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【挿絵有】ひとときの推理  作者: 沿海
第1章 2年生・夏
5/8

第4話 短編小説と明かされない結末

彼は推理が好きなようだった。


『最期の卵かけご飯』


 フランスのパリ郊外にて。

 ある男は最後の晩餐を迎えようとしていた。いや、この表現ではよくない。こう聞けば、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた作品を思い浮かべることだろう。正しくは『最期の晩餐』だろうか。とにかく、その男はもう明日を迎えることができない人生なのだ。

「何が食べたい?」

 男の妻は聞いた。

 男の病は末期だった。これまでは余命を縮めるだろうから病人食しか与えられなかったが、町医者からこの夜は越せないだろうと彼は言われた。だから、今日ぐらいは豪勢な食事でも何でも食べさせてあげたい、という妻の粋な計らいであった。

 男の家は貧乏である。家業には成功したのだが、病の薬が洒落にならなかったのである。とはいえ、最期の晩餐なのであるから、有名レストランのフルコースでも頼もうかと思っていた。

 しかし、男は予期せぬ言葉を発した。

「卵かけご飯が食べたい」

 男の故郷は遠い島国である日本だ。そのため、最期になって質素でも懐かしの味を思い出したのだ。

 だが、ここはフランスの地である。生卵には多量のサルモネラ菌が含まれているため、食べればすぐに食中毒を起こす。日本の生卵とは違う。男の妻はそう主張したが、男はどうしてもと意を翻さなかった。食中毒になろうがなるまいが、男の余命は半日なのであった。

 米を炊き、生卵を落とす。数年前に賞味期限が切れてしまった日本製の醤油を掛けた。

 男は震える手で箸を掴み、口内に掻き込んだ。

「ああ、TKGだ」

 既に視覚もほとんど失われ、その黄色さえ朧げながらにしか視認できない。また、味覚も感じられなかった。

 だが、それでも男は涙目で卵かけご飯を食べ続けた。思い出の中に、はっきりと味を感じているのだ。黄身のまろやかさに醤油のアクセント。かつお節を上にはらりと掛ければよかった。

 男はもう長らく日本へ帰っていない。両親の束縛から逃れたいがために、日本を飛び出しフランスへやってきた。後悔はしていなかった。優しい妻と出会えたのだから。

 でも、今更になって、母親が作ってくれた卵かけご飯が心に浮かぶ。いつも厳しい母親だったが、卵かけご飯は美味かった。市販の卵と醤油でも、三人で食べた卵かけご飯は美味かったのだ。男は両親が好きだったと気付いた。泣きながら食べた。

 男が食べた最期の晩餐は卵かけご飯だった。

 彼の死因はまだ特定されていない。


挿絵(By みてみん)



 僕はその一節を読み終えると、その本を閉じた。彼は見計らったように聞いてくる。

「どうだ?」

「どうだって、何さ。普通に面白いと思うよ」

 この妙な会話は僕が図書室に来てから始まった。急な狐の嫁入りがあり、僕は雨が止むまでは図書室で暇つぶしをしようと思ったのだ。すると、ちょうど委員の仕事が終わったばかりの白崎に引き留められ、ある短編集の一節を読まされることとなった。

 彼は僕の素直な感想に、いやいやと首を振った。

「いや、面白いって。俺が聞きたいのは感想じゃねえよ。この短編って結末がないよな?」

「結末?」

 僕が問い返すと、彼は我が意得たりと頷いた。

「男の死因だよ。病による衰弱なのか、なんたら菌による食中毒なのか」

「それはそうだよ、この短編はリドル・ストーリーなんだから」

 なんだよそれ、と彼は言った。僕は溜息と共に説明を始める。彼はなんちゃって図書委員だけれど、これぐらいは知らないと仕事が務まらないだろう。

 リドル・ストーリーとは物語形式の一種だ。作中の謎を意図的に伏せて終わり、それぞれ読者の想像に結末を委ねるものである。有名どころの例えだと、芥川龍之介の『羅生門』だろう。あらすじはこうだ。

 ある下人が主人に暇を出され、やることもなく羅生門の下で惚けていた。金もない彼は盗みか殺しでもしなければ生きていけないが、彼にはその覚悟がなかった。すると、死人の髪毛を抜いている老婆に出会う。その老婆は「生きていくため」に髪毛を抜いていると言った。下人はそれを聞きくや否や、老婆の着物を剥ぎ取り、闇の中へ逃げて行った。そうでもしなければ、自分は餓死する運命なのだから、と自分を納得させながら。

 そんな話だ。しかし、この話で重要なのは、下人が闇の中へ逃げたその後にどのような人生を辿ったのか明記されていないことだ。盗みを繰り返し生き延びるのか、いやいや、盗みは悪いことだと改心して餓死の道を選んだのか。その結末は作者以外にはわからない。

「ふうん、ということは……この短編小説もその『羅生門』と同じリドル・ストーリーってやつで、結末は読者の想像に任されるってことか?」

「そうだね」

 僕は雨音に耳を澄ませながら、同意した。この物語の結末は明かされていない。男の死因が何か。それを読者が想像するのはいいだろうが、知ろうとするのは無粋である。しかし、僕の思惑には乗らず、彼は無粋なことを言った。

「じゃあさ、その結末を考えてみないか」

 三秒悩んで答える。

「……わかったよ」

 僕に選択権はなかった。結局、いつも付き合うことになるのだから。とはいえ、雨が止むまでの暇つぶしにはよかった。もちろん、バス停で雨宿りした時とは違い、今日の僕は折り畳み傘を学生鞄の中に入れていた。けれども、なんとなく図書室に来たのだ。バイトもしていないし、時間だけは余るほどあったのだ。

「それでだけど、俺の見解では……この男の死因は食中毒だと思うんだ。始めから医者には余命が半日と宣告されていた。それほど弱っている身体でなんたら菌を含んだら、常人に耐えれても病人である彼に耐えれるはずがない。病は間接的な死因で、直接的な死因はサル……なんたら菌による食中毒だと俺は思う」

 彼はサルモネラ菌を言えないらしい。それはそうとして、僕は反論する。

「僕はの見解だと……食中毒ではないと思うかな。彼は確かにサルモネラ菌を含んだ。でも、余命半日の間に食中毒を起こすとは考えられない。例えば、ノロウイルスの場合だと確か潜伏期間は一日以上だから、サルモネラ菌も同じぐらいじゃないかな。しかも、彼は病人だから、食中毒の可能性が発生するほど多く、卵かけごはんを食べれたとは思えないよ」

「それはただの予想だろ? 食べた量の記載なんて本文にはないし、高齢者だから致死量が普通より少なかったりするかもしないぜ」

「だからだよ、結末は読者に委ねられるんだ」

 僕が言うと、彼はしぶしぶといった表情で頷く。どうやら、理解はしていても納得できていないみたいだった。僕も彼の不満な顔は少し不本意だったから、言葉を繋げる。

「……事実はわからない。でも、別の方向から考えてみようよ」

「別の方向って、なんだ?」

「どちらの結末がより結末らしいのか、だよ」

 僕から率先して推理を始めるのは珍しい。そんな感想をいだいた。

 僕は本を開き、該当する頁まで繰った。そこには一枚の挿絵が乗っている。医療用ベッドに座る男と、隣にいる妻が描かれている。服装と髪色などから、だいたい八十歳ほどだろうか。男は卵かけご飯を食べていて、妻はそれを優しく見守っていた。

 この挿絵と先ほどの会話から考えると、病も食中毒も死因としてありそうだ。どちらもありそうだから、どちらの可能性も考えてみればいい。

 まず、男が食中毒によって死んだとする場合。それが判明するのは、詳しくは知らないけれど、たぶん検視官が確認してからだろう。この時、病でなく食中毒により死亡したと判明するのだから、そこには事件性が出てくる。だとすれば、警察が動き、最初に彼の妻が疑われるはずだ。妻想いの男にとって、それは意に反している。例え男はどれほど卵かけご飯が食べたかったとしても、自分の妻を危険に晒すことはするまい。そして同時に、そんな悲しい結末を筆者が望むこともないであろう。

 だとすれば、男が病による衰弱死だった場合。それだと妻にどんな危険もない。しかし、そもそも妻に危険が及ぶかもしれないことをするだろうか。そう考えると、男は自分が病によって死ぬと自覚していたのかもしれない。よくある、頭の上に死神が立っているという状況だ。男は本望を遂げ、妻は男の願いを叶える。誰にとっても最上の結末だ。

 でも、と僕は思う。

「普通に考えれば、やっぱり病によって死んだとするのが最上の結末だよ。でも、その普通のことを筆者は書かなかったんだ。そこにはきっと理由があるし、僕はそれを解き明かすのは無粋だと思うよ」

「そうかなあ……読者に解き明かしてほしいという筆者のメッセージだと思うぜ、俺はな」

 僕と彼の意見は食い違った。もとより、千文字以下の短編から結末を推測するなんて不可能なのだ。僕は強引に話題を纏めてしまう。

「まあ、どちらにしても筆者が結末を述べなければ、永遠にわからないんだ。真実は闇の中なんだよ」

 僕がそう言うと、はっとした顔を彼は見せた。

「なあ、白崎。その真実は闇の中って言葉はなんだ? 前も言ってただろ?」

「……前も?」

「ああ。本の持ち主を推理した時も、メッセージの意味を推理した時も、小銭不足の理由を推理した時もだ。何か意味があるのか?」

 そうだったかな、と僕は頭を捻った。古い記憶を思い出す。雨宿りをしにバス停へ駆け込んだ時だった。彼と出会い、暇つぶしとして落ちていた本の持ち主を推理した。二人で温泉を浸かりに出掛けた時だった。ロッカーに残されたメッセージの意味を推理した。世界最高峰のマジックショーへ見に行った時だった。小銭が不足した原因を推理した。

 確かに、僕は同じ言葉を言っていたかもしれない。だけれど、全て無意識で無自覚だ。

「……強いて言えば、語呂がよかっただけかな? 深い意味なんてないよ」

「つまりあれだな、探偵が推理を成功した時の決め台詞ってやつだな!」

 彼は僕の話を聞いていなかった。僕は探偵の自覚なんてない。あの三回はたまたま推理が成功したのかもしれないが、全て本当に無意識の言葉だった。とはいえ、次は俺がその台詞を言ってやる、と呟いている彼にその事実を伝えても、意味がないだろう。僕は溜息を付いた。

「君は……推理が好きなの?」

「ああ、赤城みたいに推理ができるやつって格好いいだろ? 俺も推理できるように、最近は推理小説とか読んでるんだぜ? 俺もお前みたいに推理できるようになったら、二人で高校生探偵バディが組めるだろ。あれだ、工藤新一と服部平次のような関係だ」

 よくわからない理論だ。そもそも、某アニメの工藤と服部はライバルであり、バディではないと思う。僕が呆れていると、白崎はあの日のように右手を突き出してきた。

「というわけで、よろしくな相棒!」

 気が乗らなかったが、僕はその掌を握り返した。

 それは既に雨が止み、綺麗な虹が空へ駆けていた時のことだった。


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