理由として、皇帝は封建、君主制の名残であり、統治者が絶対的権力を有している。その事から、帝国は強権主義に違いないという先入観だろう。


 それに、自国の利益の為に他国を侵略する事を指す帝国主義という言葉があり、この言葉こそが、帝国が軍事大国という印象を受ける一番の理由だと思う。


 なろう小説では王国が味方、帝国が悪役となるケースが多い。テンプレートだからと言えばそれまでだが、納得できそうな理由を考えてみた。


① 帝国は大きな政府で管理社会、王国は小さな政府で自由主義を尊重する。

② 主人公は冒険者(実力主義のフリーランス)であり束縛を嫌う。

③ 政府の縛りが緩い王国に拠点を置くメリットがある。


 はたして王国が自由を尊ぶかと言われれば、大いに疑問はありますがね。


 帝国が強権主義なのは多民族国家である為、強い政府でなければ国が纏まらないという理由もあるだろう。民族や宗教などの社会的価値観が違う人々を、力づくで抑え込むって感じやな。


 強引にでも抑え込める力がある内は未だ良いのだが、国力が衰退し、民衆を抑え切れなくなった時は、国家の崩壊という悲劇が待っている。


 単純にデカい、制度が統一されているのは非常に効率的で利便性が高い。だが、効率的だからといって、少をバッサリと斬り捨ててもええんか?


 効率と多様性。共に大事なものだが、この二つが両立しない場合には、何処かで折り合いを付けてやっていくしか無い。


 彼方立てれば此方が立たぬ。公共の福祉と個人の利益も同じようなもんだ。


 貴方は何処でラインを引こうとお考えでしょうか。






 皇帝とは何ぞやと考えると、様々な定義があって面白く感じる。しかし、歴史が進むにつれ、その定義ってのが無茶苦茶になってくるんやな。


 ナポレオンよ、おまはんの事やで。


 彼は英雄には違いないが、自由を求めて革命を起こした挙句、国王をぶっ殺して皇帝が誕生するってどんな皮肉やねん。


 おかーちゃん、恥ずかしくて顔出されへんわ。


 母であるマリア・レティツィア・ボナパルトは皇帝即位に反対し、戴冠式の晴れ舞台に出席しなかったという。親不孝もんだぜ。


 ナポレオンのような大物以外にも、皇帝を自称したヤツはおるが、名乗れば拍が付くってもんでもないやろ。問題は中身や。


 フランス革命は近代民主主義の始まりと言われるが、民主主義ってなんやろね。ナポレオンが皇帝になれたのも、民衆の圧倒的支持があったからだ。


 極論だが、民意が王国を否定し帝国を望んだ。それがフランス革命や。


 その結果に戦争が起き、かつてない程の死者が出たと。


 なんやコレ。


 ギャグでやってんの?


 生みの苦しみと言えるかもしれんが、人が死に過ぎやろ。


 これでも民意は常に正義だと言えるんかねえ。


 民主主義は平和を重んじるイメージがあるが、それは幻想に過ぎない。民主主義が平和なのは、国の意思を決定するプロセスまでだ。


 民主主義の政権が他国を侵略する事もあるし、政府の方針が気に食わなければ、暴動を起こし暴力に訴える輩も存在する。


 ナチスだって、選挙によるドイツ国民の意思に他ならない。


 国民に主権があると言うなれば、普通選挙で政治家を選んだ国民にも責がある。それを忘れがちなのは、普通選挙というシステム上、国民の一人ひとりに与えられた権利と責任が、非常に小さく分割されているからだろう。


 権利と責任は表裏一体であるべきだ。


 重さを感じられない程に小さなものではあるが、集団となれば大きな力になる。それが民主主義が持つ特徴のひとつなんちゃうんか。


 無能な政治家は非難されて然るべきだが、同時に、そんな人物を選んだ自分自身も反省せないかんわ。


 有権者が当事者意識を持って、政治家が掲げる政策を真剣に吟味すれば、政治家の質は向上するはずだと信じたい。






 さて、民主主義の問題点を思い付くまま述べさせてもらったが、僕は国民の意思を社会に反映させ易い民主主義の素晴らしさを否定するつもりは無いし、封建制や君主制、強権主義の独裁政治なんぞクソ喰らえだ。


 神様じゃあ無いんだ。完璧な人間など何処にもおらんのよ。


 人間はこれからも多くの間違いを犯すだろう。歴史を見れば、同じ間違いを何回繰り返せば気が済むのかってものばかりだ。ギロチンの犠牲者が報われねえぜ。


 勿論、これは僕自身が噛みしめねばならぬ問題でもある。岡目八目の言葉通り、いざ自分自身の事になると、冷静な判断が出来るか疑わしい。


 迷いながら、間違いながら、次こそ上手くやってみせると、根拠のないカラ元気を出し、暗闇の中を進んでゆくのだ。

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