新荷冬芽の独り事 その2
「恋だの愛だの、そういう言葉を聞くにつけ、私はいつも反発を覚えざるを得ないね。昨今の歌謡曲を聞いてごらんよ、好きだ失恋しただ愛おしいださびしいだとどれもこれも一本調子だ。いい加減飽きないのかと心配にさえなってくる。文化の衰退の音のようだ。流行り廃りは時代の流れ、その時代に在るモノから成る、というけれど、我々の周りに広がる世界は、そんなにも恋愛で満ち満ちているのだろうか。はっきり言わせてもらえば、NO、だ。むしろそういった浮ついた情報のために、視界は曇り、脳は霞む。ほら、よく言うだろう、『恋は盲目』ってね。実に至言だ。私の様な読書人にとって目が見えないということは、世界が見えないのと同義だから、その重さも含めてね。世界はこんなにも広いのに、まるで世界はキミとボクの二人だけしかいないのだと暗示をかけてくるかのようだ。壊れきっているよ。いつかの流行りのセカイ系ってやつだ。こう考えると、昨今の文芸界の流行りも納得がいく。まったくもって嘆かわしいことにね。いいかい、文学とは芸術だ。それが大衆向けのつまらない娯楽駄文であったとしても、だ。その高低や聖俗、上等下等を越えたところにある、表現そのものが、芸術だ。社会を皮肉り、人生を嘯き、正義を騙り、感情を造り出す、それが芸術だ。その芸術が、こともあろうにそろいもそろって社会なんてものに迎合しているなんて、まさに末世と言う他ない。そうは思わないかい。もちろん、小説家だって、職業である以上はお客がいて、お客がいる以上はニーズがある。ニーズがあれば需要となり、需要があれば提供せねばなるまいから、ある程度の流行帰属は当然の帰結だけれど。蟹工船や黒い雨の気概はどうしたと言いたいもんだ。ま、とはいえ、プロレタリー文学は、労働者の鬱屈から生まれた名作で、そんな鬱屈のない豊かな時代になったともいえる。生活水準は上がったことは認められるしそれに関しては諸手を振って歓迎だ。人間、衣食足りてこその文化活動といえる。憲法で保護された最低限文化的な生活ってやつさ。実際、我々のような学生という身分が最低でも9年間も公的に許されているのも、社会全体の誠意かつ水準の上昇のおかげだと言える。学生は実に特権階級だぜ。観光地も娯楽施設もわざわざ値段を下げてくれる。勉学こそが学生の本分のはずなのに、カラオケやらボーリングやらの享楽施設にすら学割がきくというのが良い証左だ。ついでに言うなら、学生服というユニフォームを許されるのも学生の間だけだね。学生のうちにしか楽しめないことはある程度は楽しんでおかなくちゃ、損ってもんだ。学生の本分は学業だが、恋も部活も勉強のうちってやつさ。だがね、そう言う風に考えること自体が、そんな言い回しが巷間に流布されていること自体が、どうも社会的な圧力であるという風に私みたいなひねくれ者は思ってしまうわけさ。よくある陰謀論ってやつだね。人間、悪いこともいいことも、なにかしかの理由が欲しいものだけど、昔なら前世の行い、で何となく納得しちゃえたものだけど、今じゃそんな説は説得力を失っている。昔は超常的な現象はすべてなんらかの神様が起こすものだ、と考えていたものだけど、現代では、神様ってのはいいことをするものだ、という認識の方が一般的になっているっていうことだね。だからまあ、神様はいいものなんだから、いいことは神様がしてくれたこと、そして悪いことは誰かのせいなんだ、っていう風に思うようになったんだろう。実に現代的だね。
ときに、話は戻すが、学生であり、勉強が本分のトワ君は、恋に落ちたことはあるかい? ――おっと、プライベートな質問だったことは謝るよ。何、私も別に本気で言ったわけじゃない。話の流れ、社交辞令という奴さ。気にしなくて良い。私が言いたかったことはもっと単純でつまらない流れさ。つまり、恋に落ちるということが、『落ちる』なんてマイナスイメージの同士とセットなのはなぜだろうって話につなげたいだけのツナギの話だよ。恋は盲目、でもかまわないがね。つまり、恋というのは喜びにあふれているものだと一般に思いがちだが、なかなかどうして、昔の人は賢明だ。恋に落ちるということはもうその時点で病気の一種なのだ。暗黒面に落ちる、って某宇宙戦争映画でも言うように、ソレは非常にまずい状態になるわけだ。しかも、当人にその自覚はないときた。自分じゃ治しようがないってことだ。だからこそ周囲が忠告するしかないのだろうね。とはいえ、犬も食わない喧嘩、とか言うくらいだから周囲にとっちゃいい迷惑以外の何物でもない。どうだい、つまるところ、恋なんて、しないに限るってことさ。確固たる自己のない人間が、自分の不安を持てあまして、誰かに押し付けたいという欲求、それが恋ってやつだ。それで不満なら、そうだな、良い言葉を教えてやるよ。『恋愛感情など完全に錯覚だ。あれは明らかに所有欲の延長に過ぎない。対象が人間であるというだけで何故だか美化の限りを尽くされているが、所詮それは物欲だ。もし恋愛などという行為に特別な価値があるとすれば、それは決して人は他人を所有できないという一点につきるだろうな。そう、極めて哲学的な価値だ。何が面白いのか理解に苦しむ』。某小説の第一巻で提示された真理さ。ふふ、もちろん冗談だよ。これに関して議論の余地があるのは認めるさ。とはいえ、真実の一端は示していると思えないかな。つまり例えるなら、全ての善は偽善であるという説に対する論破が非常に難しいということに近い。そもそも、恋愛、とひとくちにまとめられているけれど、愛と恋の違いも見逃すわけにはいかない。たとえば、よくある言い回しだと、『恋は下に心があるから下心、愛は真ん中に心があるから真心』とか、『恋は相手の瞳に映る自分を愛すること』『愛は相手を受け入れること』とかね。あるいは、『恋は相手に向かうこと、愛は同じ方向を向くこと』なんてのもあるかな。肯定否定、受容批判何でもござれって感じだね。ま、なんにせよ、恋愛観なんて人それぞれだし、そもそもこんなに普遍的でかつ変動的な価値観を持つ概念も珍しいかもしれないな。だってそうだろう? 世界文学三大テーマを上げるならきっと真っ先に上がるのが恋愛だろうが、いまだにもってこれといった回答が得られていないところを見ると、世界中、人類全部における永遠の課題であるともいえるかな。これが解決したときこそ、人類の向上心が失われる時なのかもしれない。つまり、一言で言うと『秘密は秘密のままがいい』ってことさ。ふふふ、ミステリアスな女性はモテるっていうのもなるほど納得というワケだ。どうだい、トワ君、私はミステリアスかな? って、押し黙っちゃって、ヴィトゲンシュタインじゃあるまいし。『答えられないことには沈黙するしかない』なんて気取っても、君、たんなる間抜けにしか見えないぜ。厨二病はやめたまえ。もういい歳なんだからね。――おっと、ちょうど時間だ、トワ君。良い子は帰る時間だ。さっさとおうちに帰るが良い。 ――どうせ、次も君は来るんだろう? 私に会いにさ。語るに落ちたとはこの事だよ。サヨナラだ、トワ君、またね」
最初から最後まで聞き手無視な独り事、2話目です。
全5話予定。→全6話に訂正です。
お読みいただきありがとうございました。




