130 死者の書
脳の一部である海馬は記憶を司る。
前世の記憶も海馬が関係しているのだろうか。
異世界の記憶がオカルト領域としても、僕がその情報を受け取っているのは現実に起こっている事実だ。その情報を受け取っている器官の第一候補が海馬である。
この前世の記憶だが、始めは妄想か現実か迷ったものだったが、今になってみれば、現実にあった出来事だったのだろうと考えている。
その理由は、これまでの経験が証明している。格闘技や排水テクノロジーの知識が、現実に通用するものだったからだ。魔法の習得についても、科学知識があればこそ、理解が早かったように思える。この知識は本物だろう。
疑問に思うのは、これら前世の記憶は何処からやってくるのかという事。
生まれながら持っていたものだとしても、その記憶を現実の知識として理解する為に、どの様な理屈で脳が信号を受け取っているか不明だ。
インターネットで例えてみよう。
ネットの世界は膨大な情報で溢れている。だが、それを受信できる端末を持っていなければ、何の意味もなさない。
異世界情報を受け取る為の端末、その候補が海馬だ。
これは仮説のひとつに過ぎないが、前世の記憶があるとは、魂が輪廻を繰り返しているのではなく、死者の情報を受け取っているだけなのかもしれない。
別の言い方をすれば、魂とは情報そのものと解釈できる。しかし、それは生まれ変わりと言えるのか?
異世界の記憶がある。
だからといって、前世が異世界人だったとは限らない。
例えば、膨大な情報を保存できる記憶媒体が存在するとしよう。呼び名は何でも良いが、仮に「死者の書」とでもしておこうか。若しくは「アカシックレコード」と呼んでも良い。
「死者の書」にアクセスできれば、死者の記憶を読み取る事が出来る。
これが可能なら、過去の記憶を持つ者は、元情報を保有していた生物が輪廻転生した姿と言えるのか?
死者の書と呼べばオカルト臭いが、現実に存在する本や、ネットのデータベースも理屈は同じだ。これらも同じ様に知識が引き出せる。
過去に存在した生物の営み。その全てを保存した記憶媒体があり、それを受け継ぐ者は、過去の生物そのものと見なして良いだろうか。
オリジナルはひとつだが、コピーが複数存在する事もあり得る。
コピーが存在するかもしれないという、アイデンティティーの問題を解決する為には、データベースに存在する情報を削除する必要がある。元データを消すなら、情報が転写されたコピー先が唯一の存在、バックアップ不可能なオリジナル・ワンと呼べるだろう。勿論、コピーが他に存在しない事が大前提だ。
さらに、情報の受け手を転生者と判断するポイントだが、
1. 引き継いだ記憶量。
全てを引き継いでいるのなら言う事なしだが、1、2割程度の引継ぎで、転生体と認められるのか。
2. 前世の記憶が転生者に占める割合。
前世記憶の影響力がどの程度か。
仮に、転生後の人格が80%で、前世記憶に影響された部分が20%とすると、転生前後の生物を同じとみなすのは無理がある。
この様なものだろうか。
個体認識の核を理解していないと、自分自身を見失ってしまう。
また、転生の定義について考えるなら、異世界の記憶は、僕という個人に特定して発信されたものなのか。それとも、不特定多数に向け発信されたが、受け取ったのが、たまたま僕だったかもしれない。
そもそも、受け取る事を前提とした情報なのかすら、分かったもんじゃない。
情報は誰かに伝える事を前提としない場合もある。例えば、古代遺跡が発掘されたとしよう。
「古代の息吹が感じられます。」
古代人は、後世に自分たちが生きた証を残したかったのか?
個人的な意見だが、彼らはただ生まれ、生活し、そして死んでいっただけだ。
歴史に名が残るような重要人物を除き、ほとんどの者達は何も考えていなかったに違いない。
古代ローマ都市、ポンペイの落書きを見るがよい。
性的で生々しい落書きが残っている。まさに便所の落書きだ。
人間なんて、今も昔もそんなに変わらんなあと思う。書いたヤツは、まさか自分の不満や欲望が考古学的資料になるとは、思いもよらなかったろう。
「リア充は死ね。」
「あの風俗嬢、これくらいでヤラせてくれるってよ。」
気の遠くなる程の年月が、便所の落書きにも歴史の重みを与えた。
「貴方の風俗通いは、価値ある史料として保存されます。」
書いた本人が意図しなくとも、落書きという情報が発信され後世に届いた。
重要なのは、受け手が情報を理解し、それを価値あるものと判断した事だ。神話の時代から、エロスは人間の本能である。下ネタ満載の古代遺跡ってのも、面白いとは思う。
だけどさ、自分の下半身事情を後世に残したいか? しかもさ、女にモテた自慢じゃなく、性風俗関係やぞ。
性風俗も文化に違いないと思うが、よほどの上級者でなければ、他人に知られたく無いんじゃないですかねえ。
なんやろね、これも社会的価値観なんかも知れん。