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輪廻の果てへ  作者: 葉和戸 加太
三章 アルジャーノン計画
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126 自己分析

 個の能力と社会性の両立を考える前に、現在の自分を分析してみよう。


 先ずは知能についてだ。


 前世の知識がある現時点で、どうなっとるんやっちゅう話ですよ。


 大人並みの知識を持ってはいるが、ベースは子供の身体だ。お勉強はともかく、それ以外は、我ながら残念な点が目に付くってとこか。


 ただし、知識が知性を押し上げる効果はあると思う。同年代と比べると、優れた部類に入れる自負はある。


 そりゃねえ、前世の記憶整理をしていた地獄の様な日々を振り返れば、かなりのトレーニング効果があったのではと思う。ただし、二度とやりたいと思わん。ま、そんくらいの見返りがあったと思わんと、やっとれんですよ。


 この世界で知能テストを受けていない為、自己評価に過ぎないとは断っておく。推測に自分の希望が含まれているので、冷静に考えれば、客観性に欠ける点は否定できない。


 さて、次に社会性の評価をしようと思うが、自分が他人にどう見られているか、それを知る以外にない。ここで気を付ける点は、社会性と社会的地位が、必ずしも一致しないという事だ。


 社会性が高いと、人生で成功する確率も高くなるかもしれないが、人徳者が必ず報われるとは限らない。それどころか、憎まれっ子世にはばかるとさえ言われる。


 その典型はサイコパスの存在だろう。


 サイコパスは自己中心的で、他人に同情しない無慈悲な特徴を持ち、結果を得る為に手段を問わない性質を持つとされる。


 友とするには遠慮したい存在だが、実社会では会社の社長や弁護士など、社会的地位が高い職業に付く割合が多いという。


 世にはばかりまくっとるやんけ。


 サイコパスが経営者に向くとされる理由を考察してみよう。


 彼らは結果至上主義で、他人の痛みを理解しないモンスターと言われる。故に、非情ではあるが、効率的な手段を実行できるのだろう。


 喧嘩なら、勝つという結果を得るために、金属バットで相手の頭をフルスイング出来るのがサイコパスだ。相手がどうなろうが知った事ではない。


 経営者として、利益の為なら手段を選ばない。それ故に優秀な成果を出せるというのが、サイコパスが多い理由だろうか。


「それが一番効率的なんは分かるけどさぁ、さすがに駄目やろ。」


 良心によるストッパーが無い為に、使える選択肢が多いのではないだろうか。


 リストラを敢行する場合、解雇される者達の生活に思いが及ばなかったり、社員の健康が損なわれようが成果を求め、その過程の過酷さを配慮できないケースに当てはまると思う。


 彼らは迷いが無く決断力に優れている為、魅力的にみられがちだ。リーダーになる為の資質に優れている理由もあり、経営者として評価されやすいのだろう。所謂いわゆる、ワンマン経営者に多く見られる気質な気がする。


 しかしワンマン経営では、一時的な業績はともかく、長期的な視野ビジョンに欠ける危険がある。結果を出すことで、周囲を黙らせてきたサイコパスが、その結果を失えばどうなるのだろう。立ち止る事が許されぬ、鮫の如き存在かもしれぬ。


 会社の目的は利益を得る事だ。


 これを否定するつもりはない。


 衣食足りて礼節を知る。メシが食えなければ、生きて行けない。


 だが、利益とはあくまで手段である。利益という手段を使い成すべき事は、会社を存続させる事にある。


 そんなのは当たり前だと思うだろうが、サイコパスの気質を考えると、目標設定は非常に大事だ。


 利益を最終目的とすれば、業績を上げる為に、社員を奴隷のように働かせ、法を破ろうと構いはしないが、会社の存続こそ最大の目的とすれば、これまでと違った対応を見せるかもしれない。


 部下の人望を失えば、会社の運営は極めて難しい。


 社会が不景気で、求人が少ない時はともかく、景気が上向き、他社で条件の良い求人が出れば退職者が相次ぎ、これまでの報いを受ける事になる。それを考えるなら、今のうちに社員の待遇を改善しようとなるかもしれない。


 そこまで単純ではないと思うが、サイコパスという劇薬も、使い方次第では薬になるケースがある。


 既存の常識に囚われず、効率的な手段が取れる彼らは、カリスマ性が高く外からは魅力的に見えるだろうが、行動を共にする中の人間からすれば、相性が合わない場合、非常に辛い立場に追い込まれる。相手の心を理解できないのがサイコパスだからだ。


 一般のイメージだと、織田信長タイプか。


 第六天魔王と呼ばれた信長のイメージは、確かにサイコパスによく似ているが、実際の信長は、浮気をした部下の奥さんを気遣う手紙を残したり、自分を裏切った部下を許す一面も見せていて、真の姿は謎に包まれている。


 偉大なカリスマで、想像の入る余地が大きい。だからこそ人気もあるのだろう。


 彼らが弁護士に向くとの話も、まんざら分からなくもない。法治国家であれば、どんな極悪人だろうと、法の下で平等に裁かれる。中には、弁護などしたくもない犯罪者が居るかもしれない。サイコパスなら感情に流されず、淡々と被告の権利を主張できるはずだ。


 さて、人は何に幸せを感じるのか。それは千差万別で個人差が大きい。幸せとは何か。その基準を、社会性という他人の評価に任せても良いのか?


 本人が幸せやと思えば、そんで良いんじゃないの?


 他人からどんな評価を受けようが、自分が納得できるかが大事だ。


 死刑判決を受けながら、俺は勝利者だとうそぶく、アルベール・カミュの小説、異邦人の主人公のように。


 何が正解なのかは人それぞれで、明確な答えなど無い。誰かの答えは、別の誰かとは違うものかもしれない。


 幸せの青い鳥、その居場所は自分の心だけが知っている。

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