第6話 庭での出会い
翌日、朝餉を食べた咲久耶は庭に出た。
「問題は花よね」
離れの庭をいくら歩いてみてもやはり花は一輪もない。
咲久耶は母屋へと続く戸口の前に立った。
(きっと、母屋の庭なら花があるわ)
咲久耶はそびえたつ塀を見上げた。
決して乗り越えてはいけない壁――だが、すべてを失った咲久耶に怖いものはなかった。
「いいわ、やってやろうじゃないの」
島では野山を駆けまわり、木に登ったりもしていた。
この程度の塀を乗り越えるくらいたやすいものだ。
しかも着ているのは作業用の作務衣。
咲久耶は助走をつけて塀に足をかけ、てっぺんに手をかけた。
「よっと」
そのまま体を持ち上げ塀を乗り越える。
「わあ……」
離れとは全然違う花が咲き乱れる美しい庭が目の前に広がっていた。
「すごいわ、なんて綺麗なの」
思わず見とれてしまった咲久耶だったが、自分の立場を思い出して慌てて屈む。
慎重に辺りを見回したが幸い誰もいない。
「いただいていこう。そうよ、私は正室なんだから! 花を摘むくらいいいわよ」
自分を奮い立たせ、花に手を伸ばす。
「綺麗……私に力をちょうだい」
黄色、桃色、白、紫――様々な色の花を摘んでいく。
(懐かしいな。故郷では家に飾る花を毎日摘みに行ったっけ)
花を見ていると故郷が浮かぶ。家族の笑顔も。
涙がぽたぽたと落ちていく。咲久耶の感情に呼応するように花からぽわぽわと光の塊が浮かんできた。
(霊気が……!)
故郷ではすべてのものには霊気、つまり魂が宿っていると考えられている。
それを引き出したり、逆に霊気を込めたりできるのは一部の人間だけで『巫力』と呼ばれる能力だ。
女性の場合は『巫女』、男性なら『巫覡』と言われる。
王族でも滅多に現れない希有な力だったが、平和な島では神事の時くらいしか出番がない。
だが、今はこの能力に感謝している。
「慰めてくれているの?」
ふわふわと花の霊気が咲久耶の周囲を舞う。
(綺麗……)
咲久耶はぐいっと涙を拭った。
霊気の花が消えると咲久耶は立ち上がった。
(元気を出さないと! そうよ、生きて故郷に帰るんだから!)
(お金が貯まれば屋敷を抜け出してやる!)
皆、咲久耶のことを無力な姫だと侮っているはずだ。隙はいくらでもあるだろう。
決意を新たにし、離れの庭へと戻ろうときびすを返したときだった。
「おまえ、今のはなんだ?」
「え?」
振り返った咲久耶は息を呑んだ。
庭に立っていたのは紺色の着物を着た紅蓮だった。夜の海のような漆黒の目が自分を射貫く。
(な、なんで紅蓮様が庭に!!)
心臓が口から飛び出そうになり、咲久耶は両手を口に当てた。
(どうしよう、どうしたらいいの)
「おまえ、どこの侍女だ?」
紅蓮の言葉に逃げだそうとしていた咲久耶はハッとした。
(私に気づいていない!?)
言われてみれば、会ったのは念入りに化粧を施し飾り立てた婚儀の時だけ。
しかも目が合ったのは一瞬。
今の自分はすっぴんで櫛も通していない髪をした侍女用の作務衣姿を着た少女だ。
しかも婚礼の時より痩せ衰えて人相も変わっている。
(名乗る?)
咲久耶はドキドキしながら紅蓮を見た。
ある意味、直接紅蓮と話せる絶好の好機ではある。
だが、すぐさま咲久耶はこれまでの仕打ちを思い出した。
(紅蓮様は私を暗殺者だと思っている。正体を明かすのは危険だわ)
(万一、花を摘むことすら禁じられたら終わり!)
「わ、私は母屋の……侍女です」
咲久耶は目を伏せ、もごもごとつぶやいた。
紅蓮がじっと見つめてくる。その視線は婚礼の時のような鋭さはなかった。
「見慣れない顔だな。新入りか」
「は、はい」
「名前は」
「……さ」
本名を名乗りそうになり慌てて口をつぐむ。
「さ、沙羅です!」
思わず口をついて出たのは妹の名前だった。
「花の名前だな。いい名だ」
思わぬ優しい言葉に咲久耶は驚いた。
「俺の名は紅蓮だ。名の通り火の性質を持っている。だから木の性質の者とは相性がいい」
(五行思想ね)
嫁ぎ先なので少しは勉強している。飛天国では一般的な自然哲学の思想だ。
万物は『木・火・水・土・金』の五つの要素からなり、互いに影響し合っているという考え方だ。
(確か、木は火を助けて育てるという相性らしい)
「さっき、おまえの周囲で花の霊気が舞っていた気がしたが……」
「え? し、知りません! 見間違いじゃないでしょうか!」
紅蓮に能力を知られるわけにはいかない。咲久耶は慌てて否定した。
「だが――」
紅蓮が言いかけたとき、ぐうううううっと咲久耶の腹が空腹を知らせた。
紅蓮がくっと笑う。
「腹がすいているのか」
咲久耶は顔が真っ赤になるのを感じた。お腹はいつもすいている。
紅蓮がくっと首を傾げた。
「東屋でのんびりしようと思っていたところだ。おまえも来い。茶菓子がある」
「えっ、でも、私……」
「さっさと来い」
この屋敷の主人である紅蓮の誘いを断るわけにいはいかない。
咲久耶はびくびくしながらついていった。




