147 永劫回帰(ネタバレ注意)
「ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン」の批評中心です。
ジョジョ6部ストーリーを知っている事が前提の話になりますが、本編と一切関係ありません。読まなくとも今後の展開に影響ありません。ジョジョを知らない方はネタバレ注意です。
未来は決まっている説を採るのは悪役側に多いと述べたが、その理論が正しいと信じ、己の信じる正義を押し付けたクソ迷惑な例を紹介してみよう。採り上げるのは次の漫画だ。
「ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン」 荒木飛呂彦
最初に言っておくが、僕はジョジョが大好きだ。荒木先生の個性溢れる表現は、一読の価値があると思っている。
なかでも超能力を映像として表現するスタンド能力を思い付いたのは天才的だ。スタンドは力のイメージでしか無い為、どんなに在り得ない造形をしていても問題ない。漫画という絵で魅せる表現と相性が良く、登場するスタンドはどれも個性的で、読者を飽きさせない。
アニメ化もされ、マニアックな人気を誇る人気漫画だが、この6部は主人公達が負けてしまう事もあり、他の部と比べ異彩を放っている。
バッドエンドと言える結末だったので、ネット上でも様々な考察があり、今更な気がしないでもないが、自分なりに批評してみたい。
先ずは純粋なストーリー評価だ。
ジョジョで外せないのが、ジョースター家という血族の物語が軸である事。
一族の何世代に渡る長編で、魅力ある主人公が何人も登場し物語に花を添える。主役が交代するのは他の漫画でも時々見かけるが、失敗して人気を失う危険を孕んでいる。ジョジョの特徴は、主人公が違和感無く交代できる設定を作り上げた事にもあるだろう。
年季の入った伝統の舞台装置を使い、往年の名俳優達のサポートを受けながら、元気の良い新人が所狭しと動き回る。そりゃ人気出ますわな。
しかし終盤は、その根幹たる血族縛りルールに限界が来ていたように思う。
舞台が現代に追いついた後、順当なら次の部は未来編になるのだろうが、SFとジョジョの世界観が合わなかったのか、隠し子が現れたり、宿敵だった敵の子が、実はジョースターの血統だったりと苦しい展開が続く。
ま、面白けりゃ何でも良いんですがね。
未来編をやらないなら、ジョジョの物語を完結させるか、または引き延ばすか、どちらかを選択しなければならない。出版社の意向ってヤツもあるだろう。
その結果、6部主人公チームとラスボスが共に死亡し、ジョースター家の物語は幕を閉じる事になった。
ジョジョの物語はこれで完結したようにみえたが、設定と役柄の一部を引き継いで別世界へと舞台をを移した。しかし、その過程で主人公達が死ぬ衝撃の展開がある為、議論になり易いのではと思う。
「ジョースター家どころか世界が滅亡しとるやん。バッドエンドでしょ。」
これが素直な感想だ。
バッドエンドが悪いとは言わない。悲劇的なストーリーだからこそ、作者が伝えたい内容を表現できる場合だってある。
世代交代に限界がきて、今後もジョジョを続ける為に世界をリセットする必要があったのは理解できる。しかし、好きだったキャラクター達も無かった事にされたのは少し寂しい。
いや、なんて言ったら良いのか、面白い事は面白いんやが、少しガッカリ感があったんよね。何やこのガッカリ感はと考えたら、6部の物語で重要となる思想、永劫回帰の解釈が違うって理由が一番大きいかなと感じる。
それに存在を消された登場人物に愛着があったのもデカい。因みに好きなキャラは次の順であります。
1位 ジョセフ&ポルナレフ
2位 承太郎&仗助
では、永劫回帰について自分なりの説明をしたい。
お前こそ間違っとるんじゃと感じれば、遠慮なく突っ込んでくだされ。
ほな、いきまっせ。
永劫回帰とは、人は同じ時を何度も経験しているという考えだ。
常識で考えれば、過ぎ去った日々は二度と戻らない。青春の日々よもう一度と願っても、それが叶うことは無い。
例えタイムマシンで過去へ戻れたとしても、全く同じ体験をする事は出来ない。その場合は同じ時間の中、別の体験をするだけに終わる。
だが、同じ時間、同じ体験を繰り返しているという考えが永劫回帰である。
どういう事やねん。頭おかしいんじゃねえの?
事実、この概念を生んだニーチェは狂人と思われたらしい。
彼の事を、ひねくれ過ぎて錯乱してるだけと切り捨てるのは簡単だが、何が真実なのか見極めるのは難しい。永劫回帰を真実と仮定し理論を組み立てれば、次の様になるらしい。
1. 時間は無限である。
2. この世は物質が組み合わさって出来ており、物質は有限である。
3. 物質が有限である以上、その組み合わせもまた有限である。
4. 物質の組み合わせが有限であれば、永遠たる時間の中、
どこかで同じ組み合わせが出来上がるはずだ。(同じ現象の繰り返し)
どうなんかね、コレ。
僕自身は永劫回帰の考えを支持しないが、ジョジョ6部は永劫回帰をテーマに話が進んで行く。
6部のラスボスは、永劫回帰を信じて運命の輪を廻そうと試みる。何故その様な事をするのか、それは次の理屈を根拠とする。
1. 運命が変えられないのなら、それに耐えるしかない。
2. たとえ苦難が待っていようとも、一度でも経験すれば耐性が付く。
3. 耐性を獲得する為、世界を二周目まで先送りする。
4. 一周目の記憶は魂が記憶している。
その結果、どんな苦難も覚悟を持って耐える事が出来る。
詰まり、全ての人がニーチェの言う超人になれる。これは全人類の精神を強制的に引き上げる事を意味し、天国へと導く事なのだ。
ふーん。
狂人の戯言ですな。
この狂人の名はプッチ神父という。言うまでも無いが、彼の論理は明らかに破綻している。次はその破綻具合を解説していこうと思う。