第十一章 「そして最後の戦いへ・・・」
―テラール村の東二キロにある空き地―
「本当に、久方ぶりだな、カーラ。」カルダは皮肉をこめた声で言った。
「兄さん・・・兄さんはいつから、こんな残酷な人になってしまったの?」カーラは尋ねた。言葉遣いが半ば本音モードになっている。アトル以外でカーラに本音を表にださせられる人間がいるとすれば、兄だけだった。
「いつから?」カルダは挑発的に聞き返した。「ならば逆に聞くが、カーラ、お前はいつからオレの敵になった?」
「それは・・・」カーラは言い淀んだ。すかさずカルダが言い募る。
「オレは十二年前のあの日、オレが全てを失ったあの日に、偶然城を離れていて無事だった。城に戻って何が起こったかを知って、オレはリベラに復讐し、捕虜になったというお前を救い出すことを誓った。お前が生きて、いつかオレのもとに帰ってくることだけを信じて、オレは残った兵を引き連れて戦いへと身を投じた。そしてリベラを倒し、やつらのアジトの牢屋を探し回ったが、お前はどこにも居なかった。それから八年たってお前が再びオレの前に現れた時、あろうことかお前はアルト家に寝返っていた。八年間必死で探し続けてきた妹を次に見たのは、敵の軍の中だった。それはオレに対する、明らかな裏切りだった。」カルダは氷のように冷たい声で言った。
「兄さん、違うの、それは・・・」カーラは堪えられなくなって口を開いた。しかしその瞬間、カルダは真玉によって大幅に強化されたスピードで距離を詰めてきた。そのあまりの速さに、カーラはまったく反応できなかった。
「お前に、オレの気持ちが分かるか?」そう言いつつ、カルダは無情に黒い大鎌を構えた。
そして次の瞬間、カルダは鎌を逆袈裟に切り上げた。カーラは辛うじて大剣を盾にするが、呆気なく弾かれ、その衝撃でカーラ自身も吹っ飛ばされた。
「なるほど。」カルダは興味深げに言った。「ゴート家に伝わるこの神器、魔鎌“サターナ”の一撃を受けて壊れないということは、そいつも神器の一つか?」
「神剣“ロゥエル”。本来はアルト家に伝えられる神器よ。でも―」カーラは言った。「そんなことより、今は私の話を・・・」
「裏切り者の言葉など、聞く意味はない。」カルダは非情な声で言った。そして躊躇いもなく次の攻撃を繰り出す。カーラはまたも、ロゥエルごと弾かれる。
「兄さんは・・・こんな人じゃなかった。」カーラは荒い息で言った。「昔の兄さんは・・・」
「オレをこんなにしたのは誰だと思っている?」カルダは言った。「オレもお前も、今となっては昔と同じではない。確かな事は、お前が今、オレの敵としてここにいるということだけだ。」
その後もカルダの非情な攻撃は続いた。もしカーラが反撃しようと思えば、多少の反撃はできただろう。しかし、カーラには実の兄を攻撃する事はできなかった。何より、こんな誤解を抱いたままでは。
「もはや問答は無用だ。」カルダは言った。「スピルナ帝国復活のために、お前には死んでもらおう。」
カルダは真っ黒な大鎌を振り上げた。カーラは危険を察知して、咄嗟に右へかわした。次の瞬間、さっきまでカーラがいた場所に、漆黒の閃光が走った。“サターナ”の刃はやすやすと地面に深く突き刺さる。カルダは真玉で強化した筋力を使って、一瞬でそれを引き抜いた。
おかしい、とカーラは思った。もし兄さんが私を本気で殺す気なら、既に私は死んでいたはず。それだけの実力差が、今の二人にはあった。しかし、私はまだ生きている。ということは、もしかしたら・・・
だとしたら、私はまだ、死ぬ訳には行かない・・・!
カーラは決意を決めて神剣“ロゥエル”を振りかざした。そしてカルダの攻撃を、得意の回転を利用した舞のごとき剣術で振り払った。
そして間髪を入れずに、今度はカーラの攻撃が始まった。カーラとカルダの間には歴然とした能力差があったが、使っている武器の能力は拮抗している。まったく勝算がない訳ではない。
カーラはロゥエルを素早く回転させ、カルダに詰め寄って行った。カルダはまだ余裕を残しているようだったが、状況は間違いなく変わりつつあった。
「回転を利用した剣術か。」カルダはカーラの攻撃を観察して言った。「なるほど、お前もゴート家の端くれというだけの事はある。」
「どういう意味?」
「お前はその剣術を自分で編み出したつもりだろうが、」カルダは言った。「恐らくお前の中のゴート家の血に刻み込まれていたのだろうな。その戦い方は、ゴート家が代々使ってきた物によく似ている。分かるか?」
カルダはそこで一度言葉を切った。
「その戦法は、もともと剣を使うための物ではない。鎌を使うための物なのだ!」
カルダはそこから一気に盛り返した。“サターナ”を素早く巧に回転させて、怒涛の連撃を繰り出す。その動きは、カーラの戦い方とそっくりだった。最後の一撃で、カーラは何メートルも後ろに吹っ飛ばされた。あまりの衝撃に“ロゥエル”はカーラの手を離れ、近くの地面に突き刺さった。カルダはそんなカーラに止めを刺すべく余裕たっぷりに歩み出した。
「兄さん、聞いて!」カーラは肩にできた打ち傷を庇うようにして、言った。「私は、兄さんを裏切ろうとした訳じゃないの!」
カルダはにわかに足を止めた。今なら言葉が届くかもしれない、とカーラは思った。
「あの頃の兄さんは、ゴート家を復興させる事しか頭になかった。でも、あの時のゴート家は、権力に溺れて落ちるところまで落ちていた!たとえ兄さんが復興しても、きっとゴート家には未来はなかった!だから私は―」
その時突然カルダが動いた。一瞬にしてカーラの前に移動して来たのだ。その手には、高く振りかざした“サターナ”が握られていた。
「うるさい。黙れ。」カルダは感情の欠落した声で言った。そして、“サターナ”を振り下ろした。
漆黒の鎌がカーラの体を貫くかと思われたその瞬間、“何か”がその攻撃を受け止めた。大きな音が響いて、受け止めた剣は敢なく真っ二つに折れてしまう。
「お前は・・・」カルダが呟いた。「あくまでもオレの邪魔をするのか、アトル・アルトよ。」
「僕はトランプの戦闘員ですからね。」アトルは言った。「スピルナの民を守ることが、トランプの役目です。」
「アトル・・・」カーラは半ば安心したような、半ば不安が増したような奇妙な表情をした。
「大丈夫ですよ、隊長。」アトルは言った。「僕が彼に勝って、それで終わりです。」
「フン、真玉によって全ての能力を上昇させたオレに、勝てるとでも思っているのか?」カルダが言った。
「なら言って置きますがね、」アトルは鋭い目つきになって言った。そしてカーラから数歩離れた所に突き立っていた“ロゥエル”を引き抜いた。「僕は、隊長みたいに甘くはないですよ。」
次の瞬間、アトルとカルダの武器、銀色に輝く剣と、漆黒に染まった大鎌とが激しい音を立ててぶつかり合った。
「ほう、良い一撃だな。」カルダは言った。「だが、所詮は生身。それで限界か。」
カルダは素早く“サターナ”を回転させ、目にも止まらぬ速さで第二撃を放った。
しかし、アトルは“ロゥエル”を盾にしてその攻撃を受け止めた。その巨大な刃は、青白い光を帯びている。
「その光、まさか・・・」カルダは多少当惑した声で呟いた。「・・・“バチ”か?」
「その通り!」アトルはその声と共にカルダを振り払った。カルダは呆気なく二メートルも後ろに押し戻される。
「なるほど、バチに真玉の力を抑える能力があると言うのは、本当だったか。」カルダは言った。「だが、お前はまだバチを完全に使いこなしている訳では無いようだな。完全に抑えられている感覚は無い。」
カルダの言う通りだった。アトルは、バチの全てを使いこなしてはいない。かつてバチを用いて完全に真玉を操ったと云われるエリュアルス王の時代から、既に三千年の月日が流れている。いくら直系のアルト家といえど、その血は確実に薄まっていた。そもそもアトルに、真玉を操るほどのバチを使うことはできないのだ。
「確かにそうかも知れませんが、」アトルは言った。「それでも、今のあなたなら、倒せる可能性はゼロではない。でしょう?」
「お前が、オレを倒す?」カルダは鼻で笑った。「不可能だな。万に一つもありえない事だ。お前のような、腰抜けのアルト一族ではな!」
その声と共にカルダの持つ“サターナ”が真っ黒な波動を放ちはじめた。その波動は、神器に秘められた神々の力が、継承者の意思のもとに解放され、実体を伴った物だ。
その波動が現れただけで、辺り一帯の空気が激変した。まるで目に見えない圧倒的なエネルギーに包まれたように、周りの大気が重みを増した。少しでも気を抜けば、途端にそのエネルギーに押し潰され、気を失ってしまいそうな程だった。
アトルが辛うじて意識を保つことが出来たのは、一重にアトルが神器の一つ、“ロゥエル”を持っていたお陰だった。実際、背後ではカーラが、その圧力に耐え切れず気を失ってくずおれる音が聞こえた。しかし、振り返って確認する隙はない。本当にカーラを守りたいなら、まずカルダを倒すことが重要だ。
アトルは手元の大剣に意識を集中させた。神々の力を解放した神器に対抗するには、こちらの神器も解放しなければならない。しかし、その事に集中することすら、今のアトルには難しかった。今まで神器と戦ったことのないアトルは、存在するだけで放たれるその威圧感がこれほどの物とは想像も出来なかった。
カルダは黒い波動をその身に纏い、地面を強く蹴った。一瞬にして、アトルとの距離が詰まった。アトルは急いで“ロゥエル”を掲げ、盾にする。圧倒的な力にアトルは後ろに大きく吹っ飛ばされた。後ろにあった岩にぶつかって、やっと止まることができた。
カルダは間髪入れずに追撃して来た。アトルの目の前に今にも首を刈り取らんとする大鎌の刃が迫る。アトルは間一髪の所でその攻撃を避けた。アトルの背後にあった大きな岩が、凄まじい音を立てて斜めに両断された。
「フン、逃がしたか。」カルダは余裕の表情で言った。「だが、いつまでそうやって躱し続けていられるかな?」
「僕は・・・」もはや死さえも覚悟した時、アトルは無意識の内に呟いた。その脳裏を、様々な思いが駆け巡る。そしてその大半は、カーラとの思い出だった。初めて出会った時、二人はどちらも子供だった。当然、ゴート家の興亡の事も、周囲で起こっているスピルナ動乱の事も、何一つ分からない頃だった。昔から人見知りをしたアトルだったが、どういう訳かカーラの前でだけは素の自分に戻ることができた。それはカーラも同じだったようで、二人はすぐに打ち解けた。
それから何年か経って、成長した二人は己の運命に立ち向かわなければならなくなった。どういう理由でゴート家が滅亡し、カーラが孤児となったか。それによって勃発したスピルナ動乱が、どれほど罪なき人々の命を奪ってきたか。そして、これから先を担うであろうアトルとカーラが、何をするべきか。もし、どちらか一人だけだったなら、その運命の重圧に堪え切ることなど出来なかっただろう。特にカーラにとって、世界でたった一人となってしまった肉親、兄のカルダがファンタスマ城陥落の日からどんな人間に様変わりしてしまったかをその目で見ることは、これ以上ない苦痛だっただろう。
それでも二人が強く生き抜いてきたのは、互いの存在があったからだ。そして今、ファンタスマ城陥落の日から始まった全ての決着が、着こうとしているのだ。カーラのために、そしてスピルナ公国の人々のために、負ける訳には行かないのだ。
その瞬間、アトルの全身から青い光がほとばしった。その光に気圧されて、カルダは数歩後ろへ退いた。
「これは・・・」カルダは戦慄して言った。「何という巨大なバチだ・・・!だが、これほどの大量のバチ、使えばお前自身の身がもたないぞ!」
「・・・たとえ死んだって構わない。」アトルは落ち着いた、しかし威厳に満ちた声で言った。「僕は、自分自身なんかより・・・カーラが傷付く方が、よっぽど嫌だ!!!」
そう叫んで、アトルは鋭い眼差しでカルダをねめつけた。
十二章に続く




