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クリスが遺跡から転がるように、いや実際に転がって出た直後、まるで舞台の幕が下りるように遺跡の入口が崩れて埋まった。
転げ倒れた姿勢のまま首だけ振り向いて見れば、後方は地面が大きく抉れて凹んで、殆ど谷になってしまっている。地下の遺跡が壊されたことで、遺跡の天井の上に乗っていた土が崩れ落ちたのだろう。遺跡という地下空洞を持っていない部分、今クリスがいる部分は崩れずに残り、こうなったわけだ。
その光景を地面に突っ伏して見ながら、クリスは生きている喜びに浸っていた。
「はああぁぁ~……た、助かったぁぁ……」
「そぉねぇ~……助かった……疲れたぁ~」
ラディアナも仰向けに寝転がって、ぐったりしている。
パルフェは、ぽむ、と音を立てて美少女の姿に変身し、クリスの腰から鞘を抜いて黒く薄い衣装を纏った。そして、寝転がっているラディアナの横に腹這いになる。
「お疲れ、ラディアナちゃん」
親しげに話しかけてくるパルフェに、ラディアナは寝転がったまま応えた。
「あんたもね。一応、お礼は言っとくわ」
「こちらこそ。ま、お互い様よ。ところで、アナタにとってワタシは仇敵に近い存在だろうけど、ワタシから見ても同じなのよね。魔王様を倒したジークロットの従者さん。これもお互い様。だから差し引きゼロってことで、お互い気にせずにリュマルド打倒の旅路、仲良くやっていきましょう。よろしくっ」
「……う、うん」
ラディアナは複雑な顔になる。
「というわけだからクリス君」
パルフェが、のそのそとクリスのそばに這って来た。
「ワタシとしては、リュマルドを倒して魔王様の遺品を使われるのをやめさせたい。ワタシとアナタたちの目的は一緒よね?」
「そうだけど、君は自分以外の魔王の遺品のことを、家族って言ってたよね」
「ええ。言ってみれば、兄弟姉妹だからね。あ、ワタシは末っ子だから、兄と姉ばかりか」
「そのことで、今の内に言っておくことがある」
クリスは体を起こして、少し厳しい顔になって言った。
「仮に僕らが、リュマルドとその配下を全て倒せても、もし残っている遺品の力でラディアナやラディアナの里の呪いが解けないようなら……僕は、君の、家族を破壊する」
はっとしたラディアナと、黙っているパルフェが、語るクリスの顔をじっと見ている。
「君自身は、ついさっきまで封印されていて、誰にも使われてなかったんだから、呪いとは関係ないと思う。けど、他の」
「はいそこまで! その話、そこまでっ!」
ばっ! とパルフェが起き上がって両手を振った。
「クリス君、考えてみて。先の戦いで、ジークロットたちは魔王様の遺品を、破壊できるものは破壊したはず。で、破壊できなかったものを封印したはずよ。それでここ数百年は平和だった。つまり、現存しているものは全て、破壊はできないけど封印ならできるものってことよ。ワタシみたいに」
「……それもそうか。じゃあ封印する方法も探していかないと」
「そういうことね。んで、アナタはどうも、非情な立派な魔王様にはなれなさそうだって解ったわ。だからワタシは、次の転生を待つことにする。仮にも魔王様の魂、ちゃんと天寿を全うした後なら、きっとまた数百年もすれば会えるわよ」
ふっ、とパルフェは寂しげな笑みを浮かべる。
クリスはそんなパルフェの手をぎゅっと握って、
「ありがとう、パルフェ!」
「って、ちょっと待った!」
わたわたとラディアナがやってきて、クリスをパルフェから引き離し、クリスに耳打ちした。
「あんた、話の流れ解ってるの? パルフェの願い通りに展開したら、また何百年か後の世で、パルフェが主導して、今と同じような戦いが始まっちゃうのよ。そしたらあたしたちの呪いだって」
「それは大丈夫。ラディアナたちにかけられた呪いは、リュマルドが遺品を使いこなして、戦いを始めたから発動したわけだろ? なら、これからの僕らとの旅の中で、きっとパルフェは理解してくれるから。その、何百年か後の日が来ても、リュマルドや昔の魔王みたいな悪さはしないよ。そしたら呪いも発動しないと思う」
「理解するって、何をよ」
「もちろん、愛とか友情とか正義とか、そういうの」
…………
「あんたって……」
「ん?」
「……いや、その……もういいわ。確かにさっきパルフェが言ってた通り、当面の目的は同じなんだし。協力はして欲しいしね」
コメントする気をなくしたラディアナは、とりあえず前向きな結論を出した。
同意を得られたクリスは、
「じゃあこれでよし! だね」
元気良く立ち上がった。そして手を差し出す。
「ラディアナ、パルフェ、これから三人で頑張っていこう!」
二人も立ち上がって、まずラディアナが手を重ねる。続いてパルフェも、
『う~ん。魔王様の呪いを受けて生まれたはずなのに、お優しい純粋真っ直ぐ坊やに育っちゃったみたいね。ま、しょうがないか。これからたっぷりと人間の暗黒面を見せつけて、魔王らしく「更正」させてあげるからねクリス君♪』
微笑んで手を重ねた。そして、
「あらクリス君。指をケガしてるわよ」
「え?」
確かに、クリスの皮手袋が破れ、人差し指に傷があり、そこから血が出ていた。とはいえ今のクリスは(ラディアナもだが)全身傷だらけで、指の傷なんて小さなものだ。
だがパルフェはあえてその手を取って、皮手袋を脱がせ、両手でそっと包み込む。
「アナタはワタシにとっても、ラディアナちゃんにとっても大事な人なんだから。くれぐれも体は大切にしてね」
「は、はあ」
ただでさえ色気の塊なパルフェが、何だか熱っぽい視線で上目遣いでクリスを見つめてくる。正体は触手を生やす剣だと解ってはいるけれど、その手は柔らかくて暖かい。
ドキドキしているクリスを、横でラディアナが睨んでいるのだがパルフェは気にせず(クリスは気づかず)、クリスの人差し指を、ぱふりと口に含んだ。そして傷口を優しく舐める。
「パ、パルフェっ?」
クリスの声が裏返り、ラディアナの視線が鋭くなる。
「クリス、顔赤いわよ。ただ傷口を舐めてるだけでしょ? 何をあわあわしてるのよ」
「い、いや、その、そうだけどっ」
「全く、人間ってのは……ほらパルフェも、手当てだったらもうちょっと落ち着ける場所でやればいいでしょ。ここにいたらカイハブが戻ってきて、また何かするかもしれないし」
「あ、そうか。僕らが生き埋めになったと思われてる内に、ここから離れないと。今の僕らは戦えないしね。ほら、パルフェ。その、ありがと。もういいから、移動しよう。……パルフェ?」
『……』
パルフェはクリスの人差し指を口に含んだまま、クリスの目をじっと見ていた。
『魔王様の呪い、ちゃんと効いてたんだわ……なのにこの子は……』
「ほら、もういいでしょっ!」
ラディアナが強引に、クリスの指をパルフェの口から抜き取った。
「蚊じゃあるまいし、クリスの血がそんなに美味しかったの?」
「美味しいってわけじゃないけどね。ワタシは、血を舐めると相手の魂を少し読めるのよ」
え? と二人が声を出す。
「元々は、相手の血や魂を吸って力を増す剣として創られたからね。いかにも魔剣って感じでしょ? でも残念ながら、血や魂で力を増す機能は不完全、というか殆どなくてね。魔力を食べる能力の応用よ、これは」
「で? クリスの何を読んだっての?」
「ん……」
ラディアナはクリスの顔を見て、胸を見て、腰を見た。
「例えば、そう。クリス君が最後におねしょをした時のこととか」
「っ⁉」
「あれは六歳の夏、蒸し暑い夜。クリス君は……」
「わーわーわーわー!」
じたばたするクリス、身を乗り出してくるラディアナ、パルフェは語るのをやめた。
「なんてね。人の過去をほじくりだすのは良くないわ、うん。だからもうやらない」
「ほっ」
「え~。じゃあ、今の話だけ教えてよぉ」
「教えなくていいっ!」
「ちなみにあたしの最後は五歳。勝ったわね」
「こ、こんなことに勝ちも負けもっっ」
パルフェに手を握られ、指を口に含まれた時とは違う理由で顔を真っ赤にしているクリスと、そんなクリスを囃し立てるラディアナ。賑やかな二人を見てパルフェは、
『魔王様としての更正、どうやら手間取りそうね。でも、しなやかな草よりも堅い大木の方が、台風にはぽっきり折れ易いもの。まして虫食いだらけとあってはね。純粋真っ直ぐじゃないはずなのに純粋真っ直ぐなクリス君、アナタの堅さもきっと、折れ易さを秘めてるはず。ワタシは絶対に諦めないからね……』
密かに決意を固め、静かに闘志を燃やしていた。