第3話 大道芸と足りない小銭
彼には僕と違う世界が見えていた。
天岳市は少子化が進んでいる。小中高の学校はそれぞれ一校だけしかなく、図書館も閉館されたらしい。とはいえ、ホテルも兼ね備えた大規模レジャー施設が建設されてから、多くの観光客が来るようになり、少しずつ発展しているようだった。
そんな天岳市に、世界的有名なマジシャンが来ると決まったのは、先週のことだった。急なことで驚いたが、話が少しややこしかったらしい。そのマジシャンは天岳市の出身で、今回はただの里帰りのはずだった。しかし、それを聞いた市の運営者が急遽、マジックショーを開催すると決定したようだ。そのマジシャンにとっては甚だ迷惑な話だが、ショーを見るために観光客がかなり来たようであった。
僕と白崎はそのショーを見に、町の中央広場まで行くこととなった。本来ならば朝市場などを開くためのそこは、特設の舞台が設計されて、大規模の観客席も用意されていた。最前列は子供たちの場所だから、僕と彼は観客席の中ほどに並んで座った。
「楽しみだな。なにせ、世界最高峰のマジシャンだぜ」
彼は少年のように瞳を輝かせて言った。僕はそうだね、と同意する。テレビなどで見たことがあるけれど、実演をその場で見るのは初めてだった。彼には負けるかもしれないが、僕もそれなりに楽しみだった。
「ところで、先に言っとくけどさ……」
彼は言葉を濁した。
「なに?」
「いや、いつものように推理とかするなよ。マジックは種がわからないから面白いんだ。となりで解説とか始めたら、興覚めだぞ」
「わかっているよ。そもそも、そんな簡単に種がわかるようなマジックなんてしないでしょ」
白崎は僕を疑っているようだった。心外だ。僕は空気を読む男である。ここには子供だっているのだ。子供たちの夢を壊すような真似はしない。
僕がそう心に誓っていると、舞台にスポットライトが当たった。次の瞬間、そこには誰もいなかったはずなのに、マントを靡かせた男が現れた。大音量で音楽が流れ始める。ショーが開幕するのだ。
『やあ、みんな。僕のマジックショーに来てくれて本当にありがとう。最後に大切な話もあるから、どうか終演まで楽しんでね』
男は頭に乗せていたシルクハットを手に取り、僕たちに見せてきた。中には何もない。彼は再度、それを頭に被せると、どこからともなく取り出したステッキで叩いた。次の瞬間、シルクハットを押し退けて、中から白い鳩が飛び出してきた。鳩は観客席の上空を一周すると、彼の腕に留まった。万雷の拍手が鳴る。いい始まりだった。
『みんなは知っているかもだけど、僕はマジシャンであり大道芸人だ。だから、二つの技術を融合した技をご覧にいれよう』
彼は虚空から五本のナイフを取り出すと、お手玉の要領で投げ回し始めた。危ない技だ、下手すれば手が切り裂かれてしまう。僕が驚いていると意外なことに、彼は開いた口内からトランプを吐き出した。僕は目を疑った。
それは、よくテレビで見るマジックに似ていた。種は簡単で、両手に隠したトランプを口内から吐き出したように見せるだけである。でも、彼の両手はナイフを操っている。従来の種では不可能だ。僕が不思議に思っている間でさえ、彼の口内からトランプが滝のように流れ出し、舞台にハートとダイヤとスペードとクローバーの泉を形作っていた。
『どうかな、凄いでしょ? 世界でこれができるのは僕だけなんだ。だから、異次元の魔術師と呼ばれる』
彼が自慢するのも無理はない。一度も見たことがないような技を次々と繰り出す。天井もないのに虚空へ踏み出し、色とりどりの炎を咲かせた。その炎が全て純白に染まり、鳩となると一斉に飛び去る。大音量でアップテンポな音楽に負けじと、僕は拍手を送った。他の観客も熱狂している。
時が経つのは、本当に早かった。様々な演目を鑑賞している内に、二時間ほどが経過していたようだった。そろそろ夕刻にでもなりそうな時、彼は一礼してから言葉を発した。
『これで今日のイリュージョンは終演なんだよ。楽しんでくれたかな。ところで、みんなに大切な話があるんだ。僕はマジシャンであると同時に大道芸人であるから、みんなのお気持ちがなければ生活していけないんだよ。凄いと思った方は、前にこのシルクハットを置いとくので、具体的な気持ちを届けてください。できれば、折り畳めるものだと幸いです』
投げ銭の要求だ。僕は素直に凄いと思ったので、投げ銭をしようと決めた。とはいえ、僕と白崎は観客席の中ほどにいる。先を子供たちに譲らなければならない。そんなことを考えていると、件の子供たちは席を立つと、とてとてと走り去る。
「ん、なんだ?」
白崎がその光景を見て、疑問を漏らした。だから、僕は言った。
「親御さんの元へ行ったのだと思うよ。投げ銭を入れたいから、貰いに行ったのさ」
僕の予想通り、子供たちはお金を両手に握りしめて、大道芸人の方へ向かった。口々に凄いだとか格好良かっただとか感想を述べながら、両手の中身をシルクハットの中へ入れる。その後、前方が空いたところで、僕と白崎はマジシャンの元に向かった。白崎は凄かったとの言葉と共に、五百円を放り込んだ。僕も一緒に五百円を放り込む。少し無粋だが、僕はシルクハットの中を覗いてみた。黄金一色で重そうだ、と思った。
本当は千円札とかを入れたいほど感動したのだけれど、僕はバイトもしていない高校生だ。おこづかいに頼るしかない僕は、五百円も大金だったのだ。そう言えば、白崎はバイトをしているのだろうか。僕と白崎は友人ではあるけれど、互いのことを深くは知らない。でも、彼がお金に困っているところは見たことがなかった。
「凄かったな、圧巻だった」
「うん」
「まあ、それはいいとして、飲み物を買わないか? ずっと何も飲んでいなくて、喉がカラカラなんだ」
僕は同意した。二時間も熱中していたのだから、僕も喉が渇いていたのだ。広場の近くにあった臨時の出店へ向かう。このマジックショーの観客を対象に開いていたみたいだ。ペットボトル飲料が一本百六十円。少し高いが、他に自動販売機なんてないし、仕方がなかった。
しかし、ここで予想外の問題が起こる。彼が千円札を店員に渡すと、相手は使えないと言った。
「すいません。小銭が足りないため、お釣りを渡せません。細かいお金で払っていただけませんか」
白崎は珍しく困った顔を見せた。
「……小銭はさっき投げ銭で入れた五百円が最後なんだ。お札しか持っていない」
財布の中身を僕はちらりと見た。いくらかの硬貨があるから、彼の飲料を一緒に買っても余裕はあった。僕は三百二十円を取り出し、店員へ渡した。
「僕が出すよ。また次回にでも返してくれればいいよ」
「本当か。恩に着る、赤城」
自分のペットボトル飲料を持つと、揃って店を出た。既にほとんどの観客は帰ったようで、特設ステージは解体が始まっていた。異次元の魔術師なら、その魔術で解体とかできそうだと思った。
彼と僕は購入したペットボトル飲料を片手に、ベンチを見つけると座った。無言でキャップを開けると、少しだけ飲んだ。炭酸では王道のコーラだ。例えるなら、キャラメルとスパイスの混沌風味だろうか。あれほど熱狂した後だからか、炭酸のしゅわっとした喉越しがよかった。白崎の方といえば、ミントソーダを飲んでいた。
「……うん、ミントソーダ?」
「これか? いや、置いてあったから、お試しで購入してみたんだ。メロンソーダみたいな味かなと想像していたが、薬草の苦みが強くて予想外だったな」
それはそうだ。なぜならミントなのだから。といっても、割と美味しいのか、彼はかなりの速度で飲んでいた。僕もコーラを口内に含む。揃いも揃って黙々と飲み続け、中身が空になると彼は思い出したかのように話した。
「で、さっきの小銭の話なんだがな……」
「今日のところは、もういいよ。次に返してくれればいいさ」
「いや、それは助かるんだが、俺が話したいのはそうじゃなくてさ。さっき店員が、小銭が足りないからお札で払うなって、言ってただろ。なぜ小銭が足りないんだ?」
「なぜって、それは……小銭が足りないからだろうね」
僕が何も考えずに答えると、彼は首を振った。ああ、この流れはいつものやつだ。僕は頭を働かし始めた。どうせ、彼に推理を断れやしないのだから。
「その理由が知りたいんだよ。どうだ、ここはいつものように推理してみないか?」
「……わかったよ」
しかし、今回ばかりは考える時間がない。無計画だが、推理を始めよう。
まず、前提条件だ。あの臨時出店には小銭が足りなかった。なぜ足りなかったのか。小銭が不足する原因があるはずだ。僕が言うと、白崎は仮説を述べた。
「これならどうだ。俺と同じように前の客も、その前の客も千円札とかで支払ったんだ。お釣りとして小銭を渡したから、俺の時にはなくなっていた」
その説は有力だけれど違うと思う。千円札で払う客がいるとすれば、小銭で払う客もいるからだ。その比が極端にでもならない限り、小銭のプラスとマイナスは打ち消されて、不足するにまで達さないだろう。いや、考え方としては正解なのか。千円札を渡し、小銭を貰う。だから、小銭が不足する。同時に、小銭が目的だとすると。
「……両替か」
僕が思ったことを、彼は言葉にした。
そう、両替だ。多くの客がこぞって両替したとすれば、小銭は不足する。
「でもなんで、両替なんてするんだ?」
僕にはわかった。あの出店は臨時の出店だ。なぜ出店したのかといえば、そこでマジックショーをしているからだ。ということは、出店の客はほとんどショーの観客である。また、両替が目的であり、小銭が必要なことといえば。ここから導き出される結論は、観客が投げ銭を用意するために両替をしたのだ。
「……でもさ、あの大道芸人が『折り畳めるものがいい』とか言ってたよな。折り畳めるものって、お札だろ? なんで、お札をそのまま入れずに、わざわざ小銭へ両替するんだ?」
これも簡単だ。子供がいるからだ。
「子供?」
例えば、の話だ。まだ金銭感覚がわからない子供にとって、千円札と五百円はどちらが価値のあるものに見えるだろうか。片やただの紙切れで、片や金ぴかに光り輝く宝石である。こう考えると、子供には千円札よりも五百円の方が価値あるはずだ。そして、マジシャンに感謝を伝えるなら、五百円を選ぶ。そこまで見越した親御さんたちは、先に両替をしていたのだろう。子供想いの親である。
だから、僕がシルクハットの中身を覗いた時に、黄金一色で重そう、そんな感想を抱いたのだ。ただし、全ての親御さんが両替していたとは思えない。いくらかは普通に出店で購入していたのだ。二時間もぶっ通しでマジックショーを見ていたのだから、僕らのように飲み物を購入する客だっていたはずだ。どちらにせよ、小銭が不足する原因はこれで説明が付く。
僕が持論の解説を終えると、彼は何度も頷いた。
「…………なるほどな。凄いぜ、赤城は」
「まあ、真実は闇の中だけど」
「だとしてもだ、赤城は子供が見ている世界まで考えていた。俺は自分が見ている世界が真実だと思っていたけど、違うんだな。そして、俺と赤城の世界も違う」
「……そうだね」
僕は既に実感している。僕は確かに彼と違って理論的な推理ができるかもしれない。でも、彼のように違和感を持つことはできない。バス停に落ちていた持ち主不明の本も、温泉であった残されたメッセージも、大道芸が生み出した足りない小銭も。
そして、何よりも。
「俺は赤城が羨ましいぜ」
そして、何よりも僕は白崎が羨ましい。彼は僕と違って、物怖じせず誰とでも話せる。自分の殻に引き籠っていた僕とだって彼は話せる。でも、それは最初からわかっていたことだ。僕は僕の人生を歩むしかなかった。
僕は空になったペットボトルをゴミ箱へ入れながら、言った。
「じゃあ、帰ろうか」
彼と僕が帰路に就いたのは、夕焼けを背景に鴉が巣へ戻る頃だった。