彼女は僕の逆を行く
何のために生まれ、何のために生きるのか。
そんなありきたりで、けど誰も教えてくれない当たり前のことに悩んでいた。自分のことであるのにわからなかった。当然、自分以外の人間がその答えを示してくれるはずがない。
孤独だった。人間死ぬ時は皆一人とかいうけれど、そんなのは嘘だ。僕は何処にいようと、誰といようと孤独なんだ。生きている今も、間違いなく孤独なんだ。それを仮初めの愛情や友情で誤魔化して、皆一様に似たような作り笑いを浮かべている。
違和感。矛盾。原因のはっきりしない悪寒。ふと立ち止まってそれを思い出した時、僕は風邪を引いたように心が弱くなる。
何もかもが曖昧なんだ。一年前好きだった人は今はもう好きじゃないし、むしろ嫌いだ。中学時代の友人は高校が別になったことで少し距離が生まれたし、僕もいつの間にかそれを受け入れている。小さかった頃の夢は何となく諦めたし、たぶん諦めなくても叶わないのだろう。僕が言ってるから間違いない。
はっきりとしないから嫌なんだ。例えば僕にもし才能があるならば、神様かそれに近い偉い人がその才能を教えてくれたらいい。あるいは才能じゃなくても得意なことを教えてくれればいい。そうすれば、余計なことをしなくて済む。余計なことに努力を重ね、最後にポッキリ折れて涙を流さずに済む。
結局僕みたいな利己主義者は、したいことをやるんじゃなくて、人より優位に立てることをやりたいんだ。僕はそういう小賢しい人間だし、そういう小賢しい人間は現に多い。
だって仕方ない。
いつも輝いていて、楽しそうにしていて、周りから評価を得るのは、結局、周りより優れている人間ばかりじゃないか。
昔読んだ本で、結果よりも過程の方が重要だって話を、存分に結果を残した人が語っていたけど、そんなの僕の心には響かない。過程をどれだけ積み重ねても、結果を残せなかった人間がどれだけいるか。そしてそれに悲嘆に暮れている人間がどれだけいるか……
未来に薄暗さを感じながら、帰途についていた。勾配の急な坂。高台にある学校から、僕は夕陽を正面に坂を下っていく。橙色の光が突き刺さるように眩くて、目を細める。
太陽は嫌いだ。
その物の意思を解せず、どんな時でも常に照らす。こんなに気持ちが沈んでいるのに、太陽は、僕の気持ちを勝手に慰めようとする。
「だから嫌いなんだ」
そう独り言を吐いて、僕は視線を下げた。すると、坂の麓から黒い影がゆらゆらと見えた。逆光で黒く見えるそいつは、ふらふら揺れながら坂道を登ってくるのがわかる。今にも倒れそうなそいつ。十メートル付近まで近づいてようやく姿がはっきりする。僕と同じクラスの女の子だった。ジャージ姿で、懸命に坂を走っていた。
陸上部で補欠の女の子だった。
冬の寒さに関係なく、その子は汗をかいて、息を切らして、時折腕で滴る汗を拭っていた。
「結果だよ……」
通りすぎていく彼女に向かって、小さく呟く。彼女は必死に歯を食い縛り、僕の真横を通りすぎた。通りすぎる瞬間、彼女の汗が夕陽に照らされ、まるで彼女自身が輝いているようにみえる。光と影。僕とは正反対の存在。
結果だ。
報われない努力をする彼女に向かって、僕はもう一度心の中で呟いた。懸命にひた走る彼女を、僕は否定したくて仕方なかった。けど、体はどうやら矛盾していて、もう一度彼女を見ようと振り向いてしまう。
汗が染み込んだ、ジャージの背中が見えた。今にも倒れそうなほど体を揺らしながら、懸命に坂を登り続けている。
結果だ。
僕はもう一度言った。彼女は一生懸命だった。
結果だよ。
彼女は一生懸命だった。結果に臆することなく、今を懸命に生きた。
結果だって言ってるだろ!!
心の中でそう叫んで、彼女の背中から目を逸らそうとした時。
「あっ」
彼女が坂の途中で倒れた。どうやら足がもつれたらしい。膝を強く打ち付けると、彼女の悲鳴が小さく聞こえた。僕は無意識に坂を登ろうとする。倒れて可哀想な彼女に、何故か近づこうとした。
でも
「あっ」
彼女はゆっくり立ち上がると、また直ぐに走り出した。その勢いは以前より増して、さらにスピードを上げ、ぐんぐん坂を登っていく。相変わらず体はふらついている。膝が痛むのか、少し体が傾いていた。しかし、自ら足を止めようとはしない。ぐんぐん坂を登っていく。夕陽に照らされながら。誰もいない急な坂道を、彼女は一人、懸命に登っていく。
僕はその光景をポカンとしたまま見ていた。
彼女は結果を恐れていないんだ。不安定な未来はわからないけど、それでも何度でも立ち上がっていくんだ。
僕は彼女の立ち上がる姿に、惹き付けられた。彼女が輝いているように感じた。目に見える輝きではなくて、心の中で感じた。結果を残していない彼女に。現実では到底輝けていない彼女に。頑張ってほしくて。
頑張れ。
心から声がした。
頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張れ。
負けるな!!
強く拳を握りしめた僕は、勢いよく坂をかけ降りた。何処に行くかなんてわからない。ただあの子を見ていると、前に進まなきゃいけない気がした。