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夕刻。ラディアナとパルフェ、二人を連れたクリスがタスートの街に帰ってきた。
門番のチェックを受けて街に入り、人の波を掻き分けて商店街を進んでいくと、中央公園に辿り着く。噴水の周りで大道芸人たちが手品や軽業などを披露し、食料品を積んだ荷車や戦斧を担いだ傭兵や学校帰りの生徒たちなどが大勢行き来する、広々とした公園だ。
その公園沿いに、クリスの目指す場所がある。
「ほら、こっちだよ」
「ふぁぁ。人間って、こんなにいっぱいいたのね」
「ほらほらラディアナちゃん、ぼうっとしてると危ないわよ」
まずクリスは、普段からよく利用している食堂兼酒場に向かった。この手の店では宿屋も兼ねている場合が多いが、この店は純粋に飲み食いするだけの店だ。旅人だけではなく付近住民の客にも常連は多く、いつも繁盛している。
丁度夕食時なので店は混んでいたが、クリスたちが来たところで運良くテーブルが一つ空いた。ラディアナとクリスが隣り合い、向かいにパルフェが着席する。
クリスが店の奥へ向かって声を張り上げ、三人分の料理を注文して一息ついた。
「さてと。二人とも、街を見た感想は?」
「感想も何も……」
ラディアナの首は街に入ってから、片時も止まっていない。右を見て左を見て、休むことなくきょろきょろきょろきょろしっ放しだ。
なにしろ山の奥の奥、ドラゴンの里でドラゴンとして生まれ育ったラディアナのこと。目に見えるもの耳に聞こえるもの鼻に匂うもの、何もかもが生まれて初めて、珍しさの極みなのだ。
また、こんなに多くの生き物を一度に見たのも初めてだ。山で狩りをして、獣の群れを見たことはあるが、この街の人間の数はケタが違う。また、ラディアナにとって人間という生き物の特異なところは数だけではない。服といい住居といい、何から何まで全てだ。
「人間って、猿や熊より頭がいいのは知ってたけど、それだけじゃないのね。山の獣たちとは違いすぎるわ」
「まあ、そりゃあね。パルフェは?」
パルフェも辺りを見回しているが、ラディアナに比べれば落ち着いている。むしろパルフェ自身が、その際立った美貌と扇情的なプロポーションと露出過剰な衣装のせいで、男女問わず店内の注目を集めまくっている。
そんな連中に適度に笑顔を返したりながらパルフェは、
「ワタシも街に来たのは初めてだけど、あれもこれも知識として刷り込まれてはいるからね」
あれもこれも、いずれはワタシを振るう魔王クリス様のものになるわけだけど、という言葉を飲み込む。
そうこうしている間に、クリスと同じくらいの年頃の、少しそばかすの散った可愛らしい少女が料理を持ってきた。両手に持つトレイに、パンと焼き鳥とスープとサラダとその他諸々の乗った皿を満載させて、それでもバランスを崩さずテーブルの間をすいすい歩いて来る。
「はい、おまちどぉさま! って、クリス? 何だか並々ならぬ決意を燃やした顔だったから心配してたけど、生きて帰って来れたんだ」
「心配してくれてありがと、エレン。確かにいろいろ危ないこともあったけど、僕はまだここの料理、全メニュー制覇してないからね。まだ死ぬわけにはいかない、と思って帰ってきたよ」
クリスの返答に、料理を運んできたウェイトレス、エレンは嬉しそうな顔を見せる。
「ふふん。まぁウチの料理はこの国一、いや世界一だからね。一品食べたらもう、全部食べてみたくなるのは当然ってものよ。ところでクリス、両手に華してるみたいだけど、そちらのお二人は?」
その二人はクリスとエレンの会話などどうでもいいとばかりに、既に料理に取り掛かっていた。ラディアナはそれこそ親の仇のように焼き物揚げ物煮物などなどと格闘している。一応、手づかみではなくフォークやスプーンを使用してはいるが(ここまでの野宿中にクリスが指導した)、口の周りに油や食べかすがつきまくり、良く言えば豪快、悪く言えば行儀悪い。
だが、喜色満面で心の底から美味しそうにひたすらに食べる食べるその姿は、見ていて不快なものではない。
「ねえクリス。もぐもぐ、やっぱり人間って、んぐんぐ、山の獣とは、がむがむ、全然違う、もんごもんご、こんなおいしいもの、がしゅがしゅ、作れるなんて、ずずずず、」
「褒めてくれるのはいいけど、もう少し落ち着いてよく噛んで食べた方がいいよ。話は後でまとめて聞くから、今は食べることだけに集中してて」
「ん、んぐ、うんっ、そうする! パルフェ、あんたもこれ、食べてみて」
「はいはい。ほらラディアナちゃん、こっちも美味しいわよ」
一見上品そうな動きのパルフェもまた、結構な速度でなかなかの量を食べ進んでいる。二人とも人間ではないから当然かもしれないが、その小さい体、細い肢体のどこに入ってるんだというぐらい食べている。その勢いは、食べても食べても衰えそうにない。
もう間もなく料理がなくなりそう、しかし二人の食欲はまだまだ尽きぬ様子、何よりクリスはまだ全然食べてない。というわけでクリスはエレンに追加注文をした。
「ん、ありがとうございますっと。で、さっきの質問に答えてほしいんだけど」
「あ、うん。えーと……二人とも、山賊団に捕まってたのを僕が助けたんだ」
「ふうん。ま、あんたがどの程度強いかは知らないけど、ちゃんと守ってあげなさいよ。こんな綺麗な女の子が二人もいたら、いつどこで誰に狙われても、おかしくないんだからね」
「そーねー」
「そーそー」
綺麗な女の子二人が、ニヤニヤしてクリスを見ていた。
「山賊団から助けてもらったもんねー」
「狙われちゃうから守ってもらわないとねー」
二人のニヤニヤ視線がグサグサとクリスに突き刺さり、刺されたクリスは何も言えずに脂汗。
エレンは首を傾げたが、お客様の事情を聞き出すわけにもいかないので、仕事に戻る。
「じゃあ、追加注文はこれだけでいいわね。すぐ持ってくるから」
「あ、おねーさん待って! この……なんだっけ、えっと、ボタボタスーツとカビキライも! この二つが特においしい!」
「ポタージュスープとエビフライね。ワタシもほしいから、二人前ずつお願い」
ラディアナの注文をパルフェが訂正する。
「はい了解。ラディアナちゃん、そんなに美味しい?」
「うんっ!」
輝くような笑顔で力いっぱいラディアナが頷く。つられてエレンも笑顔になった。
「ありがと。父さんに伝えておくわね。喜んでくれるわ」
エレンは足取り軽く上機嫌で厨房に向かう。パルフェは相変わらず上品かつハイスピードで料理を片付けている。同じくラディアナも、と思いきや手が止まっていた。笑顔も消えている。
その唐突な変化に、クリスが心配して話しかけた。
「ラディアナ、どうしたの?」
「……」
「急にたくさん食べて気分が悪くなったとか?」
「だったらさっき注文したアナタの分、ワタシが食べてあげるわよ」
「……ううん、大丈夫。まだ食べるから。あ、砂参道と元々死中もおかわりお願い」
ツナサンドとトマトシチューを注文しながら、クリスはラディアナの顔をじっと見た。食事は再開したが、やはり先程までの勢いと笑顔がない。
落ち込んでる、というか悲しそう、寂しそうだ。こんなラディアナの顔を前にも見たことがあるような、とクリスが考えていると、何やら派手な音がした。
見れば、使用済みの皿を回収していたエレンが酔客に絡まれている。赤ら顔の男がエレンの腕を掴み、強引に自分の膝に座らせようとして、何やら訳のわからないことを喚きたてていた。
こういう店ではよくある光景だが、もちろんラディアナにとってはこれも初体験。先程までの落ち込みも吹き飛ばし、鼻息荒く立ち上がった。が、隣のクリスは落ち着き払っている。
「見ない顔だと思ったけど、やっぱり新顔か。エレンに手を出すなんてね」
「何落ち着いてんのよクリス! 言っとくけど、山奥でいろんな獣たちを狩って鍛えられたあたしの目は、ごまかされないんだからね。エレンがああ見えて実は強い、なんてことは絶対に」
ラディアナの言葉は、鉄の塊が人体にぶつかる音で途切れさせられた。
男の、エレンを掴んでいた手はもう放されて、鼻血に染まる自分の顔を押さえている。その足元にゴトリと落ちたのは、鼻血のついたフライパン。これが厨房から飛んできて、男の鼻に見事命中したのだ。
「な、何しやがるっ!」
「そりゃこっちの台詞だ」
ぬうっと厨房から出てきたのは、男よりも頭一つ大きな巨漢。はち切れんばかりの筋肉に覆われた体躯を、ラフなシャツとエプロンでムリヤリ包んでいる様はなかなかに壮絶だ。
その太い腕には無数の傷があり、指一本一本のゴツさときたらまるで岩のよう。こんな腕で、こんな手で殴られたらどうなるかという恐怖を見る者に抱かせる。そんな腕と手だ。
「ウチの娘に手ぇ出すとはいい度胸してるな。もはやお前は客じゃねえ。叩きのめす」
「はんっ、ナメるな! いい度胸なのは俺様にケンカ売ったお前のぐがっ!」
男は一歩踏み込んで殴りかかろうとしたのだが、巨漢の一歩の方が速かった。そして天から降って来たようなその拳は男よりも遥かに速く、とてつもなく重かった。
こんな手で殴られたらどうなるか、の答えは男が今、自らの身をもって示している。後頭部に巨大なタンコブを作り、床に熱い接吻をして意識消滅という形で。床板が男の顔面との激突で割れていないのは、巨漢が的確に手加減して殴ったからだ。それは、ラディアナの鍛えられた目で判った。
他の殆どの客たちと同様、この騒ぎを見もせずにクリスは落ち着いている。
ラディアナは立ったまま、目を丸くして巨漢を見ていた。
「クリス、あれって……」
「エレンのお父さんでここの主人、ザンファーさんだよ。昔は有名な冒険者だったらしくてね。引退した今でも、あの通りの腕っ節なんだ。そこいらのチンピラじゃ何人がかりでも手も足も出ないって、この街の人なら誰でも知ってるよ」