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次の瞬間、ラディアナとドラゴンの表情が明と暗とにくっきり分かれた。ドラゴンは一瞬だけ炎を途切れさせたが、慌てて再び息を吸い込んで第二波の準備をし、ラディアナも同じく息を吸い込みながらドラゴンに向かって突進した。そして、
「ふううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
「ゴアアアアアアアアァァァァァァァァッ!」
今度は立場が逆転、ラディアナが勝利を確信してドラゴンが奇跡を祈って、双方の呼気をぶつけ合わせた。
だが、奇跡は起こらず現実は繰り返される。ドラゴンの吐く高圧火炎は、ラディアナの吐くただの強い呼気、に力負けして真っ二つに裂かれてしまった。
そこにできた道を、ラディアナが駆け抜ける。そして力いっぱい握り締めた右の拳を頭上に振り被り、全身を使った大きな大きなモーションで、
「どっせええええぇぇぇいっっ!」
繰り出した。ごく普通の大きさの幼女の、小さな小さな拳の一点に、常識を遥かに超えた怪力が凝縮され、ドラゴンのドテっ腹にブチ込まれる。
ドラゴンの炎は途切れ、というかもう呼吸どころではなくなった。言葉にならぬ呻き声と共に、バケツ何十杯分かという大量の吐しゃ物を、ラディアナの頭上を越えて遠い地面へと、放物線を描いて吐き出す。吐き出しながらラディアナの拳に押され、全身をくの字に曲げられてしまう。必然、頭が地面に向かって落ちていく。
ドラゴンの頭が落ちる場所、そこにいるのは当然、ラディアナだ!
「つぅおりゃああああああああぁぁぁぁっ!」
落ちてきたドラゴンの顎めがけ、天へ届けとばかりにラディアナの拳が突き上げられる。ラディアナはジャンプなどしていないので、あくまでも幼女が手を真上に伸ばした高さ、拳はそこまでしか上げられていない。
が、その拳に打たれたドラゴンの顎は、まるで飛び立つ鳥のような勢いで激しく打ち上がった。下顎が上顎を突き上げ、上顎が頭蓋骨を押し上げ、持ち上がった頭蓋骨はドラゴンの巨体を、ぐいぐい真上に引っ張り上げる。
たっぷり三つ数えるほどの時間が経過してから、やっと上昇は終わり、ドラゴンは下降して来た。どうやら気絶しているようだ。
だがラディアナはまだ気が治まらないのか、今度は両手を天に祈るような形で組み合わせ、その手を水平に真横に大きく引いて、
「トドメええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!」
渾身のハンマーパンチを叩き込んだ。既に意識のなかったドラゴンの巨体はぶっ飛ばされ、ぐるぐる回転して尾と頭とで交互に何度も何度も地面を叩いた後、倒れた。
そしてそのまま、動かなくなる。
「ふうっ。まぁ……ちょっとは疲れた、かな」
安堵の息をついたラディアナが、両膝から力が抜けたかのように、ぺたんと座り込む。
前方を見れば、クリスは全身から力が抜けたかのように、へにょりとへたり込んでいた。
「ちょ、ちょっとちょっと」
疲れとダメージと気が抜けたのとで力が入らず、立ち上がれないラディアナは、ぺたぺたと四つんばいでクリスに近づいていった。
「大丈夫?」
「あ……うん、大丈夫……君も大丈夫、みたいだね」
心の底からの安堵の笑顔を浮かべてクリスは言った。
「良かったぁ……それにしても、君は本当に強いんだね」
「ま、当然よ。あんなザコ相手に、このあたしが負けるはずないもん。この体に慣れてないから、ちょっとてこずっちゃったけど」
そうだ。そういえばまだ全然、ラディアナの身の上話を聞かせてもらっていない。
クリスがそのことを思い出し、訊ねようとすると、先にラディアナの方から話し始めた。
「クリス、聞いて。あたしのこと、ただの力持ちの人間だとか誤解されたらイヤだから、ちゃんと説明しておくわね。あたし、本当はドラゴンなの」
「……え? ドラゴンって、今君が倒したあいつみたいな?」
「あんなのと一緒にして欲しくないけど、大ぉ~きく分ければそうよ。この山のずっとずっと奥に、あたしたちの里があってね。あたしはそこで、父様や母様と一緒に暮らしてたの」
ラディアナたちの里には、高い知性を持つドラゴンの群れが住んでいた。だが、魔王の遺品により世界中に放たれた呪いを受け、里は壊滅。ラディアナたちの里のドラゴンは、一夜にして石像となってしまったのである。ラディアナの仲間たち、父も母も、全て。
石像にならなかったのはラディアナだけ。だがそのラディアナも、無事とは言えない。石像にこそならなかったものの、力を大幅に奪われ、炎も吐けなくなり、姿を人間に変えられてしまったのだ。
だがこの事件、ラディアナにとっては全く予想外のものではない。幼い頃から(今も幼いが)、ずっと聞かされていたこと。里に伝わる昔話として知り、覚悟していたことであった。
「なんでも、あたしたちの遠いご先祖様はジークロットの従者だったらしいのよ。共に魔王と戦ったんだとか」
「えっ!?」
「で、死に際の魔王がご先祖様を呪ったの。いずれ自分の遺品が世に出て、誰かが人間たちと戦うことになった時の為に。次はご先祖様に邪魔されないようにって、ご先祖様の一族、その子孫、全員を石に縛る呪いをかけたのよ。本当は、当のご先祖様もその場で石にするつもりだったんだろうけど、ご先祖様は一族の中でも並外れて強かったから、石にはならなかった。けど……こんな姿になったんだって」
ラディアナは、自分自身のほっぺたを人差し指でぷにっ、とした。
「ご先祖様は、ジークロットと約束したの。再び魔王の力が世に災いをもたらさんとした時、ジークロットと一緒に自分もこの世に再来して、つまり転生して、また共に戦うって。自分のこの魂は、子々孫々何百年何千年の未来であろうとも、今と同じように魔王の呪いに抵抗してみせるからって」
「ということは……」
話を理解していくにつれて驚きの表情が大きくなっていくクリスに、ラディアナは頷いた。
「ご先祖様の直系である里長の家の者は代々、厳しい修行を課せられるの。いつ、魔王の呪いが発動して、再び戦いが始まってもいいように。その時には、ご先祖様の魂が転生しているはずだから、強くさえあれば他の全員が石にされても大丈夫。どこかにいるはずの、ジークロットの魂が転生した捜し出し、その者と共に戦うように……ってね」
クリスの驚きが頂点に達した。大声は上げないが、代わりに深く深く息をつく。
まず嘘ではあるまい。むしろこの子の強さに対して、納得のいく合理的な説明だと思える。
ラディアナは、あの伝説の英雄ジークロットの、従者の子孫であり転生した者、生まれ変わり。クリスが、ずっと憧れ続けている身分そのものだ。クリスの夢が現実のものとして目の前にいる、それが、このラディアナなのである。
しかし夢とか憧れとかいっても、その実態はどうか。こんな幼い女の子が、一族の使命として戦闘訓練を強要されて。ある日突然、家族も友人も全てを失って。たった一人で、右も左もわからない世界へ、しかも全くの異種族ばかりがうろうろしている中へと放り出されて。
考えていく内に、クリスの瞳が潤んできた。
『ラディアナ……』
「そういうわけで、あたしは里を出たの。まずは、あたしと同じように世に出ているはずの、ジークロットの生まれ変わりの人間を捜し出す。そして、その人と力を合わせて魔王の遺品とやらをぶっ壊す。そうすれば呪いが解けて、父様も母様も元に戻るってことよ。さ、話はこれで終わり。あたしには、こんなところでぐずぐずしてる暇はないからね」
ラディアナは立ち上がって、煤や砂をぱたぱたと払った。その体は、いつの間にか火傷もその他の傷跡も、殆どなくなってしまっている。足取りもしっかりしていて、何事も無かったかのようだ。
あれほど焼き転がされたばかりだというのに、この回復力。やはり、流石、ジークロットの従者が転生した者。伝説の戦士の生まれ変わりは、並ではないということか。というか、そもそもラディアナは人間ではないのだ。その事実を、クリスは目の当たりにして実感させられた。
「あたしは、情報を集める為に人間の街へ行くわ。クリス、あんたはどうするの?」
「僕は……いや、それよりラディアナちょっと待って」
今にも街へ向かって歩き出しそうなラディアナを、クリスは呼び止めた。
「もしかして、そのかっこのままで街へ行く気なの?」
「そうだけど。どこか変?」
裸だ。全裸だ。ヌードだ。すっぽんぽんだ。そして幼女だ。
「絶っっっっ対、だめっっ!」