168 人間の器
「たのもー!」
道場の前で声を張り上げる。
「何か道場破りっぽいな。」
「実はさ、一回で良いから言ってみたかったんよね、コレ。」
「そう言われると、俺も言いたくなってきた。」
三人で声のデカさを競っていたら、奥から返事が聞こえてきた。
「どうれ~、お、可愛らしい道場破りだな。立ち合いをご所望かな?」
「あ、いえ…… 調子に乗りました。ゴメンなさい。」
名前を名乗り訪れた理由を説明すると、話は通っていたらしく道場の奥へと案内された。そこには師範代とおぼしき壮年の男と、正座をしたタケが控えていた。
「良く来てくれたね。」
男は柳と名乗り、お互いに自己紹介を済ませる。彼は印象の通り師範代であり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「先ずはウチの門弟が失礼した事を詫びておこう。申し訳ない。」
「いえ、もういいんです。」
正直な気持ちを言えば、心に何某かのわだかまりが残っているのは否定しない。謝ればそれでお終いってのが理想だろうが、そこまで人間が出来ちゃあいない。
現状を整理すると、
イジメっ子がある時、ぶちキレたイジメられっ子に逆襲されて、ぶっ飛ばされた訳やな。
そしてグループの序列が逆転したら、次は自分がイジメとったヤツにすり寄って来たってトコか。
こんな言い方をすれば、なんて嫌な野郎だと思えるが、実際に付き合ってみるとそこまで性悪なヤツじゃあない。むしろ、どこにでもいる少年だろう。
「本当のコイツは良いヤツなんだ。何か魔が差したんだ。」
「この子は家族にとても優しい子で、本来は、こんな恐ろしい事が出来る子じゃあないんです。きっと何か理由があるからに違いありません。」
まあ、よく聞く言葉ではある。
近所の婆ちゃんに優しく声をかける青年が、恐ろしい犯罪を犯す事例を聞くと、人間心理ってのは一筋縄ではいかんなあと思う。
これへの解答の一つが、以前に挙げた身内の範囲であり、さらには、身内とそれ以外への態度の違いってのがあると思う。
仲間に対しては優しさを見せるが、それ以外の他人には攻撃的になるケースだ。強い仲間意識を持つが、己のグループ以外は敵とみなし、残虐行為をいとも簡単に行う例は珍しくない。
いくら知能が高いといえど、人間も所詮は動物なんやなと思うね。
個人的に、相手との力関係や立場次第で態度を変えるのは、人間としての器量が小さい証明のような気がして、あまり好きじゃあない。
前世においても、立場や力関係で態度が変わらないように心掛け、実践してきたつもりはある。
だが、果たしてそれが正解なのかと、考えさせられる出来事があった。
かつて、ある人に言われた言葉がある。
「本当に裏表ってもんが無いよね~。」
「そう? 自然体ってのは意識してるけどね。」
「そうそれ。良い意味でも悪い意味でも、すっごい自然体なんだよ。」
「虚勢を張っても疲れるだけやからね。しんどいわ。」
「でもね、彼女としては少し思うところがあるんだけど。」
(これは悪い意味でっちゅう事やな。)
「彼女としては、私が他と違う特別だと感じさせて欲しいのよ。」
楽をせず、もっと頑張れとおっしゃられる。誰にでも見せる顔じゃあなく、彼女だけに見せる顔が見たいっちゅう事ですな。
それはもっともだと思ったので、素直に謝っておきました。
まさか、釣った魚にエサはやらんタイプと思われとったんちゃうやろな?
何が正解かなんて、相手によって変化する。例え同じ人間だったとしても、状況により、昨日と今日の正解が違うなんて事もあるのだ。
人の心は難しい。
これから先も、いろいろ間違えるだろうが、己に非があると思えばそれを認め、試行錯誤しながらやっていくしか道は無い。
タケの件についても同様だ。
今回の騒動について、僕に落度は無いが、もっと違う方法で解決できなかったかとは思う。そのお陰で今も彼に対し、完全に心を許していないところはある。
一度失った信頼は簡単に取り戻せない。
何かが起こったとき、コイツ、また敵に回るんちゃうかと頭に過る。
だが、それらを含めたうえで、自分の腹に飲み込む事に決めた。後は時間だけが解決していくだろう。
世の中は思い通りにならない事ばかりだ。それに甘んじろとは言わないが、現実は現実として受け止め、対処していかなくてはならない。
不条理を受け止められる量の事を、人間の器というのだろう。
この器のデカさは、年齢とは関係が無いと思っている。普通に考えれば、経験を積んだ大人のほうが器が大きいように思えるが、本当にそうなのだろうか。
追い詰められた大人が、くだらない言い訳をする姿は、子供より醜悪さが際立ち見ていられない。
お前、ええ歳して恥ずかしいと思わんのか?
思わんからこそ出来るんやろな。自分が未熟と自覚する子供は反省が出来るが、経験に裏付けされた大人は、自分の過ちを認め辛い傾向にある。
自信を持つのも大事だが、自分の狭い世界だけで通用する自信は要注意だ。
何故、大人は子供よりも人間の器がデカく感じられるのか。その理由のひとつに処理能力の問題があると思っている。
例えば、同じ大きさの器に同じ量の水を注ぐとする。
当然、注がれた水を処理、排水しなければ水が溢れる。
大人になり処理能力が上がれば、より大量の水を処理できるが、器自体の大きさに変化は無い。
だから、注がれる水に混じり物があったり、何らかの異常事態が起こったとき、処理できない水が溜まってパンク、ヒステリーを起こすんやな。
僕も気を付けなあかん。
ニューロン増加計画が上手くいき、脳の処理能力が上がっても、容量が少なければ、手に入れた能力を十分に使いこなせない。CPU以外に、メモリーの増設をするのも忘れちゃならんのよ。
人間の器は自分が意識して拡げようとしないと、大きくならないと思っている。そうでないと、ただ処理能力が上がるのみだろう。今後は、器を広げる事も意識していくつもりだ。
もっとも、人として器がどーたらこーたら言っとる時点で、自分の事を、なんと小っちゃいヤツなんやと思わんでもない。所詮、小人の戯言に過ぎんわ。
本当にデカいヤツは、こんなん考えもせんやろ。