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クリスは声にならない悲鳴を上げた。その顔は血の気を失いきり、青白いを越えて真白い。
その様を見て、酔った山賊たちは更に楽しそうに笑う笑う。
「はははは! いいぞいいぞ、そういう表情、そういう顔色。きっと喜んでもらえる!」
「そっちの、もう一人のお嬢ちゃんより高値がつきそうだ!」
その言葉に、はっとしてクリスは振り向いた。今まで気付かなかったが、クリスの後ろ、檻の隅っこにもう一人いたのだ。
膝を抱えて座っているその子は、あろうことか一糸纏わぬ生まれたままの姿の少女……いや、幼女だ。おそらく十歳になるかならずといったところだろう。少し波のある、ふんわりとした金色の髪を白い小さな肩に乗せて、じっと動かない。髪の金と肌の白とが溶け合いながらも引き立てあい、この暗い中にあっても、まるで朝日を浴びた新雪のように眩しい。
顔立ちは歳相応に幼く、でもどことなく気品もあり、こんな場所に居るのが不釣合いに思える。きちんと着飾ればきっと、どこのお姫様かと思えるほど華やかに可愛らしく見えるだろう。
が、その表情が異様だ。赤ら顔で笑う山賊たちを前にしても、全く動じていない。まるで、動物か虫でも観察しているかのような目で山賊たちを、そしてクリスをじっと見ている。
おそらく今までさんざん恐ろしい思いをしてきて、感情が麻痺してしまったのだろう。かわいそうに……と考えるに到ってクリスの表情がまた一変した。眉を吊り上げ憤怒を露わにし、鉄格子を握り締めて山賊たちを怒鳴りつける。
「ま、まさか! こんな小さな女の子まで売り飛ばそうっていうのかっ⁉」
クリスは血を吐かんばかりの形相で大声を上げた。が、檻の向こうの山賊たちは涼しい顔だ。
「あん? 当然だろ。それぐらいの女の子がいいっていう旦那も多いんだ」
「美少年とか美幼女とか、そういうのが高値つくんだよ。この業界はな」
「そういうの、お嬢ちゃんは知らないだろうけどよ。とにかくオレたちとしてはだな、」
説明しながら山賊の一人が、持っていた槍の石突(穂先と反対側の先端)で、鉄格子越しにクリスの腹を突いた。
息を詰まらせたクリスが両膝を折り、蹲る。
「こういう風に、傷をつけない痛めつけ方しかできないってわけだ。いろいろ面倒なんだから、大人しくしててくれよ。解ったな?」
「……ぅぐく、っ……」
「よし、いい返事だ。明日には山を降りるから、今夜はゆっくり休んでな」
クリスの苦悶と無念の呻き声を了解の返事ということにして、山賊たちは焚き火を囲む宴席へと戻っていった。
そんなクリスを、幼女は檻の隅からじっと見つめて、ぽつりと言う。
「あんた、もしかしてあの連中と戦って負けたの? それで捕まったの?」
その声は、まるでクリスの弱さを馬鹿にしているように聞こえる。しかしそれは、僕が悔しがっているせいでそう聞こえてしまうんだとクリスは思った。この子の心は恐怖と不安で押し潰されそうになっている、あるいは既に潰されてしまったのかもしれないのだ。
今、この子が頼れるのは自分しかいない。この子を救えるのは自分しかいない。
「ねえってば。負けたの? あいつらに」
幼女は重ねて聞いてきた。クリスは少しだけ考えてから体を起こし、胸を張って答える。
どんなピンチからでもお姫様を救うことのできる、強い戦士に見えるようにと意識して。
「負けたといえば、負けたけどね。でも大丈夫、これぐらい僕にとってはいつものこと。ここから脱出するぐらい簡単にできるから、何も心配することはないよ」
「いつものことって、いつも負けてるの?」
「……と、とにかく。ほら、これを見て」
クリスは髪の中に手を入れて、ごそごそする。そして、ぴっと一本、髪を抜いた。
それは、よく見ると髪ではない。少し太く、風に全く揺れていない。
「髪と同じ色に黒く塗った針金なんだ。靴や服にも、あちこち同じものが仕込んである。ちょっとだけ刃がついているから、もし縛られてもこれを使えば縄を切れるんだ。更に、こうやって二つ折りにしてから先の方を少しだけ曲げれば、こういうこともできる」
クリスは山賊たちを見た。もう誰もこちらを見てはいない。しかも日が沈んで暗くなってきたから、焚き火の明かりに照らされている彼らからは、こちら側はかなり見にくいはずだ。
それを確認してから、クリスは針金を錠前の鍵穴に入れた。二重にして丈夫さを増し、先を鉤状にした針金で、鍵穴の中を丁寧になぞっていく。内部の凸凹を感触から読み取り、錠の心臓部であるシャフトを一つ一つ持ち上げてやる。
ほどなくして、カシャッと小さな音がした。
「ほら、こっちに来て見てごらん」
呼ばれた幼女が立ち上がる。わかっていたことだが、やはり本当に全裸だ。いくら幼女とはいえ女の子は女の子、裸の女の子。クリスはちょっと気恥ずかしくなって目を伏せた。
が、当の本人は全く気にすることなく堂々とスタスタ歩いてきて、
「へえぇ」
ほんの少し感心した声を出した。クリスの手の中で、錠が見事に外れているのだ。
そしてクリスは、再度針金を操って、元通りに錠を締めた。
「というわけだから、安心していいよ。あいつらが寝静まったらここから出よう」
「ねえ。これって、本当はちゃんと合う鍵を使わないと開かないものよね。それをあんたは、今の道具で開けちゃったんだ」
「まあね。昔、冒険者の心得として教わったんだ。でも、厳重に管理された宝物の箱ってわけではないから、これは錠としては単純な造りのもの。大したことじゃないよ」
クリスは照れて、ほりほりと頭をかく。そんなクリスに幼女は一言。
「でも、戦って負けたのよね。あの程度のやつらに」
クリスの、頭をかく手が止まった。
「言っとくけど、あたしはもちろん違うわよ。里を出て山の中を歩き回ってたら、たまたまあいつらに出くわしてね。人間を間近で見るのは初めてだったから、しばらく観察することにしたの。そしたら、あいつらとはちょっと毛色の違うあんたが来たから、こっちも観察してみようと思った。それだけよ」
観察、とこの子は言う。先程クリスが感じた、まるで動物を観察しているかのような目は、正にその通りだったというのか。それにしても「人間を間近で見るのは初めて、だから観察」という言葉からすると、この子は人間ではないのか?
そういえば、山賊たちはクリスの鎧と剣は奪ったが、服までは脱がせていない。あれほど傷をつけないように注意していたほどだから、脱がせないというのは解る。
しかしそれなら、この子だって脱がさないはず。ということは、まさかこの子は、山賊たちに遭う前から裸で山の中を歩き回っていたのか? 人間ではないとすればそれも当然かもしれないが、だとしたらこの子は一体何者だ?
「君は……」
「あたしの名前? ラディアナよ」
名乗りながら裸の美幼女、ラディアナは鉄格子を掴んだ。いや、手を添えた。ラディアナの小さな手では、左右両手で包むように指を廻して、ようやく一本を掴みきれるぐらいなのだ。だから、今やっているように右手と左手でそれぞれ一本ずつを掴もうとしても掴みきれず、ただ手を添えるだけになってしまう。
「あんたの名前は?」
「あ、遅れてごめん。僕はクリス」
「んじゃクリス。あたしはそろそろここを出るから、あんたも出たけりゃ出なさい」
その言葉とともに、ラディアナの手によって、くにゃっと鉄格子が左右に押し広げられた。
太く硬く頑丈な鉄格子が、まるで熱に溶けたアメ細工のように曲がったのだ。