8
ラディアナは、暗く狭い路地を駆けに駆けて……道に迷ってしまった。カイハブとの待ち合わせ場所も、自分の現在位置も、全くわからない。
ラディアナは夜目が利くので、視界には困らない。が、誰かに道を聞こうにも、男なのか女なのか生きているのか死んでいるのか判らないのが、隅っこ端っこに転がっているだけだ。そもそも「カイハブとの待ち合わせ場所はどっち?」としか聞けないわけで、それでどうやって案内してもらえるというのか。
「あぅ……どうしよう」
パルフェをとりあえず足元に下ろし、ラディアナは途方にくれて溜息をついた。すると、
「どうしようって、何をどうしたいの?」
当たり前のようにパルフェが立ち上がった。
「え、えっっ⁉」
ラディアナは驚きに目を見開く。パルフェは立っている。縛られていない。
その足元には、鮮やかにスッパリと切られたロープが散らばっていた。
「ああ、これ? ワタシほら、正体は剣だから。ワタシを縛りたいなら、もっとこう、太い鎖でも使っ……てもムリね。ま、その辺で簡単に手に入るようなモノでは不可能よ」
と言って誇らしげに指をひらひらさせるパルフェの、爪が月光に輝いていた。
くっ、と悔しがりながらラディアナは間合いを取り、拳を握る。
「あらあら。ねえ、一体どうしちゃったのよラディアナちゃん。ワタシとクリス君と、三人で頑張っていこうって約束したばかりでしょ?」
「……パルフェ。あんたは、家族に会いたいって思わないの? あたしは、父様や母様に会いたくて会いたくてたまらない。声を聞きたい、抱きしめてもらいたい、ってずっと思ってる。あんたがもし、家族に会いたくないとか思ってても、それはきっと、リュマルドへの憎しみのせいで本当の心を見失ってて」
「と、カイハブに吹き込まれたのね」
あっさり見抜かれた。ラディアナは絶句する。
「それでワタシを連れて行こうとしたわけか。気持ちは嬉しいけどラディアナちゃん、アナタはワタシの家族のこと、何も知らないでしょ?」
「そ、そりゃ知らないけど、でも家族は家族よ!」
「うんうん。ワタシだって会いたいとは思ってるわ。けどね、ワタシの家族なら、リュマルドなんかに使われたりしないの。誇り高き魔王様の遺品なんだから、そう簡単に他人の道具になるはずがないの。なのに使われてる。どうしてだと思う?」
考えるまでもなく、ラディアナは首を振る。言われた通り、確かにパルフェの家族=魔王の遺品のことなんて何も知らないからだ。
「答えは一つ。ラディアナちゃんの家族がムリヤリ石にされたのと同じように、ワタシの家族も何らかの術で操られてるのよ。封印された状態、抵抗できない状態の時に何かをされて、ね。そうとしか考えられない」
パルフェが、顔と声に怒気を浮かべている。
「そして残念ながら、ワタシ一人じゃリュマルドを倒すのはムリ。だからクリス君を探して呼び寄せたし、運良く会えたラディアナちゃんとも一緒に戦いたいと思ってる。ラディアナちゃんと同じく、家族を救う為に……ってわけ。どう? 解ってくれた?」
語りながら怒気を消して、パルフェはラディアナにかける言葉を、軽い調子で締めくくった。
ラディアナは小さな声で、
「……ごめんなさい」
と言って頭を下げた。パルフェはそんなラディアナに微笑みかける。
「ふふ、素直ね。ありがと、ラディアナちゃん。で、ワタシはこれでいいとして、クリス君のことはどうなの。まだ許せない?」
「クリスは……あんな風に、まっすぐ何も考えずに、正義だ何だと言ってられれば幸せよ」
ラディアナは、クリスのことをいろいろと思い出してみた。
山賊たちが人身売買の商品を運ぶ為に使っている檻車の中で、初めて出会った。ラディアナを見つけてすぐ、こんな幼い女の子を、と怒ったりしていた。檻を出てドラゴンと戦った時も、自分が逃げるなんて毛ほども考えずに、ラディアナを守ろうとして戦っていた。
パルフェを見つけた遺跡でもそうだ。パルフェを捨てなかった為に、危うく生き埋めになるところだった。
まあ、善人ではあるだろう。しかしそれだけだ。今までどんな人生を送ってきたか知らないが、クリスの考え方はあまりにも単純にキレイ過ぎるのだ。
ラディアナとて、リュマルドと取引なんかしたくはない。リュマルドを放っておけば、人間のみならず他種族も攻撃を受け、支配下に置かれたり殺されたりするだろう。それらに背を向けて、犯人・加害者と取引して、自分たちだけの安泰を図ろうというのは胸が痛む。しかもラディアナには先祖の因縁があり、戦う力もあるのだから。
クリスが、今のラディアナの考えを知れば、きっとラディアナを責めるだろう。英雄の従者の子孫たる者が~とか言って。
『……クリスには解らないのよ。ある日突然、父様も母様も奪われて、独りぼっちになってしまったあたしの気持ちなんか。あたしの苦しみなんか。あたしの悲しみなんか。あたしの……』
ラディアナが心の中でクリスに毒づいていると、パルフェが近づいてきた。ラディアナの目の前まできて、片膝をつく。
そしてラディアナの右手を、そっと両手で包み込んだ。石畳をドカドカ殴って砕いて怪我した手だ。
「パルフェ?」
「気がつかなくてごめんね。何があったか知らないけど、酷い怪我してるじゃない。こういうのを、自分の強さに甘えて軽く扱ってると、今に痛い目見るわよ」
酷い怪我、というほどのものではない。なにしろラディアナなので、もう傷口は埋まりつつある。
とはいえ、拳の皮がかなり深いところまで破れていたので、やはり完治には至っていない。血が滲んでいる。その中の、砂や埃がついてしまっているところを、パルフェがそっと舐めた。
舐めながら、目を閉じて、何か言っている。
「ん……うん……ふんふん……」
「? あ、そういえばあんたって確か、」
「そうよ」
パルフェはにっこり笑って、
「ラディアナちゃん、本当に家族のこと、大好きなのね」
ラディアナの頭に、そっと手を置いた。と同時に、ラディアナの視界から暗い路地が消える。
のみならず、目の前にいるパルフェも消える。自分自身の体までも消え……はしないが、着ていた服は消えた。だが白い素肌が顕わになることはない。顕わになるのは赤い鱗。白い爪。
『え? え? え? え?』
混乱困惑戸惑うラディアナが立っているそこはもう、暗い路地などではなかった。
明るい日差し、透き通った青空、どこまでも広がる緑の大地、彼方に見える雄大な山脈、鳥の声、虫の羽音、川のせせらぎ。
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に感じる風の暖かさまで、絶対に間違いない。ここは、ラディアナが生まれ育ったドラゴンの里だ。何もかも懐かしい。特にこの匂いが……
『この匂いっ⁉』
そう、この匂いだ! ラディアナは鼻をひくつかせてその匂いの出所を探ろうとした。が、できない。体が思うように動かないのだ。
まるで、夢の中にいるような。自分は自分としてちゃんとそこにいるのだが、その一方で客観的にそれを見ているだけのような。決まった筋書きにそって自分が動かされているような。
そんな、よく解らないもどかしい思いの中で、それでもラディアナの視界はくるりと背後に振り向いて、匂いの元がちゃんと目に映った。
『っっ!』
赤い鱗と白い爪、しなやかでいて強靭な筋肉に包まれた、ラディアナよりも大きな、けれどラディアナによく似たドラゴンが二匹。
懐かしい匂いをさせて、懐かしい声でラディアナのことを呼んでいるドラゴンが二匹。
『と、父様と母様……生きてる……動いてる……も、元に戻ったんだ!』
歓喜、どころか狂喜したラディアナが、両親に抱きつこうと駆け出したところで、
「はいっ、と」
パルフェがラディアナの頭から手を離した。
途端にラディアナはエプロンドレスの幼女に戻り、淀んだ臭いの暗い路地へ戻ってきた。
駆け出そうとしていたはずのラディアナだが、今は体の力を抜いて棒立ちになっているだけだ。つんのめるでもなく、パルフェの前にじっと突っ立っている。
「え……っ? な、何、今何がどうなったの?」
「ん~、アナタの魂の中、全部似たような温度で同じような匂いしてるわね。人生の隅々まで、変わらずあんな感じだったってことか」
「ちょっとパルフェ! 今、何したのっ⁉」
ラディアナがパルフェに詰め寄る。パルフェはそんなラディアナをどうどうと宥めて、
「驚かせたのは悪かったけど、落ち着いて。今やったのは、言ってみれば高度な幻術よ。視覚だけじゃなく、嗅覚や触覚まで影響を……ってまあ要するに、アナタが実感した通り。ワタシが読み取ったアナタの魂の記憶を、改めてアナタに見せてあげたってこと」
「あたしの記憶……」
「そ。でも、アナタ自身がいくら思い出そうとしても、頭の中で描くだけじゃここまでリアルには味わえないでしょ? 魂の記憶を魂に映し出せる、ワタシならではの術よ。あくまで過去の記憶を見るだけだから、今のアナタの意志で動いたり喋ったりとかはできないけどね」
術の難しい理屈なんてラディアナには解らない。だからパルフェも詳しい説明はしていない。
しかし、そんなことはどうでも良かった。ラディアナはパルフェに縋り付いて、涙ながらに懇願する。
「パルフェ、もう一回やって今の! お願い、お願いだからもう一回! さっき殴ったことなら謝るから、何百回でも謝るから、だからお願いっっ!」
「はいはい。別に、手間もお金もかからないんだから、そこまで必死にお願いしなくてもやってあげるわよ」
「あ、ありがとうっ!」




