139 検閲とは
自分自身を棚に上げ、非常に強い言葉を使いました。
客観性を意識したつもりですが、厳しい目で判断して下さい。
次は慰安婦像の評価に移ろう。尚、二つに共通するものは最後に纏めて述べる。
この像は平和の少女像という名前らしいが、実態は慰安婦を象徴しているので、分かり易く慰安婦像と呼ぶ事にする。
慰安婦で問題となっているのは、過去の事実確認だ。
そもそもの前提として、慰安婦の存在を否定する人は誰もいない。
また、その待遇に見合った相当な収入があったとの記録もあるが、それが彼女達の苦労を軽んじる理由にはならない。明日さえ見えぬ戦時下で兵士の相手をするのは、相当な負担があった事だろう。
問題となっているのは、慰安婦となった人々は、強制的に連れてこられたか否かである。
日本としては、強制は無かったとする立場。
逆に韓国側は、慰安婦狩りなるものがあったと主張し、この認識の違いが一番の問題となっている。
前述した様に、当時の慰安婦は高給取りだったと記録にある。だからといって、彼女らの境遇に何の問題もないと思うのは早計だ。
仕事である以上、働けば賃金が支払われる。
だが、嫌がる女性を性風俗で無理やり働かせたというなら大問題で、人権侵害も甚だしい。金さえ払えば何をやっても良いと思う人はいないだろう。
慰安婦の募集が強制的に行われ、且つ、国が関与していたのなら大問題だ。
残されている資料によれば、日本の主張が正しいように思われるが、同じ日本人の中にも、彼女達は強制連行された悲劇の女性だとする学者がいる。
分かり易く例えてみよう。
(甲)「地球は丸く、太陽を中心に回っています。」
(乙)「いいえ、地球の周りを太陽が動いているのです。」
一般常識では(甲)の主張が正しいが、(乙)も己の考えを述べる権利はある。
天動説を信じるのは個人の自由だ。誰かを騙そうと、嘘を広めるなら論外だが、もし(乙)が本気で天動説を信じているのなら、その発言は自由である。
これが許されないと、歴史を再評価する事が出来ない。裏切りの代名詞とされた明智光秀が大河ドラマの主人公になるなど、夢のまた夢の話だ。
言うまでも無いが、天動説が受け入れられるかどうかは別問題だ。それに加え、誰かの尊厳を傷つける行為には慎重になるべきだろう。
さて、今回の騒動で責任が重いのは誰だ?
騒動の元となる作品を制作し、展示場に持ち込んだ芸術家だろうか。
問題が起こると予想できながらも、前もって制作の意図を説明せず、実際に騒動が起こると言い逃れをするのは卑怯であり、明確な根拠なく、己に都合の良い主張を垂れ流す根性は度し難いが、表現の自由を逸脱しているとまでは言えない。
感情はともかく、犯罪でない限り力ずくでその口を閉ざす事は出来ない。
しかし、故人への名誉毀損罪になる可能性はある。国家間の外交問題となる為、裁判所で裁くのは難しいだろう。
では、作品をけしからんとする抗議者達に非が有るのだろうか。
表現の自由は作家だけ認められる権利ではない。自分の主張を皆に発表する権利があれば、その作品や思想を受け入れられないと抗議するのも表現の自由だ。
正々堂々、お前の作品はクソだと言ってやればよろしい。
ただ、会場に火を放つなどと脅迫するのは話が違う。それは立派な犯罪行為だ。気に入らなければ実力行使をするのなら、力こそ全ての世界となる。
その論理がまかり通ってきたからこそ、人類は戦争に明け暮れてきた。口喧嘩で負けた子供が暴力を振るうのと同じ事だ。特に、京アニ事件の記憶が新しい時期だというのに、事件を想起させる脅迫は卑劣極まりない。
たとえ正当な抗議でも、ひとりの不届きモノのせいで、全体印象が悪くなる。
「うわあ、やっぱ危ない奴らやったんや。近寄らんほうがええな。」
ハロー効果である。脅迫を行った者は猛省すべきだ。
作家と抗議者、共に反省すべき点はあるが、根本的な問題を引き起こした元凶が別に存在する。
総合的に判断すると、今回最も下手を打った関係者は、表現の自由を履き違えた愛知県だと考えている。主催者が対応を間違えなければ防げた問題だった。
僕の考える愛知県の失態は以下の通り。
1. 税金が使われるイベントに、問題のある作品を展示したこと。
あいちトリエンナーレが私的行事なら、如何なる主張をしようと表現の自由だ。嘘や脅迫は許されないが、大いに議論し理解を深める切っ掛けになれば良い。
しかし、税金が使われるなら別問題。
いくら事実確認が難しいとはいえ、正しいとされる基準はあってしかるべきだ。
研究者の学会や有識者と呼ばれる人々の意見を聞いて、国が定めた基準である。この基準と異なる作品に税金を投入する事は、国の誤りを公式に認めたと受け取られる危険がある。
「慰安婦に強制連行があったとは認められません。」
「そんなん言っとるけどな、天皇の戦争責任や慰安婦の強制連行を表現した作品に金出しとるやんか。公的な行事なんやろ? そんな言い訳は通らへんぞ。」
「し…、しかし表現の自由が、表現の自由がありますっ!」
「ほんならな、我々の間で所属問題になっとる小さい島があったやろ。あの小島はウチの領土やとする芸術品を送るから、次のイベントでも展示してくれや。」
「内政干渉は許されません。」
「なんでや、トリエンナーレと何が違うんか教えてくれ。表現の自由やろが。」
何も違わない。他国によるプロパガンダの餌食だ。獅子身中の虫である。
「そうは言っても、芸術作品に検閲を認めてはいけません。」
これって国の検閲なの?
例を出すので考えて欲しい。
・新しい教科書に、天動説が正しいと記載する事になりました。さらに、進化論を否定する方向で調整中です。
・反対意見はあろうかと思いますが、表現、言論の自由の自由を守る為に、政府の不当な検閲には従いません。
焚書坑儒の類は許されないが、明らかに間違いと思われる内容を、教科書に載せても良いのだろうか。教科書でなければ問題ないと思う。
芸術といえば、何でも許されると思ったら大間違いだ。
貴方はどうお考えでしょうか。
2. 不適切な人物を芸術監督にした事。
彼が対談で語った言葉によれば、完全に確信犯である。税金が使われる事も認識していたようだ。
このような人物に現場を任せた、愛知県の責任は重い。