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 カイハブの足が止まる。メリメリと音を立てて、杖が奥へ奥へと押し込まれていく。

 だが奇妙なことに、いくら杖を押し込んでも、背中へ貫通しない。長さからして、そろそろ背中を突き破ってしまうはずなのに、なぜか出てこない。

 まるで、カイハブの体内に入った杖が、入るそばから溶け出しているかのように。あるいは細く枝分かれして、血管や神経よろしく全身に広がっていくかのように。

 そのどちらかであろう。カイハブは今、己の体内を異物に侵食されていくのを実感していた。肉も、血も、神経も、そして意識も、その異物によって徐々に奪われていくのが感じ取れる。

「リュ、リュマルド……様っ……」

 杖はもう殆ど体内に埋まりきったので、今残っているのは上端のほんの少しだけだ。

 その部分に宿っている光から、リュマルドの声が聞こえてくる。

《今から他の者を向かわせていては、逃げられてしまうだろうからな。今すぐその場で、三人をまとめて潰すにはこうするしかないのだ。それから、もう一つ。お前の話から察するに、まだまだ奴らは自分の力を使いこなせていない。変質したお前なら勝てるだろう》

「……へ……変、質……」

《そうだ。だから何も心配することはないぞ。加えて、その三人の中で一番強いラディアナという娘への対策として、いいものを授けてやる》

「……ぐ……が……ぁぐぐっ!」

《お前の中に刻みつけておくから、頃合を見計らって使ってくれ。いいか? 頃合を見計らって、だ。その程度の知能は辛うじて残るはずだから、しかと頼んだぞ》

 カイハブの腹に突き刺さった杖が、上端まで全て肉の中に押し込まれ、埋まりきった。

 大量の血を吐いたカイハブは、自らの吐いた血溜まりに顔を突っ込み、意識を失う。

 まだ死んでいないカイハブの体は、鼓動のようで鼓動でない、奇妙なリズムで振動していた。


 酒も出しはするがどちらかといえば食堂寄りであるエレンの店は、まだ明るいうちから開店する分、閉店も早めだ。真夜中まで呑みたいような客は、他店へとハシゴする。

 なので、まだ真夜中というには早い刻限だが、店内の客はもう数人しか残っていない。

 その中の一人が、落ち込んだ表情のクリスである。

「……やっぱり、僕も行こう」

 長い間思い悩んだが、パルフェ一人に説得を任せるのはだめだとクリスは思い至った。

 そもそもパルフェが説得に失敗して、ラディアナが帰って来ないということだってあり得るのだ。このままラディアナが街を出てしまいでもしたら、もう二度と会えなくなる。

 そうなる前に、せめて一言、謝らなくては。クリスは立ち上がり、近くのテーブルを拭いていたエレンに声をかけた。

「エレン、悪いけど閉店までにパルフェとラディアナがここに戻ってきたら、隣の宿屋に泊まるようにって伝えてくれないかな。二人の宿賃はこれ、預けておくから」

「それはいいけど、あんたたち何があったの?」

 宿賃を受け取りながら、エレンが尋ねた。

 頼む以上、事情を話さないのは失礼だと思ったクリスは、ラディアナとのことを(ラディアナは人間の孤児ということにして)説明した。

 クリスの話を聞いたエレンは、神妙な顔をして俯く。

「……そうだったの。じゃあ、あたしも謝らなきゃね。ラディアナちゃんの前で、嬉しそうに父さんの自慢話なんかしちゃったんだから」

「いや、エレンは何も」

「だーめ。あんたが何を言おうと、あたしはあたしの考えで謝るからね。とりあえず、あたしはここで待っててあげるから。あんたは早く行きなさい。ほらっ」

 とん、とエレンに背中を叩かれたクリスは、

「ありがとう、エレン」

 少しだけ微笑んで、店を出た。出たところで、

「あ、ちょっと待って! クリス、ちょっとだけ待ってて!」

 エレンから声がかかって足を止めた。

 何事かと思って待つことしばし。エレンが、バスケットを一つ持って店から出てきた。

「はいこれ、作りすぎちゃって余った分だけど、ラディアナちゃんに持っていってあげて」

「エレン……」

「ラディアナちゃん、まだまだ食べられそうだったのに、出て行っちゃったからね。今頃きっと、お腹を空かせてるわ。それに、一緒に美味しいもの食べれば、仲直りもし易いでしょ」

 肉や魚のいい匂いがしているバスケットを、クリスは受け取った。

「ありがとう、本当にありがとう、エレン」

「いいのいいの。あたしにも責任あることなんだから。じゃ、頑張りなさいよ」

 エレンが店に戻っていく。クリスはその背に深々と頭を下げ、さあ行くぞと前を向いた。

 その時その方向、つまり前方の、空に変なものが見えた。

「ん?」

 いくつかの赤く光る玉が、高く高く上っていく。その源は連なった建物に隠れて見えないが、一箇所らしいことは玉の軌道から判る。数は十前後、勢い良く空を駆け上がるその様は、まるで打ち上げ花火が連発されているようだ。

 と思っていたら、その玉は上昇の頂点まで来ると今度は下降を始めた。この軌道は打ち上げ花火というより、公園の噴水のよう。高く上がった後、宙に弧を描いて落ちてくる……落ちてくる……落ちて……向かってくる⁉ 

「っ!」

 空で四方八方に広がった赤い玉の一つが、打ち上げ花火でも噴水でもなく、まるで流星のような勢いでこちらに向かってくる!

「エレンっ!」

「え、何?」

 クリスは、店に入ろうとしていたエレンの腕を掴んで乱暴に引っ張って抱き締めると、後方に跳んで地面に倒れた。

 一瞬後、落ちてきた赤い玉は、店内に突っ込み轟音を上げて爆発! その一撃で梁や柱が多数へし折られ、店は巨人の手で上から押し潰されたかのように崩れていく。

 エレンはクリスの腕を振りほどき、悲鳴を上げて店へと走った。クリスも追いかけるが、店はもう建物ではなく、折り重なった材木の山と化し、何箇所かから火の手が上がっている。今の、赤い玉の爆発のせいだ。

 材木の下から、何人か這い出てきた。革や金属の鎧を身に着けた男たちだ。そろそろ店を出ようとして、装備を着け直していたのが幸いしたようで、大した怪我はしていない。

 が、店の最深部の、暑い場所で薄着で働いていた男だけが出てこない。

「父さん! 父さんどこ? 父さぁぁん!」

「……! エレン、こっち!」

 クリスのそばの、材木と材木の隙間から微かに呻き声が聞こえ、指先が見える。

 その声、その手は、エレンには間違えようもない、ザンファーのものだった。

「父さんっっ!」

 エレンが駆け寄ってきた。だがザンファーは山積みになった材木の下だ。すぐさま圧死とはならずとも、時間が経てばどうなるか判らない。そもそもここは火事場なのだ。早く助け出さないと間違いなく丸焼けになる。

 クリスとエレン、そして這い出した数名の客たちも協力して救出しようとするが、大きく重く数も多く、複雑に折り重なった材木の山は、そう簡単に片付いてはくれない。

 火は段々と大きくなっている。助けを呼びに行く時間はない。それどころか、他所でも同じような事態が起こっているらしく、街のあちこちで煙が上がっており、街中が騒然となりつつある。見ていたわけではないが、どうやらあの後も赤い玉はいくつもバラ撒かれたようだ。

「おい、あれ何だ?」

 クリスの隣で柱を持ち上げようとしていた男が、声を上げて近くを指差した。

 その先にあるのは折り重なった材木だ。但しもう炎に包まれてしまっている。その炎がここまで到達するまでにと、今クリスたちが必死になっているのだ。

 その、燃える材木の山の一部が揺らいで崩れた。重い材木の下から、何かが這い出てくる。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 人ぐらいの大きさで、人の形をしている。だが明らかに人ではない。闇夜のように暗い色の肌に、燃える炎のような紅い模様が、絡まる蛇のように描かれている。発達した筋肉を、甲殻類のような外骨格で包んでいながら、腕も脚も引き絞ったように異様に細い。どんなに変な鍛え方をしても、こうはならないであろう、人間として不自然過ぎる、バランスの崩れた体型。

 だが何よりも非人間的なのは頭部だ。一本の髪もないまん丸な頭、大きな複眼、前方に突き出た平たく長い牙。猛獣というより昆虫に近い貌。こうして一度見た者なら、忘れることは不可能と思える、グロテスクな姿。他の何とも間違えようのない、異形の化け物。

「こ、こ、こいつ、噂で聞いたことあるぞ……あの、リュ、リュマルドが、魔王の遺品の力で異界から呼び出し、使役してるっていう……妖魔だ!」

 その言葉を聞き、他の客たちが一斉に逃げ出した。持ち上がりかけていた材木が沈み、その下でザンファーの呻き声が上がる。

 エレンは逃げていった客たちを呼び戻そうとするが、もう彼らの姿は見えない。


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