新荷冬芽の独り事 その4
第4話です。
「やぁ、しばらくぶりだねえトワ君。んんー? おいおいなんだいその顔は。この世の終わりでも来たかのような顔だぜ。何があったか知らないが、そして何があったかなんか聞く気もないが、ずいぶんと打ちのめされたようだねぇ。くっくっく、そんな状態でも私の話を聞きに来ようというのはなるほど立派な心がけだ。饒舌の聞き手として申し分ない勤務態度と評価してあげよう。とはいえしかし、だ。そうも陰気な顔をされるとこちらとしても気になるな。いいかいトワ君、誰かに対面するときは何より自分の顔に気をつけなければならないんだぜ。なにしろ相手の顔は自分の顔の鏡になる。といってももちろんサイコメトリーとかテレパシーとかいう特殊な能力の話じゃないし、ましてや超常現象でもない、ごく自然な人間の反応の話だよ。例えば自分がにこにこしていれば相手もつられてにこにこするだろうし、苛々していればもちろん相手も気分を害して苛々するだろう? そういうことさ。だからトワ君がそういうふうに落ち込んだ顔をしていると、せっかく会っている私の気分も落ち着かなくなるわけだよ。といっても君の苦悩を私が分かるはずはないし、したがって慰める言葉もない。さてさてどうしたものかね? くっくっく、しかたないからごく一般的な話でもするしかないかな。こういう時は、世界各国のお偉方のありがたーいお言葉でも拝聴するといい。例えばゲーテなら「ただはつらつとした活動によってのみ、不愉快なことは克服される」と断言したし、オハラは「明日は明日の風が吹く」と丸投げした。「人生は素晴らしい。恐れの気持ちさえ持たなければ」なんてオチをつけたのはチャップリンだったか。しかしまあ、「もし一年を通して太陽の日と雲の日を数えてみれば、晴れた日の方が多かったということが分かるだろう」とオイディプスが慰めたように、私からは「結局は時間が解決する」のさ、と一般論だけ言っておくことにしよう。なに、君の人生はまだ長い、私と違って希望もあるさ。ふふふ、なんて、不幸真っ只中の君に言っても取らぬ狸もいいとこだろうかね。渦中にあっては先の事など気にする余裕も無かろう。なに、私には君の悩みも苦悩も後悔も、何一つわかりはしないけれど、逆に言えばトワ君はここに来る限りにおいて、その悩みも苦悩も後悔も、全て忘れて放置して投げ出しておくことが出来る。問題は分離できるんだよ。だからしばしの茶番劇、浮世は忘れてゆっくりしていけばいい。あらゆる苦しみも悲しみも、喜びも感動も、ただただ時の流れに任せるしかない。死後にもって行けるものなど、ほんのわずかな記憶だけだ……なんて、私が言っても説得力はないかな? くっくっく。生きている間のあらゆる事柄がやがて無意味になるというのなら、逆説、こうして無意味な時間を過ごすこともまた、それ以外の有意義なことと同様の価値があると言いかえてもいい、と言えるのではないかな? 何をするでもなく無為に過ごす時間もまた価値があるものさ。私の饒舌をただ聞くだけの時間とかね。思えばトワ君の巡礼もまたずいぶん長期にわたったものだ。忘れず来てくれる点において、私としては感謝しかない。とっくに嫌気がさして、あるいは日常の忙しさの為に、あるいは無意味を感じて、そしてあるいはただただ忘却の為に、その足が遠のくも時間の問題と思っていたんだが、いやはや、君は本当、義理堅い奴だね。つまるところ、君の巡礼は、稀有にして偉大、ということさ。あっはっは、なんて、白々しいにもほどがあったかね? なんにせよ、私の感謝だけは本物だよ、トワ君。君の巡礼が、君の記憶が、君の態度が、私をどれだけ救ってくれているかということを……そうだね、君はきっと気が付いてはいないだろう。感謝を伝えるすべがないのは残念だけれども、感謝されずともおこなわれる行為はそれだけ尊いともいえる。君がどういうつもりでここに来てくれるのか、言ってくれない以上分かりはしないけれども、――ふふふ、どうやら表情も和らいだようだ。落ち着いたならそれで結構。私は何もしちゃあいないが、それでも役に立てたようで何よりだよ。それじゃあ、また来ることを願っているよ、親友」
あと2話です。彼女の饒舌に、しばしおつきあいください。




