133 人生の目的
人は何のために生きるか。
感情的なものを排除すれば、簡単に答えが出る。
人だけでなく全ての生物共通の目的。それは生きるという行為そのもの。
生きてこそ。
人間は少しばかり賢くなったせいで、人生に特別な意味を持たせようとするが、それらは全て後付けに過ぎない。人間の持つ欲は、全て命を繋ぐ事が原点にある。
アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求を次の五段階に分類した。
第一階層 生理的欲求 : 生命を維持する。
第二階層 安全欲求 : 安全を確保する。
第三階層 社会的欲求 : 集団に属する。
第四階層 承認欲求 : 自分の価値を認められる。
第五階層 自己実現 : 自分の望みを叶える。
第一階層である生命維持が全ての基礎だ。階層が上がると、ただ生きるだけではなく質の向上へとシフトする。質が上がれば生存確率も上がるからだ。
人は知恵を付け、より高いレベルの生活を望むようになった。そのお陰だろう、人間という種は、過去に存在したどの生物よりも繁栄を極めた。
それは高い知能あってこそだが、その知能ゆえ、他の生物が持ちえない苦しみを抱える事になった。
働きアリに承認欲求や自己実現欲求なんてあるか?
「働くだけの一生なんて御免だ。兵隊アリになって一旗揚げるぜ。」
社会が崩壊しますわな。
知恵の果実を手にした故に生まれた悩みである。何のために生きるのかなんて、人間だからこそ持つ悩みだ。
全ての生物は生理的欲求を基礎とする。人間の三大欲求という言葉を耳にした事があると思うが、それらはこの第一階層である生理的欲求に属している。
一般的に睡眠欲と食欲、そして性欲が挙げられるが、性欲の代わりに排泄欲とするケースがあるらしい。
この三大欲求のなかで、性欲が少し異質だと以前に言及したが、排泄欲に取って代わられるのは、その為なのだろうか。性行為をしなくても生きてはいける。
生存の為に睡眠、食欲、排泄は絶対条件だが、それよりも落ちる性欲が、非常に強いのは何故だろう。
「くだらない事を聞くんじゃないよ、愛こそすべてさ。」
それを悪いとは言わんが、僕の考えは、性欲は生存の代償行動だからだ。生あるものは死から逃れられないが、子を成す事で命を繋げられる。
屁理屈かもしれないが、死を克服する為の、ひとつの答えなのではと思う。
さて、ここまでが原則の話だ。
原則があれば例外もある。生きるという目的を達成する為、人間は様々な欲求を持っている。しかし、この本能に逆らう行動をするケースも稀ではない。
自己犠牲による人助けや自殺が主なものだろう。
自らを危険にさらし人命救助する英雄的行動や、自殺に追い込まれた人々の話を聞くと強く心を動かされるのは、動物の本能に逆らう行動である為だろうか。
生命維持の質を向上させる為、人間は多くの欲求を手にしたが、欲望は諸刃の剣であり、過ぎた欲望が身を滅ぼす例は珍しくない。
欲望を暴走させた挙句の悲劇なら、自業自得と言えようが、他人に振り回され、自殺を選んでしまうニュースを聞くと胸が痛む。
人の心はそれほど強く無いという事か。若しくは、生存本能に勝る譲れない何かを持っていたとも考えられる。
サムライの切腹なんて、同じ日本人の目から見ても凄まじいと思うわ。誇りの為なら自刃するとはね。社会的な同調圧力もあったかもしれない。
「おぬし、ここは当然切腹しかあるまいて。」
「残される者の事も考えろ。ハラァ切れんかった卑怯もんの家族だと、一生日陰者扱いじゃぞ。さぞ辛かろうに。」
本来は死罪を受けた侍が、最後の意地を見せる証だろうが、武士の立場として、逃げたくとも逃げれなかった場面もあったのではと思う。武士は食わねど高楊枝、究極のやせ我慢か。
欲求の階層が上がれば、得られるものは大きくなるが、それに比例してリスクも上がる。
ハイリスク・ハイリターン。
集団を形成しなければ、イジメ、仲間外れなど起きようはずもない。
かと言って孤独を選べば、人間関係の煩わしさから解放されるだろうが、全てを己で解決せねばならない。社会から受ける恩恵は少なくなる。
どちらの生き方が良いかってのは、他人が決めるもんじゃ無い。そもそも人生に意味など無い。罪無く死んでゆく赤子は、死ぬ為だけに生まれて来たのか。
「我々人類は神に選ばれた特別な存在、万物の霊長なのだ。他の虫けらや畜生どもと違い、人間に限っては、必ず何かの使命を帯び、この世に使わされた尊い存在なのである。」
やかましいわ。思い上がりも甚だしいぜ。
では、奴隷として生を受けた人は、ご主人様より善行が足らなかったのだろう。彼らに同情の余地は無い。ま、来世で頑張ってくれって事か。
ふざけんな。
輪廻が因果応報だと、単純に決めつけるのは非常に危険だ。究極的に才能の有無や家柄も、前世の行いが全てという理屈になるぞ。
「お前ら貧乏人はな、前世の行いが悪かったんや。報いを受け、業を落としてこそ次が良くなるんやで。この俺のようにな。人間が皆平等などあり得ん。恨むんなら己の業を恨め。」
人はどう生きるべきか。
これに答えを出そうとするのが、宗教であり哲学なのだろう。
宗教家ならば、神の言葉を預かる者、預言者がそれを教えてくれると言うだろうが、そこら辺は難しい問題である。答え合わせが出来ないからだ。
分かった時にはあの世である。遅いっちゅうねん。