13
ボールを高く蹴るように、あるいはスコップで土を掘り上げるように、ゴーレムの爪先が下から上へと突き上げられてクリスを捉えた。クリスは両腕で胸から腹を防御しているようだが、そんなもので止められる衝撃ではない。
ゴーレムの足はその爪先にクリスを引っ掛け乗せたまま、そんな程度の重さなどないかのような速さで、高く高く振り上げられる。
後は気絶した、あるいは死んだクリスがズリ落ちて終わりだな、とカイハブは思った。が、よく見るとクリスは死んでおらず気絶もしていない。それどころか……
「! あ、あいつ!」
カイハブは慌てて杖を構え、ゴーレムの爪先で体をくの字に折っているクリスに向け、火を放った。が、遅かった。
クリスはゴーレムに蹴り上げられる寸前、その攻撃を待っていたとばかりに自ら跳び上がり、蹴りの衝撃を殺していた。つまり爪先を胸にぶつけられたのではなく、跳んだクリスを爪先が追いかける形になったのだ。
のみならず、両腕を畳んで両掌は広げ、ゴーレムの大きく広い爪先にしっかりと手を着いていた。ゴーレムの蹴り上げる足が伸びきったところで、クリスは自分の腕を全力で勢いよく、ゴーレムの爪先を突き放すように伸ばした。すると、
「えいっっ!」
腕の力で大きく跳躍したクリスが、ゴーレムの頭上を越える。カイハブの放った火も飛び越え、空中で体勢を整えながら、大きな放物線を描いてゴーレムの、そしてカイハブの背後へと着地する。
振り向いたカイハブが、すかさず魔術の火で攻撃する。が、ドラゴンの吐く炎さえも完全ではなくともかわせるクリスだ。背後から襲い来るカイハブの攻撃を見事にかわして矢のように駆け、飛ばされていたジークロットの剣に跳びついた。
「し、しまった!」
カイハブが歯噛みする。クリスやラディアナを殺してからでいいと油断し、剣を放置していたのは失策だった。
悔しがるカイハブの前で、クリスは拾い上げた剣を力いっぱい抜き放つ。太古の伝説の、魔王との大戦以来の長い時を越えてきた剣が今、開放されたのだ。
《やああぁぁっと会えたああああぁぁっ! ワタシよ、ワタシ、ほらワタシ! いつか必ず伝説の剣となるワタシ、パルフェちゃんっっ!》
嬉しさのあまり涙を流しているような女の子の声。その声は確かに、クリスをここまで導いた、あの夢の中の声と同じものだ。
夢の中と違う点といえば、その姿が光の塊ではなく剣であること。
まるでそれ自体が光を放っているかのように美しい刃。それに劣らぬ煌びやかな装飾の施された鞘と柄。それでいてしっくりと手に馴染み握り易く、ほどよい重さで操り易そうな、まるで自分が何年も使い込んだかのように感じられる剣。
その剣が、あの声で喋っている。口は見当たらないが、しっかりと耳に聞こえる音声で。
「えっと、パルフェ、さん?」
《あん。そんな他人行儀な呼び方やめて。パルフェでいいわよ》
「そ、それじゃ、パルフェ。あの、その、えっと。いつか必ず、も何も、もうとっくに伝説の剣でしょ?」
と、自分が持つ剣=パルフェに話しかけるクリス。その奇妙な光景に、カイハブも攻撃を忘れてしまっている。
当のパルフェはというと、姿は違えど夢の中と同様、目も鼻も口もないので表情は読み取れない。が、何やら随分とご機嫌な声を返した。
《んふふっ。まあ、その辺はおいおいと、ね。それよりも今は目の前の敵よ。ラディアナちゃんだってピンチでしょ?》
「! そ、そうだったっ! 早く助けに行かないと!」
だがクリスの眼前には、ゴーレムが立ちはだかっている。その向こうにはカイハブもいる。
「娘より先に、自分の心配をせいっ!」
薙ぎ払うようなゴーレムの拳が、斜め上から襲ってきた。クリスは後方に身を引いて回避し、眼前の空気を轟音と共に押しのけた巨大な拳を冷静に見つめて、
『この剣なら、きっと!』
恐れず踏み込み、斬りつける。クリスの期待を裏切らず、剣=パルフェは素晴らしい斬れ味を見せた。丸太よりも太い、石の手首が、すっぱりと切断されて拳が地に落ちる。
だが、見ているカイハブは動じない。このゴーレムはザセートのものを真似て製造したもの、中には奴隷たちの亡霊が詰まっているのだ。手首から亡霊たちが生え、切断された部分を再生するべく、落ちた拳へと向かって……いかない。
「何っ?」
カイハブが、そして同じ光景を予想していたクリスも、目を見張った。
亡霊たちが出てこない。のみならず、手首から無数のヒビが腕の表面を這い上がり、肩口に達すると同時に腕全体があっけなく砕け散った。もちろん、再生はしない。
「これは……?」
《連中はまだ中に残ってる! クリス君、胸! 突き刺して!》
「わ、わかったっ!」
パルフェの指示が飛び、反射的にクリスは動いた。剣を逆手に構えて跳び上がり、ゴーレムの広く分厚い胸に思いっきり突き立てる。
鋭い刃が鋭い音を立てて硬い胸板に深々と刺さり、ほぼ鍔元まで埋まってしまった。
《お見事! いくらワタシが強く鋭く美しいからって、使い手がヘボじゃこうはいかないわ。さっきの斬りつけといい、この突き込みといい、なかなかやるわねクリス君!》
そんなことないですよ、とクリスは言おうとしたが、目の前の光景に言葉を奪われた。クリスが突き刺した胸から、またしてもヒビが、今度は四方八方に広がっていくのだ。そしてやはり、修復される気配はない。まるで亡霊たちがいなくなってしまったかのように。
クリスは剣を引き抜いて着地しようとしたが、それよりも早くゴーレムの全身が砕け崩れた。クリスが力を込めるまでもなく、剣はゴーレムの胸という支えから脱する。
クリスは着地の体勢に入る……その時、見た。
「え⁉」
着地したクリスが、まじまじと剣の刃を見つめる。何もおかしな点はない。最初に見た時からずっと変わらず、伝説の英雄ジークロットの剣というイメージを裏切らない、美しい剣だ。
だがしかし、たった今、確かに見たのだ。
《どうしたのクリス君? そんなに見つめて。恥ずかしいじゃないのっ》
「いや、あの……今、ゴーレムの体の中から刃が出た時、妙なものが見えたような……あ、もしかしてそれが、亡霊たちがいなくなったことと関係があるのかも」
《妙なもの? ああ、これのことね》
うにょむにょんっ、と音はしなかったがとにかくそんな感じで、その妙なものは再度クリスの目に映った。
パルフェの、銀色に輝く美しい刃。その刃の全体から、二十本か三十本か、とにかくたくさん真っ黒な、ミミズのような触手が生えたのだ。うにょむにょんっと。その様はもう伝説の剣なんかではなく、ドス黒いイソギンチャクだ。
「ぅわああああぁぁぁぁ気持ち悪いっっ!」
吐き気さえ感じながら、クリスはパルフェを落とした。と同時に触手は一本残らず引っ込んで、元通りの美しい刃に戻る。
その本人、というか本剣? のパルフェが、地面から不服そうに訴えた。
《気持ち悪いはないでしょ、気持ち悪いは。ワタシが、あの触手で呪縛魔力を喰い尽くしたから、亡霊たちが消えたのよ。そして、そんなことができたのは、アナタがワタシを手にしていたから。ワタシの真の使い手たるアナタの魂で、ワタシの力が何倍にも膨れ上がっていたからこそ、できたことなの。いわばワタシの触手は、いくらかはアナタの力なんだから》
「う、す、すみません」
「もう、いいから早く拾って。まだ戦いは終わってないのよ」
そうだった、とクリスは少し怯えつつパルフェを拾う。今は必要が無いからか、触手は生えてこない。クリスはホッとした。
幸い、カイハブも今の光景と説明に固まってしまっていたようで、攻撃はして来ない。
「剣が、呪縛魔力を、触手で喰らった? 何じゃそれは⁉ そのような不気味な剣の話など、どんな伝説の中にもカケラも出てこんぞ!」
「うん、僕もそう思う。確かに不気味」
《ちょっとクリス君?》
「でも、さっきは驚いちゃったけど、そんなことはどうでもいい」
クリスは深呼吸をして、
「これは、かつて世界を救った、あの伝説の英雄ジークロットの剣。それが、危機に陥った僕を助けてくれた。それが全てさ。……いや、違った。この剣は、」
パルフェを構えると、
「【僕ら】を助けてくれるんだっ!」
カイハブには目もくれず走り出した。何度壊されても瞬時に再生して殴り返し蹴り返し、ラディアナの全身に次々とアザや傷を刻んでいるゴーレムたちの群れに向かって。
ザセートが気づいてゴーレムたちを迎撃に向けるが、
「ラディアナっ! 今行くよっっ!」
クリスが振り回すパルフェの前に、ゴーレムたちは易々と蹴散らされて、もとい斬り散らされていく。クリスがパルフェでゴーレムを斬る、刃から傷口へと触手が伸びて呪縛魔力を喰う、亡霊たちが消え失せる、亡霊を失ったゴーレムはただの石になって崩れ落ちる。
これが、「あっ」と言う間もない瞬間に済んでしまうのだ。前から後ろから右から左から、ゴーレムたちは恐れることなく次々とクリスに襲いかかる。が、クリスが旋風のように操る刃の銀光とうねる黒触手の前に、無限再生難攻不落だったはずのゴーレムたちの陣は、なす術なく斬り崩されてしまった。
その豪快な斬り込みっぷりを、驚いたような呆けたような顔で、そして安堵の目をして見ていたラディアナのところまで、クリスはあっという間に到達した。
「ラディアナ、大丈夫……じゃないみたいだけど、もう大丈夫だよ! 後は僕に任せて!」
クリスの背に庇われたラディアナは、ボコボコにされた顔に笑みを浮かべて答えた。
「うん、ありがと。任せるわクリス。こいつらは、ね!」
言うなり、ラディアナはクリスを押しのけて走った。クリスがたった今斬り開いてくれた道を一気に駆け抜けてその向こう、カイハブのところへと。
「そこを動くなああああぁぁっ! リュマルドの居場所、吐いてもらうわよっっ!」