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「父さんっ!」
ラディアナの怪力に対する驚愕を押しのけて、エレンがザンファーに抱きついた。
ぐったりしているザンファーを片手で支えて、ラディアナがザンファーを一瞥する。
「うん、大丈夫よ。息はあるし怪我も大したことない。見たところ、人間にしては結構頑丈な体みたいだし、心配ないわ」
「あ、ありがとう。でもラディアナちゃん、あなたは一体……」
ラディアナからザンファーを受け取り、ダイラックと二人で支えながら、エレンは困惑した目でラディアナを見ている。
ラディアナはそれには答えず、追いかけてきたクリスの方を向く。
「これでいいわね?」
「うん、ありがとう! ところでパルフェは? 会ってない?」
「会ったけど……うん、会った。パルフェの居所は判ってる。けど、先にあたしの話を聞いて」
クリスが怪訝な顔をする。
「いや、確かに君は強いけど、パルフェは君ほどじゃないだろ? 居場所が判っているなら、早く助けに行かないと危険だよ」
「その心配は的中よ。妖魔たちをバラ撒いてるのはカイハブなんだけど、あいつは今、元の姿からはかけ離れたモノになってるの。人間を喰って、その肉を材料にして妖魔を生み出すバケモノにね。そのカイハブに、パルフェは捕まったわ」
「! そ、そんな! じゃあ早く、」
「待ってったら」
目的地もわからず駆け出そうとするクリスの手を、ラディアナが握って止めた。
こうなると、クリスはもう一歩も動けない。
また、クリスが動けないのはラディアナの力のせいだけではない。クリスを見つめるラディアナの表情が、今までにないものになっているからだ。戦いの中で、恐怖したり悔しがったり強がったり勇ましかったりするのとは全く違う、強気でも弱気でもない、そういった自分の気持ちそのものすらも、クリスに問いかけようとするかのような。
そんな表情、そんな気迫で見据えられて、クリスは動きを止めた。
「聞きたいことがあるの。その答え次第では、あたしはパルフェもあんたも見捨てて、この街から逃げる」
「ラディアナ? 何を……」
「いいから聞いて。あたしは、家族と故郷の為に戦っている。リュマルドたちに勝って、取り戻したいものがあるから戦う。けど、あんたは何の為に? あたしにとっての父様や母様に代わるもの、あんたには何があるの?」
その問いにクリスは答えようとするが、まだ言い足りないとばかりにラディアナが言葉を続ける。
「あんたには、取り戻すものも護るものもない。復讐の理由になるような、奪われて悲しむものもないでしょ? むしろ、憎むものばっかりのはずよ」
「? 何を言ってるの?」
「パルフェから聞いた、というか体験させてもらったというか。高度な幻術って言ってたかな」
ラディアナは、五感を通して味わった「クリスの幼少時の記憶」のことを説明した。
クリスが息を飲む。低く苦しそうに呻いてから、声を絞り出した。
「……ラディアナ……えっと、君は、その、大丈夫なの?」
冷たい汗を浮かべながら、クリスはラディアナを気遣う。
ラディアナはクリスの心配に応えるように、思い出すだけで顔色を悪くしていた。
「大丈夫じゃなかったわよ。怖くて痛くて気持ち悪くて、嫌で嫌で……きっちりぶっ倒れて、たっぷり吐いたわ。でパルフェが言ったの。ああいうことする人間は決して珍しくはないって。それであたしはもう、人間なんて生き物はいなくなった方がいいとか思ったんだけど、」
ラディアナはクリスを見上げて指差し、言った。
「あんたよ。あんたは実際にあんなことを、毎日毎日たっぷりされたわけでしょ?」
苦しそうな、悲しそうな顔をして、クリスは頷く。
「なのにどうして? あたしと会って最初にドラゴンと戦った時も、遺跡でカイハブと戦った時も、あんたは何の為に戦ってたの? あんたの口から出る、正義だ英雄だってセリフの根っこは何? 一体、あの酷い毎日毎日たっぷりの後、あんたに何があったの?」
「……その、毎日毎日たっぷりしてた連中、はね。幸いにというか、普通の金持ちとかじゃなかったんだ」
突き出されているラディアナの指先から、見つめてくるラディアナの目へと視線を移して、クリスは語りだした。
「他にももっといろんなことをしてた、大きな犯罪組織でね。そのおかげで懸賞金がかかってて、冒険者たちが壊滅させたんだ。その人たちが僕を引き取ってくれて、武術を中心にいろんな技や知識を教えてくれた。それから独り立ちして、今の僕になったんだ」
「ふうん。で?」
「それだけだよ」
指差していた手で、ラディアナはクリスの襟首を掴んで引き寄せた。というか引き下ろした。
なにしろラディアナなので、抵抗などできずにクリスの顔がラディアナの顔に近づく。
「答えになってないんだけど?」
「いや、あの後の僕に何があったのかって言うから」
「そうじゃなくて! それで何がどうなってというかその、ああもう何て言ったらいいか、とにかく、そう! 最初に戻るわよ! あんたは何の為に戦ってるの? あんたの正義って何?」
更にクリスの間近に迫るラディアナの顔。
クリスは、ラディアナの顔と体をじっと見て答えた。
「……そのエプロンドレスを着た姿を泉に映して、自分を見た時のラディアナ。最初にちょっとびっくりして、それから嬉しそうに笑った顔が、凄く可愛かった」
「な、何よいきなり」
「エレンが運んできたザンファーさんの料理を食べた時のラディアナ。見た目にも匂いにも興味深そうな反応して、食べ始めたらもう、幸せ一杯夢一杯に口一杯に頬張って、見てるこっちが幸せになれるぐらい可愛かった」
「ちょっと、クリスってば、何の話をしてるのよっ」
クリスが幸せそうな顔になっていくのにつれて、ラディアナの顔は赤くなっていく。
「最初に檻車の中で一目見た時から、可愛い子だなとは思ってたけどね。そんな子が、売られると聞いて僕は怒った。その後、ラディアナの身の上話を聞いて悲しくなった」
クリスの話を聞きながら、ラディアナもクリスと出会ってからのことを振り返ってみる。
クリスの言葉と表情と、必死に戦っていた姿を思い出す。
「この子がずっと笑顔でいられるようにしてあげたい。せめて、その為の手助けをしたい、と思った。それが、ドラゴンやカイハブと戦った理由。それが僕の思う、正義の英雄」
真顔でクリスは、言い切った。
何だか目を合わせていられなくなって、ラディアナはそっぽを向く。
「な、何よそれ。あんたの正義が、あたしの笑顔って……あたしが、父様や母様を助けたいっていう気持ちと、そんなものが釣り合うとでもいうの?」
「いや、釣り合うなんて言えないよ。でもね、例えばその父さんや母さんだって僕と同じ、ラディアナの笑顔が大好きだったはずだよ。そして、今この時だってきっと、それを護りたいと思い続けてる」
と言われたラディアナは、いろいろなことを思い出しながらクリスに向き直った。
「父様や母様が、あたしの笑顔を?」
「そうだよ。今もずっと……危ないっ!」
ラディアナの足元の石畳に、小さなヒビが走った。それに気づき、新手の敵かと判断し、ラディアナを抱き上げたクリスが、大きく横に跳ぶ。一瞬遅れて、丸太のように太く長くミミズのようにうねる触手が三本、地面を勢い良く突き破って虚空を掴んだ。




