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服も体も髪も顔も、傷と汗とでボロボロになりながら、微塵も衰えぬ闘志で幼女ラディアナが向かってくる。
「ふん! ジークロットの、従者の生まれ変わりであったな。面白い!」
ラディアナは今、パルフェによってドラゴンとしての力を取り戻しつつある。つつある、ということは、まだ完全ではないということだ。幼女の姿である限り、それは間違いない。
だが、あのパルフェの力で、いずれ完全に戻るかもしれない。ならば今、潰しておかねばならない。不完全な今であるならば、きっと勝てる、倒せる、殺せる!
「見よ、ジークロットの従者よ! リュマルド様に見出されし、我が魔術の深奥を!」
カイハブの杖から火の玉が三つ、飛び出した。ラディアナを包み込むように渦を巻いて、ラディアナの進路を塞ぐように向かっていく。触れれば爆発し、岩をも砕く威力を秘めた魔術の火の玉だ。が、
「ええぇぇぃっ!」
ラディアナは走りながら両の拳を振るい、三つとも殴り潰した。もちろん、何ら魔力も魔術もないただの手なので、触れた火の玉は三つともきちんと、存分に、爆発した。爆炎と爆風がラディアナを襲い、爆煙がその小さな体を覆い隠す。
だが止まらない。ラディアナの走る速度は全く緩まない。小石でも叩き落したかのように、何事もなかったかのように、ラディアナは拳を構えて爆煙を突き抜け、カイハブへと突進する!
「そ、そんなバカな!」
パルフェの触手にも驚いたカイハブだったが、それ以上に驚愕というか非常識極まる存在が、スカートをなびかせて向かってくる。
カイハブは慌てて次の術を放とうとしたが、間に合わなかった。さんざんゴーレムに打ちのめされた怒りと、ようやく掴んだ仇敵の手がかりへの焦りが一つになり、拳に宿り、この思いよ天まで届けとばかりに、
「うりゃああああああああぁぁぁぁっ!」
渾身の一撃がカイバフを打ち上げた。カイハブは一直線に急上昇、天井にブチ込まれる。見事に全身をめり込ませてしまっており、気絶したのかピクリとも動かず、落ちて来ない。
「っと、やり過ぎたかな。こりゃ取りに行くのが面倒ね。死んではいないと思うけど」
「これで終わりだ、邪悪なる王っ!」
クリスの声にラディアナが振り向くと、パルフェが銛のように投げられたところだった。
宙に浮かぶザセートの胸に、パルフェが深々と突き刺さる。
「グオオオオォォッ!」
引き抜こうとしたザセートの手にも触手が絡みつき、噛み付き、噛み砕く。
みるみる内に、その内包する強大な魔力が、パルフェの触手に削り取られていく。それにより、自身の術の力で現世に留まっていたザセートの魂、髑髏魔術師の姿そのものが、薄れて消えていく。波に洗われる砂の城のように、無数の蟻にたかられた砂糖の塊のように。
「こ、こんな、こんなことが! 全能たる我が、至高の王たる我がああああぁぁっ!」
「王たる者の使命は、民の幸せの為、民の奴隷となること! お前に王の資格は無いっ!」
そのクリスの言葉が、果たして届いたかどうか。ザセートは己の魔力を触手に喰らい尽くされ、この世から消滅した。
食事を終えて落ちてきたパルフェを、クリスが受け止める。触手はもう全て引っ込んでおり、今は銀色に輝く刃をもった美しい剣に戻っている。
「終わった、か」
床にはゴーレムの残骸がゴロゴロ、天井には深々とめり込んだカイハブ、そして目の前にはボロボロのラディアナ。
クリスもクリスで、カイハブの術を受けて結構な怪我をしている。もっとも、そのカイハブの術を、ラディアナは軽く叩き潰していたが。今こうしていても、少しずつだがラディアナの傷口は埋まり、アザも薄れていっている。流石というべきか。
そのラディアナがクリスに、いやパルフェにずんずんと歩み寄った。短いが鋭い牙に、希望と期待をギラつかせて。パルフェの、鏡のような刃に映すかのごとく、紅潮した顔を近づける。
「パルフェ、って言ったわね! さあ、ぱぱっとあたしの呪いを解いてちょうだい!」
《それは無理》
すぱっと言い切られたラディアナが、ずべしゃっとコケる。
すぐさま立ち上がって抗議しようとする、が、
「あ、う……く、う、あっ?」
「ラディアナ?」
「な、何、これ……く、苦し……い、ぐ、く、っ、」
ラディアナは倒れ、体を丸めて苦しみだした。呼吸が乱れて肩で息を、どころか腹や背中も使って激しく大きく荒い呼吸をし、全身から汗の粒を吹き出している。ぎゅっと瞑った目や、皺を寄せる眉など、表情も苦痛に歪んでいく。
明らかに只事ではない。クリスはパルフェを床に置いて、ラディアナを抱き上げた。
「ラディアナ、ラディアナっ⁉」
《あ~あ。そんな体でムリするからよ。暴れ過ぎというか、はしゃぎ過ぎというか》
「えっ?」
今のラディアナの異常を、パルフェは把握しているようだ。なにしろ剣なので、相変わらず彼女(?)自身の表情は窺えない。のんきな口調からすると、今のラディアナが重症ではないと知っている、のだろうか。
だがラディアナが苦しんでいるのは事実なので、クリスは慌てて尋ねた。
「パルフェ、何か知ってるの? なら教えて!」
《心配しなくても大丈夫。呪いの一部が解けただけの不完全な状態で、力を振るい過ぎた反動よ。例えば、水が一杯詰まった袋に小さな穴を開けるとするわね。その穴から、水が自然に漏れるだけなら問題ない。けど、袋を強く握り締めて、ムリヤリに早く水を出そうとすると、穴に負担がかかる。ヘタすると袋が破れる。そういうことよ》
「や、破れるって、まさか」
《大丈夫だってば。……ほら、これでその穴が埋まるから》
とパルフェが言ったのと同時に、ラディアナの体が柔らかな光に包まれた。
光はすぐに消え、それと共にラディアナの喘ぎも治まった。まだ少し辛そうだが、ラディアナは手の甲で汗を拭いながら立ち上がる。
そして、その拭った手を、にぎにぎした。
「……戻ってる……」
と喋るラディアナの口を見て、何が戻ったのかクリスにもすぐ解った。ラディアナの牙がなくなっているのだ。
このドームに入り、パルフェの影響でドラゴンの力をいくらか取り戻し、生えた牙。それがなくなっているということは、おそらくドームに入る前の状態に戻ったということなのだろう。
《さっきワタシが無理って言ったのは、こういうこと。アナタの体に大きな負担を与えるからよ。解る? 呪いの根っこは、アナタの体にしっかり生えちゃってるの。それをワタシが強引に引っ張って、むぎぎっと伸ばして、いくらか体の外に出してただけ。で、今、引っ張ってた手を離して、元に戻ったってこと。根っこから全部を切除するのは無理なのよ》
「……」
ラディアナは、がっかりした顔でまだにぎにぎしている。パルフェの力があれば、今ここで呪いの完全解除ができるかも! と期待していたようだから、その落胆は大きかろう。
クリスはパルフェの説明を理解すると、パルフェに確認するように言った。
「ラディアナを、そしてラディアナの里のドラゴンたちを救うには、やはり魔王の遺品を全部破壊するしかない。そうだね?」
《それはダメ》
……場に沈黙が下りた。
「? え、ど、どうして」
クリスがパルフェに問いかける。ラディアナも首を傾げてパルフェを見つめている。
二人の視線を浴びたパルフェは、急に笑い出した。
《あっはっはっはっはっ♪ さっき、ザセート王様も含めてたくさん食べたから、もう大丈夫。変身できるわ。長いこと待ち望んだ瞬間が、今、遂にっ!》
「な、何? 何を?」
《さあ、喜びなさいクリス君。アナタは、こぉんな美少女と運命で結ばれているのよっ》
ぽむ、と音がして、クリスの手の中のパルフェが消えた。いや、変わった。銀色に輝く長い剣だったのが、真っ白い素肌のしなやかな少女に……
「わ、わっ!?」
反射的に、その少女をクリスは抱き止めた。目の前で落下していくところだったので、何も考えずとにかく受け止めた。
いわゆるお姫様抱っこの状態だ。パルフェが消えて現れた、クリスより少し年上に見えるこの少女。
信じ難いことではあるが、
「ふふっ。どう、クリス君?」
と笑うその声は、間違いなくパルフェだ。
目に眩しい銀色の髪、誰にも踏み荒らされていない新雪のような真白い肌、鋭さと甘さの同居する目元、口元。目鼻立ちのみならず、ほっそりとした顎や首筋など全てのパーツが、まるで名工の手で創られた芸術品であるかのような美しさだ。あのパルフェが、銀色の美しい剣が、そのまま人間になったような姿。それが今のパルフェなのである。
が、実際のところクリスは、そんなパルフェの美しさを冷静に鑑賞できる状態ではなかった。なにしろパルフェは、自身の美しさを全く隠すことなく見せつける状態で出現したから。
つまり裸。小さな肩も、華奢な腕も、丸く大きく豊満でありながらツンと瑞々しい、形の良い胸も。
「あ、あの、その、えとっ」
投げ出すわけにもいかず、裸の美少女パルフェを抱きかかえたまま、クリスは右往左往、しているとパルフェが「あっち」と指差したような気がするので、極力視線を下に向けないようにしてそちらへ走った。
ラディアナが着いて来る足音を背後に聞きながら、クリスが走る。と、抱かれているパルフェが腕を伸ばして、地面に落ちていたものを拾い上げた。
黒い棒のようなそれは、戦いの中で落としてしまっていた、パルフェの鞘だった。パルフェはその鞘を手に持つと、クリスの腕から転がり降りた。降りながら鞘を一振りする。
パルフェの鞘は、ふわりと広がって柔らかいマントのようになって一瞬、クリスとラディアナの前からパルフェの姿を隠した。
闘牛士のケープよろしく鞘のマントが引かれると、その向こうにパルフェがいた。パルフェと入れ替わるようにマントは消え、そこに立つパルフェの体には、黒い衣装が纏われていた。
どうやら剣がパルフェになったように、鞘が衣服になったらしい。服、といっても薄く薄くぴったりと張り付いて煽情的な肢体のラインを際立たせ、胸元や臍回りなど大きく開いており、まるで妖しげな酒場の踊り子のようだ。今すぐそういう舞台に立てるだろうし、立てば一夜にして街の話題を独占しそう。それほどにパルフェは、神々しいまでに美しく、だが妖しく冷たい色香に満ち満ちている。
だから、そんなパルフェの美しさに見惚れつつも、クリスは訊ねずにいられなかった。
「あの、パルフェ。確認するけど君は本当に、あの英雄ジークロットの……?」