私の黒歴史編7
家に着くと、家政婦の小夜さんがびっくりしたように迎えてくれた。
「かなちゃんが友達を連れてくるなんて……良かったわ、友達がいたのね」
単純な言葉ながら、正確に的を射てざくっと突き刺さる。
余計なお世話だ。
「失礼な……いるよ友だちくらい。ていうかこの子、前に連れてきたの覚えてないの?」
「え? んー……あら、いつだったかひどい土砂降りの日に連れてきた子じゃない。そんな何回も連れてくるなんて、随分仲がいいのねえ。ふふ、お茶を持っていくわね」
小夜さん嬉しそうだな……。あの様子だと本当に僕に友達がいないと思っていたのかもしれない。
「かなちゃん、なんて呼ばれてるんですね」
運ばれてきたお茶を飲みながら、彼女はにやりと笑って言った。僕はお茶を吹いて、綺麗な虹を作り上げた。
うるさいうるさい。
「小さい頃からいるから、そのまんまなんだよ」
「可愛いですね。私も呼んでいいですか?」
「だめ」
調子に乗んな。
「そんなことより、ワンピース取りに来たんでしょ。ほら」
場違いな空気を醸し出して仕方のなかった物をタンスから取り出して、ぐいと押し付ける。
彼女はそれを広げ、あ、と声を上げた。
「洗濯してくださったんですね。わざわざすみませんでした」
「いや、他の服と一緒に洗濯に出しちゃっただけだから、別にいいよ」
障子を開けて外を見ると底の黒い雨雲がもくもくと広がり、今にも雨が降り出しそうな陽気になっていた。
早めに雨戸を閉めておくか。
そう思ってガラガラと雨戸を閉めつつ、気になることは彼女の顔に貼られた絆創膏である。
前に手当てをしたとき、彼女の顔の傷のほとんどは殴打されたことによってついたもののように思われた。身体の傷も脛の前部全体など、あまり事故によってついたとは考えられない。
そして今の絆創膏の下はどうなのだろう。
正直、僕は初めて会ったときから虐待を疑っていた。だが虐待の場合、こんな目に付きやすいところにわざわざ殴打の跡を付けるだろうか?
気になるが、なんだか踏み込んでほしくなさそうなので、卑しい下種の勘繰りはやめておく。
人には知られたくないことの一つや二つ、誰にだってあるに違いない。
でもさっき見たところ、絆創膏の下からは膿が垂れていた。きっと傷口に絆創膏を付けただけで済ましたのだろう。
化膿した傷の手当てをするくらい、詮索には入るまい。
僕は絆創膏を剥いで、下の傷を露出させた。
思った通りその大きな擦り傷は、すっかり化膿して何か不気味な汁を垂らしていた。
ずぼらだなあ。せっかく顔が可愛いのに。
「いつもすみません。世話ばかりかけてしまって……」
化膿した傷に消毒液がしみるらしく顔をしかめながら、彼女は申し訳なさそうに詫び入った。
「いいよ、気にしないで。傷の手当ては日課みたいなものだから」
消毒液で膿を拭い、ヨードチンキを塗って新しい絆創膏を貼ると、とりあえず大丈夫そうな感じにはなった。
「他にどこか傷はないの? どうせなら全部やっちゃうよ」
なんかもう傷の手当ならどんとこい的な気分になって聞いたところ、彼女はそうですね、と呟いた後制服のスカーフをほどき、ファスナーを下ろして白い肌を露わにした。
白いキャミソールと、それに透けるピンク色のブラジャー。細いのかと思っていたが、意外と肉付きがいいのが分かる。
そして何より、肩に付いた大きな痣。
少し触れただけで痛そうに顔をしかめる。折れてはいないようだが、これは軟膏では間に合わない。
「氷、持ってくるね」
そう言って台所まで行き氷を探したが、こういう時に限って氷は見つからず、代わりに水を入れた洗面器とタオルを持ってきた。
「とりあえずこれを載せてれば、まあ、ちょっとは良くなると思うから。寒そうな格好で申し訳ないんだけど」
「そんな、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
……あんまり屈まないでほしいんだけど。その格好で。
「近江さん、顔が赤くないですか?」
「……別に」
僕は苦し紛れに窓を開けて涼風を入れようとしたが、そういえば雨戸が閉まっていたんだった。
一人で気まずい。かっこ悪い。
「……良かったら夕飯、食べていってよ。すごく美味しいってわけではないけど、そこそこのご飯は提供できると思うから」
僕は誤魔化す気が見え見えの、その場しのぎの提案をしたが、彼女の方は気にした様子もなくはい、と笑顔で答えた。
とりあえず、変なやつとだけは思われなくて済んだのかもしれない。
「じゃあ、夕飯までどうしようか? その格好だから外は出歩けないし……ゲームでもする? 確か納戸にファミコンがあったはず……っ!?」
そう言って立ち上がろうとしたとき、地面が軋んでぐらりと大きく揺れた。僕はバランスを崩して倒れ込み、机から落ちたと思われる洗面器が、バチャッと背中に水を掛けたのが分かった。
最悪だ。
「いった……佐々さん、大丈夫だっ……た」
身体を起こすと、目の前に顔があった。
僕は佐々さんの上に倒れ込んでいたのだ。
「大丈夫だった!? 今すごい地震が……!!?」
僕らを心配して駆けつけてきたらしい小夜さんが、まるで十年来連れ添った夫に、自分は実は女だったのだとでも言われたみたいな顔をしていた。
そんな顔をするのも当たり前である。
だって今の僕はびしょ濡れで、あられもない姿をした友達(滅多に来ない)の上に覆いかぶさっていて、しかもまだ明るいにも関わらず雨戸を閉めているのだから。
見た目的には弁解の余地なし。
もちろん、やましいことなど何もないが。
「……な、何してるの? どうしたの? その子はお友達じゃないの? もしかして、かなちゃんはその子と……!」
すっかり動揺して事実無根なことをぽんぽん言う小夜さんに、僕は大いに焦りつつも誤解を解こうと試みた。
「ちっ、違うよ!! これはその……ちょっとした事故で……」
「もういい……もういいわ、かなちゃん。よく分かったわ。でもどうか同じ過ちだけは犯さないで……」
「話聞けよ!! だからそんなんじゃないって! ほら、佐々さんも何か……佐々さん!? ちょっと!」
助けを求める僕をよそに、佐々さんは床に突っ伏して完全に無関係モードを貫いていた。
いや、無関係じゃねえぞ!?
「奥様と旦那様には言わないでおいてあげるから、帰ってくる前に全部終わらしておくのよ? じゃあ、私は買い物に行ってくるから二人でごゆっくり……」
「ちょ、本当にそんなんじゃないから! いらない気遣いはやめろ! あと下衆な勘繰りも本当にやめろ!!」
僕はこの後たった一人で、小夜さんに無理矢理納得してもらうまで延々と弁解を続けることになった。