転生令嬢は監禁されたくないので、ヤンデレ王子を手懐けたい~顔が良すぎるせいで、うっかり結婚を承諾してしまいました~
「結婚しよう。フィオナ」
それはもう、非常に顔の良い金髪の男が、大きな花束を抱えて、開口一番にこう言った。
その瞬間――フィオナは思い出した。
前世の記憶を。
そう、ここは乙女ゲームの世界だ。
そして目の前にいる男は、メインヒーローにして、この国の第一王子。
――アレクシス・ラグナドール。
幼い頃、行方不明になった彼は森の中で倒れていたところを、平民の少女だったフィオナに助けられる。
平民には珍しい治癒魔法で、フィオナは彼の傷を癒やした。
それがきっかけとなり、アレクシスは命の恩人であるフィオナを忘れられなくなる。
そして、何年もの間彼女を想い続けた結果――とんでもなく重たい感情を抱くようになった。
まあ、ここまではよくある話だ。
幼い頃に助けた少年が実は王子様で、数年後に迎えに来る。
めちゃくちゃ王道。
前世のフィオナも、このゲームを大いに楽しんだ。
アレクシスは顔がいい。身分も高い。優しくて、頼りになって、それでいてフィオナへの執着がものすごい。
そう。
――執着が、ものすごい。
なぜならこの男、ヤンデレなのである。
ゲームの終盤では、ヒロインを自分の城に閉じ込めてしまう。
いわゆる――監禁エンド。
前世でプレイしていたときは、それはもう大いに萌えた。
「愛が重い! 最高!」
などと大喜びしていた。
でも、自分の身に降りかかるとなれば、話は別である。
(だって監禁よ!?)
ゲームだから楽しめたのであって、現実でやられたらただの犯罪だ。
よし。
ここは丁重にお断りしよう。
そう決意して、フィオナは顔を上げた。
「殿下。身に余るお申し出ですが――」
ここまで言いかけて、フィオナの動きが、ぴたりと止まった。
目の前のアレクシスは、陽光を背負って立っていて、ひどく眩しくみえた。
輝くような金髪は風に柔らかく揺れ、整いすぎた顔立ちは、まるで乙女ゲームのスチルからそのまま抜け出してきたかのようだった。
言葉を止めたフィオナを見て、アレクシスが僅かに首を傾げる。
その仕草すら、絵になる。
フィオナは思わず、ごくりと息を呑んだ。
――顔が、良い。
ものすごく。
前世で何度も見た顔だ。
何度も画面越しに眺めて、何度も「顔が良い」と呟いた顔。
それが今、目の前にある。
しかも、自分を見つめている。
フィオナの理性が、ぐらりと揺らいだ。
(顔が、良い!!!!)
「是非、喜んで」
反射的にそう答えてしまい、フィオナは固まった。
すると、アレクシスの瞳が大きく見開かれる。
その美しい顔が、見る見るうちに嬉しそうに綻んでいく。
「……本当に?」
そんな顔で聞かれてしまえば、もう遅い。
しかも声まで、いいときたのだ。
「え、ええ……」
アレクシスはフィオナの手を取り、まるで壊れ物に触れるように大切そうに握る。
そして、ごく自然な動作で、その手の甲へ口付けを落とした。
さらりと金髪が揺れ、長い睫毛が伏せられる。
それに整った横顔。
――完璧である。
(やっぱり、顔が良い!!)
じゃない。
違う、そうじゃない。
監禁されるんだぞ、私!!
「じゃあ、行こうか」
「え?」
そして、その時、身体がふわりと宙を浮かんだ。
「えっ――」
アレクシスがフィオナを横抱きにしたのだ。
彼は何の躊躇もなく片手を前へ伸ばすと、当然のように転移魔法を発動させた。
強い引力に身体を引っ張られるような感覚。
次の瞬間には景色が切り替わっていた。
(ここは……?)
フィオナは、ぽかんと目の前を見つめる。
目の前に広がるのは、とにかく広い部屋だった。
床には艶のある木材が敷かれ、その上には足を踏み入れるのが躊躇われるほど立派な絨毯が広がっている。大きな窓には重厚なカーテン。壁際には細かな装飾が施された家具が並び、中央には見るからに高そうな長椅子とテーブルが置かれていた。
(……これ、一部屋よね?)
平民育ちで前世も一般人のフィオナには、もはや何がいくらするのかすら分からない。
とりあえず、全部高そう。
「気に入った?」
「え、ええっと……?」
「今日からここが、君の住む部屋だ」
アレクシスは、さも当然のように言ってのけた。
さすがヤンデレ王子。行動が早い。
いや、褒めてどうする。
先ほどは、つい顔に釣られて結婚を承諾してしまった。でも、監禁は絶対に嫌だった。
まずは話をしなくては。
「あ、あのですね――」
「突然のことで、疲れたでしょ。まずは休んで」
「え?」
話を遮られ、思わず声が漏れた。
そうして、アレクシスは侍女を呼ぶと、フィオナは寝台に寝かされた。
そして、マッサージを受けた。
とてもいい匂いのする顔面パックまでされ、非常に癒された。
それらが終わると、今度は丁寧に化粧を施される。
平民だったフィオナは、当然ほとんど化粧をしたことがない。
ひとたび正面の鏡を見てみれば、そこには目を引くほどの美少女がいた。
(かわいい……!)
さすがヒロインである。
その後は、見たことも着たこともないような豪華なドレスまで用意された。
そして、次に案内されたのは食事の席だ。
テーブルいっぱいに、たくさんの料理が並んでいる。
前菜にスープ、魚料理、肉料理。
色とりどりの野菜を添えた料理に、見たこともない果物まである。
食欲をそそる匂いが鼻いっぱいに広がってゆく。
フィオナは思わず、ごくりと唾を飲み込む。
そのとき、耳元に優しい声が落ちた。
「食べさせてあげよう」
「……え?」
いつの間に戻ってきたのか分からないけれど、アレクシスが当然のようにフィオナの隣に座っていた。
(……いや、待って)
このテーブル、かなり大きい。普通、向かい合わせに座るものでは?
そんな疑問が浮かんだものの、今はそれどころではない。
目の前の料理が、ものすごく美味しそうなのだ。
アレクシスは美しく惚れ惚れするような所作で肉を切り分けると、そのままフィオナの口元へ運んできた。
私は、反射的に口を開いてしまう。
「おいしい……」
思わずそう零せば、王子は「それはよかった」と心底嬉しそうに微笑んでいた。
(この生活、最高では?)
って、ちがーう!
危なかったわ。ついつい、この素晴らしいおもてなしと、王子の顔面の良さに絆されるところだった。
フィオナは慌てて気を引き締める。
そう、アレクシスはヤンデレだ。
このままでは、いずれ監禁される。
いくら食事が美味しくても、どれだけ甘やかされても、監禁されてしまえばすべてが台無しだ。
フィオナはちらりと隣を見る。
そこには、非常に顔の良い男がいる。
食事をする姿すら美しい。
さらりと落ちた金髪を指で払い、何気ない仕草でこちらを見つめる。
(か、かっこいい……)
……いやいや。
思わず、絆されそうになって、フィオナは慌てて首を振った。
顔が良いからって、監禁されていいわけではない。
でも、アレクシスは優しい。
料理も美味しいし、住む場所も快適。身の回りの世話までしてくれる。
そして何より、フィオナをとんでもなく甘やかしてくれる。愛情は言わずもがな疑いようもないのだ。
(監禁されさえしなければ、完璧なのよねえ……)
今のところ、欠点はひとつだけなのだ。
……その一つがあまりにも致命的なのだけれど。
フィオナは、ふと考える。
監禁されるのが嫌なら、監禁されないようにすればいいのでは?
何も、逃げ出す必要なんてないのでは……?
だって、今のところ王宮での暮らしは最高なのだ。
こんなに美味しい料理が食べられて。
こんなに快適な部屋に住めて。
こんなに甘やかされて。
しかも――。
ちらりと隣を見る。
うん。やっぱり顔が良い。
(そうだわ)
フィオナの瞳が、ぱっと輝いた。
(監禁されないように、すればいいじゃない!)
逃げる必要なんてない。
アレクシスが監禁したくならないようにすればいい。
(王子を……手懐けましょう!)
こうして、フィオナによる、ヤンデレ王子との共存作戦が始まったのだった。
***
王宮に連れてこられてから、三日が経った。
この三日間、フィオナはアレクシスにそれはもう、たっぷりと甘やかされていた。
今だって、当然のように彼の膝の上に座らされている。
(……あれ?)
フィオナは、ふと首を傾げた。
(全然ヤンデレじゃなくない……?)
そこで、フィオナは思い出した。
そうだ。今のアレクシスは、まだヤンデレになる理由がないのだ。
原作では、突然アレクシスから求婚されたフィオナが困惑するところから物語が始まる。
なぜなら、フィオナは幼い頃に助けた少年のことを覚えていなかったからだ。
当然、フィオナは求婚を断ったけれど、アレクシスは諦めなかった。
何度断られても、何度でもフィオナに想いを伝え続ける。
けれどフィオナは、身分の違いもあって彼のもとから逃げてしまう。
その後、フィオナが聖女であることが判明し、身分差という問題は解決する。
そして、アレクシスの一途な想いに心を打たれたフィオナは、ようやく彼の気持ちを受け入れる。
二人はめでたく結ばれ、ハッピーエンド。
――の、はずだった。
けれど、その後。アレクシスは、フィオナが二度と自分のもとから逃げないようにと、彼女を監禁してしまうのだ。
(……なーんだ!)
フィオナは、ほっと胸を撫で下ろした。
心配して損したわ。
だって私は、最初からアレクシスの求婚を断っていない。
それどころか即答したのだ。
もちろん、今さら断るつもりもない。
つまり――アレクシスを不安にさせる要素が、何一つないのだ。
このまま彼に愛情を伝えて、安心させてあげればいい。
そうすれば、きっと原作のように監禁されることもない。
(うん。何も問題ないわね!)
そんなことを考えながら、フィオナはアレクシスの膝の上で、のんびりと寛いでいた。
そして、ふと顔を上げる。
「ねえ、殿下」
「どうしたの?」
「私は逃げませんからね!」
フィオナはアレクシスを見上げ、真っ直ぐに言い切った。
けれど、ふたりの間に妙な沈黙が落ちる。
しばらくして、ようやくアレクシスが口を開いた。
「……どうして、急にそんなことを?」
その瞬間、彼の顔に一瞬、黒い影が差し込んだように見えた。
(あれ……?)
フィオナは小さく首を傾げる。
違和感を感じたものの、すぐに笑顔を浮かべて、続けた。
「ずっと殿下のお側にいますよ、という意味です」
アレクシスは、フィオナの瞳をじっと見つめている。
どのくらいそうしていたのかは、わからない。
けれど、やがて彼の表情がふっと和らいだ。
「……そうか。それなら良いんだ」
アレクシスは、いつもの穏やかな表情に戻っている。
(……さっきのは、気のせいかしら?)
少しだけ引っかかったものの、フィオナは深く考えないことにした。
とにかく、これで彼が安心してくれると良いのだけれど!
そして、アレクシスは公務のため、部屋を出ていった。
扉が閉まり、フィオナの姿が見えなくなった途端、アレクシスはふっと息を吐いた。
「……逃げる、か」
「……フィオナが、僕から?」
アレクシスが、ぽつりと呟いていたことを、フィオナは知らない。
***
それからしばらくして、王宮での生活にもすっかり慣れた頃。
フィオナの聖女としての力が、ついに覚醒した。
もちろん、この国の聖女として与えられた役目を全うするつもりだ。
これが私に課せられた使命なのだから。
「では、殿下。今日も行ってきますね!」
「……うん。無理はしないで」
「もちろんです! また殿下に会えるのを楽しみに、頑張ってきますね!」
「……うん」
アレクシスは、嬉しそうに微笑んだ。
これは、もちろん本心だ。
最初は彼を安心させるためにと、色々な言葉を投げかけていた。
けれど、一緒に過ごす時間が増えるにつれて、少しずつ変わっていった。
殿下がかわいく思えてきたのだ。
それに、こんなに好かれて絆されない方が無理な話。
かわいいは沼、とはよく言ったものだ。
もはやこれは、立派な愛情である。
今では、「今日も素敵です!」とか「殿下と一緒にいるのが楽しいです」とか。
そんな言葉も、すっかり自然に口にできるようになった。
私としては、どれも全部愛情表現のつもりだ。
そんなわけで、フィオナは聖女としての役目を果たしながら、アレクシスとの幸せな日々を送っていた。
週に一度ほど街へ出て、癒しの力を使う。
怪我や病に苦しんでいた人々が、少しずつ笑顔を取り戻していく。
「ありがとうございます、聖女様!」
「よかったです!」
誰かの役に立てることが嬉しい。
フィオナは、聖女としての使命にやりがいを感じていた。
――そんな、ある日のこと。
いつものように街で癒しの力を使っていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「フィオナ!」
振り返るとそこには、幼馴染のアランがいた。
「……アラン! 久しぶりじゃない!」
「急にいなくなったと思ったら、まさか聖女様だったなんてな!」
「もう。聖女様だなんて、やめてよ」
「いやいや、そりゃ言うだろ。……でも、本当に遠くなっちまったな」
アランは、どこか寂しそうに笑った。
けれど、すぐにいつもの調子に戻る。
「まあ、元気そうでよかった。あんまり無理すんなよ」
「ふふ。ありがとう」
久しぶりの再会に、フィオナは嬉しくなった。
少しの間、昔話に花を咲かせ、話を終えるとアランは手を振りながら、街の方へと消えていった。
「じゃあ、またな。フィオナ」
「うん。またね、アラン!」
フィオナも笑顔で手を振っていた。
その日の夜。
いつものように王宮へ戻ると、アレクシスと一緒に食事をした。
今日あったことを話せば、アレクシスは少しだけ複雑そうな顔をしたものの、特に何も言わなかった。
フィオナはそんな彼を見て、ほっとする。
こんな風に、ずっと穏やかに過ごせたらいいなと思い浮かべながら、食事を楽しんだのだった。
翌朝。
フィオナは、ゆっくりと目を覚ました。
まだ少し眠い。
もう少しだけ寝ていたい。
そんなことを考えながら、いつものように身体を起こそうとして――。
ガシャン。
(…………ん?)
何かが聞こえ、フィオナは動きを止めた。
今のは……何?
もう一度、身体を動かしてみる。
ガシャン。
金属が擦れるような音だった。
そして、なぜだろう。
右足が、妙に重い。
(……まさか)
嫌な予感が脳裏を掠め、フィオナは勢いよく布団を剥ぎとる。
そこにあったのは、フィオナの右足首にしっかりと鎖が繋がれている光景だった。
しかも、ご丁寧に頑丈そうな錠までついている。
一瞬、何も考えられなかった。
「なんで!?」
フィオナは、思わず叫んだ。
ヤンデレ回避したんじゃないの!?
その時、部屋にノックの音が響いた。
フィオナは反射的に、びくっと肩を揺らす。
扉へと顔を向ければ、そこにはアレクシスが穏やかな表情で立っていた。
「おはよう、フィオナ。今日はよく眠れた?」
「……殿下。これはどういうことでしょうか」
「これって?」
アレクシスはあくまで穏やかな表情を崩さない。
けれど、フィオナは、アレクシスが一瞬、足首の鎖に視線を移したことを見逃さなかった。
(わかっていて、聞いてる……!)
背筋に薄寒いものが通る。
「どうして私の足が繋がれているのですか」
「……ああ、それ?」
アレクシスはゆっくりとフィオナの元へ歩み寄る。
ベッドの端に腰を下ろすと、アレクシスはフィオナの顎に指を添え、くいっと持ち上げた。
「だって、フィオナ逃げないんでしょ?」
「え?」
「何か問題ある?」
「問題しかありませんよ……!」
思わず叫んでしまう。
その瞬間、アレクシスの表情から、すっと笑みが消えた。
「……なに?」
低く落ちた声が響く。
先ほどまでの穏やかな雰囲気が、一瞬にして消え失せる。
「じゃあ――やっぱり、嘘だったってこと?」
「えっ……? 何のことですか?」
「君が僕から逃げないって言ったこと」
何かがおかしい。
何かが、決定的に噛み合っていない。
アレクシスは、フィオナの顎から手を離すと、苦しそうに眉を寄せた。
「君は、いつも心地のいい言葉をくれるよね。……けれど、肝心なことは何ひとつ言ってくれない。それでも、僕のことを好きになってもらえるように努力すればいいと思っていた。君が僕を選んでくれたことが嬉しかったから。でも……君は毎週のように街へ行く。それだけなら、まだいい。でも、あんな男と、あんなに楽しそうに話すなんて思わなかった」
その声には明らかな苛立ちが滲んでいる。
私は殿下を安心させれば、監禁されないと思っていた。
だから安心させるようにいつも言葉をかけていた。それだと足りなかった?
何かを見落としている気がした。
何が足りなかったのだろう。
そう考えながら、アレクシスへ視線を向けた、その時。フィオナの心臓がぎゅっと締め付けられた。
――苦しそうだったのだ。
どうして、彼はこんなにも傷ついた顔をしているのだろう。
その時、フィオナは、自分の中に引っかかっていたものをようやく見つけた。
”肝心なこと”
(もしかして……)
「……殿下」
「なに?」
「…………不安だったのですね?」
「……え?」
アレクシスが、目を丸くする。そして、少しだけ視線を逸らした。
「……そうかもしれない」
その声が、あまりにも弱々しくて。
フィオナは、胸がきゅっと締め付けられるような気がした。
あんなにかっこよくて。何でもできて。自信に満ちているように見える王子様が――。
今は、なんだかひどく小さく見える。
それが、どうしようもなく愛おしかった。
安心させてあげたい。
そう思ったフィオナは、両手を広げて、まっすぐにアレクシスを見る。
「ぎゅーしてあげます」
その瞬間、二人の間に長い沈黙が落ちた。
アレクシスの動きはぴたりと固まっている。
その様子を見て、フィオナは小さく首を傾げた。
「来てくれないのですか?」
「……その言い方は、ずるいな」
アレクシスは、困ったように眉を下げた。そして、ゆっくりとフィオナへ身体を寄せる。
やがて、そのまま彼女の胸元へ顔を埋めた。
フィオナはそっと、アレクシスの背中に腕を回した。
思ったよりも、温かい。
背中を優しく撫でると、アレクシスの身体から少しずつ力が抜けていく。
「不安になったら、まずは話してくださいね。いきなりこんなことされたら、びっくりしてしまいます」
「……そうしたら、抱きしめてくれる?」
「もちろんですよ」
すると、腕の中の彼がほんの少しだけ動いた。
……どうやら、お気に召したらしい。
「それで、殿下。”肝心なこと”とは?」
アレクシスが黙り込む。やがて、気まずそうに顔を上げた。
「…………好きって、言われたことがないから」
「え?」
その言葉に、フィオナは目を瞬かせた。
「結婚をすぐに承諾してくれた割には、あまり好意を感じられなくて」
「……え?」
フィオナは思わず首を傾げた。
「私、殿下のことが好きですよ?」
「……今、なんて?」
「ですから、殿下のことが好きですよ?」
答えても返事がない。不思議に思い、フィオナは彼を見上げた。
私なりに、かなり愛情表現していたつもりだったのだけれど。
……どうやら、全然伝わっていなかったらしい。
アレクシスは、依然として固まったまま動かない。
「……殿下?」
「……もう一度」
「え?」
「今の。もう一度言って」
「……好きです?」
アレクシスは、また無言になる。
ええっと……これじゃなかったの?
「殿下?」
「……フィオナ」
「……はい」
アレクシスはしばらく何かを堪えるように黙っていた。
そして、ようやく絞り出すように声を漏らした。
「……もう一回、抱きしめて」
「……!」
そこには、アレクシスが両膝を抱えるようにして、フィオナを見上げている姿があった。
耳が、ほんのり赤い。
(か、かわいい……!!)
その瞬間、フィオナの中で何かが弾けた。
気づけば、アレクシスを力いっぱい抱きしめていた。
どうしよう。この人が……ものすごく、愛おしい。
そして、この日を境に、フィオナは、アレクシスを安心させる方法をひとつ覚えたのだった。
***
あれから数ヶ月。
アレクシスは、少しずつ自分の不安を口にするようになった。
そしてフィオナも、そのたびに彼の気持ちを聞いて、抱きしめる。
以前なら、何でも自分の中に抱え込んでいたアレクシスが、今では少しずつ言葉にしてくれるようになった。
今日は、いつものティータイム。
フィオナは当然のようにアレクシスの膝の上に座らされていた。
「はい、フィオナ。口を開けて」
差し出されたクッキーを口に入れる。
甘くて美味しい。
「美味しいです」
「それはよかった」
アレクシスは満足そうに笑った。
最近では、こうして彼に食べさせてもらうことにもすっかり慣れてしまった。
そんな中、フィオナはふと、アレクシスへ尋ねる。
「ねえ、殿下」
「うん?」
「最近は、不安なことはありませんか?」
「うん。大丈夫」
アレクシスは穏やかに答えた。
「フィオナもこうしてくれるし。それに、気持ちはちゃんと言葉にしたほうがいいってわかったから」
「それなら、もう前みたいなことは起きなさそうですね!」
フィオナが嬉しそうに言うと、アレクシスは少し視線を逸らした。
「……それはどうかな」
「え? 私、逃げませんよ?」
「うん。知ってる」
「......?」
アレクシスが、にこりと微笑む。
「君が逃げないことと」
その腕が、フィオナの身体を抱き寄せる。
「僕が君を閉じ込めたいと思わないことは、別の話だよ」
「……え?」
「だから、これからも僕を安心させてね」
「は、はい……?」
「毎日好きって言って」
「……はい」
「毎日ぎゅーして」
「……はい」
「それでも足りなかったら――」
アレクシスが、にっこりと微笑む。
その笑顔は、とても綺麗で――とても、嫌な予感がした。
「そのときは、また考えようか」
「ええっと……?」
困惑するフィオナとは、対照的に、アレクシスは穏やかな表情を崩さない。
そして彼は、フィオナの首筋へ顔を寄せると、そこへ軽く唇を落とした。
ぞくりと身体の奥をくすぐられたような感覚に、フィオナの顔が一気に熱くなる。
「で、殿下......っ」
「気をつけないとね?」
耳元で囁かれた声に、フィオナはごくりと息を呑んだ。
それはもう、大変いい笑顔で、アレクシスはフィオナを見つめている。
……どうやら私は。
まだまだ、安心できないらしい。
全く手懐けられていません。
双方がお互いの扱い方を覚えただけです。
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