2 初めまして、僕は五味玉利です
僕と彼女の素晴らしい出会いから1時間後。
そう、まだたったの1時間しか経っていない。
なのに僕の体感時間は優に48時間以上だ。
人間究極に緊張すると、体感時間が長く感じると言われているが、これは長すぎないか?
彼女の主張(ここはとても重要だ、だって僕の主張など一切通らないのだから)で、僕はステーキとワインを買い岐路へ付いた。
なぜ幽霊に食事が必要なのだ!しかも僕の食べ物よりもグレードが高いものを!
ちなみに僕の夕食はカップラーメンだ。
正式にはカップヌードルと言わなければいけないが、そんなこと今は関係ない。
お湯を注いで3分待つだけで食べれるなんてなんて素敵な食べ物なんだ、日本人は誇って良いと思う。
「ちんたらと歩いてるんじゃない、このゴミヤロウ」
彼女からの惜しみない声援が先ほどから途絶えることはない。
何故だろう……五味野郎と名前を呼ばれている筈なのにゴミ野郎とけなされているように感じる。
此れは僕がひねくれているからだろうか?
「さっきも言ったが、返事をしやがれ。それとも言葉をもう忘れたのか?あぁ?3歩で忘れるなんてお前は何処の鶏か?いや、これじゃぁ鶏に失礼だな――」
僕が住んでいるマンションはもう目の前だ。
頑張れ、僕。
それにしても僕に常識云々を説いたり、僕を貶すことに全力をかける前に人間の基本的なコミュニケーションを試した方がもっと健全的だと思う。
そう、たとえば自己紹介とか。
彼女は僕の守護――いや、間違えた。彼女曰く”背後霊”なのだから、僕の名前くらい知っていて当然かも知れないが、僕は彼女の名前を知らない。
これは由々しき自体だ。
人間は自己紹介からお互いの関係が始まると僕は思う。
なぜ彼女は僕に名前を言わないのだろうか?
もしかして、僕に名前を言う価値が無いって思っているとか?
うん、ありえる。きっとそうだ、これは僕からアプローチを仕掛けないと……間違って貰っては困るが、異性としてのアプローチではなく人間の基本的なアプローチの事だ。
よし、ここは一つ僕が大人になって彼女に聞こう。
「あのー……改めて、自己紹介、とか……」
僕が彼女の話を遮り言葉を口にした瞬間、鬼を見た。
違う、彼女が鬼になった。
ひー!怖いよ!!
美人が怒るとめっちゃ怖いよー!!
どうしたんだ、僕よ!
さっき決めたじゃないか!!勇気を出せ。
そう自分自身を励ましているのに、まるで僕の心を読んだかのように彼女は「あぁ?」とドスの利いた声をだす。
先ほどまでの勇気元気溢れる僕が瞬時に消えた。
残りカスすら残ってない。
「さっきからゴチャゴチャるせぇなぁ。自己紹介だぁ?それはな、人間に必要であって、人間以下の五味には必要ないんだよ。わかってんのか?でもまぁ俺様は優しいからな、それに仮にもお前の背後霊だ……仕方なく、仕方な~く教えてやるよ。耳かっぽじって良く聞きやがれ!俺様の名前は茉莉だ。茉莉様と呼ぶことを許す」
「っへ?」
「聞こえなかったのか?茉・莉・様だ。さぁ3回言え」
「何で3回も!?」
「それはお前が馬鹿だからだ。流石に3回言ったら覚えるだろう……ほれ、早く言え」
なんて理不尽、僕が何をしたって言うんだ。
しかも何故か名前を聞いた瞬間から頭を蹴られてる。
霊って基本、物に触れないんじゃなかったっけ?
僕に霊能力があるわけ無いから、彼女が特殊なのか?
なぜよりにもよって彼女が特殊な霊なんだ、これじゃ僕が逃げれない。
それに周りから見たら今の僕って、頭を揺ら揺ら動かしている怪しい奴なのでは?
通報されたらどうしよう……変質者の枠に入るのかな?
いや、貧血だと言い張ろう。そうしよう。
「……茉莉様、茉莉様、茉莉様」
とにかく蹴っているのを止めて貰おうと、ボソリと3回呟く。
しかしこの背後霊、これだけでは満足しなかった。
「あぁ?聞こえねぇよ。もっと大きな声で言え、お前の口は飾りか?」
「3回言ったんだからいいじゃないか!」
「……もしかして、お前今逆らったのか?」
ぎゃー鬼が出現した!
しかもバージョンアップして髪が逆立ってる!!
「申し訳ありません!茉莉様、茉莉様!茉莉様ぁー!!」
「ぎゃはははは!本当に言いやがった!!」
僕は直ぐに白旗を上げ、彼女の名前を力の限り叫んだ。
その瞬間、周りを歩いていた通行人がザッと音を立てて離れた。
親子連れなんて親が子に「見ちゃいけません」って言ってる、女子高校生はヒソヒソしてるし、ある人は携帯取り出してる!?
「変質者なう」って言葉にしてる、ツイートするつもり!?
ひー!僕は完全に変質者だ!!
叫んだ事で貧血だという言い訳が成り立たなくなった!
僕は腹を抱え笑い転げている彼女を横目にマンションのエントランスを目指しダッシュした。
こんなところに居れるかー!
***
「最高だ!お前、お笑いの才能があるぞ!!もういっその事お笑い芸人を目指せ!」
玄関で膝を抱え蹲って自己嫌悪している僕に声が掛かる。
誰かだなんて聞かないで欲しい、1人しか居ないじゃないか。
1人じゃなくて1霊って言わなくちゃいけないのかな?
「もう放っておいて下さい……一体全体僕が何をしたって言うんだ!酷い、酷すぎる!!」
それより何処から入ってきたんだろう、しっかりと鍵を閉めたし今日買ったばかりの塩だって撒いたのに。
やはり神社で清めの塩を買ってくるべきだったのか?
「俺様は高尚な背後霊なんだから、塩なんて関係ない。そして物理的隔離も関係ない。わかったか?」
「ふふふ……」
もう涙しか出てこない。
何がいけなかったんだ?
僕は何をした?道端の捨て猫を拾わなかったからか?
それとも電車の席を老人に譲らなかったからか?
いや、もしかしたら道端の空き缶をむしゃくしゃして蹴ったことが悪かったのか!?
何が悪かったんだー!!
「それよりさっさとキッチンへ行け、俺様の肉が不味くなる。ほら行け、さぁ行け、とっとと行け」
なんたる、自己中!
世界をお前の為に回ってるんじゃないんだぞ!!
「馬鹿か、世界は俺様を中心に回ってるんだ!早く動け、愚図」
背中を一際大きく蹴られた。
今まで理不尽な事はたくさんあった、だけれども今日ほどそれを感じたことがあっただろうか?いや、無い。ぜったい、ない。
僕は重い腰を上げた、僕に出来る事は流れに身を任せる事だけだ。
たとえ、それがどんなに理不尽なことでも。
それから彼女――茉莉様の要望通り、ミディアムレアに焼き上げた最高級黒毛和牛肉を一口大にカットし、その横にフランス産のワインを添え、彼女の前に並べた。
彼女の周りだけ、高級レストランの雰囲気が漂う。
それに比べ僕の目の前にはカップヌードル。
なんだろう?格差社会を疑似体験しろってこと?
「うむ、やはり肉は黒毛和牛に限るな。まぁ焼き加減が今一だが、初めてにしては上出来だ。これから精進しろ」
「何で霊が食べれるんだ!?」
正面に視線を向けると、彼女が肉を普通に食ってた。
なんで!?霊ってもう死んでるから霊って言うんだろ?背後霊も霊だよな?
「お前の耳は節穴か?さっき言っただろう、俺様をそこらの霊と一緒にするな。俺様は高尚な霊だ。お前も崇め称えてよ」
「いやいやいや、でも僕の背後霊でしょ?」
「だからお前は馬鹿なんだ。いいか?背後霊にもランクがある。俺様のような上位霊にもなると、そこら辺の神よりも力は上だ」
「神よりも上ー!?」
「そうだ、お前の可哀想な脳みそでも理解出来たか?」
一々貶されているが気にしたら負けだ。
それよりも神よりも力が上だとか言ってるけど、本当か?
霊が飯食ってるのも可笑しいし……でも、今日初めて霊を見た僕には判断が出来ない。
彼女はそんな僕を気にすることもなく、テンポ良く肉を口に放り込んでいる。
あ、最後の一切れ食べた。
もっと味わって食べて欲しいなぁ。
ワインも無くなってるし、食べるのが体育会系並に早くないか?
やっと3分たった。ってことは彼女は3分の内に食べたってこと?
これが凄いってことだったら、なんか残念だ。
早食いの美女。
「さて、やはりお前程度の脳みそでは俺様の偉大さが理解できない事が良く分かった。丁度時間も良い頃だ、出かけるぞ。準備しろ」
「えっ?僕まだ食べてないんだけど……」
「そんな事知るか、さっさと立て」
「いや、夕食が……」
「黙れ。行くぞ」
夕食を抜くのは嫌だ。
食べてからじゃないと出かけないと意思表示するために、カップヌードルに手を掛けた瞬間。
僕の手は空を切った。
「はぁ!?」
カップヌードルが消えた!
なんで?!慌てて周りを見るが何処にもない。
彼女を見ると、盛大に僕を見下していた。
「さて、これで貴様も心置きなく出かける事が出来るな」
「えぇー!?」
確信した。
絶対呪われている。
彼女は背後霊じゃない、祟り神だ。
果たして僕は彼女が某アニメ映画のような見た目がグロテスクではない事に喜ぶべきか、それとも某アニメだと退治できていたのに彼女にだとお手上げだと言う事に悲しむべきか真剣に考えた。
時刻は夜の21:00を過ぎた頃。
僕は背後霊に誘われ、夜の街に繰り出した。
目的は不明。
目的地も不明。
夕食を強制的に抜かれた僕は一体何処を目指すのだろう……