145 無我と因果
来るべき将来に向けての選択が未だ出来ないが、全ての人は何かを決断しながら生きて行くのだろう。
人生に大きな影響を与えるものだったり、今日の食事は何を食べようかといった小さなものだったっりと様々だ。
それは自分の自由意志で選んだ選択のように思える。
しかし、
僕は時々思う。
これは本当に自分の意思で望んだものなのだろうかと。
例え話をしよう。
通勤や通学で朝早く起きたとする。外は未だ寒く手が悴む。駅まで暫く歩かねばならない。
道端に自動販売機を見つけ、冷たい硬貨と引き換えに温かい珈琲を買う。
珈琲を買ったのは自由意志だ。誰かから強要された訳でもない。
……… ちょっと待て。本当にそうなのか?
手品のミスディレクションの様に、何かに行動を誘導されていないか?
詳しく言うのなら、貴方の行動の全ては物事に対し反射行動をしているだけだ。貴方自身の意思が決定した事など何もない。そんな考え方がある。
「いやいや、寒かったから温いコーヒーを買ったんや。俺の意思やろ。」
「じゃあ真夏の暑い朝やったら、ホットは買わんっちゅう訳やな?」
「当たり前や。」
「そこや。気温で全てが決まると自白しとるようなもんやで。天気はお前の意思でどうこう出来るもんちゃう。決定権を持つのは天候であって、そこにお前の意思は存在しとるのか?」
お茶ではなく珈琲を選んだのはどう説明する?
人間は遺伝と環境から受ける影響が大きいという。
子供は親を選べない。生まれ落ちた環境も同じだ。それを思えば、この世に誕生した瞬間、既に貴方の運命は決まっているのだ。
両親が珈琲を好んでいたという環境。それと前日に何かの広告を見たせいか? 様々な要因を分析していくと、珈琲を手に取ったのは必然だったと気付かされる。
全ての行動は広義の反射に過ぎず、大宇宙の歯車として動いているだけ。
仏教ではこれを「無我」と呼ぶ。真の自我など何処にも存在しない。
「因果」という言葉がある。
貴方の目の前にある現実は、必ず原因があるという考え。
「喉が渇いとったんは、今朝急いどって牛乳飲むん忘れたからやぞ。そんなん良くある事やろ。生き死にの問題とちゃうんや。我慢するかどうかの違いだけで、俺の気持ちひとつで決められる。誰にも相談せず、俺の心が望んだ選択や。」
では、珈琲を買うと決断した貴方の心は、どうやって作られたのか?
意思、性格、個性、アイデンティティー。
呼び方は数あれど個人を特定できる特徴。それが出来上がる過程をみてみよう。
人格が形成される要因は遺伝と環境だと言われる。
遺伝は言うに及ばず、生まれ落ちた環境も選ぶ事は出来ない。どの学校へ進み、どんな友人と出会い、どんな教師に師事するのかも必然的に決まり、それらに影響を受けながら個性が育まれてゆく。どんな個性を獲得するのか、本人が選択できる余地など無く、ただ運命にその身を委ねるのみ。
この論理に従えば、運の良し悪しはこの世に存在しない。
神はサイコロを振らない。 アルベルト・アインシュタイン
賽子は不確実性があってこそ賭けの対象となるが、賽を振る力と角度、地面との摩擦や空気抵抗など全ての要因を計算する事が出来るなら、賽は道具として本来の意味を成さない。神は賭けをしないのではなく、出来ないのだ。
「神様にも出来ん事があるんやなあ。全能とちゃうやん。」
パラドックスか?
より正確に言うのなら、賭ける事は出来るが、絶対に負ける事が無く、必ず勝つという事なのだろう。純粋なゲームとしての楽しみは無きに等しい。
この世に誕生した瞬間。否、生まれる前から貴方の運命は定められている。
すべてのものは運命の奴隷だ。個人的意思と言うが、それすらも運命に組み込まれていると言う考えが、無我という概念である。
「俺さあ、明日の試験に通るかどうか微妙なトコなんやけど、どんなに足掻こうが結果は既に決まっとるって話なんやな?」
「その通りや。運命は既に決まっとる。俺らは予定調和をなぞるだけやで。」
「頑張っても頑張らんでも同じなら、やるだけ無駄か。」
「その考えは浅いぞ。」
「なんやと?」
「ええか? この話を聞き、お前は頑張っても無駄やと考えた。それはお前の個性と言えるが、同じ話を聞いても、最後まで足掻く人間がおるってのは認めるか?」
「人間いろいろやからね。無駄な努力をするヤツもおるやろ。」
「頑張るヤツと諦めるヤツ、この違いは何や?」
「それこそが個性、性格の違いちゃうか?」
問題はそこだ。
その差は性格で決まるかもしれないが、その様な個性を獲得するのは、生まれる前から定められた運命である。
未来は変えられないという話を聞き、A君は諦めたがB君はそれに抗う。
その個性によって生じる結果の差すらも、因果律に組み込まれた運命と言える。人が出来る事は、既に決定された事実を確認するだけに過ぎない。
もしも、神と呼べるほどの英知を持つ魔物がいるのなら、全ての因果を計算し、確かな未来を見通せるはずだ。
かつて、このような概念を提唱したフランスの数学者がいる。
彼の名前から、その因果律における概念はラプラスの魔物と呼ばれた。