16 知力鍛錬 言語と文化
文字。
それは人類の発明の中で最上級のものだ。人は言葉を持った事で、自分の経験を他者とより共有できるようになり、文字を発明し共有範囲がさらに拡大した。
文字・本がある事により、情報を伝えるのに直接会う必要が無くなり、既に死んだ人からも、本という媒体により教えを乞う事ができる。他者の経験を我が物にする非常に有益な手段だ。
「ハナ姉~、勉強教えて~。」
「おっ ハルちゃん、やる気やないの。」
「来年に学校だからね。薬師院一族として恥をかくことはできんから。」
「えらいね~。」
「正直、どこまでやる気が持つか分からんけど、気持ちがあるうちに頑張る。」
このやる気が、1年を通して維持できるとは思わない。転生前の性質と変わらないのであれば、間違いなく途中で飽きる。それを予防する為に、今のうちに勉強をする事を習慣としておこうと思う。食事をしたら歯を磨くように、条件反射の如く体に刷り込ませる。
ハナ姉に勉強を教わる対価で、近所の姉ちゃんを一人加え、お手玉、おはじき、おままごとに付き合わされた。始めはどうなんやろと思ったが、実際にやってみたら楽しかった。おままごとは恥ずかしく思えたが、一度やってしまうと吹っ切れるというか、結構良いもんだった。役者や、劇団員などの演技を生業にしている人の気持ちに、少しだけ触れたような気がした。所詮おままごとですがね。
勉強も真面目にやった。「も」ではなく、こちらが本来の目的だ。自分が使っている言語の理解が深まった。
言葉というのは、その属する文化そのものを表現していると言って良い。転生前は日本人だったが、今使っている言語は日本語と酷似していた。具体例を挙げると文法の順番が、主語+動詞ではなく、最後に動詞となる並びだ。
日本人は自己主張が下手な民族と言われているが、それが言語の特徴に表れている。動詞とは自分の行動を示す意思表示だ。それが最後にくるということは、行動する理由説明が先に来る。この根拠があるから、その行動をとりますよ、という、実に論理的だ。
かつて英語圏に留学していた頃、英語で会話をする際に、若干の違和感を感じていた。初めは、母国語ではないので当たり前かなと思ったが、
(いや、この違和感はそれだけじゃ無いな。)
英語で会話をする時、自分の意思表示を急かされるような気がすると気付いた。英語表現では始めに動詞、自己主張から入る。まずは自分の意思を主張し、その後、その行動の説明をする。始めに行動ありきなのだ。簡単な例を挙げると、
・日本語 原因 → 原因による行動。
例 お腹が空いたから → ご飯を食べる。
・英語 行動 → その原因を説明。
例 I eat lunch → because hungry.
日常の会話ならば、お腹すいた!(Hungry!)だけでも通じるし、行動と説明の順番を入れ替えても、何も問題なく会話できるが、正式な文法表現だと言葉の順番は非常に重要だ。まさに言葉は文化なのである。
日本では、話は最後まで聞きましょうと言われるように、最後に決定的な言葉が使われる。逆に言えば最終決定するまで、のらりくらりと引き延ばす事が出来る。英語は言葉を発した時、すでに行動は決まっているのである。これはどちらが優れているという話ではない。これが文化というものだ。
これに気付いた後は、英語は動詞、行動が常に先だと頭に入れるようにしたら、次第に違和感も消えていった。ただ単に、時間によって慣れただけだったのかもしれないが、僕にとっては、この発見が違和感を消してくれたように思えた。郷に入っては郷に従えと言われるのは、まさにその通りだと感じたものだ。
この様に言語の文法は、どういった方法で思考を構築し、結論を出すかという事に大きく影響している。これが民族の特徴にも反映されるのだろう。日本語とこの世界の言葉の構造が良く似ているのは、文化も似ている事も関連があるのかもしれない。
文法だけでなく、文字も非常に似ている。正確にいえば、文字そのものの形が似ているのではなく、その表現方法とでも言えば正解なのだろうか。日本語と同じ、表音文字と表意文字の組み合わせなのだ。
表音文字とは文字が音を表す文字の事で、日本語では平仮名と片仮名。外国ではアルファベットだ。その文字は音を表現しているだけで、他には何も意味を持たない。これが音を表す「表音文字」だ。
表意文字とは、文字が音ではなく意味を表す。漢字がそうである。『漢』の文字はこの一字で中国の過去の王朝、中国そのもの、または男を意味する。文字が意味を表している、これを「表意文字」と呼ぶ。
ここの世界でも日本と同じく、表意文字1つ、表音文字2つで成り立っている。これが意味するところは、僕が属するこの文明以外に、複数の文明が存在するかもしれないといいうことだ。そういえば、過去に異民族との争いがあったと聞いた事がある。彼らの文字なのだろうか。
勉強は、ハナ姉が昔使っていた教科書をくれたので、それを見ながら教えてもらっている。質問するときは先生と呼べとおっしゃる。
「ハナ先生、質問いい?…もとい、いいですか?」
「いいよ、なんですか?」
「教科書の、ココの書き込みは何ですか?」
「ケン兄の落書きです。ウ〇コと書いてあります。」
ふーむ、子供の下ネタ好きは異世界でも同じなのか。教科書はケン兄からハナ姉に受け継がれたものらしい。
「ケン兄はウ〇コが好きなのでしょうか。」
「お好きなんでしょう。私が学校で使っていた時、友達に見つかって、からかわれました。」
「お好きなら、これからお便所掃除は、ケン兄様に全部お任せしましょうか。」
「そうしましょう、そうしましょう。」
「こら―っ!」
隣で聞いていた、ケン兄に怒られた。
文字の学習は順調だ。さすがに表意文字までは不可能なので、表音文字マスターを目指している。新しいものを覚える時は、過去の経験との共通点を見つけたり、興味を持つことで効率が速くなる。必要だからという理由も、習得する意思の後押をしてくれるが、それだけではモチベーションが続かない。
英語も学習に面白さを感じてから、学習速度が速くなった気がした。例えば、自転車を英語で bicycle と言うが、bi 二つの cycle 輪 だから、併せて bicycle 二輪車となる。bi とは二つを意味する。頭に motor を付けると自動二輪車だ。
男女両方が恋愛対象である性癖の事を、バイセクシャルと言うが、バイとはこのバイやったのかと分かった。
三角形は tri 三つの angle 角 だから triangle となるのだ。恐竜トリケラトプスは3本角を持つ。よって、tri トリ から始まる。これはラテン語の引用となるが、知れば知るほど世界が広がってゆく。
これって面白いやないの、と感じた。勉強も興味を持てるようになればモチベーションが上がる。今回の異世界文字の習得についても、なんとか面白さを見い出し、コツコツやっていこうと思う。
ここで大事な事がひとつある。それは、改めて考えてみると、何も面白い事あらへんがなと醒めてしまってはいけない事だ。この勉強は面白いと、自分自身に暗示を掛け続ける事が大事である。