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ここ、タスートの街は東西南北各地に繋がる大街道の近くに位置しており、国内屈指の人口を誇る大都市である。港を埋めるような大型商船の数々と、街中にぎっしり並ぶ各種商店を見れば、この街の豊かさが判るというものだ。
また、治安も悪くない。地下に隠れた犯罪組織などもあるにはあるが、少なくとも街を貫く大通りで、真昼であれば、女子供が一人で歩いていてもまず大丈夫。常駐している騎士団と、犯罪者狩りで賞金を稼ぐ腕自慢たちが目を光らせているので、そう簡単に悪事はできないのだ。
だが、これらはあくまで街の中のこと。一歩、山野に出たならば、人間の山賊団や凶暴な魔物、そして魔王の遺品により世界中に放たれた、凶悪強力な【妖魔】が牙を研いでいる。
そんな無法地帯をクリスは歩いていく。快晴の燦々とした日差しが明るく暖かく心地よい……と、クリスが突然足を止めた。腰の剣に手をやって、緊張した面持ちで周囲を見回す。
人の気配。それもおそらくは敵意をもって、こちらを窺っているような空気。
それらを感じてクリスは警戒態勢に入った。すると、まるでそれを待っていたかのように、前方の少し離れた藪の中から大柄な男が出てきた。
粗末だが使い込まれた感のある、クリスのそれより分厚い皮の鎧を身に着けている。腰には重そうな山刀を差し、ぎょろりとした目に濁って漂うのは、金銭欲か嗜虐欲か。
クリスならずとも、一目で判る。追いはぎ、山賊の類だ。
「なんだか、オレの気配に気付いて身構えたって感じだったな?」
男はニヤニヤしながら声をかけてきた。クリスは油断なく応える。
「当然だ。この程度の気配、僕に読めないと思ったら大間違いだぞ」
「いや、オレはしがない山賊の頭だからよ。気配を消すとかそういう上等なことはできねえ。ただ、なかなか良さそうな獲物が来たから、逃がさないよう包囲しただけさ。こんな風に」
小馬鹿にした仕草で頭が手を振り上げると、クリスの前後左右の木々の影や茂みの中から、七~八人ほどの山賊たちが跳び出した。頭と同じような人相風体の彼らは、棍棒や鉤つき竿などを手に持ち、クリスめがけて一斉に襲ってくる。
どうやら殺して金品を奪うのではなく、生け捕りにしようとしているらしい。
「僕が獲物かどうか、見せてやる!」
山賊たち全員の装備を一瞥して把握したクリスは、まず突出してきた左側の男に狙いを定め、鞘をつけたままの剣を腰から外し、振るった。突き出された鉤つき竿を打ち上げ、そこから踏み込んで男の首筋に叩き込む。打たれた男は呻き声を上げて倒れた。
クリスはそのまま走って包囲を突破、隙を見せずに振り向いて、山賊たちと対峙する。
大木を背にして、山賊たち全員を視野に入れた。背後の茂みからは気配も物音もしないし、これなら不意討ちを食らうことはないだろう。
「これはこれは。世間知らずの可愛いお嬢ちゃんかと思ったが、ちと見込み違いだったか」
頭が手を振って、部下たちを下がらせた。両手に何も持たず、前に出てくる。
「が、鞘ぐるみで戦ってることから察するに、オレたちを殺す気はない。というか、殺せないみたいだな。多分、今まで人を殺したことなんてないんだろ、お嬢ちゃん?」
「そんなのどうでもいいだろ!」
クリスは鞘に包まれた剣を構えて、頭を睨みつける。頭は笑いながら首を振って、
「どうでもいいってことはないぞ。こっちとしては、可能な限り【世間知らずの純粋無垢なお嬢ちゃん】であることが望ましいんでな。多少、腕に覚えがあるぐらいならいいが、平気で人を殺せるような性格だと困る。ま、詳しいことは後々解るから、」
頭は拳を握って、軽く膝を曲げた。跳びかかる体勢だ。
「とりあえず、大人しくなってもらおうかお嬢ちゃん!」
筋骨隆々の頭が、両の拳を構えて突進してきた。だがクリスは冷静にその動きを見切って、静かに迎撃体勢に入る。
頭が右の拳を突き出してきた。クリスは左に一歩踏み込んで、かわしながら剣を打ち込……もうとしたその時、頭が右手を開いた。その中から何か粉のようなものが飛び散り、風に乗ってクリスの顔に当たり、そして目に入る。
「っっ!」
突然、視界を奪われたクリスは、反射的に体を縮めて後退した。
「ただの砂だよ。毒なんかじゃないから、安心しな」
足音、接近の気配、だがクリスは何も見えず、剣を向けることもできず、大きく硬い何かが、脳天に叩きつけられた。拳か、石か、鈍器か。見えないから判らない。
判らないままクリスは、剣を落として膝を着いて、意識を失った。
賑やかに騒ぐ男たちの声と、脈打つような頭の痛みとでクリスは目を覚ました。
背中にあるのは硬いマットの感触ではなく、もっと硬く冷たい、鉄板の感触。横を向けばそこにあるのは、宿の壁ではなくではなく鉄格子。視線の角度を少し上げると、鉄格子の向こうに夜空が見える。
少しずつ少しずつ這い上がってきた意識で、クリスは思い出していく。山賊たちと戦ったこと、打ち倒されて気絶してしまったこと。つまり自分は今、囚われの身になっている。鎧と剣を奪われているのはそのせいだろう。だが、縛られていないのは弱い奴だとナメられているからとして、そもそも殺されていないのが不思議だ。そういえば最初から生け捕りにするつもりだったようだが、どういうことだろうか?
声の聞こえる方へ顔を向けてみると、焚き火を囲んで十数人の山賊たちが宴会をしているのが見えた。周囲の風景からすると、ここは山中で少しだけ木々が途切れ、広場になっている場所らしい。山賊たちの向こう側、岩の斜面には彼らが住めそうな洞窟らしきものがあり、そのそばには小さいながら泉も見える。なるほど山賊のアジトとしては最適な場所だ。
どうやら今日の彼らの獲物は、クリスだけではなかったらしい。クリスが戦ったのとは別の一団がどこかの商隊でも襲ったのか、衣類や宝飾品、食料などが焚き火のそばにごちゃごちゃと積み上げられているのが見える。山賊たちはその中から肉類や酒瓶などを掘り出してきては、呑んで食って騒いで、を繰り返している。
やがて頭痛も治まってきたので、クリスはゆっくりと起き上がって、現状を確認してみた。
やはり最初に想像した通り、鉄製の檻に閉じ込められているようだ。足元は鉄板張りで、四隅には車輪がついており、地面から少し持ち上がっている。本来は罪人か奴隷の護送車……いや、おそらくサーカスか何かで、大型の猛獣を輸送する為の檻車なのだろう。鉄格子の一本一本が、普通の牢獄よりも太くなっている。錠前も頑丈そうで、おそらくクリスの技と力では、剣を使ったとしても破壊は不可能だろう。
やがて、山賊たちの何人かがこちらを向いた。クリスが立ち上がっていることに気付くと、酔っ払った足取りでぞろぞろと、酒瓶や武器を手にしてこちらに近づいてくる。
「ぃよお、お嬢ちゃん。お目覚めかい?」
「さっきは悪かったなぁ、乱暴なことして。でも、あの後は何にもしてないから安心していいぜ。鎧と武器は預からせて貰ったけど、お気づきの通り服は脱がせてないし」
「そうそう。擦り傷さえもつけないようにと気遣って、縛ってもいないだろ? いやぁ、オレたちって優しいなあ」
言いながら、山賊たちはゲラゲラ笑う。先程も考えたことだが、まさか人質にして身代金を要求するというわけでもあるまいに、なぜこんな扱いをしているのだろうか。
その答えは、クリスが訊ねるまでもなく、ゲラゲラ笑いの中から出てきた。
「なにしろ、あるかないかの小さな傷一つでも値切られちまうからなぁ。お嬢ちゃんの商品価値ってのは、野菜や魚以上にデリケートなんだぜ」
「そうそう。使用目的を考えれば、傷一つないまっさらが欲しいってのは仕方ないけどよ」
「そういうわけだ、お嬢ちゃん。もう理解できたよな? 自分がこれからどうなるのか。オレたちがなんでこんなに、お嬢ちゃんを傷つけないようにしているのか」
クリスの顔が、青ざめてきた。
「お嬢ちゃんみたいな、可愛い可愛い男の子が大好きっていう旦那、結構多いんだぜ」
「っっっっ!」