179 責任の所在
今回は貿易業務のテクニカルな知識となりますので、分かり辛いかもしれません。
小島領主サイドが、税の追加納付は納得できないと主張するのですが、
その根拠を説明していると思ってください。
代官は税を徴収する任を負っているが、それを免除する権限は持ってはいない。民の現状に心を痛めていたが、それを政治に反映させる術は無かった。彼は役人であり、政治家では無いのだ。
「貴方にも出来る事はある。否、これは貴方しか出来ない事です。」
「そ、それはどの様な事でしょうか?」
(まさか、ワシの首を反逆の狼煙とするのではなかろうか?)
「代官殿は我らが納めた税をご確認なされたはずです。これは大島へ輸送する前、我々小島の分をと言う事ですが。」
「ああ、確かに確認いたしました。本年度の納入分を確認後、大島へと送る手筈を整えたのは私です。記録にも残してあり間違いござらん。」
「我々が欲しいのはそれです。税が代官殿の手に渡った時点で、我らの納税義務は果たされたとみるべきです。此度の賊騒ぎは、我らが責任の外で起こったものだ。それを再度納めよとは筋が通らぬでしょう。」
「おっしゃる事は分かりますが、法律上の手続きと致しましては、貨物が大和本土に陸揚げされ、荷受人に引き渡された時に納入されたとみなされます。事件は大島の港倉庫で発生したと聞いております。よって貴方たちに責は無くとも、納税されたとはみなされぬのです。」
この様な取り決めは、現代でも輸出入の際にとても重要だ。
例えば、貴方の会社の商品を買いたいと海外から問い合わせがあった。そして、無事に商談が成立したとしよう。
では、商品と代金の受け渡しはどうすれば良い?
もし、商品を送ったが支払いが無ければ詐欺である。
逆に、支払いをしても商品が届かない場合は?
双方が同じ国に所属しているのなら、詐欺は国内法で対処できる。裁判を起こせもするだろう。だが、相手が海外なら取り立ては困難を極める。
取引先が信頼に足るかの判断が重要だが、外国の一企業、または個人を信用調査したいと思っても限界がある。詐欺のリスクをゼロにする事など出来はしない。
とは言え、一定の信頼を確認するまで待っていては、折角のビジネスチャンスを逃してしまうかもしれない。それでは経済のダイナミズムを失う事になる。
そこで考えられたのが、銀行が発行する信用状を使う取引だ。リスクを回避する為に、購入者と販売者の間に銀行というクッションを入れるのである。
これを信用状取引と言う。
この貿易に欠かせない信用状(L/C)Letter of Credit の仕組みを説明していく。商談成立後の流れを見ていこう。
① 購入者が銀行に信用状の発行を依頼し、販売者に通知する。
信用状には一定の条件(商品を発送した証明書、その他必要な書類など)が記載されており、条件を満たした者が銀行へ必要書類を持参した場合、その者が請求する金額を支払うと明記されている。
② 販売者が条件を満たし、銀行へL/Cの買い取りを依頼。代金を得る。
持ち込まれた必要書類に不備がなければ、銀行がL/Cを買い取る。銀行は購入者から代金を回収する。
購入者からすれば、商品が発送された事が書類で確認されるまでは、代金を支払わなくとも良い。その確認作業は銀行が行う。
販売者からすれば、条件さえ満たせば代金を手に入れられる。取り立ては銀行が代行してくれる。
そして銀行には利息と手数料が入る。これがL/Cを使った取引の簡単な流れだ。そしてL/C買い取りの際、最も重要な書類が船荷証券である。
船荷証券(B/L)Bill of Lading とは、船に積み込まれた商品の明細が記載されたもので、船会社が発行する証明書だ。B/Lは証券と訳され、譲渡される事が前提の有価証券である。
つまり紙幣と同じく、流通が可能なお金の性質を持っている。
Bill of Lading を日本語に直訳すれば積載票と言ったところか。貨物が船に積み込まれ、On Board状態になった事を証明する書類だ。
これまで輸出の手続きを長々と説明してきたが、最も伝えたかったのはこれだ。貨物が船に積み込まれればB/Lが発行され、L/Cの買い取りが出来る。販売者のすべき手続きはこれにて完了となる。
分かり易く言おう。
一般的に販売者が貨物に対し負うべき責任は、貨物を船に積み込む迄だ。
例えコンテナ船が嵐で遭難し、商品が海の藻屑になったとしても、それは船積みが終わった後であり、販売者の知った事では無い。
これが現代の通例。責任の所在が明確に定めてある。
では、ここ異世界での通例はどうなっていたのだろうか。
銀行や信用取引等のシステムは未だ未熟で、現代日本とは比べ物にならない。
だが、貨物に対する責任の所在についての考えはある。それは前世と同じく船に積み込んだ時点で責を果たしたという考え。
今回の重要なポイントは、その明細を代官が確認していると言う事だ。小島領主サイドとしては、この事実を明確にしたかったのである。その一点こそ小島領主が望む突破口となり得た。
金品の所有者に異動があるとき、ルールを定め無いと揉め事が起こる。それは、ここ異世界においても同じ事。
島一族が大和の中央政権へ納税する手続きについても、当然に定めがある。
しかし、大島と小島間の輸送については、同じ自治領内、同じ一族という甘えがあったのか、グレーゾーンと言うべき穴が存在していた。
小島領主はその穴に賭けたのである。