新荷冬芽の独り事 その0 last
最終話です。この話から読もうと思っているのであれば、多分第1話から読んだ方が良いかと思います。よろしくお願いします。
彼がそのフロアにたどり着いた途端、間を置かず彼女は声を上げた。
「やあ、トワ君。ずいぶん久しぶりじゃないか。半年とはずいぶんな無沙汰だね。忘れられたのかと思っていたよ」
くっくっく、と含み笑いを漏らしながら、一気に彼女――新荷冬芽はそう言った。表情は、かつての通りのにやにや笑い。腕を組み、仁王立ちのような姿勢のままでそんな表情を浮かべるので、なにやら黒幕が陰謀を説明しているような感じになっている。
言われた方、穂高永久は戸惑ったように左右を見渡して、ためらいがちに呟く。
「新荷……」
「おいおい本当に忘れたのか。君の記憶力の悪さに関しては私も良く理解しているつもりだったが、そこまでとはね。私のことは『冬芽ちゃん』と呼んでくれといつも言っていただろう。そもそも昔からいくら言っても呼び方を変えようとしてくれなかったことを考えると、君の痴呆も筋金入りだ。ってまあ、会ってそうそう文句もないか。とにかく、来てくれてうれしいよ。とりあえず、座ったらどうだい。……トワ君?」
怒涛のように話していた新荷は、反応のない相手をいぶかしんで、呼びかけた。穂高はしばらく迷うように視線を泳がせた後、無言のまま、近くの階段に座り込んだ。それを見て、新荷は口元を歪める。
「ああ……そうか、なるほど。――くくく、ずいぶんと無口になったものだね、トワ君。沈黙は金なりとことわざにあるが、その実践でもしているみたいだ。これは、この半年で成長したというべきか、むしろ否定すべきか悩むところだよ。中世の昔、大人とは完成品で、子供とはその途上と思われていた時期があったが、その時のような無邪気な考えはもう現代にはそぐわないからね。子供の方が優れていることだってあるし、大人になってできなくなることの方が多かったりする。もっと言えば、赤ん坊にだけできる技能だって存在する。そう考えると、成長とは退化と同義であると断言してしまっても、必ずしも言い過ぎとは限らなかったりするかもね。確か、20歳くらいが社会的人間の技能としてピークになるんだったか。だとしたら、喜べ、君はまだ発展途上だから向上の余地は残されている。といっても残り1年だけどね。くくく、なに、思い悩む必要はないよ、余命宣告ってわけじゃない。努力次第で生涯能力をきたえ続ける人もいるのだから、悲嘆することはない。トワ君、君も奮起しさえすればいいだけだ。君みたいな人には多少、難しいことかもしれないがね? おっと、また陰口を言ってしまったな。失礼した」
相手の相槌さえ封じるような饒舌を続けながら、新荷は座った穂高の目の前にしゃがみ込み、両の手で頬杖を作ってにやにやと笑みを向ける。
「――とはいえまあ、言わせたい放題に黙っている方が悪いんだ。私がそれを許してあげるから、トワ君も許してくれよ?」
新荷がしゃがみ込むと、ちょうど穂高の目の前に新荷の膝頭がくる。つまり脚だ。穂高は正面から目をそらし、大きくため息をついた。そして、遠く、窓の外から漏れ聞こえる喧騒に耳を傾ける。遠く聞こえるのは、軽快な音楽に、大勢のさざなみのような笑い声だ。
「日が悪かった、かな」
穂高が小さくつぶやくのを聞いて、新荷はクスクスと笑った。
「何を言うかね、この男は。この私に日の良し悪しなど意味はない。とはいえまあ、確かに、文化祭当日ってのは、久々の逢瀬の雰囲気には多少賑やかすぎるかな? けれどトワ君だって、こんな日ででもなければここに来られなかっただろうから、仕方ない。それに、多少の騒がしさなど物の数じゃない。特に、ここには誰も来ないから、ちゃんと静かだ。十分及第点だよ」
新荷は右腕を広げ、『ここ』、つまりこの時計塔の最上階、階段の一番上のささやかな踊り場を示した。
穂高は辺りを見回して、ぽつりと、
「誰もいない、か」
そう呟いて、もう一度ため息をついた。そしてそのまま気合を入れるように「よし」と一声、おもむろに立ち上がった。
「……そうだね、誰もいない。だからこそ私はここにいるんだよ、トワ君」
いきなり立ち上がった穂高に対して、新荷の方はしゃがんだまま動じず、相手を見上げてにやにやと応えた。穂高はそれを見下ろすことなく、「さて、と」と呟いた。
「そろそろ、帰るわ。……またな、新荷」
穂高は独り言のようにそう言って、踵を返した。新荷はその言葉に、ちょっと驚いたように目を見開き、そして、ふ、と笑んだ。
「……うん、またね」
そのまま階段を下りていく穂高の後ろ姿に、新荷は立ち上がってそう声を投げかける。
穂高は、振り返らない。そもそも、彼は一度も新荷と視線を合わせなかった。合わせることができなかった。
――彼には、新荷冬芽の姿はもう見えない。声も、気配も、届かない。
新荷は、全てを理解した上で、振り返ることのない背中を見つめて、独り言のように呟いた。
「またきっとおいで、トワ君」
お読みいただきありがとうございました。(礼)




