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輪廻の果てへ  作者: 葉和戸 加太
三章 アルジャーノン計画
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105 未知の可能性を求めて

 前回の騒動を反省を込めて振り返ってみたが、これは一朝一夕に改善できるものでは無い。日々の積み重ねを繰り返す事で、一歩ずつ成長してゆく他に道は無い。


 ……他に道は無い?


 否、実はあるんだなコレが。


 己の抱える問題を整理してみよう。前世で人としての知識があるにも関わらず、何故故に同じような過ちを繰り返してしまうのか。


 ただ知識があるだけで、自分の身になっていないのではないかと思う。今の自分自身が経験したものでは無いからである。身の丈以上の情報に振り回されているのではないだろうか。


 脳ミソの容量が足りない。未だ成長しきっていない子供の脳に膨大な情報が積み込まれたのだ。これを処理できるようになるまでを思い起こせば、地獄の様な日々が蘇ってくる。


 性能の劣るコンピューターに高度なソフトを入れても真面まともに動かないのと同じ。この問題を打開するには、脳に人工的な手を加えるという方法がある。


 さて、ここで問題です。


 人は何をもって人と呼べるのだろう。または、生きていると認識される為には、どんな条件が必要だと思いますか?


 僕個人の考えだと断っておくが、その答えは脳が機能している事だ。かつて脳死とは何かと疑問に思い、それを調べた結果に辿り着いた僕なりの答えである。


 脳とは人の思考を生み出す場所。心臓は止まっても移植や人工心臓で代わりが利くが、脳に代わりは無い。コンピューターで代用できる時代がくるかもしれんが、それは生存していると言えるのか? 何をもってAIと区別できるのだろう。


 AIが生命と言えるなら、AIにも人権があってしかるべきである。何をもって生命と呼ぶのかしっかりした定義付けが求められる。SFで良くある題材の、AIの人への反逆が起きかねない。


 話がれ始めたので元に戻そう。脳の話である。


 転生前の社会でも脳死は人の死だと認識されていて、脳死と判断された遺体からは移植用に臓器が取り出されるケースがある。脳死は植物状態と混同されやすい為、ここで整理しておく。


 人の死を確認する方法は幾つかあるが、古くは心臓や呼吸が止まれば、それが人の死であると認識されてきた。鼓動が止まれば身体に栄養が流れず他の器官、脳も死滅する事となる。


 逆に脳が先に死ねば、生命活動に必要な情報が身体に伝わらず、その結果として身体の生命反応も消える事になる。脳と心臓はどちらが先に活動を止めても最終的には両方とも死を迎えるというのが過去の認識だ。


 しかし医療技術の発展により、この前提がくつがえる事になる。


 一つは、心臓が駄目になっても人工心臓で代用できるようになった。人工心臓を持つ人も生命活動をしており、当然ながら立派な人間である。宗教上の理由により拒否感を持つ人がいるのも考えられるが、一般的では無いだろう。


 問題となるのは脳が先に死ぬ、脳死が起こったケースだ。


 先ほど言ったように、脳が先に死ねば生命維持に必要な情報源が絶たれる。その結果として呼吸が止まり、呼吸が止まれば脳以外の臓器も死を待つのみ。


 これに待ったをかけたのが人工呼吸器の存在である。


 人工呼吸器のお陰により、脳が死んでも強制的に呼吸を続けさせる事が出来るようになった。呼吸とは別に外部からの栄養摂取は必要となるが、脳が無くとも肉体が生命維持をする事は可能となったのである。


 ここで植物状態と脳死の違いを明確にしておこう。


 植物状態ベジタブルとは、脳は生きているが脊髄が損傷し、脳の情報を伝える事が出来ない事を言い、将来的に回復する可能性も残されている。


 だが脳死に至っては、既に脳が機能を喪失している為、回復する見込みは無い。機械により肉体が維持されているのみだ。


 遺族にとり脳死が受け入れ難い理由は、見た目は生きている肉体があるという事だろう。生きた肉体である為に栄養を必要とし排泄もあり、髪の毛も伸びる。意識が無く機械に繋がれている事を除けば、普通の人と見た目に違いは無いのである。


 脳死が起こった時に問題となる事を挙げてみると、次の事柄が思い浮かぶ。



1. 脳死の判断


 判断を誤り、未だ生きている患者を脳死と診断する恐れ。誤診された患者の生命維持装置を外してしまえば、殺人となる可能性がある。


2. 倫理的問題


 延命措置を止める判断は遺族に委ねられる。脳死を死と受け入れられるか。


3. 金銭問題


 現実問題として生命維持には金が掛かる。日本には医療費を抑える為、医療保険のなかに高額療養費制度を設けてあるが、それを利用したとしても支払うべき金額は少なくない。


4. 宗教上の問題


 信仰する宗教が、脳死を人の死とは認めないケース。



 大きな問題はこんな感じだろう。そして脳死問題と附随して、臓器移植の問題が持ち上がってくる事になる。生きている人間から心臓を抜けば殺人だが、死んだ人間からなら倫理上の問題は発生しない。勿論もちろん、遺族の意思等を得られる事が前提なのは言う迄もない。また、脳死となった患者が生前に何らかの意思を示していたのなら、当然に尊重されるべきだ。


 さて、様々な意見はあるだろうが、僕としては、脳の生死は人間の生死と同一だと判断して良いと思っている。前置きが長くなったが、人間としての根幹に関わる脳そのものに手を加えれば、子供の肉体だという性能不足を解決できるはずだ。


 非常にリスキーな挑戦だと思う。下手を打てば脳が死んでしまうかもしれない。ちなみみに、この世界において脳死は存在しない。何故なら人工呼吸器が無いからだ。脳死が起こり得るのは設備が整った大病院とされる施設に限られる。


 これは以前から僕の頭にあったアイデアである。本音を言えば恐ろしさと同時に抗い難い程の魅力を感じている。


 自らフランケンシュタインの怪物となる覚悟はあるか?


 禁断の果実に手を伸ばしてしまえば、後戻りは出来ない。

 

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